窓のないオフィスは最悪だ。
閉塞感も相俟って、ひどく精神が乾く。
美しいものが見たい。
たとえそれが現実でなくても。
汐留に岡本太郎の「明日の神話」が
展示されていたとき、
タリーズの野外席で眺めた。
1時間以上絵を眺めたのは
あれが初めてだったのだけれど、
作品から発せられる
「気」のようなものが
身体の髄に入り込んで
直接働きかけてくるような、
不思議な体験をした。
水曜から木曜にかけて、
相当気を張っていないと
ガクリと精神力が落ちてしまう。
どこかの企業経営者が
水曜は午前で仕事を切り上げて
午後から趣味でリフレッシュすると書いていたのを
読んだことがあるが、
できることなら自分もそうしたい。
とはいえ、有休さえつかない
短期の派遣社員には
そんな贅沢は望むべくもないから、
平日夜に開館している森美術館にでも
行ってこようかしら。
明日は残業はやめよう。
閉塞感も相俟って、ひどく精神が乾く。
美しいものが見たい。
たとえそれが現実でなくても。
汐留に岡本太郎の「明日の神話」が
展示されていたとき、
タリーズの野外席で眺めた。
1時間以上絵を眺めたのは
あれが初めてだったのだけれど、
作品から発せられる
「気」のようなものが
身体の髄に入り込んで
直接働きかけてくるような、
不思議な体験をした。
水曜から木曜にかけて、
相当気を張っていないと
ガクリと精神力が落ちてしまう。
どこかの企業経営者が
水曜は午前で仕事を切り上げて
午後から趣味でリフレッシュすると書いていたのを
読んだことがあるが、
できることなら自分もそうしたい。
とはいえ、有休さえつかない
短期の派遣社員には
そんな贅沢は望むべくもないから、
平日夜に開館している森美術館にでも
行ってこようかしら。
明日は残業はやめよう。
閉ざされたオフィスから解放され
フレッシュネスバーガーで
厚切りの生トマトを齧るしあわせ。
この世のすべては
91の元素から成り立っている、
という文章を読み
ふと窓外に目をやって
路行く人と風景を眺めたら
言いようもない
愛しさがこみ上げた。
何もかも許せそうな気がした。
残業。
1日は短い。
1ヶ月も短い。
1年も短くて、
だから一生も短いに違いない。
目が回る。
それでもお腹は減る。
空いている割に
美味しい近所の定食屋で
麻婆茄子を注文する。
予想に反し
茄子に混じって豆腐も入っていて
気に入った。
湯川秀樹さんの文章を読んでいたら
文系理系なんて
分け隔てしてるのは
やっぱりおかしい気がしてきた。
「われわれの真の出発点は
物質と精神のいまだ分かれざる所にあらねばならぬ。
もろもろの科学の分化発達する
根源を現実の世界における人格的な行為に
求めねばならぬことは、
いまさら言うまでもない。
人間性に対する自覚と信頼とを
離れては、哲学も科学もその存在意義を失ってしまうであろう。
われわれは幾度もこの源流に立ち戻り、
そのたびごとに自覚を新たにしたうえで、
さらに遠い路を行かねばならぬ。」
(『目に見えないもの』より引用)
30歳代の湯川さん、
かっこいい。
ブログマーケティング的には
ブログとはネタ帳であるべき
なのだそうだけれど、
ネタになるようなことは
ひとつも書けない。
時時刻刻
わたしという生きものの中に
大量流入してくる諸々を
咀嚼反芻し記録する
ただの覚書に過ぎず。
今日もまた
いつものように、
ひどい散乱ぶり。
せめて産卵のように美しく
生産的であればいいのに。
困ったもんだ。
フレッシュネスバーガーで
厚切りの生トマトを齧るしあわせ。
この世のすべては
91の元素から成り立っている、
という文章を読み
ふと窓外に目をやって
路行く人と風景を眺めたら
言いようもない
愛しさがこみ上げた。
何もかも許せそうな気がした。
残業。
1日は短い。
1ヶ月も短い。
1年も短くて、
だから一生も短いに違いない。
目が回る。
それでもお腹は減る。
空いている割に
美味しい近所の定食屋で
麻婆茄子を注文する。
予想に反し
茄子に混じって豆腐も入っていて
気に入った。
湯川秀樹さんの文章を読んでいたら
文系理系なんて
分け隔てしてるのは
やっぱりおかしい気がしてきた。
「われわれの真の出発点は
物質と精神のいまだ分かれざる所にあらねばならぬ。
もろもろの科学の分化発達する
根源を現実の世界における人格的な行為に
求めねばならぬことは、
いまさら言うまでもない。
人間性に対する自覚と信頼とを
離れては、哲学も科学もその存在意義を失ってしまうであろう。
われわれは幾度もこの源流に立ち戻り、
そのたびごとに自覚を新たにしたうえで、
さらに遠い路を行かねばならぬ。」
(『目に見えないもの』より引用)
30歳代の湯川さん、
かっこいい。
ブログマーケティング的には
ブログとはネタ帳であるべき
なのだそうだけれど、
ネタになるようなことは
ひとつも書けない。
時時刻刻
わたしという生きものの中に
大量流入してくる諸々を
咀嚼反芻し記録する
ただの覚書に過ぎず。
今日もまた
いつものように、
ひどい散乱ぶり。
せめて産卵のように美しく
生産的であればいいのに。
困ったもんだ。
残業のすすめを断って
6時5分きっかりに職場を出た。
四ツ谷駅前の掲示板には
ずいぶん前から
国立劇場の文楽のポスターが貼られていて
人形の顔が闇の中から
ぽかんと浮かんで見える。
そこだけ妙に非現実的な白。
急いだ先は、新宿野村ビル。
百式・田口さんの会議に参加した。
何か分からないけれど
ブログマーケティングの話だよね、
程度の認識で行ったら
えらいことになった(笑)
なんと、
ウイルスバスターの説明を聞いた後、
製品をクチコミするのに効果的な
ブログパーツのアイデアを出す、
という流れだった(!)
一人でアホな考えを書いて出せばよいか
と思いきや、
15分の考慮時間の後、
チームを組んで、
自分のアイデアを発表しつつ
チームで意見をまとめる
ブレストに突入するという(すでに汗)
なにしろブログパーツなんて
使ったことのない人間なので、
(あ、むかし一回だけあったかな、
ある特定の日以降、
世界中で生まれたヒヨコの数を
延々カウントするっていう)
考慮時間が経過しても頭は真っ白(滝汗)
とはいえ、何も思いつきませんでした、なんて
寒すぎることも言えず
チームの方が話している間に
浮かんだしょーもない未完成ネタを
平身低頭、素人なものですから
と謝りつつ発表。
嗚呼、近来稀にみるはずかしさ(笑)
名刺交換させていただいたところ
私のいたチームの方は
システム関連の専門家の方が多かったようなのに
素人の話を温かく受け止めて下さる
優しいかたばかりで、
まことに救われた思いでありました。
たまには頭に汗を、
(人生に恥を、、、笑)
まあ、こんなことでもないと
成長しませんもんね。
よい経験をさせていただきました。
ありがとうございました!
★
今日読んでいる本
『あなたのTシャツはどこからきたのか』
アメリカの綿生産という視点から
グローバリゼーションを見るという内容。
少しずつではあるけれど、
実学方向に振り子がふれてきている
感じも、なきにしもあらず。
6時5分きっかりに職場を出た。
四ツ谷駅前の掲示板には
ずいぶん前から
国立劇場の文楽のポスターが貼られていて
人形の顔が闇の中から
ぽかんと浮かんで見える。
そこだけ妙に非現実的な白。
急いだ先は、新宿野村ビル。
百式・田口さんの会議に参加した。
何か分からないけれど
ブログマーケティングの話だよね、
程度の認識で行ったら
えらいことになった(笑)
なんと、
ウイルスバスターの説明を聞いた後、
製品をクチコミするのに効果的な
ブログパーツのアイデアを出す、
という流れだった(!)
一人でアホな考えを書いて出せばよいか
と思いきや、
15分の考慮時間の後、
チームを組んで、
自分のアイデアを発表しつつ
チームで意見をまとめる
ブレストに突入するという(すでに汗)
なにしろブログパーツなんて
使ったことのない人間なので、
(あ、むかし一回だけあったかな、
ある特定の日以降、
世界中で生まれたヒヨコの数を
延々カウントするっていう)
考慮時間が経過しても頭は真っ白(滝汗)
とはいえ、何も思いつきませんでした、なんて
寒すぎることも言えず
チームの方が話している間に
浮かんだしょーもない未完成ネタを
平身低頭、素人なものですから
と謝りつつ発表。
嗚呼、近来稀にみるはずかしさ(笑)
名刺交換させていただいたところ
私のいたチームの方は
システム関連の専門家の方が多かったようなのに
素人の話を温かく受け止めて下さる
優しいかたばかりで、
まことに救われた思いでありました。
たまには頭に汗を、
(人生に恥を、、、笑)
まあ、こんなことでもないと
成長しませんもんね。
よい経験をさせていただきました。
ありがとうございました!
★
今日読んでいる本
『あなたのTシャツはどこからきたのか』
アメリカの綿生産という視点から
グローバリゼーションを見るという内容。
少しずつではあるけれど、
実学方向に振り子がふれてきている
感じも、なきにしもあらず。
昨日からずっと頭の中で、
チョムスキーが語り続けている。
夜勤の間、
市民メディア、alternative mediaについて
色々調べてみる。
3時頃から机の上で少し眠る。
まっすぐ家へ帰る予定だったが、
新宿で『ダーウィンの悪夢』が
かかっているのを発見、
珍しく夜勤を9時5分ちょっきりに
完了して急いだ。
9時45分開演の館内は
高齢者の目立つ客層。
内容は衝撃的だった。
ダーウィンを持ち出してくる必要性は
殆どないから、
題名に異議はあるものの、
丁寧に作りこまれた感があり
作品の風合いとして私の好みである。
ドキュメンタリー映画にありがちな
刺激的な言葉を切り貼りした編集ではなく
人間が本音を吐露するまで
じっくり向き合っている。
これも一言でまとめられるような
内容ではないので
継続的に学んでいきたい、
としか言えないのだが。
一番心を掴まれたのは
命の明日をも知れない
劣悪な環境に生きている子供たちや女性が
「勉強したい」
とつぶやいた場面だった。
生きるために学びたいという気持ち。
日本という恵まれた環境にいる私と
彼らの思いは違うと言ってしまえばそれまでだけれど、
その気持ちは分かる、と思う。
(たぶん少しだけ)
自分で選択した人生の結果とはいえ、
わたしも、どれだけ望んだって
大学院に行って
研究だけして生きるなんてことはできないし
多分そんな頭も持っていない。
(少なくとも今のところ)
悪あがきともいえそうなもがきの中で
学びに希望を託しながら
かすかに兆す光明を道しるべに
明日からまた自分を殺しつつ
仕事に向かうことになる。
映画館で
『グローバル化と奈落の夢』を買う。
2時過ぎ、やっと家にたどり着き
ベッドに倒れて目覚めたら夜7時だった。
予約本が届いたとのメールが
きていたのを思い出し、
閉館間近の図書館に走って
今週人間性を保ちつつ仕事をするために
必要な書物数点を借りる。
図書館は命の灯火である。
本屋でチョムスキーの集英社新書2冊と
『あなたのTシャツはどこから来たのか?』を買う。
チョムスキーとの対談で
岡崎玲子さんを初めて知る。
若いのに人間的にもすぐれた女性が
いるのだなあ。
カミュの異邦人の主人公が
もし社会に帰ってきていたらどうだったのか
という話が
時々くるくると頭を回っている。
★
中学生向け数学番組を見ながら
もうすぐ眠りに就く。
今日も頑張った。
おやすみ。
チョムスキーが語り続けている。
夜勤の間、
市民メディア、alternative mediaについて
色々調べてみる。
3時頃から机の上で少し眠る。
まっすぐ家へ帰る予定だったが、
新宿で『ダーウィンの悪夢』が
かかっているのを発見、
珍しく夜勤を9時5分ちょっきりに
完了して急いだ。
9時45分開演の館内は
高齢者の目立つ客層。
内容は衝撃的だった。
ダーウィンを持ち出してくる必要性は
殆どないから、
題名に異議はあるものの、
丁寧に作りこまれた感があり
作品の風合いとして私の好みである。
ドキュメンタリー映画にありがちな
刺激的な言葉を切り貼りした編集ではなく
人間が本音を吐露するまで
じっくり向き合っている。
これも一言でまとめられるような
内容ではないので
継続的に学んでいきたい、
としか言えないのだが。
一番心を掴まれたのは
命の明日をも知れない
劣悪な環境に生きている子供たちや女性が
「勉強したい」
とつぶやいた場面だった。
生きるために学びたいという気持ち。
日本という恵まれた環境にいる私と
彼らの思いは違うと言ってしまえばそれまでだけれど、
その気持ちは分かる、と思う。
(たぶん少しだけ)
自分で選択した人生の結果とはいえ、
わたしも、どれだけ望んだって
大学院に行って
研究だけして生きるなんてことはできないし
多分そんな頭も持っていない。
(少なくとも今のところ)
悪あがきともいえそうなもがきの中で
学びに希望を託しながら
かすかに兆す光明を道しるべに
明日からまた自分を殺しつつ
仕事に向かうことになる。
映画館で
『グローバル化と奈落の夢』を買う。
2時過ぎ、やっと家にたどり着き
ベッドに倒れて目覚めたら夜7時だった。
