暖房のリモコンが故障していて、ある一定以上の昇温ができない。修理するのも面倒でそのままにしてあるが普段は別段不便を感じなかった。でも今日は寒い。こころなしか頭痛もする。自然とお布団に潜ることになる。時に覚醒しては武満徹氏の対談の続きを読み、CDを聞きDVDを見る。
夜6時を過ぎて新宿に出る。頂きもののギフト券で橋本治の『小林秀雄の恵み』を買う。橋本治は初めて読む。本にさえも人見知り(?)が激しいせいで、出だしの文章で相性が合わないと買う気になれないのだが、これは合いそうだ。
5月半ばまで読んだ『ブリジット』は今日で読むのを止めることにした。彼女は私が健康のために断っている食べ物ばかり食べていて、精神衛生上悪い。よく見たら、表紙にも「あなたの健康を害するおそれがあります」と書いてある。
明日からの車中パンダ読みのために、ハリポタとクリスティの『そして誰もいなくなった』を購入した。
夜6時を過ぎて新宿に出る。頂きもののギフト券で橋本治の『小林秀雄の恵み』を買う。橋本治は初めて読む。本にさえも人見知り(?)が激しいせいで、出だしの文章で相性が合わないと買う気になれないのだが、これは合いそうだ。
5月半ばまで読んだ『ブリジット』は今日で読むのを止めることにした。彼女は私が健康のために断っている食べ物ばかり食べていて、精神衛生上悪い。よく見たら、表紙にも「あなたの健康を害するおそれがあります」と書いてある。
明日からの車中パンダ読みのために、ハリポタとクリスティの『そして誰もいなくなった』を購入した。
職場近くの書店で立ち読みをしていたら、左のほうに何か気配を感じた。
視線をうつすと、そこにあったのが
『武満徹 対談選』。
琵琶奏者の辻靖剛さんという方との対談が面白い。
武満さんのコメントも素敵だ。
「辻靖剛氏は72歳。私は33歳。ちょうど私は辻さんの子か孫にあたるだろう。でも、辻靖剛氏が1072歳、私が1033歳だとしたら、求めているものが同じだとしてもけっして不思議はないはずだ…」
なるほど、背伸びしても届きそうもない先輩に対するときは、こんな気持ちでいたら良いのかもしれない。
武満さんは、新しく作曲されたものより古くからあるもののほうが気迫、気品ともに遥かに勝っているのが不思議だ、と言っていて、
辻さんはそれは圧倒的な手数から出てくるある種神秘的ものだと語っていた。
それは「自然のなかに飛び込んだ松風の音のようなもの、ああいうような自然の音色が出てくる。要するにそういった一つの線がありましょう」
とか凄いことを淡々と言われている。
そこからまた色々話があったんだけど
そろそろ左手が疲れてきたから止めておく。
昨日の朝、DVDのメニュー画面から流れているオフィスの雑音を「なんか、いいな」と思ってしまったのと武満さんの自然の音という話が自分の中で繋がった。
最近、自分は物事や言葉をどちらかというと意味より音で捉える傾向があるんじゃないか
という気がしているせいで、ちょっと思うところあり。
図書館でネイチャーを読む。ジュウシマツの歌が傍からノイズを入れるとどう変化するかという論文。日本語訳のある要約部分だけで挫折。でも面白い。
とりあえず100本読み終わるまでは文句を言わずに頑張ろう。
さて、これから一度挫折した武満さんのCDに再度トライ。
視線をうつすと、そこにあったのが
『武満徹 対談選』。
琵琶奏者の辻靖剛さんという方との対談が面白い。
武満さんのコメントも素敵だ。
「辻靖剛氏は72歳。私は33歳。ちょうど私は辻さんの子か孫にあたるだろう。でも、辻靖剛氏が1072歳、私が1033歳だとしたら、求めているものが同じだとしてもけっして不思議はないはずだ…」
なるほど、背伸びしても届きそうもない先輩に対するときは、こんな気持ちでいたら良いのかもしれない。
武満さんは、新しく作曲されたものより古くからあるもののほうが気迫、気品ともに遥かに勝っているのが不思議だ、と言っていて、
辻さんはそれは圧倒的な手数から出てくるある種神秘的ものだと語っていた。
それは「自然のなかに飛び込んだ松風の音のようなもの、ああいうような自然の音色が出てくる。要するにそういった一つの線がありましょう」
とか凄いことを淡々と言われている。
そこからまた色々話があったんだけど
そろそろ左手が疲れてきたから止めておく。
