サイバーエージェントの藤田社長が
ゲストを迎えて対談する「しぶしょく」。
今回のゲストは『決断力』の羽生さん。
まだ前編だけしかアップされてないけれど、
これは結構良かった。
プロフェッショナルとかに比べると、
「編集されてない感」があって、
台本も殆どなさそうなまま、
ゲストが勝手にしゃべってるところが
非常に良い。
普通にしゃべっても内容の濃いことを
言ってくれる識者にこそ、こういう
企画編集にコストをかけてなさそうな、
つまりは企画者の思惑通りに編集されない番組に
登場していただきたい、と思う。
ところで、
話を聞いていて
ハタ!と気がついたんですが、
自分はいろんな決断ができずに
うだうだ悩んでいるわけだけれど、
うだうだする原因は何なのか、というと
「捨てられない」からなんだな、
って思ったわけですね。
経験や知識、それが一生懸命学んだり習得したり
したことであればあるほど、
それを頭の中から捨てるのは惜しい。
だから、本当は、客観的に見たら、
それは捨てるべきなのに、
「一生懸命培ったわけだし、アタシはこれで生きてきたんだし」的な
邪念があって、結果的に適応できないことになる。
捨てなければ時流には乗っていけないし
変化に対応できない。
将棋の世界でも、
最先端の型(形、かな?将棋ではどう言うんだろう)は
20代の無名なアマチュアっぽい
人たちから生まれてくるらしいけれど
自分が力を入れて学んだ古臭い型を捨てて
新しいものを取れるかどうか、
っていうと、それができない人も多いらしい。
で、話を戻すと、
何かを選択するとき、この選択は良かった、
と後で思いたいのは当然なわけで。
でもこの選択をせずに、
あの選択をしてよかったのかどうかなんてことは
究極のところ、分からないわけで。
(と、羽生さんも言っていた)
あと、
後発の人間(お話の中では若い人間と総称されていたが
個人的にはスタートが遅かった人間も含むと受け取った)
のメリットは、
「いいとこどり」
できることだ、ということ。
確かに、先人が苦労して編み出したものの
良いところだけを手早く取り入れることができるわけだから。
なるほど。
そういうお話から考えたのは、
もちろん、先行者利益を取れるのが一番だけれど、
遅咲き(まあ咲くことを目指しているわけだが)
の人間にとって大事なのは、
遅れたからこそ良いとこどりが出来るんだと
胸を張っちゃえばよいんだということ、
いつかは捨てることを前提に、
学び続けて捨てていくこと。
自分の選択に自信が持てるかどうかは、
今まで習得してきたいくつかの物事において
形成されてきた、枝葉ではなくて
コアの部分に自信が持てるかどうかということ。
決断そのものの良し悪しは、
究極の話、最後まで分からないことも多いんだということ。
そんなことを受け取りました。
まだ前半しかアップされてませんが、
良かったですよ。
『決断力』、読んだ方も、読んでない方も、
おすすめです。
http://ameblo.jp/shibuya/
※私はサイバーエージェントの回し者ではありませんので、
念のため(笑)
ゲストを迎えて対談する「しぶしょく」。
今回のゲストは『決断力』の羽生さん。
まだ前編だけしかアップされてないけれど、
これは結構良かった。
プロフェッショナルとかに比べると、
「編集されてない感」があって、
台本も殆どなさそうなまま、
ゲストが勝手にしゃべってるところが
非常に良い。
普通にしゃべっても内容の濃いことを
言ってくれる識者にこそ、こういう
企画編集にコストをかけてなさそうな、
つまりは企画者の思惑通りに編集されない番組に
登場していただきたい、と思う。
ところで、
話を聞いていて
ハタ!と気がついたんですが、