予約本が届いたとのメールが
きていたのを思い出し、
閉館間近の図書館に走って
今週人間性を保ちつつ仕事をするために
必要な書物数点を借りる。
図書館は命の灯火である。
本屋でチョムスキーの集英社新書2冊と
『あなたのTシャツはどこから来たのか?』を買う。
チョムスキーとの対談で
岡崎玲子さんを初めて知る。
若いのに人間的にもすぐれた女性が
いるのだなあ。
カミュの異邦人の主人公が
もし社会に帰ってきていたらどうだったのか
という話が
時々くるくると頭を回っている。
★
中学生向け数学番組を見ながら
もうすぐ眠りに就く。
今日も頑張った。
おやすみ。
夜勤を終え、
山手線に乗り渋谷に行く。
ドキュメンタリー映画
『チョムスキーとメディア』を見る。
予備知識がなさすぎて
1回見ただけでは消化できそうにない。
長編で途中休憩まであるほどだが
中だるみもなく強烈なインパクト。
どうしてそこまでやるのか、との問いに、
鏡の中の自分を直視できるかどうかだと語った
チョムスキー。
本物の信念を持ったひとは凄い。
午後、早めに住友ビルに着いて
洋書を読みかけにしていた
ラッセルの『哲学入門』の
翻訳を見つけたので読む。
朝日カルチャーセンターにて
茂木さんと竹内さんの対談を聞く。
先生はテレビ(特にプロフェッショナル)と生では
印象にかなりのギャップがあるけれど
竹内さんは殆どテレビそのままな感じだった。
演題などは殆ど気にしないのだが、
今日は境界人云々ということで
今朝方まで読んでいた
『境界知のダイナミズム』に
題名だけ少々かぶった形になって
少し驚いた。
別に予習というような気はなくて
単なる偶然である。
文系理系などという概念は
一顧にも価しないというお話は
前から聞いていて
理想としては共鳴するけれど
凡人たる自分の中には
文理の境界線が明瞭に存在するので、
なんとかこれを融合したい。
理性と感情のバランスが崩れると
理数系克服への意欲が湧くのかもしれないという
自己分析をふと思いついた。
これは当たらずとも遠からずかもしれない。
小林秀雄のモーターの話は私にとっては
タイムリーで、
人間をボートに喩えるなら、
そのボートには出力は弱いながらも
故障しないモーターがついていて、
いざというときには目指す方向に
しっかり進んでくれるのだそうな。
こんな文章にしてしまうと
ひどくつまらないが
文脈の問題だったのか、
聞いたときはぐさりときた。
先生は風変わりでいらっしゃるけれど
わたしの心に響く言葉を持っている
数少ないお一人なので
しばらくの間は
しつこく講座にお邪魔することに決めてしまった。
(わたしが生きているうちに、)
生命哲学の真髄に迫っていただきたい、
とおもう。
夜、池袋ジュンク堂であさのあつこさんの
トーク&サイン会。
『バッテリー』が好きだったのと、
頭の一方向への偏りを軌道修正するため(笑)
成人したお子さんがいらっしゃるとは
思えない若さ。
五感を研ぎ澄まし、解放する時間を持つこと、
感じること、傷つくことから逃げない、
崖っぷちに自分を追い込んだところで
もがきながら作ったものでないと
人の心には響かないのではないか、
などなど。
そんなこんなで
金曜の朝、家を出てから
出ずっぱりで再度夜勤に突入してしまった、、、
明朝は、まっすぐおうちへ帰ろう。
山手線に乗り渋谷に行く。
ドキュメンタリー映画
『チョムスキーとメディア』を見る。
予備知識がなさすぎて
1回見ただけでは消化できそうにない。
長編で途中休憩まであるほどだが
中だるみもなく強烈なインパクト。
どうしてそこまでやるのか、との問いに、
鏡の中の自分を直視できるかどうかだと語った
チョムスキー。
本物の信念を持ったひとは凄い。
午後、早めに住友ビルに着いて
洋書を読みかけにしていた
ラッセルの『哲学入門』の
翻訳を見つけたので読む。
朝日カルチャーセンターにて
茂木さんと竹内さんの対談を聞く。
先生はテレビ(特にプロフェッショナル)と生では
印象にかなりのギャップがあるけれど
竹内さんは殆どテレビそのままな感じだった。
演題などは殆ど気にしないのだが、
今日は境界人云々ということで
今朝方まで読んでいた
『境界知のダイナミズム』に
題名だけ少々かぶった形になって
少し驚いた。
別に予習というような気はなくて
単なる偶然である。
文系理系などという概念は
一顧にも価しないというお話は
前から聞いていて
理想としては共鳴するけれど
凡人たる自分の中には
文理の境界線が明瞭に存在するので、
なんとかこれを融合したい。
理性と感情のバランスが崩れると
理数系克服への意欲が湧くのかもしれないという
自己分析をふと思いついた。
これは当たらずとも遠からずかもしれない。
小林秀雄のモーターの話は私にとっては
タイムリーで、
人間をボートに喩えるなら、
そのボートには出力は弱いながらも
故障しないモーターがついていて、
いざというときには目指す方向に
しっかり進んでくれるのだそうな。
こんな文章にしてしまうと
ひどくつまらないが
文脈の問題だったのか、
聞いたときはぐさりときた。
先生は風変わりでいらっしゃるけれど
わたしの心に響く言葉を持っている
数少ないお一人なので
しばらくの間は
しつこく講座にお邪魔することに決めてしまった。
(わたしが生きているうちに、)
生命哲学の真髄に迫っていただきたい、
とおもう。
夜、池袋ジュンク堂であさのあつこさんの
トーク&サイン会。
『バッテリー』が好きだったのと、
頭の一方向への偏りを軌道修正するため(笑)
成人したお子さんがいらっしゃるとは
思えない若さ。
五感を研ぎ澄まし、解放する時間を持つこと、
感じること、傷つくことから逃げない、
崖っぷちに自分を追い込んだところで
もがきながら作ったものでないと
人の心には響かないのではないか、
などなど。
そんなこんなで
金曜の朝、家を出てから
出ずっぱりで再度夜勤に突入してしまった、、、
明朝は、まっすぐおうちへ帰ろう。
『境界知のダイナミズム』で
個人的に興味深いのは
違和感は克服すべきものというよりも
むしろ
新たな視野の開ける
可能性の兆しであるということ、
理系文系の融合問題は
芸術と科学、
神の視点と虫の視点、
創造と適応、
心身合一の希求に通じている
かもしれないという
あたりである。
個人的に興味深いのは
違和感は克服すべきものというよりも
むしろ
新たな視野の開ける
可能性の兆しであるということ、
理系文系の融合問題は
芸術と科学、
神の視点と虫の視点、
創造と適応、
心身合一の希求に通じている
かもしれないという
あたりである。
業務の納期が切羽詰ってきて、
毎日残業している。
(ちなみに今は夜勤中…笑)
★
『境界知のダイナミズム』
瀬名秀明 橋本敬 梅田聡 共著
を読んだ。
境界性は時間を孕んでいる。
違和感は
いくつかの通過儀礼を経て同化を遂げる。
同化、自動化、習慣化によって
意識的注意(違和感)が減少もするが
運動が単純化されることによって
疲労は減少する。
便利とは能力を失うことでもあるが
逆に「匠の技」のように
修練によって研ぎ澄まされてくる感覚もある。
著者は飛行機の操縦に
ある程度の習熟を得て
「自動化されたとき環境(ネイチャー)と繋がった」
という。
「境界知が自分を変えた」
実感からこうまとめている。
「飛行機の操作に習熟してゆくことと、
社会生活において日常化・習慣化してゆく
過程は似ているが、やはりどこかが異なるのだ。
その差異は何か。それは遺された感覚の
あり方である。どちらも自動化のプロセスを経るものの
、前者では自分の諸感覚が鈍るのではなく、
むしろレンジが再構築されて新しい世界に適合し、
より明敏に、より鮮やかになってゆくような気がする」
飛行訓練という経験は
「私」の何を刺激し、何を変えたのか。
それは中村雄二郎のいわゆる
共通感覚(コモンセンス)と呼ぶものと
考えられる、という。
共通感覚とは、五感を相互に結びつけ、
統合させて働く総合的・全体的なセンスを意味する。
「どのようにすれば五感は統合され、共通感覚は
回復されるのだろうか。中村は、このような高次の纏まりは内側から自己組織化されてゆく場合と、逆に型や様式に填め込むことによって形成されてゆく場合があって、両者は絡みあっているのだと指摘している。だからこそ共通感覚に基づく私たちの感情は、私たちの身体から熾るものであると同時に、同じ型や様式を他者と共有することで共同性を持ちうる。このように中村の論考の中にもやはり、ふたつの世界観(ボトムアップとトップダウン)を繋げたいという思いが見られる」
(『境界知のダイナミズム』瀬名秀明 橋本敬 梅田聡 共著
より引用)
中村が注目した
人間の言語活動と無意識の
働きの関係性、
チェーホフのノンセンス、
コンラッドの『シャドウライン』、
カミュの『異邦人』を引いた
展開は面白かった。
己の眼力を研ぎ澄ますことによって獲得した無関心。
よそものであると気づいてしまった人間が
違和に包囲された社会に戻ったら
どうなるのか、
自己の成長、時間の経過、
社会の変化を経て変化する自己物語、、
物語を信じ続けること、、
読後感を纏めかけたものの
さっぱり纏まらないが
感じるところの多い内容だった。
もう少し勉強してみたい。
毎日残業している。
(ちなみに今は夜勤中…笑)
★
『境界知のダイナミズム』
瀬名秀明 橋本敬 梅田聡 共著
を読んだ。
境界性は時間を孕んでいる。
違和感は
いくつかの通過儀礼を経て同化を遂げる。
同化、自動化、習慣化によって
意識的注意(違和感)が減少もするが
運動が単純化されることによって
疲労は減少する。
便利とは能力を失うことでもあるが
逆に「匠の技」のように
修練によって研ぎ澄まされてくる感覚もある。
著者は飛行機の操縦に
ある程度の習熟を得て
「自動化されたとき環境(ネイチャー)と繋がった」
という。
「境界知が自分を変えた」
実感からこうまとめている。
「飛行機の操作に習熟してゆくことと、
社会生活において日常化・習慣化してゆく
過程は似ているが、やはりどこかが異なるのだ。
その差異は何か。それは遺された感覚の
あり方である。どちらも自動化のプロセスを経るものの
、前者では自分の諸感覚が鈍るのではなく、
むしろレンジが再構築されて新しい世界に適合し、
より明敏に、より鮮やかになってゆくような気がする」
飛行訓練という経験は
「私」の何を刺激し、何を変えたのか。
それは中村雄二郎のいわゆる
共通感覚(コモンセンス)と呼ぶものと
考えられる、という。
共通感覚とは、五感を相互に結びつけ、
統合させて働く総合的・全体的なセンスを意味する。
「どのようにすれば五感は統合され、共通感覚は
回復されるのだろうか。中村は、このような高次の纏まりは内側から自己組織化されてゆく場合と、逆に型や様式に填め込むことによって形成されてゆく場合があって、両者は絡みあっているのだと指摘している。だからこそ共通感覚に基づく私たちの感情は、私たちの身体から熾るものであると同時に、同じ型や様式を他者と共有することで共同性を持ちうる。このように中村の論考の中にもやはり、ふたつの世界観(ボトムアップとトップダウン)を繋げたいという思いが見られる」
(『境界知のダイナミズム』瀬名秀明 橋本敬 梅田聡 共著
より引用)
中村が注目した
人間の言語活動と無意識の
働きの関係性、
チェーホフのノンセンス、
コンラッドの『シャドウライン』、
カミュの『異邦人』を引いた
展開は面白かった。
己の眼力を研ぎ澄ますことによって獲得した無関心。
よそものであると気づいてしまった人間が
違和に包囲された社会に戻ったら
どうなるのか、
自己の成長、時間の経過、
社会の変化を経て変化する自己物語、、
物語を信じ続けること、、
読後感を纏めかけたものの
さっぱり纏まらないが
感じるところの多い内容だった。
もう少し勉強してみたい。
プロフェッショナル
専門看護師北山さんの回。
病院の中で感じる命の尊厳。
存在するものには
意味がある。
弱いながらも
底知れないほど強い生命力。
考えてばかりいないで
行動せよ、飛び込め。
勇気。
そんなあたりが心に残った。
専門看護師北山さんの回。
病院の中で感じる命の尊厳。
存在するものには
意味がある。
弱いながらも
底知れないほど強い生命力。
考えてばかりいないで
行動せよ、飛び込め。
勇気。
そんなあたりが心に残った。
昨日残業していたせいか
背中から腰にかけての痛みがひどくなり
仕事を休んで寝ていた。
『ヒトラー〜最後の12日間』
を見る。
(今のところgyaO映画で見られるみたい)
総統本部で秘書を勤めた女性から見た
戦争末期から終結までのヒトラーの姿や
当時の様子が描かれている。
振り返って彼女は語る。
生きるのに必死だったとはいえ、
知らなかった、若かった、、
そんなことは言い訳にならない。
目を見開いていれば
気づいたはずだ、と。
それは決して
彼女だけの言葉ではなく
現在進行形で
わたしの胸に響く言葉だった。
歴史の蓄積を手にすることができる
現代の人間は
過去を未来に生かす責任を
負っている。
目を世界に見開き
気づくべきことに気づき
己のなすべきことを
しなければならない、と思う。