昨日の朝、DVDのメニュー画面から流れているオフィスの雑音を「なんか、いいな」と思ってしまったのと武満さんの自然の音という話が自分の中で繋がった。
最近、自分は物事や言葉をどちらかというと意味より音で捉える傾向があるんじゃないか
という気がしているせいで、ちょっと思うところあり。
図書館でネイチャーを読む。ジュウシマツの歌が傍からノイズを入れるとどう変化するかという論文。日本語訳のある要約部分だけで挫折。でも面白い。
とりあえず100本読み終わるまでは文句を言わずに頑張ろう。
さて、これから一度挫折した武満さんのCDに再度トライ。
ごはんが美味しく炊けて
幸せである。
毎朝楽しみにしているブログを読んでいて
考え直したことがある。
昨夜、
「処世術として」
違うものさしを持った自分を設定するのが
必要だ、
と書いたこと。
処世術とか、設定という言葉自体が
中途半端なのだ。
別のものさしを持ったそれぞれの自分から見える
それぞれの世界を
心底愛してしまえば良いのだと。
固定したかに見える
「自分」という
一つのものさし
(それは随時更新されていくにしても)
だけを大事に守っていくには
世界は多様すぎる。
別の言い方をすれば、
一つの文脈だけが自分の真実の存在価値を示していて
他も存在はするが真実ではないと嘯くのは
つまらない、
と思っただけである。
複数の文脈で位置づけられる
一個の身体、一個の人生、
それが返って自然体なのだろう。
大学生の頃、
北村薫の『六の宮の姫君』が好きだった。
文学史絡みの推理小説とでも
いうべきもので、これは何回も読んだ。
何に共鳴していたのか
当時はよく分からなかったけれど、
菊池と芥川それぞれが
一つのものさしでは説明しきれない
真剣な二面性、というか多面性の人生を生きていただろうことに
惹かれたのだと今にして思う。
「芭蕉は「いひおほせて何かある」と言ったそうだ。いい尽くしたところで何になる。俳句に限らない。そうなんだよね、と頷くしかない。論文なら、説明し尽くすことが必要だ。しかし、例えば小説の価値はそこにはない」(北村薫 著 『六の宮の姫君』より引用)
言い尽くせないものに惹かれる。
それは小説だけのことではないだろう。
そういえば、作者の北村さんも当時、
高校教師と作家という異なる世界を両方生きている人物だった。
何かそこに因縁を感じたのかもしれないと思うけれど、
これまた
言いおおせて何かある、という話。
幸せである。
毎朝楽しみにしているブログを読んでいて
考え直したことがある。
昨夜、
「処世術として」
違うものさしを持った自分を設定するのが
必要だ、
と書いたこと。
処世術とか、設定という言葉自体が
中途半端なのだ。
別のものさしを持ったそれぞれの自分から見える
それぞれの世界を
心底愛してしまえば良いのだと。
固定したかに見える
「自分」という
一つのものさし
(それは随時更新されていくにしても)
だけを大事に守っていくには
世界は多様すぎる。
別の言い方をすれば、
一つの文脈だけが自分の真実の存在価値を示していて
他も存在はするが真実ではないと嘯くのは
つまらない、
と思っただけである。
複数の文脈で位置づけられる
一個の身体、一個の人生、
それが返って自然体なのだろう。
大学生の頃、
北村薫の『六の宮の姫君』が好きだった。
文学史絡みの推理小説とでも
いうべきもので、これは何回も読んだ。
何に共鳴していたのか
当時はよく分からなかったけれど、
菊池と芥川それぞれが
一つのものさしでは説明しきれない
真剣な二面性、というか多面性の人生を生きていただろうことに
惹かれたのだと今にして思う。
「芭蕉は「いひおほせて何かある」と言ったそうだ。いい尽くしたところで何になる。俳句に限らない。そうなんだよね、と頷くしかない。論文なら、説明し尽くすことが必要だ。しかし、例えば小説の価値はそこにはない」(北村薫 著 『六の宮の姫君』より引用)
言い尽くせないものに惹かれる。
それは小説だけのことではないだろう。
そういえば、作者の北村さんも当時、
高校教師と作家という異なる世界を両方生きている人物だった。
何かそこに因縁を感じたのかもしれないと思うけれど、
これまた
言いおおせて何かある、という話。
図書館にあった中では最新版の
(ってことは随分前のだろうけど)
ネイチャーに載っていた論文で
2つばかり興味をひいたものがあった。