自分はいろんな決断ができずに
うだうだ悩んでいるわけだけれど、
うだうだする原因は何なのか、というと
「捨てられない」からなんだな、
って思ったわけですね。
経験や知識、それが一生懸命学んだり習得したり
したことであればあるほど、
それを頭の中から捨てるのは惜しい。
だから、本当は、客観的に見たら、
それは捨てるべきなのに、
「一生懸命培ったわけだし、アタシはこれで生きてきたんだし」的な
邪念があって、結果的に適応できないことになる。
捨てなければ時流には乗っていけないし
変化に対応できない。
将棋の世界でも、
最先端の型(形、かな?将棋ではどう言うんだろう)は
20代の無名なアマチュアっぽい
人たちから生まれてくるらしいけれど
自分が力を入れて学んだ古臭い型を捨てて
新しいものを取れるかどうか、
っていうと、それができない人も多いらしい。
で、話を戻すと、
何かを選択するとき、この選択は良かった、
と後で思いたいのは当然なわけで。
でもこの選択をせずに、
あの選択をしてよかったのかどうかなんてことは
究極のところ、分からないわけで。
(と、羽生さんも言っていた)
あと、
後発の人間(お話の中では若い人間と総称されていたが
個人的にはスタートが遅かった人間も含むと受け取った)
のメリットは、
「いいとこどり」
できることだ、ということ。
確かに、先人が苦労して編み出したものの
良いところだけを手早く取り入れることができるわけだから。
なるほど。
そういうお話から考えたのは、
もちろん、先行者利益を取れるのが一番だけれど、
遅咲き(まあ咲くことを目指しているわけだが)
の人間にとって大事なのは、
遅れたからこそ良いとこどりが出来るんだと
胸を張っちゃえばよいんだということ、
いつかは捨てることを前提に、
学び続けて捨てていくこと。
自分の選択に自信が持てるかどうかは、
今まで習得してきたいくつかの物事において
形成されてきた、枝葉ではなくて
コアの部分に自信が持てるかどうかということ。
決断そのものの良し悪しは、
究極の話、最後まで分からないことも多いんだということ。
そんなことを受け取りました。
まだ前半しかアップされてませんが、
良かったですよ。
『決断力』、読んだ方も、読んでない方も、
おすすめです。
http://ameblo.jp/shibuya/
※私はサイバーエージェントの回し者ではありませんので、
念のため(笑)
別に支持政党であるわけではないので
どうでもいいといえばいいのだが。
柴犬は可愛い。
でも、その隣に座っている人物がとてもアホっぽく見えて
思わず目をそむけてしまう。
http://www.dpj.or.jp/news_video.html
主婦向けの昼メロな時間帯だったから
こういうわけのわからんイメージCMになるんだろうか。
安部さんのイメージ戦略に対抗している
つもりなんだろうか。へんな人たちだ。
どうでもいいといえばいいのだが。
柴犬は可愛い。
でも、その隣に座っている人物がとてもアホっぽく見えて
思わず目をそむけてしまう。
http://www.dpj.or.jp/news_video.html
主婦向けの昼メロな時間帯だったから
こういうわけのわからんイメージCMになるんだろうか。
安部さんのイメージ戦略に対抗している
つもりなんだろうか。へんな人たちだ。
ブログにアップされていた、
茂木さんの早稲田でのシンポジウム
音声ファイルを聞いてみた。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/
専門家向けだろうから分からないだろうと
予想はしていたけれど、やっぱり分からない。
茂木さんは超早口。