宇宙から見ればごく微小な
わたしという存在も、
なさねばならないことがあるから
いま、ここに存在しているのだと
信じていたい。
人間の、一個の生きものとしての
生命力を思う。
★
気になっているけどまだ見ていない映画
ダーウィンの悪夢、
エンロンの崩壊、、
チョムスキーとメディア
↑これすごく見たい
全部渋谷だなあ。
背中から腰にかけての痛みがひどくなり
仕事を休んで寝ていた。
『ヒトラー〜最後の12日間』
を見る。
(今のところgyaO映画で見られるみたい)
総統本部で秘書を勤めた女性から見た
戦争末期から終結までのヒトラーの姿や
当時の様子が描かれている。
振り返って彼女は語る。
生きるのに必死だったとはいえ、
知らなかった、若かった、、
そんなことは言い訳にならない。
目を見開いていれば
気づいたはずだ、と。
それは決して
彼女だけの言葉ではなく
現在進行形で
わたしの胸に響く言葉だった。
歴史の蓄積を手にすることができる
現代の人間は
過去を未来に生かす責任を
負っている。
目を世界に見開き
気づくべきことに気づき
己のなすべきことを
しなければならない、と思う。
宇宙から見ればごく微小な
わたしという存在も、
なさねばならないことがあるから
いま、ここに存在しているのだと
信じていたい。
人間の、一個の生きものとしての
生命力を思う。
★
気になっているけどまだ見ていない映画
ダーウィンの悪夢、
エンロンの崩壊、、
チョムスキーとメディア
↑これすごく見たい
全部渋谷だなあ。
そんなわけで、
数学及び論理コンプレックス山盛りな
わたしです。
昨日図書館で借りた
『秋山仁の中学生おもしろ数学1』
整数の性質・素数と素因数分解(60分)
なにしろビデオだから、
ずいぶん古いみたいだけれど、
これは面白い。
コラッツの問題、というのが出てきて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%84%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C
どんな数字でもいいから
奇数なら3をかけて1を足す
偶数なら2で割る
…と繰り返していくと、
最後は4→2→1→4→2→1と繰り返しの
ループになるんだって。
ビデオの中でも勿論やってたけど、
疑い深い性格なので
自分でもやってみた。
ほんとに輪廻する。
収録当時としては
6000までは反証がない
って言われていたような気がしたけど、
今はもっと進んでるみたいですね。
エラトステネスの篩
ってのも、なんか感動だったなあ。
1から100まで10ずつ数を並べていって、
その中から素数を見つける問題から
そういう話が出たんだけど、
2とか3の倍数って、
縦やら斜めに向かって
綺麗に並んでるんだよね。
なんか分からないけど、妙に美しいというか
潔いというか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%AF%A9
学校の先生って
こういう話、してくれたっけかなあ。
で、いま読んでいるのが
マリオ・リヴィオ
『黄金比はすべてを美しくするか?』。
最近どこかで出てきた
(確かジュンク堂の茂木さんと江村さんの
トークだったような気がするけど)
ピタゴラスの音の話が出てきて、
それは、こういうことらしい。
(以下引用)
「ピタゴラスは、音程や音高が「振動する弦」の長さに対応することを見出し、音階を構成する音が調和数列(訳注:逆数が等間隔に並んでいる数列のことで、ここでは音高について言っている)をなす事実を明らかにしたと昔から言われている。彼は、連続する整数によって弦を分けていくと、(ある程度)調和して心地よい音程(協和音)が得られるのに気づいた。でたらめなふたつの音を同時に鳴らすと、たいていは耳障りな音(不協和音)が生じる。ほんの一部の組み合わせだけが心地よい音色になるのだ。ピタゴラスは、小さな自然数いよって長さの比が表される同種の弦で音を発すると、このまれな協和音が得られることを明らかにした。たとえば、ユニゾン(同音)は、弦の長さが同じ(比が一対一)のときに生じる。オクターブは長さの比が1対2、五度音程は2対3、四度音程は3対4の時だ。…(後略)」
分かるようではあるものの
弦楽器を使ったことがないので
実感は今ひとつ。
でも要は、
適当に弦をはじいたところで
不協和音しか出ないけれど、
ある決まった比率(1対2とか2対3とか…)
の場所で弦をはじくと
綺麗な音が出るってことらしい。
なんかこれって
すごいじゃないの。
数学関係は
『数学の不思議』『数学の謎』カルヴィン・クロースン
『数学する遺伝子』キース・デブリン
あたりも
えっちらおっちら
読み散らかしつつあるのだけど
数学が終わったら
(なかなか終わらないだろうから
時間割制を導入して
並行学習しようと思う)
物理に入ろうかなあと
本は借りてきた。
『物理と数学の不思議な関係』マルコム・E・ラインズ
『目に見えないもの』湯川秀樹
なども後に控えている。
意欲だけは旺盛なんである。
数学及び論理コンプレックス山盛りな
わたしです。
昨日図書館で借りた
『秋山仁の中学生おもしろ数学1』
整数の性質・素数と素因数分解(60分)
なにしろビデオだから、
ずいぶん古いみたいだけれど、
これは面白い。
コラッツの問題、というのが出てきて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%84%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C
どんな数字でもいいから
奇数なら3をかけて1を足す
偶数なら2で割る
…と繰り返していくと、
最後は4→2→1→4→2→1と繰り返しの
ループになるんだって。
ビデオの中でも勿論やってたけど、
疑い深い性格なので
自分でもやってみた。
ほんとに輪廻する。
収録当時としては
6000までは反証がない
って言われていたような気がしたけど、
今はもっと進んでるみたいですね。
エラトステネスの篩
ってのも、なんか感動だったなあ。
1から100まで10ずつ数を並べていって、
その中から素数を見つける問題から
そういう話が出たんだけど、
2とか3の倍数って、
縦やら斜めに向かって
綺麗に並んでるんだよね。
なんか分からないけど、妙に美しいというか
潔いというか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%AF%A9
学校の先生って
こういう話、してくれたっけかなあ。
で、いま読んでいるのが
マリオ・リヴィオ
『黄金比はすべてを美しくするか?』。
最近どこかで出てきた
(確かジュンク堂の茂木さんと江村さんの
トークだったような気がするけど)
ピタゴラスの音の話が出てきて、
それは、こういうことらしい。
(以下引用)
「ピタゴラスは、音程や音高が「振動する弦」の長さに対応することを見出し、音階を構成する音が調和数列(訳注:逆数が等間隔に並んでいる数列のことで、ここでは音高について言っている)をなす事実を明らかにしたと昔から言われている。彼は、連続する整数によって弦を分けていくと、(ある程度)調和して心地よい音程(協和音)が得られるのに気づいた。でたらめなふたつの音を同時に鳴らすと、たいていは耳障りな音(不協和音)が生じる。ほんの一部の組み合わせだけが心地よい音色になるのだ。ピタゴラスは、小さな自然数いよって長さの比が表される同種の弦で音を発すると、このまれな協和音が得られることを明らかにした。たとえば、ユニゾン(同音)は、弦の長さが同じ(比が一対一)のときに生じる。オクターブは長さの比が1対2、五度音程は2対3、四度音程は3対4の時だ。…(後略)」
分かるようではあるものの
弦楽器を使ったことがないので
実感は今ひとつ。
でも要は、
適当に弦をはじいたところで
不協和音しか出ないけれど、
ある決まった比率(1対2とか2対3とか…)
の場所で弦をはじくと
綺麗な音が出るってことらしい。
なんかこれって
すごいじゃないの。
数学関係は
『数学の不思議』『数学の謎』カルヴィン・クロースン
『数学する遺伝子』キース・デブリン
あたりも
えっちらおっちら
読み散らかしつつあるのだけど
数学が終わったら
(なかなか終わらないだろうから
時間割制を導入して
並行学習しようと思う)
物理に入ろうかなあと
本は借りてきた。
『物理と数学の不思議な関係』マルコム・E・ラインズ
『目に見えないもの』湯川秀樹
なども後に控えている。
意欲だけは旺盛なんである。
夜勤にて、
多少寝心地のよい寝床を整えることに成功し
少しはまともな睡眠を得た。
(どんなふうに寝たかは、
とてもここには書けないけれど)
夕方、諸々の用事を終えて
中野の書店にて
稲盛和夫『生き方』を立読み。
松下幸之助さんの「ダム」の逸話は
以前、どこかで聞いた覚えがあった。
これが
欲しかった答だ、と思ったら
突如ぼろっと涙が溢れた。
あわてて周囲を見回す。
感情的になった一瞬に
涙を抑える術を会得したいと
長いこと思っているのだけれど
いつも堪えられない。
そろそろ髪型を変えたいと
思っているが、
こんなとき
髪が長いのは顔が隠れて役に立つ。
原理原則に忠実に、
広中先生の話、
サムシンググレート、
花という存在を演じている
というあたりが
心に残った。
★
中野図書館に行く。
数学の本を4冊、CDとビデオを借りる。
ビデオは秋山仁さんの
「中学生の」(!)数学。
これでいいのだ。
どうせ私の数学能力は中学生レベルだ。
結局、数学が
ずっと私の前に立ちはだかっている壁であり
ボトルネックなのだ。
6年生の頃、手指が短くて
ピアノ演奏家の道はないと客観的に烙印を押されて
ヤマハの作曲コースに行ったものの
結局楽譜が書けなくて、忍耐できずに
リタイアした。
どうやらこれも数学の問題に通じるらしいと
作曲家の江村さんの話を聞いて
気がついた。
道はOXしかない。
ベルグソンはどんな意味で言ったのかは
何度読んでもよく分からないが、
これを越えるしか道はない。
CDはワグナー。
最近見かけた題名が
たまたま目の前の棚に置いてあった。
★
手の届かない世界への憧憬を
届かない焦燥ゆえに否定しようとするのは
やめよう。
因果は狂わない。
結果が出るのに時間がかかるだけ。
欲するものに忠実に、
熱烈に思えば叶う。
相手は人間ではなく学問なんだから、
どれだけ思ったって
重荷になることもないし、楽なもんだ。
一歩ずつ行けばいい。
曇った視界の中で、そう思った。
多少寝心地のよい寝床を整えることに成功し
少しはまともな睡眠を得た。
(どんなふうに寝たかは、
とてもここには書けないけれど)
夕方、諸々の用事を終えて
中野の書店にて
稲盛和夫『生き方』を立読み。
松下幸之助さんの「ダム」の逸話は
以前、どこかで聞いた覚えがあった。
これが
欲しかった答だ、と思ったら
突如ぼろっと涙が溢れた。
あわてて周囲を見回す。
感情的になった一瞬に
涙を抑える術を会得したいと
長いこと思っているのだけれど
いつも堪えられない。
そろそろ髪型を変えたいと
思っているが、
こんなとき
髪が長いのは顔が隠れて役に立つ。
原理原則に忠実に、
広中先生の話、
サムシンググレート、
花という存在を演じている
というあたりが
心に残った。
★
中野図書館に行く。
数学の本を4冊、CDとビデオを借りる。
ビデオは秋山仁さんの
「中学生の」(!)数学。
これでいいのだ。
どうせ私の数学能力は中学生レベルだ。
結局、数学が
ずっと私の前に立ちはだかっている壁であり
ボトルネックなのだ。
6年生の頃、手指が短くて
ピアノ演奏家の道はないと客観的に烙印を押されて
ヤマハの作曲コースに行ったものの
結局楽譜が書けなくて、忍耐できずに
リタイアした。
どうやらこれも数学の問題に通じるらしいと
作曲家の江村さんの話を聞いて
気がついた。
道はOXしかない。
ベルグソンはどんな意味で言ったのかは
何度読んでもよく分からないが、
これを越えるしか道はない。
CDはワグナー。
最近見かけた題名が
たまたま目の前の棚に置いてあった。
★
手の届かない世界への憧憬を
届かない焦燥ゆえに否定しようとするのは
やめよう。
因果は狂わない。
結果が出るのに時間がかかるだけ。
欲するものに忠実に、
熱烈に思えば叶う。
相手は人間ではなく学問なんだから、
どれだけ思ったって
重荷になることもないし、楽なもんだ。
一歩ずつ行けばいい。
曇った視界の中で、そう思った。
お得感あるイベント
ドリームゲート主催
2007年3月10日(土) 14:00 〜 17:00
早稲田大学 西早稲田キャンパス14号館102教室西早稲田1-6-1
稲盛 和夫氏講演(生中継)+ネクシィーズ 代表取締役社長 近藤 太香巳氏
http://www2.dreamgate.gr.jp/area/kanto/area_event.php
『セキュリティ会議 sponsored by トレンドマイクロ』
日時 2007年2月26日(月) 19:30〜22:00
場所 東京 新宿付近(詳細は参加確定者にご連絡いたします)