一つはegalitarian motives in humansというので、
コミュニティーの中で貨幣に相当するものを設定して
富裕層と貧困層を作る。
で、コミュニティーの中では、
自分の貨幣を支払うことによって
(ってことだと思うんだけど読み違いだったらすいません)
誰でも好きな人に自由に貨幣を与えたり搾取したりすることが
できるという一定のルールが設定されている。
そういう環境で放置しておくと、
富裕層からは搾取し、貧困層には与える傾向が強いという
結果が出て、
人間には平等主義、協力的態度があるんだという
結論になっていた。
★
もう一つは
grassland species loss resulting from reduced niche dimension
というもので、
(こちらはおぼろげな日本語訳の記憶があるだけで
本文の英文はコピーして持ち帰ったのだけれど、
かなり眠くて今晩は読めそうもないので間違ってたらすいません)
多様性のある生態系というのは、
資源や要因に制約が多い場合に出来上がる。
対立するものが色々生まれて
ニッチな次元の高い
(なにしろ生物系初心者なもので、
ニッチにも次元があるって初めて聞いたので
目からウロコ的に驚いたんだけど)
ものが生まれる。
んだけど環境的な制約が少なくなって
資源が豊富に供給されるようになると、
すぐに適応できる種の
グローバリズムが始まっちゃって
ニッチの次元も落ちる、、、
というような話だった。
★
両方ともなるほど、だったんだけど、
最初のは
あれは確かに助け合い精神の発露とも言えるけれど
別の言葉で言えば均質化が起こるってことでしょう。
ところが現実には経済の二極化は進行してるわけで、
これはどう説明するんだろう。
と考えながら、図書館から家に向かって
てくてく歩いていて、
そうか、コミュニティーが違うのかと思い当たった。
富裕層コミュニティーの中での均質化、
ロウアーミドルの中での均質化、
その他もろもろのコミュニティー内での均質化は
確かに起こっているのかもしれない。
異なるコミュニティー間が融合していくっていうのは
あるのかな。
コミュニティーの捉え方が経済という視点だけでなくなれば
世界はもう少し平和になるのかな。
で、2番目のは生態系とは別の話になるけれど、
ネットのおかげで情報の流通がこれだけ迅速になると
ニッチマーケットの「ニッチの次元」が低くなってくる、
っていうのは
なんとなく実感に合っている気がして面白かった。
ところで、直感から推理して、
あらかじめ出したい結果を持った上で
実験をするのだろうけれど、
その直感が普遍性のあるテーマかどうか
というあたりが一般人としては問題にしたいところである。
将棋の羽生さんによると、
独創的な手は直感から出てくるもので、
論理は後付けであるけれど、
直感はカメラのフォーカスのようなもので、
最初に合わせた焦点によっては、
いくら考えても筋の良い発想、展開が浮かばない
ってこともあるし逆の場合も勿論ある。
最初にどこにフォーカスするかが問題だって話を
思い出した。
そういうセンスを磨くには
基礎的知識も大事だから覚えるということも必要で、
更には
「「考える」という作業の中で、
「覚える」スイッチと「発想する」スイッチを
うまくパッパッと入れていく」
(中央公論5月 頭が良いとはどういうことか 記事より引用)
のがコツなのだそうだ。
(ってことは随分前のだろうけど)
ネイチャーに載っていた論文で
2つばかり興味をひいたものがあった。
一つはegalitarian motives in humansというので、
コミュニティーの中で貨幣に相当するものを設定して
富裕層と貧困層を作る。
で、コミュニティーの中では、
自分の貨幣を支払うことによって
(ってことだと思うんだけど読み違いだったらすいません)
誰でも好きな人に自由に貨幣を与えたり搾取したりすることが
できるという一定のルールが設定されている。
そういう環境で放置しておくと、
富裕層からは搾取し、貧困層には与える傾向が強いという
結果が出て、
人間には平等主義、協力的態度があるんだという
結論になっていた。
★
もう一つは
grassland species loss resulting from reduced niche dimension