一般向けの話のときは、かなりスピードを
抑えてるんだなぁと思う。
半分以上横文字と専門用語。
分からない。
久しぶりのカルチャーショック。
本というのは、自分のペースで読める。
でも音声は、相手のペースに
合わせなければならないから、
カルチャーショックがより激しくなる。
世の中には賢いひとたちが
沢山いるんだということを再認識させられる
貴重なひととき。
こういうカルチャーショックを受けないと、
人間的な成長が止まってしまう。
ほめられておだてられて
小さな山でも「お山の大将」になることを
求める人も世の中にはいるのだろうけれど、
私にとっては、それはとてもつまらないこと。
住み慣れた場所を離れ、
居心地の悪い場所に自らを置くことは
心細さを伴うけれど、
成長を志すものにとっては
大事なことだと思う。
いざ、ネクストステージへ。
茂木さんの早稲田でのシンポジウム
音声ファイルを聞いてみた。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/
専門家向けだろうから分からないだろうと
予想はしていたけれど、やっぱり分からない。
茂木さんは超早口。
一般向けの話のときは、かなりスピードを
抑えてるんだなぁと思う。
半分以上横文字と専門用語。
分からない。
久しぶりのカルチャーショック。
本というのは、自分のペースで読める。
でも音声は、相手のペースに
合わせなければならないから、
カルチャーショックがより激しくなる。
世の中には賢いひとたちが
沢山いるんだということを再認識させられる
貴重なひととき。
こういうカルチャーショックを受けないと、
人間的な成長が止まってしまう。
ほめられておだてられて
小さな山でも「お山の大将」になることを
求める人も世の中にはいるのだろうけれど、
私にとっては、それはとてもつまらないこと。
住み慣れた場所を離れ、
居心地の悪い場所に自らを置くことは
心細さを伴うけれど、
成長を志すものにとっては
大事なことだと思う。
いざ、ネクストステージへ。
風邪でここ2日ばかり起きられませんでした。
起き上がってみたら、シーツに穴が。
生まれてこのかた、シーツが破れたのって初めてな気がします。
結構ショック。お気に入りだったのに。
というか、シーツが薄かったんだね。
薄手のガーゼ地2枚重ねのシーツのうちの1枚、ちょうどお尻が当たる部分に、こぶし大の穴が開いていたわけなんだけど。
このシーツに80対20の法則を当てはめると、
「約80%の摩擦を受ける部分」はお尻のあたり、これがシーツの面積のうちの約20%(にも満たない気がするけれど)。
確かに、シーツのうち残りの80%の部分って、殆ど使わないっていうか、触れないよね。
足だって、全面べったりシーツに触れてるわけじゃないし、
背中だって結構宙に浮いてたりするし。
でも、その触れてない部分のシーツは不要なのか、というとそうではなくて。
残りの80%がなければないで困ったことになる、わけです。
タオルなんかでもそうですね。
よく使う部分って決まってます。
使用頻度の80%を占めるのは、全体のうちの20%の面積のみなわけです。
でも20%の部分だけあればタオルと呼べるのかっていうと、それじゃあハンカチになっちゃうでしょう、という。
更にハンカチにも80対20の法則は当てはまるわけで。。。
結構際限ない話ですけどね。
★
使わない残りの80%は、果たして不要なのか?
というと、不要ではない。
それを「無用の用」と言うのだと前に教わりました。
人間は、普通、10センチ幅があれば歩行できるんだそうです。
でも、じゃあ高さ100メートルの場所に、10センチ幅の板が渡してあったとして、それで歩けるか?