費用 無料
人数 80名程度
http://www.prboard.jp/archives/2007/02/_sponsored_by.html
ドリームゲート主催
2007年3月10日(土) 14:00 〜 17:00
早稲田大学 西早稲田キャンパス14号館102教室西早稲田1-6-1
稲盛 和夫氏講演(生中継)+ネクシィーズ 代表取締役社長 近藤 太香巳氏
http://www2.dreamgate.gr.jp/area/kanto/area_event.php
『セキュリティ会議 sponsored by トレンドマイクロ』
日時 2007年2月26日(月) 19:30〜22:00
場所 東京 新宿付近(詳細は参加確定者にご連絡いたします)
費用 無料
人数 80名程度
http://www.prboard.jp/archives/2007/02/_sponsored_by.html
くしゃみが出る。
春だ。
来るべき花粉症に備えて
耳鼻科に行く。
身体は病気の宝庫だ。
疲れ果てて1日寝ていて
起きたら出勤のお時間となる(笑)
ひとの話を聞いている最中に
殆ど無関係な
昔のことを思い出して
どこかにトリップしていることがある。
昔、介護職で勤めていた頃
特養にいた
おばあちゃんたちが
頻繁に頭の中に訪れるようになった。
きっかけは朝カルでの
プロフェッショナル
収録のお話だった。
介護職はハードすぎて
1年程でやめてしまったが
生身の人間の肉体に触れることで
元気をもらったのは
実はわたしだった。
記憶の中の
おばあちゃんたちは
いつも元気であたたかく
同じ話を繰り返しながら
深い皺で顔をくちゃくちゃにして
笑っていた。
春だ。
来るべき花粉症に備えて
耳鼻科に行く。
身体は病気の宝庫だ。
疲れ果てて1日寝ていて
起きたら出勤のお時間となる(笑)
ひとの話を聞いている最中に
殆ど無関係な
昔のことを思い出して
どこかにトリップしていることがある。
昔、介護職で勤めていた頃
特養にいた
おばあちゃんたちが
頻繁に頭の中に訪れるようになった。
きっかけは朝カルでの
プロフェッショナル
収録のお話だった。
介護職はハードすぎて
1年程でやめてしまったが
生身の人間の肉体に触れることで
元気をもらったのは
実はわたしだった。
記憶の中の
おばあちゃんたちは
いつも元気であたたかく
同じ話を繰り返しながら
深い皺で顔をくちゃくちゃにして
笑っていた。
もともと、
ブログを始めたのは
日々の記録をつけておくためだった。
ブログを使っているのは
特に誰かに見せたかったからではなく
ツールとして使いやすかったから、
という点が大きい。
何かを上手く書こうとすると
言葉は次第に離反して
空虚たることこの上ないので
事実だけ記す。
昨日は
9時から17時半まで
ひたすら数字と文字を入力する
マシンと化し
通院のため早退して
その後
朝日カルチャーセンターの
講義に出席した。
ジョナサンで
かぼちゃのドリアを食べながら
小林秀雄を読み
しばらくして夜勤に入った。
生きていると
全てリセットしたくなることもあるが
どうせ時間は戻らないのだから
仕方がない。
仕方ないというのは
いわゆるネガティブだし
ポジティブにね
とか言われるのには
正直飽きているので
ネガのまま放っておく。
さて朝が来た
来てしまったというほうが
感覚に近いけど。
ベッドで眠りたい。
ただそれだけ。
ブログを始めたのは
日々の記録をつけておくためだった。
ブログを使っているのは
特に誰かに見せたかったからではなく
ツールとして使いやすかったから、
という点が大きい。
何かを上手く書こうとすると
言葉は次第に離反して
空虚たることこの上ないので
事実だけ記す。
昨日は
9時から17時半まで
ひたすら数字と文字を入力する
マシンと化し
通院のため早退して
その後
朝日カルチャーセンターの
講義に出席した。
ジョナサンで
かぼちゃのドリアを食べながら
小林秀雄を読み
しばらくして夜勤に入った。
生きていると
全てリセットしたくなることもあるが
どうせ時間は戻らないのだから
仕方がない。
仕方ないというのは
いわゆるネガティブだし
ポジティブにね
とか言われるのには
正直飽きているので
ネガのまま放っておく。
さて朝が来た
来てしまったというほうが
感覚に近いけど。
ベッドで眠りたい。
ただそれだけ。
東北に強い寒波があるらしい。
淡い銀世界を期待しつつカーテンを開ける。
雪のない冬は悲しい。
仕事は遅遅として進まず
打撲のせいで歩くスピードや歩幅が
正常時の半分ぐらいになった。
できそこないの摺足のような格好で
歩いている。
満員電車で背中の患部を
ぐりぐり押す人間に遭遇し
顔がひんまがるぐらい痛いのと同時に
近来稀なる精神的動揺をきたし
これは人格形成に悪いと思って
しばらく中央線はやめて
総武線を使うことにした。
これまた時間がかかる。
夜、小林秀雄の感想を読む。
(以下『感想』より引用)
ベルグソンの最後の作は、次の様な文で終っていた。
「人々は、大きな手段、小さな手段、のいずれを選ぼうとも、一つの決断をすることを迫られている。人類は、自分の手に成った進歩の重みに、半ば圧し潰されて、呻いている。人類は、自分の未来は、自分次第のものだという事を、まだ十分承知していないのである。先ず、これ以上生存したいのか、それとも、その外に、神々を作る機械に他ならぬ宇宙の本質的な機能が、反抗的なわれわれの地球に於いても亦、遂行されるのに必要な努力をしたいかどうかを」
小林秀雄でさえ
これだけでは意味は掴めないと書いているから
私に分かるわけもないが
一読、心を捕えた文章であることには間違いない。
原点、起源に遡るとは
どういうことなのか
考えている。
だいたい、
戻ることができるほど
鮮明ではない
むしろ茫漠としているところに
戻ろうとするのは
作業としては簡単ではない。
ジブリの
『おもいでぽろぽろ』が
大好きだが、
現実にはあんなに
ぽろぽろと転がり出てはこない
(少なくとも私は)
あの映画のように
思い出した先に
良いことが待っていると
いいけれど。
弱気なのは
身体のせいかもしれない。
本当に安静にしていたくなってきたが
なんと今日は夜勤まである。
ひどい。
大丈夫なんだろうか。
淡い銀世界を期待しつつカーテンを開ける。
雪のない冬は悲しい。
仕事は遅遅として進まず
打撲のせいで歩くスピードや歩幅が
正常時の半分ぐらいになった。
できそこないの摺足のような格好で
歩いている。
満員電車で背中の患部を
ぐりぐり押す人間に遭遇し
顔がひんまがるぐらい痛いのと同時に
近来稀なる精神的動揺をきたし
これは人格形成に悪いと思って
しばらく中央線はやめて
総武線を使うことにした。
これまた時間がかかる。
夜、小林秀雄の感想を読む。
(以下『感想』より引用)
ベルグソンの最後の作は、次の様な文で終っていた。
「人々は、大きな手段、小さな手段、のいずれを選ぼうとも、一つの決断をすることを迫られている。人類は、自分の手に成った進歩の重みに、半ば圧し潰されて、呻いている。人類は、自分の未来は、自分次第のものだという事を、まだ十分承知していないのである。先ず、これ以上生存したいのか、それとも、その外に、神々を作る機械に他ならぬ宇宙の本質的な機能が、反抗的なわれわれの地球に於いても亦、遂行されるのに必要な努力をしたいかどうかを」
小林秀雄でさえ
これだけでは意味は掴めないと書いているから
私に分かるわけもないが
一読、心を捕えた文章であることには間違いない。
原点、起源に遡るとは
どういうことなのか
考えている。
だいたい、
戻ることができるほど
鮮明ではない
むしろ茫漠としているところに
戻ろうとするのは
作業としては簡単ではない。
ジブリの
『おもいでぽろぽろ』が
大好きだが、
現実にはあんなに
ぽろぽろと転がり出てはこない
(少なくとも私は)
あの映画のように
思い出した先に
良いことが待っていると
いいけれど。
弱気なのは
身体のせいかもしれない。
本当に安静にしていたくなってきたが
なんと今日は夜勤まである。
ひどい。
大丈夫なんだろうか。
留学準備を着々と進めている
わが同朋から
手づくりクッキーをいただいた。
バレンタインのおこぼれである。
今年のこの栄誉ある
「おこぼれ」は
近所のおばあちゃんと
わたしに与えられた。
ありがたく頂戴する。
美味なり。
彼女はどうも
ピュアというか、
毒性の要素がなさすぎて怖い。
この前などスピーカーが煩い
黒ずくめ政治団体を見て
「情熱的で偉いですねえ」
と言い出す始末で、
姉としては留学先で騙されやしないかと
心配である。
アーティストたるもの
麹町でPCに向かって
日勤8時間労働の事務なんかしていちゃあ
「タロー」になんか
なれないのだ。
(彼女は岡本太郎をタローと呼ぶ)
stay hungryだよ
とかいいつつ、お気に入りの
おばちゃん定食屋で
たらふく唐揚定食を食す。
職場は慌しくなってきた。
上手くこき使われている。
最初の職場で仕込まれたことの一つは
「仕事は
いつでも他人に引き継げる状態に
しておくこと」
だった。
自分のできることを
片っ端からマニュアル化又は文書化して
いつ何時でも
他人ができる形にしておくのは
既に習慣となっていて
それだけは、どこへ行っても
重宝がられる
処世術のひとつである。
いつ自分がこの職場から
(またはこの世から)
いなくなるか分からない、という自覚を
表現する意味で、
大切にしたい。
わが同朋から
手づくりクッキーをいただいた。
バレンタインのおこぼれである。
今年のこの栄誉ある
「おこぼれ」は
近所のおばあちゃんと
わたしに与えられた。
ありがたく頂戴する。
美味なり。
彼女はどうも
ピュアというか、
毒性の要素がなさすぎて怖い。
この前などスピーカーが煩い
黒ずくめ政治団体を見て
「情熱的で偉いですねえ」
と言い出す始末で、
姉としては留学先で騙されやしないかと
心配である。
アーティストたるもの
麹町でPCに向かって
日勤8時間労働の事務なんかしていちゃあ
「タロー」になんか
なれないのだ。
(彼女は岡本太郎をタローと呼ぶ)
stay hungryだよ
とかいいつつ、お気に入りの
おばちゃん定食屋で
たらふく唐揚定食を食す。
職場は慌しくなってきた。
上手くこき使われている。
最初の職場で仕込まれたことの一つは
「仕事は
いつでも他人に引き継げる状態に
しておくこと」
だった。
自分のできることを
片っ端からマニュアル化又は文書化して
いつ何時でも
他人ができる形にしておくのは
既に習慣となっていて
それだけは、どこへ行っても
重宝がられる
処世術のひとつである。
いつ自分がこの職場から
(またはこの世から)
いなくなるか分からない、という自覚を
表現する意味で、
大切にしたい。
ご心配をおかけしましたが
夕刻レントゲンの結果
骨には異常なく
背中から腰にかけての打撲と思われます。
医者から2週間の安静を要す
と言われましたが
歩けるし座れるのに
寝てられるかい。
★
今日突然行った整形外科の先生は
70歳は越していると思われる
おじいさんで
あっちこっちと
わたしの身体をいろんな方向に向けて
レントゲンを撮ったあと
人体の筋肉の図を私に示しながら
打ち身の説明をしてくれた。
「問題は、その意識がなかったとき、
どう転んだかが分からない、
そこが気味が悪いんだね。」
(そうなんですと激しく首肯)
ただ、君はお酒は飲んでなかったと
言っていたね、
そこが非常に大事で、
お酒を飲んでいなければ
たとえ一瞬意識を失ったとは言っても
危ないところは打たないように
ちゃんと避けてるもんなんだよね。
お酒は飲んでなかったんだろ?
(再び首肯)
見てみたけどほかに
変なところは
打っていないようだから、
しっぷ貼って
寝ているのがいいね。
なにしろ起きて立っていると
患部である腰に重みが乗っかるからね。
寝ていれば重みはゼロでしょ。
片手で輪を作り
ゼロ、と示す。
2週間ぐらい寝てるのがいいね。
必要ならば
診断書は書いてあげるから。
話の上手い先生で
本当に2週間ほど安静にしていようかと
一瞬思ったほどだった。
今日もいろんな出会いがあった。
淡い出会いあり、
深い色を残す出会いもあり。
織り合わされて
思いがけない模様が
描かれた。
夕刻レントゲンの結果
骨には異常なく
背中から腰にかけての打撲と思われます。
医者から2週間の安静を要す
と言われましたが
歩けるし座れるのに
寝てられるかい。
★
今日突然行った整形外科の先生は
70歳は越していると思われる
おじいさんで
あっちこっちと
わたしの身体をいろんな方向に向けて
レントゲンを撮ったあと
人体の筋肉の図を私に示しながら
打ち身の説明をしてくれた。
「問題は、その意識がなかったとき、
どう転んだかが分からない、
そこが気味が悪いんだね。」
(そうなんですと激しく首肯)
ただ、君はお酒は飲んでなかったと
言っていたね、
そこが非常に大事で、
お酒を飲んでいなければ
たとえ一瞬意識を失ったとは言っても
危ないところは打たないように
ちゃんと避けてるもんなんだよね。
お酒は飲んでなかったんだろ?