というもので、
(こちらはおぼろげな日本語訳の記憶があるだけで
本文の英文はコピーして持ち帰ったのだけれど、
かなり眠くて今晩は読めそうもないので間違ってたらすいません)
多様性のある生態系というのは、
資源や要因に制約が多い場合に出来上がる。
対立するものが色々生まれて
ニッチな次元の高い
(なにしろ生物系初心者なもので、
ニッチにも次元があるって初めて聞いたので
目からウロコ的に驚いたんだけど)
ものが生まれる。
んだけど環境的な制約が少なくなって
資源が豊富に供給されるようになると、
すぐに適応できる種の
グローバリズムが始まっちゃって
ニッチの次元も落ちる、、、
というような話だった。
★
両方ともなるほど、だったんだけど、
最初のは
あれは確かに助け合い精神の発露とも言えるけれど
別の言葉で言えば均質化が起こるってことでしょう。
ところが現実には経済の二極化は進行してるわけで、
これはどう説明するんだろう。
と考えながら、図書館から家に向かって
てくてく歩いていて、
そうか、コミュニティーが違うのかと思い当たった。
富裕層コミュニティーの中での均質化、
ロウアーミドルの中での均質化、
その他もろもろのコミュニティー内での均質化は
確かに起こっているのかもしれない。
異なるコミュニティー間が融合していくっていうのは
あるのかな。
コミュニティーの捉え方が経済という視点だけでなくなれば
世界はもう少し平和になるのかな。
で、2番目のは生態系とは別の話になるけれど、
ネットのおかげで情報の流通がこれだけ迅速になると
ニッチマーケットの「ニッチの次元」が低くなってくる、
っていうのは
なんとなく実感に合っている気がして面白かった。
ところで、直感から推理して、
あらかじめ出したい結果を持った上で
実験をするのだろうけれど、
その直感が普遍性のあるテーマかどうか
というあたりが一般人としては問題にしたいところである。
将棋の羽生さんによると、
独創的な手は直感から出てくるもので、
論理は後付けであるけれど、
直感はカメラのフォーカスのようなもので、
最初に合わせた焦点によっては、
いくら考えても筋の良い発想、展開が浮かばない
ってこともあるし逆の場合も勿論ある。
最初にどこにフォーカスするかが問題だって話を
思い出した。
そういうセンスを磨くには
基礎的知識も大事だから覚えるということも必要で、
更には
「「考える」という作業の中で、
「覚える」スイッチと「発想する」スイッチを
うまくパッパッと入れていく」
(中央公論5月 頭が良いとはどういうことか 記事より引用)
のがコツなのだそうだ。
午後から夜まで、図書館を2館はしご。
★
鈴木孝夫 著『ことばと文化』を読んでいて
なるほどと思ったことがある。
「動物園で見たゾウは大きかった」と言ったのを聞いたとき、
ゾウの大きさがどの程度なのかを、
尋ねるたくなる衝動はない(場合が多いと思われる)。
翻って
「スーパーに大きいリンゴがあった」と聞いたら、
「どれぐらいの大きさのリンゴだったのか」
と尋ねたくなるのではないか。
この話で分かるのは、
人間には潜在的なものさしがある、ということだ。
その「ものさし」にも
色々な種類があるそうだが、細かい話は置く。
例えば、
赤ん坊の頃以来ご無沙汰で、10年ぶりに会った甥が
小学生になっている。
「大きくなったね」
と言葉をかけると、
「クラスの中では小さい(背の低い)ほうから3番目です」
というような話にもなる。
叔父の立場からすると、
赤子であった頃の甥の記憶と比べると小学生になった甥は大きい。
(期待基準)
甥の立場からすると、
クラスの中で標準的な背丈ほど大きくはない。
(種の基準)
はたまた、ある部屋が
3人が使用する部屋にしては大きいが、
100人が使用する部屋にしては狭い、ということもある。
(適格基準)
鈴木氏は以上の基準に加えて、
人形ヒトガタの基準というものを示している。
ゾウの足は大きい、と聞いたとき、
殆どの場合異議がないのは
人間の足と比べて大きいと認識するからだろう。
「「万物の尺度は人間である」という意味のことを古代ギリシャ人が言ったが、人形の基準はこれにぴったりする。いやそれどころか、ことばを使って世界を整理するときの仕方は、大なり小なりすべて人間中心、人間が基準なのである」(鈴木孝夫 著『ことばと文化』3 かくれた基準 より引用)