っていうと、そりゃ歩けないわけです。
せめて歩道橋の幅ぐらいないと、こわくて渡れませんよね。
あれはどれぐらいの幅あるんでしょうね、たぶん1メートルぐらいかな。
つまり、残りの90センチ幅は、無用の用。
必要か、って言われれば必ずしも必要ではないんだけど、でも、ないと困る。心の余裕を持って歩行するに必要なもの、とでもいうんでしょうか。
20%の重要な部分をより効果的に生かすためには残りの80%は必要である、という話です。
重要な20%で結果の80%が決まる。
でも残りの80%も不要ではない。
そんなことを、穴のあいたシーツを取替えながら、思ったのでした。
起き上がってみたら、シーツに穴が。
生まれてこのかた、シーツが破れたのって初めてな気がします。
結構ショック。お気に入りだったのに。
というか、シーツが薄かったんだね。
薄手のガーゼ地2枚重ねのシーツのうちの1枚、ちょうどお尻が当たる部分に、こぶし大の穴が開いていたわけなんだけど。
このシーツに80対20の法則を当てはめると、
「約80%の摩擦を受ける部分」はお尻のあたり、これがシーツの面積のうちの約20%(にも満たない気がするけれど)。
確かに、シーツのうち残りの80%の部分って、殆ど使わないっていうか、触れないよね。
足だって、全面べったりシーツに触れてるわけじゃないし、
背中だって結構宙に浮いてたりするし。
でも、その触れてない部分のシーツは不要なのか、というとそうではなくて。
残りの80%がなければないで困ったことになる、わけです。
タオルなんかでもそうですね。
よく使う部分って決まってます。
使用頻度の80%を占めるのは、全体のうちの20%の面積のみなわけです。
でも20%の部分だけあればタオルと呼べるのかっていうと、それじゃあハンカチになっちゃうでしょう、という。
更にハンカチにも80対20の法則は当てはまるわけで。。。
結構際限ない話ですけどね。
★
使わない残りの80%は、果たして不要なのか?
というと、不要ではない。
それを「無用の用」と言うのだと前に教わりました。
人間は、普通、10センチ幅があれば歩行できるんだそうです。
でも、じゃあ高さ100メートルの場所に、10センチ幅の板が渡してあったとして、それで歩けるか?
っていうと、そりゃ歩けないわけです。
せめて歩道橋の幅ぐらいないと、こわくて渡れませんよね。
あれはどれぐらいの幅あるんでしょうね、たぶん1メートルぐらいかな。
つまり、残りの90センチ幅は、無用の用。
必要か、って言われれば必ずしも必要ではないんだけど、でも、ないと困る。心の余裕を持って歩行するに必要なもの、とでもいうんでしょうか。
20%の重要な部分をより効果的に生かすためには残りの80%は必要である、という話です。
重要な20%で結果の80%が決まる。
でも残りの80%も不要ではない。
そんなことを、穴のあいたシーツを取替えながら、思ったのでした。
はずかしながら今年に入って日経新聞を読み始めました。
うしろのほうのページに
「やさしい経済学」という項がありまして。
…ちっともやさしくない。
だから、たまに読む程度です。
本日、その「たま」の日だったんですが。
うーむ。
うなってしまいました。
その内容というのがですね。
たとえば「良い転職先」のような、人生において
割合大きな出来事は、平均すると6人の人を介して
もたらされる、というのです。
パーティで奥さんの知り合いの主人と出会って
転職したい旨を告げたら、その主人の妹の主人の知り合い
から話があって良い転職先が決まった。
奥さん
奥さんの知り合い
奥さんの知り合いの主人
奥さんの知り合いの主人の妹
奥さんの知り合いの主人の妹の主人
奥さんの知り合いの主人の妹の主人の知り合い
これで6人介しているわけです(よね?)。
でもって。
どこぞの研究で証明されたことらしいのですが、
A氏が、直接は知らない人物Xにあてて手紙を届けたい。
A氏が直接知っているB宛に、
「X氏に手紙を届けたいんだけど直接知らないんだよね、
キミ誰かX氏にこの手紙渡してくれそうな知人いない?」旨を
書いて送る、更にBが
「Aが、X氏にこの手紙届けたいっていうんだけど、
キミ誰かX氏の知り合いとか知らない?」
とCに手紙を送る、CがDに、DがEに。EがFに。
と繰り返していくと、平均6回目で
当初の目的の人物「X氏」に手紙が届く。
という結果になったんですって。
さらっと読んで、そのあとしみじみ感動してたので
思い込み読みがあるかもしれませんが、
こんな内容でした。
で、何をしみじみ感動してたかっていうと。
たとえば私が、
どうすれば目的のものにたどりつけるんだろう。
と考えるとき。
果てしなく長い道のりのような気がするんです。
100回も200回もいろんな試練を経ないと
たどりつけないような、いやそれを乗りこえても
たどりつけるんだろうか。
そんな気持ちにとらわれることが
あります。
でも、6人ですよ。6人。
たった6人の人物を介して目的のものにたどりつくのだと
すれば。
それって、けっこう簡単、ですよね?