(再び首肯)
見てみたけどほかに
変なところは
打っていないようだから、
しっぷ貼って
寝ているのがいいね。
なにしろ起きて立っていると
患部である腰に重みが乗っかるからね。
寝ていれば重みはゼロでしょ。
片手で輪を作り
ゼロ、と示す。
2週間ぐらい寝てるのがいいね。
必要ならば
診断書は書いてあげるから。
話の上手い先生で
本当に2週間ほど安静にしていようかと
一瞬思ったほどだった。
今日もいろんな出会いがあった。
淡い出会いあり、
深い色を残す出会いもあり。
織り合わされて
思いがけない模様が
描かれた。
午前3時
メール受信後の返信より
なんとグッドタイミング
(中略)
突如別件に入ってよいでしょうか
私事ですが11時ごろ風呂にはいって
30分ばかり浸かって出よう立ち上がり
風呂の外側に出たところで貧血を感じ
途端に珍しく失神に至りました
気がついたら風呂場で普通にしゃがんでいたのですが
腰の右側だけが非常に痛く
歩けはしますが
しゃがもうとすると筋肉痛のごとき激痛が走ります
が肝心の時にフェイドアウトしていて
目覚めたら普通にしゃがんでいたので
どんな格好をして腰が痛くなったかサッパリ分かりません
症状としては右側だけ痛くて
立ち上がったあと歩くのには支障ないけど
腰が上下左右動する際に痛いのです
私はどうしたらよいのでしょう
放っておいて治ると思いますか?
病院に行ったほうがよいでしょうか
明朝の様子を見るしかないですね
そんなわけで
夜中に自問自答しつつ自己完結してますが
また連絡します
おやすみなさい
★
失神状態とは記憶喪失の一種なのか
それとも
もともと記憶がなく記憶喪失ではないのか
その意識状態やいかに
と考えつつも
実は腰が痛くて眠れない3時14分。
メール受信後の返信より
なんとグッドタイミング
(中略)
突如別件に入ってよいでしょうか
私事ですが11時ごろ風呂にはいって
30分ばかり浸かって出よう立ち上がり
風呂の外側に出たところで貧血を感じ
途端に珍しく失神に至りました
気がついたら風呂場で普通にしゃがんでいたのですが
腰の右側だけが非常に痛く
歩けはしますが
しゃがもうとすると筋肉痛のごとき激痛が走ります
が肝心の時にフェイドアウトしていて
目覚めたら普通にしゃがんでいたので
どんな格好をして腰が痛くなったかサッパリ分かりません
症状としては右側だけ痛くて
立ち上がったあと歩くのには支障ないけど
腰が上下左右動する際に痛いのです
私はどうしたらよいのでしょう
放っておいて治ると思いますか?
病院に行ったほうがよいでしょうか
明朝の様子を見るしかないですね
そんなわけで
夜中に自問自答しつつ自己完結してますが
また連絡します
おやすみなさい
★
失神状態とは記憶喪失の一種なのか
それとも
もともと記憶がなく記憶喪失ではないのか
その意識状態やいかに
と考えつつも
実は腰が痛くて眠れない3時14分。
「おしらさま神社」に
御真筆と思われる書き込みが。
途絶えているのは
通信が途切れたからでしょうか。
是非お会いしたい。
★
バベットの晩餐会、
古い映画ですが、とても良いです。
(1時間39分)
http://www.gyao.jp/cinema/sityou/catedetail/contents_id/cnt0028526/
バベットの晩餐会 / ステファーヌ・オードラン、アイザック・ディネーセン 他
与えたものだけが、自分のものになる。
すべては「最高の仕事」のために。
わたしにとって、非常にタイムリーな
映画でした。
御真筆と思われる書き込みが。
途絶えているのは
通信が途切れたからでしょうか。
是非お会いしたい。
★
バベットの晩餐会、
古い映画ですが、とても良いです。
(1時間39分)
http://www.gyao.jp/cinema/sityou/catedetail/contents_id/cnt0028526/
バベットの晩餐会 / ステファーヌ・オードラン、アイザック・ディネーセン 他
与えたものだけが、自分のものになる。
すべては「最高の仕事」のために。
わたしにとって、非常にタイムリーな
映画でした。
昨日のシンポジウムの中で
工場跡地を森に戻すというプロジェクトに
携わっている
蓑原敬さんという方の話が面白くて
(昨日とは無関係な資料だけれど
5頁下あたりから少し書かれている)
http://www.r-jyuku.co.jp/isogi/mnhr.pdf
やはり開発したものを
間引きつつ、
足りないところには足していく
というような言葉は日本にはない、
って言われていた。
言葉がないってことは
思想も確立してないってことに違いなく。
開発したものの、
今のニーズに合わなくなった建築物を
間引くにあたって、
具体的問題として
所有権の問題がある
という話にも至った辺りで
中沢新一さんがよく言っている
「贈与」ということなんじゃないか
という話になったのを思い出して、
グーグルでひっぱったら
こんなのが出てきて面白かった。
http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-taidan/taidan3.htm
東洋的な思想が好きだ。
捨てる、喜捨、とか。
★
昨日の話で、
日本の建築物というのは20年ぐらいの
サイクルで駄目になっちゃうっていう話があって
(昨日以外でも
最近どこかで聞いた気がするんだけど
どこで聞いたか思い出せないんだけど)
これからは日本も欧州のように
ストックする
という思想を持つべきだという話があり。
大野さんという先生が言っていらした
日本には「父親殺し」の精神があるようで
20年サイクルで
子供が父親の世代の建築を、
これは時代に合わない、とかいって壊しちゃう。
すると孫にとっては爺さんが
いないわけで(笑)
そうやって古いものがなくなって
欧州のような、
ストックによって出来上がった
重厚で美しい都市が
存在しないことになっちゃうんじゃないか。
てな話があって
激しく同感した。
古いものと新しいものが
混在して美しい佇まいとなる都市空間を作る、
というか
まず混在、多様性に耐えうる精神、文化を
作るというか。
最近、若い子でも
古いものが好き、という
子はいるし、
可能性はきっとあると思う。
実現可能性の高いものを
実現させることを議論していくことと同時に
理想とするものを議論していく
という姿勢も必要だと言っていた
オズワルドさんの話も
ふと思い出した。
建築に哲学があるように
都市プランにも哲学がなければならない、と思う。
建築は建築家個人の美学や哲学でも
出来上がるけれど
都市は共同体に哲学がなければ
出来上がらない。
そう思うと、
都市デザインは深い、と思う。
あっちも大切だし
こっちも大切。
一つになんか絞れない。
工場跡地を森に戻すというプロジェクトに
携わっている
蓑原敬さんという方の話が面白くて
(昨日とは無関係な資料だけれど
5頁下あたりから少し書かれている)
http://www.r-jyuku.co.jp/isogi/mnhr.pdf
やはり開発したものを
間引きつつ、
足りないところには足していく
というような言葉は日本にはない、
って言われていた。
言葉がないってことは
思想も確立してないってことに違いなく。
開発したものの、
今のニーズに合わなくなった建築物を
間引くにあたって、
具体的問題として
所有権の問題がある
という話にも至った辺りで
中沢新一さんがよく言っている
「贈与」ということなんじゃないか
という話になったのを思い出して、
グーグルでひっぱったら
こんなのが出てきて面白かった。
http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-taidan/taidan3.htm
東洋的な思想が好きだ。
捨てる、喜捨、とか。
★
昨日の話で、
日本の建築物というのは20年ぐらいの
サイクルで駄目になっちゃうっていう話があって
(昨日以外でも
最近どこかで聞いた気がするんだけど
どこで聞いたか思い出せないんだけど)
これからは日本も欧州のように
ストックする
という思想を持つべきだという話があり。
大野さんという先生が言っていらした
日本には「父親殺し」の精神があるようで
20年サイクルで
子供が父親の世代の建築を、
これは時代に合わない、とかいって壊しちゃう。
すると孫にとっては爺さんが
いないわけで(笑)
そうやって古いものがなくなって
欧州のような、
ストックによって出来上がった
重厚で美しい都市が
存在しないことになっちゃうんじゃないか。
てな話があって
激しく同感した。
古いものと新しいものが
混在して美しい佇まいとなる都市空間を作る、
というか
まず混在、多様性に耐えうる精神、文化を
作るというか。
最近、若い子でも
古いものが好き、という
子はいるし、
可能性はきっとあると思う。
実現可能性の高いものを
実現させることを議論していくことと同時に
理想とするものを議論していく
という姿勢も必要だと言っていた
オズワルドさんの話も
ふと思い出した。
建築に哲学があるように
都市プランにも哲学がなければならない、と思う。
建築は建築家個人の美学や哲学でも
出来上がるけれど
都市は共同体に哲学がなければ
出来上がらない。
そう思うと、
都市デザインは深い、と思う。
あっちも大切だし
こっちも大切。
一つになんか絞れない。
夜勤が終わるとほっとする。
三連休だから「9時出勤」まで
あと1日あると思うと
嬉しくてたまらない。
平凡すぎる人生に
転回点はありやなしや。
夜勤明けて日曜の朝、
自分ではしゃっきりしているつもりが
客観的に見ると
足取りが千鳥である。
これぞランダムウォーク。
質の悪い睡眠が平衡感覚に
もたらす影響やいかに。
本を3冊持って歩いているので
肩が凝る。
中の一冊がニーチェで
やっと第一部の終わりまできた。
交互に読んでいるから
遅遅たるものだが
気分になった本を読まないと
遅遅とさえも進まないから
仕方がない。
遠人への愛、創造的人生、、
あたりを何度か読む。
「あなたが出会う最大の敵は、
いつもあなた自身であるだろう。
あなた自身が洞穴や森のなかで、
あなたを待伏せしているのだ。
(中略)
わたしの涙をたずさえて、
あなたの孤独のなかに
行きなさい。
わが兄弟よ。
わたしが愛するのは、
自分自身を越えて創造しようとし、
そのために破滅する者だ。
ツァラトゥストラはこう言った。」
(「ツァラトゥストラはこう言った」
氷上英廣 訳 より引用)
このまま行ったら
わたしの普通の人生は
確実に破綻するでしょう。
とにかく、
コールセンター業と
事務業に定職として携わるのだけは
この3月で終わりにしよう。
あの職業は
「決められた時間にそこにいること」
に存在価値を認められ
何某かのお金が
払われているわけで。
そこでいくらキャリアを積んでも
「それより優先すべき何かがあって、
休む」ということが
平日の日中、ある一定回数を超過すると
許されない。
あとは自営業か。
本郷のスコスさんに行く。
方眼の赤いノートと
コヒノールの
シャープペン、消しゴムを買う。
昼から、東大本郷にて
シンポジウム
縮小する都市に未来はあるのか
に参加。
面白かった。
人工減に伴って
東ドイツの工業住宅などは
空室化が激しく、
どんどん取り壊されているという。
日本の過疎地、地方の空洞化も
また然り。
具体的な都市の現状や
プランニングの話を聞きながら
私の頭は次第にそこから遠ざかっていった。
人間は人工減というような
物質的な意味での
「衰退」
を認知しがたいものである。
どなたかが言われていたのだが
まず
そういう局面に対応する
「哲学」を