というわけである。
ところで、敢えてもうひとつ言うとすると、
例えば、女子同士の会話でよく聞く
「あなたの足は細いわね」
「睫毛が長いわね」
というような会話は大体において
潜在的比較の基準は自分の足であり、睫毛である。
その意味からすると
万物の尺度は自分である。
長々と述べたのは
何が言いたかったかというと、
最近、どうも見たり聞いたり読んだりしたものの評価を
言葉にするのが難しくなってきている。
当然のことながら、
別に私は評論を生業とするものでは全くないのだし
そこで悩む必要もないのだけれど、
尺度をいつも「自分の感覚」に置いていると
何も言えなくなってくる。
感じるのはあくまで自分の尺度であるにせよ、
言うときには別の尺度を取り入れる世渡り術は
必要かもしれない。
リンゴで言えば、
それは王林よりは甘いのか、
ジョナゴールドにしては酸っぱいのか、
世界一に比べると小さいとか、そんなふうに。
「リンゴ」wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4
「りんごの唄」この違和感(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=WbMgRE8726I
椎名林檎、久しぶりに聞きました。
http://www.youtube.com/watch?v=KG3hVYGjjGg
http://www.youtube.com/watch?v=E4IbGK_shh4&mode=related&search=
★
鈴木孝夫 著『ことばと文化』を読んでいて
なるほどと思ったことがある。
「動物園で見たゾウは大きかった」と言ったのを聞いたとき、
ゾウの大きさがどの程度なのかを、
尋ねるたくなる衝動はない(場合が多いと思われる)。
翻って
「スーパーに大きいリンゴがあった」と聞いたら、
「どれぐらいの大きさのリンゴだったのか」
と尋ねたくなるのではないか。
この話で分かるのは、
人間には潜在的なものさしがある、ということだ。
その「ものさし」にも
色々な種類があるそうだが、細かい話は置く。
例えば、
赤ん坊の頃以来ご無沙汰で、10年ぶりに会った甥が
小学生になっている。
「大きくなったね」
と言葉をかけると、
「クラスの中では小さい(背の低い)ほうから3番目です」
というような話にもなる。
叔父の立場からすると、
赤子であった頃の甥の記憶と比べると小学生になった甥は大きい。
(期待基準)
甥の立場からすると、
クラスの中で標準的な背丈ほど大きくはない。
(種の基準)
はたまた、ある部屋が
3人が使用する部屋にしては大きいが、
100人が使用する部屋にしては狭い、ということもある。
(適格基準)
鈴木氏は以上の基準に加えて、
人形ヒトガタの基準というものを示している。
ゾウの足は大きい、と聞いたとき、
殆どの場合異議がないのは
人間の足と比べて大きいと認識するからだろう。
「「万物の尺度は人間である」という意味のことを古代ギリシャ人が言ったが、人形の基準はこれにぴったりする。いやそれどころか、ことばを使って世界を整理するときの仕方は、大なり小なりすべて人間中心、人間が基準なのである」(鈴木孝夫 著『ことばと文化』3 かくれた基準 より引用)
というわけである。
ところで、敢えてもうひとつ言うとすると、
例えば、女子同士の会話でよく聞く
「あなたの足は細いわね」
「睫毛が長いわね」
というような会話は大体において
潜在的比較の基準は自分の足であり、睫毛である。
その意味からすると
万物の尺度は自分である。
長々と述べたのは
何が言いたかったかというと、
最近、どうも見たり聞いたり読んだりしたものの評価を
言葉にするのが難しくなってきている。
当然のことながら、
別に私は評論を生業とするものでは全くないのだし
そこで悩む必要もないのだけれど、
尺度をいつも「自分の感覚」に置いていると
何も言えなくなってくる。
感じるのはあくまで自分の尺度であるにせよ、
言うときには別の尺度を取り入れる世渡り術は
必要かもしれない。
リンゴで言えば、
それは王林よりは甘いのか、
ジョナゴールドにしては酸っぱいのか、
世界一に比べると小さいとか、そんなふうに。