まあ「平均」6人だってことなので、
絶対ってわけじゃないけど。。。
でも、とにかく、この発見って、すごい。
すごい!すご〜い〜っ!!
と、朝から感動していたのでした。
★
あとになって、友人から上記の内容について
『新ネットワーク思考』と
いう本を紹介してもらいました。
もっと詳説されています。
ご興味があれば、どうぞ。
(2004.07.26記す)
うしろのほうのページに
「やさしい経済学」という項がありまして。
…ちっともやさしくない。
だから、たまに読む程度です。
本日、その「たま」の日だったんですが。
うーむ。
うなってしまいました。
その内容というのがですね。
たとえば「良い転職先」のような、人生において
割合大きな出来事は、平均すると6人の人を介して
もたらされる、というのです。
パーティで奥さんの知り合いの主人と出会って
転職したい旨を告げたら、その主人の妹の主人の知り合い
から話があって良い転職先が決まった。
奥さん
奥さんの知り合い
奥さんの知り合いの主人
奥さんの知り合いの主人の妹
奥さんの知り合いの主人の妹の主人
奥さんの知り合いの主人の妹の主人の知り合い
これで6人介しているわけです(よね?)。
でもって。
どこぞの研究で証明されたことらしいのですが、
A氏が、直接は知らない人物Xにあてて手紙を届けたい。
A氏が直接知っているB宛に、
「X氏に手紙を届けたいんだけど直接知らないんだよね、
キミ誰かX氏にこの手紙渡してくれそうな知人いない?」旨を
書いて送る、更にBが
「Aが、X氏にこの手紙届けたいっていうんだけど、
キミ誰かX氏の知り合いとか知らない?」
とCに手紙を送る、CがDに、DがEに。EがFに。
と繰り返していくと、平均6回目で
当初の目的の人物「X氏」に手紙が届く。
という結果になったんですって。
さらっと読んで、そのあとしみじみ感動してたので
思い込み読みがあるかもしれませんが、
こんな内容でした。
で、何をしみじみ感動してたかっていうと。
たとえば私が、
どうすれば目的のものにたどりつけるんだろう。
と考えるとき。
果てしなく長い道のりのような気がするんです。
100回も200回もいろんな試練を経ないと
たどりつけないような、いやそれを乗りこえても
たどりつけるんだろうか。
そんな気持ちにとらわれることが
あります。
でも、6人ですよ。6人。
たった6人の人物を介して目的のものにたどりつくのだと
すれば。
それって、けっこう簡単、ですよね?
まあ「平均」6人だってことなので、
絶対ってわけじゃないけど。。。
でも、とにかく、この発見って、すごい。
すごい!すご〜い〜っ!!