人類はまだ持っていない、
と言われていたのが
印象に残った。
物質的な繁栄、成長局面
無から有を目指す局面、に
対応する哲学は
世界は沢山持っているけれど、
エネルギーしかり
物質然り、
過剰消費を抑える、
循環型にるすという意味にしても
物質的に有→無(あるいは無ではなくても少なくする)
という局面を
人類は体験したことがなく、
それに対応できる哲学がない。
確かにそのような気がする。
歴史を見ればどうだろう。
戦争等で
強制的に無くなってしまった
ということはあるにせよ
自発的に物質的な
有→無を
目指そうとした時代って
あっただろうか。
朝、聞いていた小林秀雄の
もののあわれを知る
という声が
何となく頭をよぎる。
もののあわれを
情緒的に感じるのではない、
知るんだよと。
物質でも情報でもなく
「知性」の時代になってほしい。
知性の限りない繁栄こそ
素敵な未来だと思う。
★
時々平日の日中と夜に
好きな授業とかシンポジウムなんかに出られて
授業料と書籍代に困らない程度の稼ぎがある
仕事を見つける、
または自分で作るしかないんだよなあ。
、、、
なんとかしなくちゃ。
三連休だから「9時出勤」まで
あと1日あると思うと
嬉しくてたまらない。
平凡すぎる人生に
転回点はありやなしや。
夜勤明けて日曜の朝、
自分ではしゃっきりしているつもりが
客観的に見ると
足取りが千鳥である。
これぞランダムウォーク。
質の悪い睡眠が平衡感覚に
もたらす影響やいかに。
本を3冊持って歩いているので
肩が凝る。
中の一冊がニーチェで
やっと第一部の終わりまできた。
交互に読んでいるから
遅遅たるものだが
気分になった本を読まないと
遅遅とさえも進まないから
仕方がない。
遠人への愛、創造的人生、、
あたりを何度か読む。
「あなたが出会う最大の敵は、
いつもあなた自身であるだろう。
あなた自身が洞穴や森のなかで、
あなたを待伏せしているのだ。
(中略)
わたしの涙をたずさえて、
あなたの孤独のなかに
行きなさい。
わが兄弟よ。
わたしが愛するのは、
自分自身を越えて創造しようとし、
そのために破滅する者だ。
ツァラトゥストラはこう言った。」
(「ツァラトゥストラはこう言った」
氷上英廣 訳 より引用)
このまま行ったら
わたしの普通の人生は
確実に破綻するでしょう。
とにかく、
コールセンター業と
事務業に定職として携わるのだけは
この3月で終わりにしよう。
あの職業は
「決められた時間にそこにいること」
に存在価値を認められ
何某かのお金が
払われているわけで。
そこでいくらキャリアを積んでも
「それより優先すべき何かがあって、
休む」ということが
平日の日中、ある一定回数を超過すると
許されない。
あとは自営業か。
本郷のスコスさんに行く。
方眼の赤いノートと
コヒノールの
シャープペン、消しゴムを買う。
昼から、東大本郷にて
シンポジウム
縮小する都市に未来はあるのか
に参加。
面白かった。
人工減に伴って
東ドイツの工業住宅などは
空室化が激しく、
どんどん取り壊されているという。
日本の過疎地、地方の空洞化も
また然り。
具体的な都市の現状や
プランニングの話を聞きながら
私の頭は次第にそこから遠ざかっていった。
人間は人工減というような
物質的な意味での
「衰退」
を認知しがたいものである。
どなたかが言われていたのだが
まず
そういう局面に対応する
「哲学」を
人類はまだ持っていない、
と言われていたのが
印象に残った。
物質的な繁栄、成長局面
無から有を目指す局面、に
対応する哲学は
世界は沢山持っているけれど、
エネルギーしかり
物質然り、
過剰消費を抑える、
循環型にるすという意味にしても
物質的に有→無(あるいは無ではなくても少なくする)
という局面を
人類は体験したことがなく、
それに対応できる哲学がない。
確かにそのような気がする。
歴史を見ればどうだろう。
戦争等で
強制的に無くなってしまった
ということはあるにせよ
自発的に物質的な
有→無を
目指そうとした時代って
あっただろうか。
朝、聞いていた小林秀雄の
もののあわれを知る
という声が
何となく頭をよぎる。
もののあわれを
情緒的に感じるのではない、
知るんだよと。
物質でも情報でもなく
「知性」の時代になってほしい。
知性の限りない繁栄こそ
素敵な未来だと思う。
★
時々平日の日中と夜に
好きな授業とかシンポジウムなんかに出られて
授業料と書籍代に困らない程度の稼ぎがある
仕事を見つける、
または自分で作るしかないんだよなあ。
、、、
なんとかしなくちゃ。
短いけれど
(もとから短いのかカット
されているのか、不明)
しばらくの間、ヤフーで
Little Britain
が見られるらしい。
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00195/v00802/
日本人向けに
あまり毒気のないところが
選ばれているのか、
面白い。
追記:当然ながらこちらにも
沢山ありました。
http://www.youtube.com/results?search_query=Little+Britain&search=Search
追記2:ユアン・マクレガー大陸横断の旅
も、なかなか良いです。
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00012/v00886/
★
紀伊国屋で小林秀雄の『感想』上下と
講演CD、ブラームス購入。
その足で通院。
帰宅。
夜勤明けは本当に
ぼうっとしている。
2時間ほど眠ってから覚醒し
音声ファイルを3つ聞く。
自分は哲学や科学の話は
文字情報だけだと
曲解する傾向にある。
不確定性から確定への跳躍、
というくだりを
見事に勘違いしていた。
話の中に出てくると
すんなり分かる。
聞くのは大事だと思う。
負荷のかけかたが足りない。
客観性とか
論理の構築に慣れていない分
理解もあやしいし
自己満足の領域を出られない。
楽しくはあるが、
世の中全体にとまではいかずとも
何かに貢献できる程度の結果を
残せなければ、それもまた
つまらない。
上等の頭を持っていない人間に
独学の見通しは明るくはない。
業務フローをあれこれ考えて作るのは
割合好きだ。
プログラミングかSE系の夜学に行って
生計のとっかかりをつけて
そこから脳や哲学との接点を
模索するか。
可能性のひとつとして候補にあげておく
★
もう夜だ。
小林秀雄とブラームスを聞きながら
仕事に向かう。
『数学する遺伝子』とラッセルを
交互に読みながら
一応、仕事中(笑)
(もとから短いのかカット
されているのか、不明)
しばらくの間、ヤフーで
Little Britain
が見られるらしい。
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00195/v00802/
日本人向けに
あまり毒気のないところが
選ばれているのか、
面白い。
追記:当然ながらこちらにも
沢山ありました。
http://www.youtube.com/results?search_query=Little+Britain&search=Search
追記2:ユアン・マクレガー大陸横断の旅
も、なかなか良いです。
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00012/v00886/
★
紀伊国屋で小林秀雄の『感想』上下と
講演CD、ブラームス購入。
その足で通院。
帰宅。
夜勤明けは本当に
ぼうっとしている。
2時間ほど眠ってから覚醒し
音声ファイルを3つ聞く。
自分は哲学や科学の話は
文字情報だけだと
曲解する傾向にある。
不確定性から確定への跳躍、
というくだりを
見事に勘違いしていた。
話の中に出てくると
すんなり分かる。
聞くのは大事だと思う。
負荷のかけかたが足りない。
客観性とか
論理の構築に慣れていない分
理解もあやしいし
自己満足の領域を出られない。
楽しくはあるが、
世の中全体にとまではいかずとも
何かに貢献できる程度の結果を
残せなければ、それもまた
つまらない。
上等の頭を持っていない人間に
独学の見通しは明るくはない。
業務フローをあれこれ考えて作るのは
割合好きだ。
プログラミングかSE系の夜学に行って
生計のとっかかりをつけて
そこから脳や哲学との接点を
模索するか。
可能性のひとつとして候補にあげておく
★
もう夜だ。
小林秀雄とブラームスを聞きながら
仕事に向かう。
『数学する遺伝子』とラッセルを
交互に読みながら
一応、仕事中(笑)
甘い誘惑は
夜にやってくる。
コンビ二の目立つ場所に
チョコレートが並ぶようになった。
仕事の全体像が見えてきて
実は納期が迫っていることが
判明したので
今日は珍しく残業。
引き続き、夜勤に入る前の
気弱な隙に魔がさして
バレンタイン用と思われる
シェフ手作りチョコを買う。
もちろん自分で食べるのだ(笑)
読みかけになっていた
『ベルグソン』篠原資明
を読んでいる。
ベルグソンは素敵だけど、
いかんせん、
まぶたが重力に逆らえず。
朝。
夜勤の間、電話は6時まで鳴らず、
夢も見ず、5時間熟睡。
夢を思い出す、
というと、
過去を再現しているように思うが、
想起する時点でそれは再現ではなく
「はじめての体験」となる。
まだ読んでいる途中だが、
哲学×生物学=ベルグソン
哲学×物理学=ホワイトヘッド
となるらしく、
いずれにしろ
いかに生きるべきかということを外れると
暇な人間が遊んでいるだけのように
感じられる「哲学」が
生物やら物理というものと絡むと
とたんに深みを放ちだす。
いずれにしろ
物理、その前に数学の理解が
必要なことだけは明らかで。
なんとかしたい。
夜にやってくる。
コンビ二の目立つ場所に
チョコレートが並ぶようになった。
仕事の全体像が見えてきて
実は納期が迫っていることが
判明したので
今日は珍しく残業。
引き続き、夜勤に入る前の
気弱な隙に魔がさして
バレンタイン用と思われる
シェフ手作りチョコを買う。
もちろん自分で食べるのだ(笑)
読みかけになっていた
『ベルグソン』篠原資明
を読んでいる。
ベルグソンは素敵だけど、
いかんせん、
まぶたが重力に逆らえず。
朝。
夜勤の間、電話は6時まで鳴らず、
夢も見ず、5時間熟睡。
夢を思い出す、
というと、
過去を再現しているように思うが、
想起する時点でそれは再現ではなく
「はじめての体験」となる。
まだ読んでいる途中だが、
哲学×生物学=ベルグソン
哲学×物理学=ホワイトヘッド
となるらしく、
いずれにしろ
いかに生きるべきかということを外れると
暇な人間が遊んでいるだけのように
感じられる「哲学」が
生物やら物理というものと絡むと
とたんに深みを放ちだす。
いずれにしろ
物理、その前に数学の理解が
必要なことだけは明らかで。
なんとかしたい。
次から次へと
読むべき本が怒涛のように
押し寄せてきて
頭と時間(とお金)が足りない。
なぜ?
と繰り返し問い詰めていくと
アイデアの
曖昧さ弱さが浮き彫りになる。
「なぜ」の最終的な答えは
哲学の問題になる
と語っていた
MITの石井さん。
大胆かつ謙虚、
そして疾走している。
研究室の方が
ホワイトボードに書いていた
「NEED MORE」
の言葉が
わたしにも響いてきた。
音楽が論理的に構築されている
という前提で
聞いてみると、
以前と異なるものが
立ち上がることに
気がついた。
全てを
疾走するエネルギーに変える
内なる「コンバーター」を
信じよう。
人生は短いのだし。
読むべき本が怒涛のように
押し寄せてきて
頭と時間(とお金)が足りない。
なぜ?