「リンゴ」wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4
「りんごの唄」この違和感(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=WbMgRE8726I
椎名林檎、久しぶりに聞きました。
http://www.youtube.com/watch?v=KG3hVYGjjGg
http://www.youtube.com/watch?v=E4IbGK_shh4&mode=related&search=
アメーバブログが
自前のアクセス解析を作ったそうです。
藤田社長が、喜んでいます。
http://ameblo.jp/shibuya/
確かに見やすいです。
というのも実は、私はアメブロも使っています。
(一体いくつ使ってるんだ!という話ですが…2つです)
開けっぴろげな私でも
他人様に見せられない
秘密の日記を書かずにいられない時が
あったりします。
そんなときのための
緊急避難場所のような(笑)
または面白くもなんともない
自己管理の記録であったり、
そんなサブ的な使い方をしています。
でも立派なアクセス解析がついちゃうと
メインブログにしたい気持ちが
うずうずしちゃいますね。
(今のところは多分、しないけど…)
★
話は変わりますが、
「よくそんなに頻繁に
ブログ更新できますね」
と言われることがあるのですが、
(とはいえ1日約1回ですが)
これは既に習慣化しました。
書かないと気持ちが悪いのです。
何か忘れている気がするのです。
書くことによって
途中だった何かが完成したり、
思いが現実になったり
バラバラだったものが繋がったり
忘れていたことを思い出したり
自分が進化したり
はたまた、前と同じようなこと書いてるなと
気づいたり
…というような発見、体験を持つと
日記は「やみつき」に
なってしまいます。
書かなきゃ損、と思うのです。
私にとって
日記帳に万年筆で書くのは
大変な気力がいりますが、
ブログはどれだけ入力しても、
疲れません。
自分の続けやすい方法で
続けやすい力の入れ方で
最初はボチボチと、
細くても、長く続けることに
重きを置くのが
継続のコツなのかもしれません。
★
話が逸れました。
アメブロは、アクセスが集中する時間帯には
表示されなくなることが多いのが
難点ですが…。
社長も頑張ってるみたいだし
ひそかに応援しています。
がんばれ、アメブロ!
自前のアクセス解析を作ったそうです。
藤田社長が、喜んでいます。
http://ameblo.jp/shibuya/
確かに見やすいです。
というのも実は、私はアメブロも使っています。
(一体いくつ使ってるんだ!という話ですが…2つです)
開けっぴろげな私でも
他人様に見せられない
秘密の日記を書かずにいられない時が
あったりします。
そんなときのための
緊急避難場所のような(笑)
または面白くもなんともない
自己管理の記録であったり、
そんなサブ的な使い方をしています。
でも立派なアクセス解析がついちゃうと
メインブログにしたい気持ちが
うずうずしちゃいますね。
(今のところは多分、しないけど…)
★
話は変わりますが、
「よくそんなに頻繁に
ブログ更新できますね」
と言われることがあるのですが、
(とはいえ1日約1回ですが)
これは既に習慣化しました。
書かないと気持ちが悪いのです。
何か忘れている気がするのです。
書くことによって
途中だった何かが完成したり、
思いが現実になったり
バラバラだったものが繋がったり
忘れていたことを思い出したり
自分が進化したり
はたまた、前と同じようなこと書いてるなと
気づいたり
…というような発見、体験を持つと
日記は「やみつき」に
なってしまいます。
書かなきゃ損、と思うのです。
私にとって
日記帳に万年筆で書くのは
大変な気力がいりますが、
ブログはどれだけ入力しても、
疲れません。
自分の続けやすい方法で
続けやすい力の入れ方で
最初はボチボチと、
細くても、長く続けることに
重きを置くのが
継続のコツなのかもしれません。
★
話が逸れました。
アメブロは、アクセスが集中する時間帯には
表示されなくなることが多いのが
難点ですが…。
社長も頑張ってるみたいだし
ひそかに応援しています。
がんばれ、アメブロ!