と、朝から感動していたのでした。
★
あとになって、友人から上記の内容について
『新ネットワーク思考』と
いう本を紹介してもらいました。
もっと詳説されています。
ご興味があれば、どうぞ。
(2004.07.26記す)
「信念は、ためされるものである」と言われます。
信念を持って行動しようとすると、
必ず「タメシ」が入る。
その「タメシ」に1回1回勝っていくと、力がついてくる。
すると自分の将来に期待が持てるようになってくる。
もっと「タメシ」に勝っていかないと。
(2004.09.15記す)
信念を持って行動しようとすると、
必ず「タメシ」が入る。
その「タメシ」に1回1回勝っていくと、力がついてくる。
すると自分の将来に期待が持てるようになってくる。
もっと「タメシ」に勝っていかないと。
(2004.09.15記す)
少し、へこんでいた。
自分の思慮の浅さと軽率さに。
昼ごはんを食べて、書店に行くと、山田ズーニーさんの本が目に止まった。
おとなの小論文教室2『理解という名の愛がほしい』
最初のページをめくって驚く。
私が今まさにへこんでいた原因、そしてそれを乗り越えた山田さんのコラムが目に飛び込んできたからだ。
題名は、『連鎖』。
ほぼ日刊イトイ新聞のコラムを集めた本だから、もしやと思ったら、さすが、バックナンバーも掲載されている。
こちらから、ぜひ、読んでみてほしい。
人はいろんな言葉を吐く。
鈍感な私でも、人の悪意を感じることはある。
確かに、悪意は連鎖する、と思う。
もし、私に悪意を投げかける人があったとしても、その人も、元はといえば、誰かから悪意を受けた「弱い人」に違いない。
そして、もしかしたら、悪意を与えたのは、私だったかもしれない。
私などは、短慮極まりない人間の典型だから、消せない一言を悔やむことがどれだけあるか分からない。
そう思えば、投げかけられた悪意の連鎖は、私で、止めなければならない、と思う。
山田さんは書いていた。
「自分がコツコツとコラムを書き続けること。そのこと自体、人によっては攻撃ととらえる人もいる。いや、ある人が必死で自分を生きている。そのことだけで、すでに攻撃と感じる人はいる。
生きているだけで、すでに攻撃。表現する以上、覚悟をしなければ。」
山田さんのように耐性はあるつもりだ。
同情も、心配も、されるのは大嫌い。
けれど、そんなに強い人間ではない。意外に脆い、と感じることはある。
微弱な悪意にも反応してしまうのだ。
でも、私は、私を表現して生きていきたい。
だからこそ、表現した上で起きてくる全ての責任は、私が取らなくては。
悪意の連鎖を断ち、善意の連鎖を生み出すという責任を。
そう、山田さんが言うところの、
「たったいま、自分の出す、この言葉から。」
★
あなたとの出会いを糧にして、私は、もっと、大きくなりたい。
まだまだ未熟ですが、どうか、私のこれからの成長を見守ってやってください。
自分の思慮の浅さと軽率さに。
昼ごはんを食べて、書店に行くと、山田ズーニーさんの本が目に止まった。
おとなの小論文教室2『理解という名の愛がほしい』
最初のページをめくって驚く。
私が今まさにへこんでいた原因、そしてそれを乗り越えた山田さんのコラムが目に飛び込んできたからだ。
題名は、『連鎖』。
ほぼ日刊イトイ新聞のコラムを集めた本だから、もしやと思ったら、さすが、バックナンバーも掲載されている。
こちらから、ぜひ、読んでみてほしい。
人はいろんな言葉を吐く。
鈍感な私でも、人の悪意を感じることはある。
確かに、悪意は連鎖する、と思う。
もし、私に悪意を投げかける人があったとしても、その人も、元はといえば、誰かから悪意を受けた「弱い人」に違いない。
そして、もしかしたら、悪意を与えたのは、私だったかもしれない。
私などは、短慮極まりない人間の典型だから、消せない一言を悔やむことがどれだけあるか分からない。
そう思えば、投げかけられた悪意の連鎖は、私で、止めなければならない、と思う。
山田さんは書いていた。
「自分がコツコツとコラムを書き続けること。そのこと自体、人によっては攻撃ととらえる人もいる。いや、ある人が必死で自分を生きている。そのことだけで、すでに攻撃と感じる人はいる。