と繰り返し問い詰めていくと
アイデアの
曖昧さ弱さが浮き彫りになる。
「なぜ」の最終的な答えは
哲学の問題になる
と語っていた
MITの石井さん。
大胆かつ謙虚、
そして疾走している。
研究室の方が
ホワイトボードに書いていた
「NEED MORE」
の言葉が
わたしにも響いてきた。
音楽が論理的に構築されている
という前提で
聞いてみると、
以前と異なるものが
立ち上がることに
気がついた。
全てを
疾走するエネルギーに変える
内なる「コンバーター」を
信じよう。
人生は短いのだし。
ホメオスタシス、の意味が
よく分からなかった。
言葉そのものは
調べれば分かるのだが、
実感として
「保留」されていた。
嵐の中の小舟、の喩えで
やっと理解する。
哲学や科学の言葉が
実感を伴って心に落ちたときの、
身体の真ん中に
ぽっ、と
あかりが灯ったような
とろける一瞬。
既に中毒だ。
論理と感情の両方を引き受けて
通訳してくださる方がいなければ
分からなかったし、
これからも分からない。
思考の補助線を
切に欲している人間は
確かにここにいますから、
存分に爆発して
拡散しちゃってくださいませ、、、
と思う。
節約の折から、
本は買わないぞと決意して行ったのだが、
間近でエネルギーを頂いて
何かしたくなった。
きっと分からないだろうけれど、
最後数行の記憶を辿って
Critique of practical reason
を買うことにした。
(the problems of philosophyも
まだ10ページ位しか読んでないのに)
荒波に揉まれた小舟は
少しは変わったのかしら。
よく分からなかった。
言葉そのものは
調べれば分かるのだが、
実感として
「保留」されていた。
嵐の中の小舟、の喩えで
やっと理解する。
哲学や科学の言葉が
実感を伴って心に落ちたときの、
身体の真ん中に
ぽっ、と
あかりが灯ったような
とろける一瞬。
既に中毒だ。
論理と感情の両方を引き受けて
通訳してくださる方がいなければ
分からなかったし、
これからも分からない。
思考の補助線を
切に欲している人間は
確かにここにいますから、
存分に爆発して
拡散しちゃってくださいませ、、、
と思う。
節約の折から、
本は買わないぞと決意して行ったのだが、
間近でエネルギーを頂いて
何かしたくなった。
きっと分からないだろうけれど、
最後数行の記憶を辿って
Critique of practical reason
を買うことにした。
(the problems of philosophyも
まだ10ページ位しか読んでないのに)
荒波に揉まれた小舟は
少しは変わったのかしら。
直近の職場では、
諸々の理由から、同僚と昼食するという習慣を
殆ど採用しなかった。
今回は気の合う子がいて、
普通のOLさんのように
一緒にランチしている。
1月下旬、出会った初日に
一緒に入った
ドトールの窓から外を見上げ
うっとりした顔で彼女は言った。
今日のおひさまはいいですね、
イタリアの太陽もいいんですよ。
ちょっと何か外れてる、
(お互いさま)
と思ったら案の定で、
岡本太郎と原美術館で意気投合し、
アート系の話で盛り上がることのできる
貴重なともだちになった。
8歳下の彼女は
4月から2度目のイタリアに
デザイン修行の旅に出る。
触発されて、
わたしも何か
突拍子もないことをしないと
いけないと思い始めている。
彼女の出現も、
何かの兆しだと思う。
とりたてて理由もなく
次の誕生日が
節目なのだと思っていた。
3月4日は迫りつつあって、
焦る。
★
帰り道、バーゲンで
真っ赤な服を見ていたら
久しぶりにまた思い出した。
雨の夜、
盲人用タイルで自転車が滑り、
コンクリート製の車止めの角に
眉間をぶつけたこと。
トマトジュースを
2缶ぶちまけたほどの
(と自分では思った)
血が道路にどろりと広がった。
血まみれの顔を上げて
目の前に屈みこんだ若い女性に向かって
きゅうきゅうしゃ、と言いながら
極めて冷静に
ああ自分はこれで死ぬんだ、と思った。
生きてるわけだから、
事故自体はどうでもいい。
問題は、ここから先。
実際、道に伏している私の角度から
見えたはずはないのに
血の中で倒れている自分を
上から見下ろしているシーンとして
いつも記憶が再現されていたことに
気がついた。
既に記憶は変質しているんだ。
不確定性の未来が暗闇なのは当然として、
確定したはずの過去さえも
実は記憶としては変質し続けている
という意味では、暗闇。
それで暗闇からの跳躍、じゃなくて
暗闇への跳躍、なのかなあ。
既に脈絡なく混乱気味。
まぶたが重くなる。
あたたかな暗闇が慕わしく。
おやすみなさい。
諸々の理由から、同僚と昼食するという習慣を
殆ど採用しなかった。
今回は気の合う子がいて、
普通のOLさんのように
一緒にランチしている。
1月下旬、出会った初日に
一緒に入った
ドトールの窓から外を見上げ
うっとりした顔で彼女は言った。
今日のおひさまはいいですね、
イタリアの太陽もいいんですよ。
ちょっと何か外れてる、
(お互いさま)
と思ったら案の定で、
岡本太郎と原美術館で意気投合し、
アート系の話で盛り上がることのできる
貴重なともだちになった。
8歳下の彼女は
4月から2度目のイタリアに
デザイン修行の旅に出る。
触発されて、
わたしも何か
突拍子もないことをしないと
いけないと思い始めている。
彼女の出現も、
何かの兆しだと思う。
とりたてて理由もなく
次の誕生日が
節目なのだと思っていた。
3月4日は迫りつつあって、
焦る。
★
帰り道、バーゲンで
真っ赤な服を見ていたら
久しぶりにまた思い出した。
雨の夜、
盲人用タイルで自転車が滑り、
コンクリート製の車止めの角に
眉間をぶつけたこと。
トマトジュースを
2缶ぶちまけたほどの
(と自分では思った)
血が道路にどろりと広がった。
血まみれの顔を上げて
目の前に屈みこんだ若い女性に向かって
きゅうきゅうしゃ、と言いながら
極めて冷静に
ああ自分はこれで死ぬんだ、と思った。
生きてるわけだから、
事故自体はどうでもいい。
問題は、ここから先。
実際、道に伏している私の角度から
見えたはずはないのに
血の中で倒れている自分を
上から見下ろしているシーンとして
いつも記憶が再現されていたことに
気がついた。
既に記憶は変質しているんだ。
不確定性の未来が暗闇なのは当然として、
確定したはずの過去さえも
実は記憶としては変質し続けている
という意味では、暗闇。
それで暗闇からの跳躍、じゃなくて
暗闇への跳躍、なのかなあ。
既に脈絡なく混乱気味。
まぶたが重くなる。
あたたかな暗闇が慕わしく。
おやすみなさい。
日曜日、閉館間近の図書館に駆け込んで
ありったけの
「ちくま」のバックナンバーを
がばっと抱えて
コピーしてきた。
飛び飛びだけれど、10回分ぐらいある。
職場の机に広げて読む。
一回性と可能無限の話を読んでいたところで
昼休みが終わった。
仕事のあと、
喫茶店に入ってまた読む。
「暗闇への跳躍」に戻ってきて
そこだけ何回も読む。
「1日のうちに含まれる可能無限と、
長き一生のうちに含まれる可能無限は、
その質において同等である」
(「ちくま」思考の補助線19 暗闇への跳躍より引用)
何故そうなのか、
はよく分からないのだけれど
ということは、
最後に言われているように
1日を一瞬に置き換えてもよさそうだし
長き一生を永遠の生命に置き換えてもよさそうだから
「一瞬の生命に含まれる可能無限と
永遠の生命に含まれる可能無限とは
その質において同等である」
ということになりそうだ。
その質、というのは
「人間の生とは、実にこうであった!」
という生命の至福、驚嘆だろうか。
これは、なんかすごいかんじ、がする。
真に一回性を体験するひとは、
つまり、
、、、、
ドキドキしてきて、
喫茶店を飛び出して新宿まで歩く。
ということは、
つまり、、、
、、、、
つまり、今のこの感じも
一回性ってことか、
ってことではなくて
真に一回性を体験するひとは
一瞬の至福、驚嘆が
物質としての命がある限り続く
ってことで
その可能無限の感触は
命の長短にかかわらない
ってこと、かしらん。
肝心なことほど上手く言葉にならない。
卒論を書きかけてやめた
教行信証的な世界になってきた。
無限って、そそられる。
ありったけの
「ちくま」のバックナンバーを
がばっと抱えて
コピーしてきた。
飛び飛びだけれど、10回分ぐらいある。
職場の机に広げて読む。
一回性と可能無限の話を読んでいたところで
昼休みが終わった。
仕事のあと、
喫茶店に入ってまた読む。
「暗闇への跳躍」に戻ってきて
そこだけ何回も読む。
「1日のうちに含まれる可能無限と、
長き一生のうちに含まれる可能無限は、
その質において同等である」
(「ちくま」思考の補助線19 暗闇への跳躍より引用)
何故そうなのか、
はよく分からないのだけれど
ということは、
最後に言われているように
1日を一瞬に置き換えてもよさそうだし
長き一生を永遠の生命に置き換えてもよさそうだから
「一瞬の生命に含まれる可能無限と
永遠の生命に含まれる可能無限とは
その質において同等である」
ということになりそうだ。
その質、というのは
「人間の生とは、実にこうであった!」
という生命の至福、驚嘆だろうか。
これは、なんかすごいかんじ、がする。
真に一回性を体験するひとは、
つまり、
、、、、
ドキドキしてきて、
喫茶店を飛び出して新宿まで歩く。
ということは、
つまり、、、
、、、、
つまり、今のこの感じも
一回性ってことか、
ってことではなくて
真に一回性を体験するひとは
一瞬の至福、驚嘆が
物質としての命がある限り続く
ってことで
その可能無限の感触は
命の長短にかかわらない
ってこと、かしらん。
肝心なことほど上手く言葉にならない。
卒論を書きかけてやめた
教行信証的な世界になってきた。
無限って、そそられる。
朝、仕事を終えると
散歩日和の青い空があった。
光の回廊のイメージを思い出し
代々木で降りて歩くことにした。
明治神宮を訪れるのは小学生の頃
茶席で「お運び」を手伝って以来。
お運びとは
いわば作法のあるウエイトレス。
テレビ局の取材が来るからと、
張り切って着物姿で撮影されたものの
美人の友達だけが放送され
私はあえなく編集落ちした。
大差ない風貌の母とふたり
技術よりルックスを取る
世の不条理を嘆いたっけ。
山手線に並行する玉砂利の道は
日曜とあって人出も多く
アジア系の外国語が飛び交っていた。
思いついて
車道と書かれた小道に入ると
嘘のように人通りは稀になった。
目を開けていられないほどの
まばゆい光の束が
惜しげもなく降り注ぐ。
人間ではないものたちが発する
心地よい音が
回廊に響いている。
黄色の芝の上に
葉を落とした枝を広げる広葉樹の
こんもりした輪郭。
光と緑の見えない腕に抱かれて
一時間ほど歩いただろうか。
いつしか胸のつかえがするりと落ち
身体がふわりと軽くなった。
高田馬場の乗換口にある花屋さんに
啓翁桜が並んでいた。
なんだか嬉しくなって
一束の春を連れて帰る。

★
夜、3ヶ月ぶりの一人っ子連盟総会。
といっても
先輩とその娘さんと私での食事。
3人とも一人っ娘なのだ。
私の誕生日が先輩ご夫婦の結婚記念日でもあり
家も近所という奇遇。
先輩は私が嫁に行く気配すらないの心配して
好みの人はいないのか、といつも尋ねる。
今日は珍しく
思い浮かんだひとの名前を言ったら
もっと普通のひとにしなさいよ、
と笑われた。
本当ですねと言いながら、
私も一緒に
はははと笑った。
散歩日和の青い空があった。
光の回廊のイメージを思い出し
代々木で降りて歩くことにした。
明治神宮を訪れるのは小学生の頃
茶席で「お運び」を手伝って以来。
お運びとは
いわば作法のあるウエイトレス。
テレビ局の取材が来るからと、
張り切って着物姿で撮影されたものの
美人の友達だけが放送され
私はあえなく編集落ちした。
大差ない風貌の母とふたり
技術よりルックスを取る
世の不条理を嘆いたっけ。
山手線に並行する玉砂利の道は
日曜とあって人出も多く
アジア系の外国語が飛び交っていた。
思いついて
車道と書かれた小道に入ると
嘘のように人通りは稀になった。
目を開けていられないほどの
まばゆい光の束が
惜しげもなく降り注ぐ。
人間ではないものたちが発する
心地よい音が
回廊に響いている。
黄色の芝の上に
葉を落とした枝を広げる広葉樹の
こんもりした輪郭。
光と緑の見えない腕に抱かれて
一時間ほど歩いただろうか。
いつしか胸のつかえがするりと落ち
身体がふわりと軽くなった。
高田馬場の乗換口にある花屋さんに
啓翁桜が並んでいた。
なんだか嬉しくなって
一束の春を連れて帰る。

★
夜、3ヶ月ぶりの一人っ子連盟総会。
といっても
先輩とその娘さんと私での食事。
3人とも一人っ娘なのだ。
私の誕生日が先輩ご夫婦の結婚記念日でもあり
家も近所という奇遇。
先輩は私が嫁に行く気配すらないの心配して
好みの人はいないのか、といつも尋ねる。
今日は珍しく
思い浮かんだひとの名前を言ったら
もっと普通のひとにしなさいよ、
と笑われた。
本当ですねと言いながら、
私も一緒に
はははと笑った。
アマゾンは再配達の時間帯さえ
指定するのが困難なので
あまり使いたくない。
高田馬場のクラシック屋さんで
オペラのDVDを探すが見当たらない。
試聴コーナーにあった
ラ・クァルディーナ『リベルタンゴ』を聞いたら
あんまり素敵なので、予定外だけれど購入。
江村さんのブログに書かれていた
ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲、、、
という話を思い出して
こちらも購入。
CDと本の衝動買いさえやめれば
多少の貯蓄ができるのに(嘆)
使いたくないと言いつつ
洋書は面倒なのでアマゾンを使った。
ラッセルが届いたので読み始めた。
確かに、哲学書は
翻訳より英語で読むほうが簡単みたい。
(でもなかなか進まない。まだ5ページ目)
今見えているものが現実である、
という前提を
一度ひっくり返してしまうと
世界は途端に揺らぎ始める。
平坦の中に凹凸が見え
感覚がおかしくなってくる。
哲学と科学って
実は同じところを目指していたんだろうか。
いや、もともと学問に領域や境界線など
なかったのか。
★
知の世界へ探検に出ていけるようになったのは
「安全基地」ができてきたからかもしれない
と思う。
子供は、親がいないと
絵本が読めないのかもしれませんね、
単純に字が読めないからというだけではなく、
絵本を読むのも冒険ですから、
という言葉を思い出す。
これ↓、アップしてくださった方、
有難うございます(深謝)
椎名誠の絵本を旅する
http://www.youtube.com/watch?v=kaZWTpuZVVg
http://www.youtube.com/watch?v=sz0QMu-y1AY
身近な人を通して入ってくる情報
joint attention
見守ってくれていると感じられているから
絵本という冒険の世界に入っていけるのでは、、