新しい派遣会社に登録に行ってきた。
久しぶりにスーツを着て、満員電車に乗った。
10分以内にワードやエクセルで
文書を作るテストを受けたりして
関数を思い出せなくて
ちょっとドキドキしたり。
相変わらず入力は比較的速いと褒められて
嬉しくなったり。
膨大な量のスキルチェック項目を見て
自分のできることは意外に少ないことに
ちょっと哀しくなったり。
自己紹介の苦手な私にとって、
派遣コーディネータさんと話すのは、
自分のキャリアを「良いとこどり」して
話す練習になる。
長所ばかりを話していると、
我ながら、自分がとてもデキル人間になった
気分になる。
ある種、洗脳である。
どちらかというと
自信なさげな人間に見られがちなので
もう少し洗脳して自信満々にならないと
と思う(笑)
そんなこんなで
スクール通いを優先できそうな仕事の面接と
部屋の更新料の足しにするための
単発仕事を少しだけ決めてきた。
ぼんやりと広がっていた、
自分が目標とするところの範囲が
だいぶ絞れてきたので
ぼちぼち、
忙しくなりそうだ。
久しぶりにスーツを着て、満員電車に乗った。
10分以内にワードやエクセルで
文書を作るテストを受けたりして
関数を思い出せなくて
ちょっとドキドキしたり。
相変わらず入力は比較的速いと褒められて
嬉しくなったり。
膨大な量のスキルチェック項目を見て
自分のできることは意外に少ないことに
ちょっと哀しくなったり。
自己紹介の苦手な私にとって、
派遣コーディネータさんと話すのは、
自分のキャリアを「良いとこどり」して
話す練習になる。
長所ばかりを話していると、
我ながら、自分がとてもデキル人間になった
気分になる。
ある種、洗脳である。
どちらかというと
自信なさげな人間に見られがちなので
もう少し洗脳して自信満々にならないと
と思う(笑)
そんなこんなで
スクール通いを優先できそうな仕事の面接と
部屋の更新料の足しにするための
単発仕事を少しだけ決めてきた。
ぼんやりと広がっていた、
自分が目標とするところの範囲が
だいぶ絞れてきたので
ぼちぼち、
忙しくなりそうだ。
二度寝して起きたはよいが
1時間前から本日の予定を考えているのに
今ひとつまとまらず(笑)
青森に行くのに
格安航空券を入手すべきか
格安高速夜行バス
(値段だけ考えると本当に安い)
にすべきかと
ぐぐっていたら
驚くべき長い時間が経過していた
ああもったいない
格安飛行機の予約が可能な
1週間後の天気まで読むことができず
やはりAtoZは晴天もしくは
少なくとも曇天の中で歩きたい
これから数日は台風も迫っていて
今ひとつな天気のようで
うーむ。
そこらあたりで思考停止(笑)
というわけで
結局、恵比寿ガーデンプレイスに行ってきます。
『カポーティ』を見るのと
久々に写真美術館に。
1時間前から本日の予定を考えているのに
今ひとつまとまらず(笑)
青森に行くのに
格安航空券を入手すべきか
格安高速夜行バス
(値段だけ考えると本当に安い)
にすべきかと
ぐぐっていたら
驚くべき長い時間が経過していた
ああもったいない
格安飛行機の予約が可能な
1週間後の天気まで読むことができず
やはりAtoZは晴天もしくは
少なくとも曇天の中で歩きたい
これから数日は台風も迫っていて
今ひとつな天気のようで
うーむ。
そこらあたりで思考停止(笑)
というわけで
結局、恵比寿ガーデンプレイスに行ってきます。
『カポーティ』を見るのと
久々に写真美術館に。
昨年6月から
勤めていた会社を
本日で退職しました。
勝手ながら
最後の数日間は
SVとしてではなく、
いちオペレータとして
お客様対応を
させてもらいました。
クライアントの思惑
業務の効率化
システム的なこと
その他
もろもろ
もろもろ
もろもろ…
などは考えずに
名も知らぬ
電話の向こうのお客様と
他愛ない話をすること
それ自体は
結構好きだったんだ
ということに
気づきました。
振り返ってみると
良いかたたちとご一緒できて
楽しい1年4ヶ月でした。
みなさま
お世話になりました。
ありがとう!
またお会いしましょう。
(…というか、
わたしは、ここにいます。)
ふふふ。
では、またね。
勤めていた会社を
本日で退職しました。
勝手ながら
最後の数日間は
SVとしてではなく、
いちオペレータとして
お客様対応を
させてもらいました。
クライアントの思惑
業務の効率化
システム的なこと
その他
もろもろ
もろもろ
もろもろ…
などは考えずに
名も知らぬ
電話の向こうのお客様と
他愛ない話をすること
それ自体は
結構好きだったんだ
ということに
気づきました。
振り返ってみると
良いかたたちとご一緒できて
楽しい1年4ヶ月でした。
みなさま
お世話になりました。
ありがとう!
またお会いしましょう。
(…というか、
わたしは、ここにいます。)
ふふふ。
では、またね。