生きているだけで、すでに攻撃。表現する以上、覚悟をしなければ。」
山田さんのように耐性はあるつもりだ。
同情も、心配も、されるのは大嫌い。
けれど、そんなに強い人間ではない。意外に脆い、と感じることはある。
微弱な悪意にも反応してしまうのだ。
でも、私は、私を表現して生きていきたい。
だからこそ、表現した上で起きてくる全ての責任は、私が取らなくては。
悪意の連鎖を断ち、善意の連鎖を生み出すという責任を。
そう、山田さんが言うところの、
「たったいま、自分の出す、この言葉から。」
★
あなたとの出会いを糧にして、私は、もっと、大きくなりたい。
まだまだ未熟ですが、どうか、私のこれからの成長を見守ってやってください。
昨日徘徊していたサイトの周辺で見つけた記事に
誰にでも道化の要素はあり、それを増幅させてやれば
笑いを生み出すことができるが、
「自分を笑うのは最も難しい」とあった。
一晩明けた今朝になって、その言葉をふと
思い出した。
確かに、人を笑うのは簡単だが、
自分を笑う、のは難しい…かもしれない。
最近の自分の言動で笑えるものは
何だろう、と考えながら、ぼんやりと道を歩いていた。
すると、突然、上方から未確認物体の落下とともに
微小の飛沫が発生し、私は驚きとともに横に飛びすさった。
見上げると、鳩である。
ぬぬ、不覚。
幸い身体にはつかなかったものの、
眼鏡に少量の水滴が付着した。
まったく朝から何てこと。
(鳩め…、と上方を睨むが鳩に反省の色なし)
前方を見ると、道の向こうからやってくる人の
顔が少しゆがんでいるのに気がついた。
笑いをこらえているのだ。
その時、気がついた。
あ、これか。
これを笑うんだ。
自分にとっての災難は、他人にとっては
ちょっとおかしな「笑いのタネ」なのだ。
自分にとっては「災難」である事象を、
他人の目になって、客観視して、自分の感情を度外視して、
笑う。
だから、難しいんだ。
朝から凄い大発見をしたような気分になって
急ぎ足で家に戻る。
そういえば、以前のNHK『プロフェッショナル』で
科学者の古澤さんは「失敗を楽しめ」と、
テストドライバーの加藤さんは
「修羅場でこそ笑え」と言われていた。
失敗を客観視せよ。
修羅場で冷静になれ。
それが、「自分を笑う」ってことなんだ。
そうか、自分を笑ってしまえ。
それでこそプロなんだ。
誰にでも道化の要素はあり、それを増幅させてやれば
笑いを生み出すことができるが、
「自分を笑うのは最も難しい」とあった。
一晩明けた今朝になって、その言葉をふと
思い出した。
確かに、人を笑うのは簡単だが、
自分を笑う、のは難しい…かもしれない。
最近の自分の言動で笑えるものは
何だろう、と考えながら、ぼんやりと道を歩いていた。
すると、突然、上方から未確認物体の落下とともに
微小の飛沫が発生し、私は驚きとともに横に飛びすさった。
見上げると、鳩である。
ぬぬ、不覚。
幸い身体にはつかなかったものの、
眼鏡に少量の水滴が付着した。
まったく朝から何てこと。
(鳩め…、と上方を睨むが鳩に反省の色なし)
前方を見ると、道の向こうからやってくる人の
顔が少しゆがんでいるのに気がついた。
笑いをこらえているのだ。
その時、気がついた。
あ、これか。
これを笑うんだ。
自分にとっての災難は、他人にとっては
ちょっとおかしな「笑いのタネ」なのだ。
自分にとっては「災難」である事象を、
他人の目になって、客観視して、自分の感情を度外視して、
笑う。
だから、難しいんだ。
朝から凄い大発見をしたような気分になって
急ぎ足で家に戻る。
そういえば、以前のNHK『プロフェッショナル』で
科学者の古澤さんは「失敗を楽しめ」と、
テストドライバーの加藤さんは
「修羅場でこそ笑え」と言われていた。
失敗を客観視せよ。
修羅場で冷静になれ。
それが、「自分を笑う」ってことなんだ。
そうか、自分を笑ってしまえ。
それでこそプロなんだ。
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