安全基地、
などなど。
知識が少ないせいで
絵本(情報)の向こうにあるものを
見ようとする
子供の気持ちは分かるような気がする。
よく分からないくせに
オペラが気になっているのは
舞台や場面の「向こう」に見えた感触が
今までにないものだったせいだと思う。
寄り道ばかりしている私は
いつまでも子供なのだろうか。
誕生日まで、あと一ヶ月。
指定するのが困難なので
あまり使いたくない。
高田馬場のクラシック屋さんで
オペラのDVDを探すが見当たらない。
試聴コーナーにあった
ラ・クァルディーナ『リベルタンゴ』を聞いたら
あんまり素敵なので、予定外だけれど購入。
江村さんのブログに書かれていた
ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲、、、
という話を思い出して
こちらも購入。
CDと本の衝動買いさえやめれば
多少の貯蓄ができるのに(嘆)
使いたくないと言いつつ
洋書は面倒なのでアマゾンを使った。
ラッセルが届いたので読み始めた。
確かに、哲学書は
翻訳より英語で読むほうが簡単みたい。
(でもなかなか進まない。まだ5ページ目)
今見えているものが現実である、
という前提を
一度ひっくり返してしまうと
世界は途端に揺らぎ始める。
平坦の中に凹凸が見え
感覚がおかしくなってくる。
哲学と科学って
実は同じところを目指していたんだろうか。
いや、もともと学問に領域や境界線など
なかったのか。
★
知の世界へ探検に出ていけるようになったのは
「安全基地」ができてきたからかもしれない
と思う。
子供は、親がいないと
絵本が読めないのかもしれませんね、
単純に字が読めないからというだけではなく、
絵本を読むのも冒険ですから、
という言葉を思い出す。
これ↓、アップしてくださった方、
有難うございます(深謝)
椎名誠の絵本を旅する
http://www.youtube.com/watch?v=kaZWTpuZVVg
http://www.youtube.com/watch?v=sz0QMu-y1AY
身近な人を通して入ってくる情報
joint attention
見守ってくれていると感じられているから
絵本という冒険の世界に入っていけるのでは、、
安全基地、
などなど。
知識が少ないせいで
絵本(情報)の向こうにあるものを
見ようとする
子供の気持ちは分かるような気がする。
よく分からないくせに
オペラが気になっているのは
舞台や場面の「向こう」に見えた感触が
今までにないものだったせいだと思う。
寄り道ばかりしている私は
いつまでも子供なのだろうか。
誕生日まで、あと一ヶ月。
今回の職場は、18時になると
学校のようにキンコンカンとチャイムが鳴る。
最初の「キン」が聞こえた途端
疾風の如く出てきたのだけれど
住友ビルには遅刻した。
最近お見かけする先生はいつも「赤シャツ」である。
徹底的に起源回帰に
取り組まれているのだろうか。
オペラは総合芸術と言われるそうだが、
つい最近まで、わたしは
恥ずかしながら、
下手な演技に歌がついているようなもの、
と思っていた。
大いなる勘違いに気付いたのは
昨年「ばらの騎士」を見せていただいた
ときである。
今日は「ローエングリン」と
「アイーダ」を見たのだけれど
特に強烈だったのは
「ローエングリン」で
室内の照明がついたあとも
しばらくぼんやりしていた。
映画を見慣れた私のような人間には
オペラ歌手の身振りに
一旦目が行ってしまうと
役者や役柄のキャラクターには共感しにくい。
今日見たものは特に、
何か象徴的な姿を
人間を使って表現するような演出で、
演技というような種類のものではなく
アートという感じが強かった。
そのせいで、役者に自分を投影して
「ああ泣けた、、」というような
浅薄な自己満足、というか
一時的に流されるような感情が起こりにくい。
字幕を読みながら
表現の意味を考えさせられるような種類の、
詩を味わうような、
哲学書を読むような感覚に近い。
そこに人間の声が加わっている。
総合芸術という言葉が確かにぴったりくる。
解説があったからこそ
そんなふうに考える余地が
生まれたには違いないけれど。
人間の「信じる」という行為は
「疑う」ことと表裏している。
仏教のいくつかの宗派では
「信知」という言葉を使って
疑いを差し挟む余地のない仏の智慧を指す。
智慧と光明は深い意味で同義なのも
興味深いが、
仏の智慧以外に
疑いを含まない「信」はないと
講話で聞いたことがある。
ともあれ、人が
「信じます」と言葉に出した瞬間、
同時に疑っていることが暴露されてしまう。
誰しもエルザのように
名を問わずにいられなかっただろうし
定められた摂理のように
問いに答えて
淡々と去っていく騎士も
実態の掴みにくい、
愛や希望、真実とか
口に出せば気恥ずかしい何ものかを
表しているような気がする。
人々と一緒に
白い騎士を引き留める。
それも叶わず、去った後の
静かで決定的な喪失感。
自分の顔を見たわけではないけれど、
終わったときには
「眉間がコイル巻き」に
なっていたに違いない。
何か調べて書いているわけではないので
単なる素人の感想文だけれど、、、
言葉になる寸前の、というか
言葉にすれば消えてしまう
永遠に言葉にはならない
想いの切実さ、
というようなものの感触が
そこにはあった。
★
もちろん、
講義はオペラの話だけではなかった。
でも、強烈だったのは事実。
新宿でローエングリンを買おうと
ツタヤに入ったものの
クラシックDVDなどあるはずもなく。
心の中の雑音が大きくなったせいか
無性に音楽がほしくなって
小一時間ほど店内を徘徊した結果
辛うじてキース・ジャレットを発掘して落ち着き、
空いた中央線に乗って
次の仕事に向かった。
学校のようにキンコンカンとチャイムが鳴る。
最初の「キン」が聞こえた途端
疾風の如く出てきたのだけれど
住友ビルには遅刻した。
最近お見かけする先生はいつも「赤シャツ」である。
徹底的に起源回帰に
取り組まれているのだろうか。
オペラは総合芸術と言われるそうだが、
つい最近まで、わたしは
恥ずかしながら、
下手な演技に歌がついているようなもの、
と思っていた。
大いなる勘違いに気付いたのは
昨年「ばらの騎士」を見せていただいた
ときである。
今日は「ローエングリン」と
「アイーダ」を見たのだけれど
特に強烈だったのは
「ローエングリン」で
室内の照明がついたあとも
しばらくぼんやりしていた。
映画を見慣れた私のような人間には
オペラ歌手の身振りに
一旦目が行ってしまうと
役者や役柄のキャラクターには共感しにくい。
今日見たものは特に、
何か象徴的な姿を
人間を使って表現するような演出で、
演技というような種類のものではなく
アートという感じが強かった。
そのせいで、役者に自分を投影して
「ああ泣けた、、」というような
浅薄な自己満足、というか
一時的に流されるような感情が起こりにくい。
字幕を読みながら
表現の意味を考えさせられるような種類の、
詩を味わうような、
哲学書を読むような感覚に近い。
そこに人間の声が加わっている。
総合芸術という言葉が確かにぴったりくる。
解説があったからこそ
そんなふうに考える余地が
生まれたには違いないけれど。
人間の「信じる」という行為は
「疑う」ことと表裏している。
仏教のいくつかの宗派では
「信知」という言葉を使って
疑いを差し挟む余地のない仏の智慧を指す。
智慧と光明は深い意味で同義なのも
興味深いが、
仏の智慧以外に
疑いを含まない「信」はないと
講話で聞いたことがある。
ともあれ、人が
「信じます」と言葉に出した瞬間、
同時に疑っていることが暴露されてしまう。
誰しもエルザのように
名を問わずにいられなかっただろうし
定められた摂理のように
問いに答えて
淡々と去っていく騎士も
実態の掴みにくい、
愛や希望、真実とか
口に出せば気恥ずかしい何ものかを
表しているような気がする。
人々と一緒に
白い騎士を引き留める。
それも叶わず、去った後の
静かで決定的な喪失感。
自分の顔を見たわけではないけれど、
終わったときには
「眉間がコイル巻き」に
なっていたに違いない。
何か調べて書いているわけではないので
単なる素人の感想文だけれど、、、
言葉になる寸前の、というか
言葉にすれば消えてしまう
永遠に言葉にはならない
想いの切実さ、
というようなものの感触が
そこにはあった。
★
もちろん、
講義はオペラの話だけではなかった。
でも、強烈だったのは事実。
新宿でローエングリンを買おうと
ツタヤに入ったものの
クラシックDVDなどあるはずもなく。
心の中の雑音が大きくなったせいか
無性に音楽がほしくなって
小一時間ほど店内を徘徊した結果
辛うじてキース・ジャレットを発掘して落ち着き、
空いた中央線に乗って
次の仕事に向かった。
思うところがいろいろあって
まとまらない。
(昨日もそうだった気がするが…)
とりあえず、、
時給で働くことは
ベストパフォーマンスを発揮しない生き方に
慣れてしまう、という意味で
非常によろしくない
ということが、職場環境が良い故に
骨身にしみて分かってしまった。
さっさとやって帰ってよければ
品質を落とさずにあと2倍のスピードが出せるのに
帰ってしまったら
「お時給」がいただけないために
ゆっくりやる。
きっと、これが極めて良好な環境にも関わらず
吐き気と頭痛を催す原因だ。
田坂さんも時給で働く働き方に未来はない
と書かれていた。
前から何度も聞いた話だったけれど、
やっと実感として腑に落ちた。
ほんとだ。
最悪だ。
プロフェッショナルを見る。
音楽で頭の切り替え
正しい姿勢の作り方
フリーアドレス制
相手を知ること
複数を同時並行で実践し考える
選んでやっているという意識付け
寝る前のクールダウン
朝の時間の使い方
などなど学ぶ。
クールダウンして寝ます。
まとまらない。
(昨日もそうだった気がするが…)
とりあえず、、
時給で働くことは
ベストパフォーマンスを発揮しない生き方に
慣れてしまう、という意味で
非常によろしくない
ということが、職場環境が良い故に
骨身にしみて分かってしまった。
さっさとやって帰ってよければ
品質を落とさずにあと2倍のスピードが出せるのに
帰ってしまったら
「お時給」がいただけないために
ゆっくりやる。
きっと、これが極めて良好な環境にも関わらず
吐き気と頭痛を催す原因だ。
田坂さんも時給で働く働き方に未来はない
と書かれていた。
前から何度も聞いた話だったけれど、
やっと実感として腑に落ちた。
ほんとだ。
最悪だ。
プロフェッショナルを見る。
音楽で頭の切り替え
正しい姿勢の作り方
フリーアドレス制
相手を知ること
複数を同時並行で実践し考える
選んでやっているという意識付け
寝る前のクールダウン
朝の時間の使い方
などなど学ぶ。
クールダウンして寝ます。
その日にあったことを
なかなか当日中に消化しきれないことが多い。
思うところが色々ありすぎて、
まとまらない。
昨日、仕事は休んだけれど、
ちゃんと洗濯も終えて、
夜は表参道でセミナーを聞いていた。
NHKプロデューサー
北村卓三さんのお話。
今日はちゃんと仕事に行って、
夜は東工大に行った。
辛島先生という方の
氷河生態系と地球環境に関する公開講座。
★
説明をすっとばして
結論に近いところだけ書くと、
辛島先生と北村さんの言葉は
今一度、自分の向かうべき方向の
軌道修正をしてくれた形になった。
幸せになりたければ、
子供と同じようにしていればいい。
子供は頼まれもしないのに
歌ったり踊ったり動いたり、
何故と尋ねたりするでしょ。
それが喜びなんです。
分かる喜び、知る喜び。
それに対して、
テクノロジー、工学ってのは
「できる」喜びであって、
ある意味ゴールが違う。
★
昨日のセミナーで
プロデューサーさんが言われていたこと。
ドキュメンタリーのような、
作品を撮るときっていうのは、
取材対象との恋愛関係に近い状態になる。
夫婦というか恋人というか、
そういう関係が結べたときに
はじめて、想像できなかったことが起きる。
決定的瞬間が取れる。
こんなところを撮っちゃって申し訳ない、
でも使わせて、みたいな決定的な瞬間。
そんなものが撮れたときには
全身震えがくるというか、
電流が走るというか。
だからこそ続けられる。
★
Billy Elliot
http://www.youtube.com/watch?v=TaTBe9UmlAo
★
合成の誤謬という言葉があるが
正しい理屈を足し合わせても
必ずしも正しい結果にならないこともある。
理屈は上手くつかないけれど、
全身に電流が走るような類のことに
それぞれに向かってく人たちが集まってきて
良心に従ってベストパフォーマンスを出すことが、
最終的には持続可能で健全で、
幸せな地球につながる、かもしれない。
駅前の定食屋さんで
マーボー豆腐を食べながら、
そんなことをふと考えた。
なかなか当日中に消化しきれないことが多い。
思うところが色々ありすぎて、
まとまらない。
昨日、仕事は休んだけれど、
ちゃんと洗濯も終えて、
夜は表参道でセミナーを聞いていた。
NHKプロデューサー
北村卓三さんのお話。
今日はちゃんと仕事に行って、
夜は東工大に行った。
辛島先生という方の
氷河生態系と地球環境に関する公開講座。
★
説明をすっとばして
結論に近いところだけ書くと、
辛島先生と北村さんの言葉は
今一度、自分の向かうべき方向の
軌道修正をしてくれた形になった。
幸せになりたければ、
子供と同じようにしていればいい。
子供は頼まれもしないのに
歌ったり踊ったり動いたり、
何故と尋ねたりするでしょ。
それが喜びなんです。
分かる喜び、知る喜び。
それに対して、
テクノロジー、工学ってのは
「できる」喜びであって、
ある意味ゴールが違う。
★
昨日のセミナーで
プロデューサーさんが言われていたこと。
ドキュメンタリーのような、
作品を撮るときっていうのは、
取材対象との恋愛関係に近い状態になる。
夫婦というか恋人というか、
そういう関係が結べたときに
はじめて、想像できなかったことが起きる。
決定的瞬間が取れる。
こんなところを撮っちゃって申し訳ない、
でも使わせて、みたいな決定的な瞬間。
そんなものが撮れたときには
全身震えがくるというか、
電流が走るというか。
だからこそ続けられる。
★
Billy Elliot
http://www.youtube.com/watch?v=TaTBe9UmlAo
★
合成の誤謬という言葉があるが
正しい理屈を足し合わせても
必ずしも正しい結果にならないこともある。
理屈は上手くつかないけれど、
全身に電流が走るような類のことに
それぞれに向かってく人たちが集まってきて
良心に従ってベストパフォーマンスを出すことが、
最終的には持続可能で健全で、
幸せな地球につながる、かもしれない。
駅前の定食屋さんで
マーボー豆腐を食べながら、
そんなことをふと考えた。
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