職場で知り合った彼女は
本日で派遣期間を終了し、
来月初旬には再度イタリア修行に
飛ぶこととなる。
確かその日は茂木さんのお話を
聞いているはずだなあと言ったら
じゃあその日の昼、
私は飛んでいるからね、
と彼女は笑った。
麹町の日テレ通りに面したドトールで、
同僚としては最後のランチ。
まったりと日あたりがよくて
いつまでも居たい気がした。
そういえば初日もドトールで、
最終日もドトールだった。
いま派遣されている会社は
ピアプレッシャーを体感するような場所で
オフィスはしーんとしている。
背中に常務と部長がいて
めったな話はできない。
窓もない。
社外のひとと電話で交渉している時間のほうが
まだましで、
社員さんと話すほうが
ぐんと疲れる。
自分の言葉で話せない雰囲気が
本当は苦しくてたまらない。
無理しちゃいけないよと
彼女は言う。
できることをするのが
必要な場合もあるけれど
自分の好きなことをしないのは
自分に失礼なんだから。
自分に失礼のなきように。
そう行って会社を去る
彼女はきらきら輝いていた。
イタリアでのアクセサリー作りが
幸せな日々でありますように。
本日で派遣期間を終了し、
来月初旬には再度イタリア修行に
飛ぶこととなる。
確かその日は茂木さんのお話を
聞いているはずだなあと言ったら
じゃあその日の昼、
私は飛んでいるからね、
と彼女は笑った。
麹町の日テレ通りに面したドトールで、
同僚としては最後のランチ。
まったりと日あたりがよくて
いつまでも居たい気がした。
そういえば初日もドトールで、
最終日もドトールだった。
いま派遣されている会社は
ピアプレッシャーを体感するような場所で
オフィスはしーんとしている。
背中に常務と部長がいて
めったな話はできない。
窓もない。
社外のひとと電話で交渉している時間のほうが
まだましで、
社員さんと話すほうが
ぐんと疲れる。
自分の言葉で話せない雰囲気が
本当は苦しくてたまらない。
無理しちゃいけないよと
彼女は言う。
できることをするのが
必要な場合もあるけれど
自分の好きなことをしないのは
自分に失礼なんだから。
自分に失礼のなきように。
そう行って会社を去る
彼女はきらきら輝いていた。
イタリアでのアクセサリー作りが
幸せな日々でありますように。
今日も小学校の温水プールに行く。
週2回運動できると、
多少ストレスも解消されて
体調もよい。
週末は
ダヴィンチ展に行きたいけれど
混んでるだろうなあ。
週2回運動できると、
多少ストレスも解消されて
体調もよい。
週末は
ダヴィンチ展に行きたいけれど
混んでるだろうなあ。
夜10時頃ベッドに入ったら
夢も見ずに
朝までぐっすり眠ってしまった。
朝から交渉の詰めを繰り返していて
値切る話ばかりしている。
これが少なく見ても
あと数百件もあるなんて、
やってられない。
絶対に更新はしないぞと決意する。
あと1ヶ月だ。
桜はずいぶんと咲いてしまった。
東山魁夷さんの花明りが好きだ。
哲学堂の桜でも見に行こうかしら。
夢も見ずに
朝までぐっすり眠ってしまった。
朝から交渉の詰めを繰り返していて
値切る話ばかりしている。
これが少なく見ても
あと数百件もあるなんて、
やってられない。
絶対に更新はしないぞと決意する。
あと1ヶ月だ。
桜はずいぶんと咲いてしまった。
東山魁夷さんの花明りが好きだ。
哲学堂の桜でも見に行こうかしら。
仕事のあと、荷物を抱えて
小学校のプールに行く。
夕方以降は区民と一般に
開放されているのだ。
前に見た泳法の動画を思い出しながら
ひたすら平泳ぎをする。
脚力がないためもあってか、
1ストロークであまり進まない。
なにも既定の泳法に
こだわることもないかしらと思いつき
すーい
と身体を伸ばしている間、
軽くバタ足を入れてみることにした。
予想以上に快適である。
金魚だな。
プールという金魚鉢の中を
まん丸の口をぱくつかせて
泳いでいる。
しかし同じところを
ぐるぐると泳いでいるのは
いかにもつまらない。
いっそのこと
このまま海に流れ出ればよいのだが。
あの界隈は住民が少ないのか、
8時を過ぎてほぼ貸切状態となった
がら空きのプールで
ひとり妄想をめぐらせる。
★
いつものように、
一人暮らしの部屋に
ただいまと言って戻る。
ちょうど10時で、
めったに見ないテレビをつける。
今日のプロフェッショナルは
とてもよかった。
「本質の一枚」の瞬間や
本格的な追いこみに突入する前の
不機嫌な宮崎さんを撮影できたのは
ご本人には迷惑千万であっただろうし
ディレクターさんも
さぞ大変だったろうけれど
視聴者からすれば拍手喝采の快挙である。
宮崎さんと絵に見入る。
ポニョが「金魚姫」であるところも
なんだか嬉しい。
宮崎監督は、
誰もいないはずの仕事場に入るとき
おはよう、と声をかけるそうだ。
人間はいないけれど、
「なんかいる」らしい。
自室に貼ってある絵葉書の
「アパルトマンの一隅」や
「キャリバンの眠り」やらと
宮崎さんの木霊が重なって、
私の小さな部屋にも
きっと何かいるに違いないと
辺りを見回す。
何が現実で何が幻想かなんて
分からない。
どちらも本物だと信じるほうが
豊かだと思う。
小学校のプールに行く。
夕方以降は区民と一般に
開放されているのだ。
前に見た泳法の動画を思い出しながら
ひたすら平泳ぎをする。
脚力がないためもあってか、
1ストロークであまり進まない。
なにも既定の泳法に
こだわることもないかしらと思いつき
すーい
と身体を伸ばしている間、
軽くバタ足を入れてみることにした。
予想以上に快適である。
金魚だな。
プールという金魚鉢の中を
まん丸の口をぱくつかせて
泳いでいる。
しかし同じところを
ぐるぐると泳いでいるのは
いかにもつまらない。
いっそのこと
このまま海に流れ出ればよいのだが。
あの界隈は住民が少ないのか、
8時を過ぎてほぼ貸切状態となった
がら空きのプールで
ひとり妄想をめぐらせる。
★
いつものように、
一人暮らしの部屋に
ただいまと言って戻る。
ちょうど10時で、
めったに見ないテレビをつける。
今日のプロフェッショナルは
とてもよかった。
「本質の一枚」の瞬間や
本格的な追いこみに突入する前の
不機嫌な宮崎さんを撮影できたのは
ご本人には迷惑千万であっただろうし
ディレクターさんも
さぞ大変だったろうけれど
視聴者からすれば拍手喝采の快挙である。
宮崎さんと絵に見入る。
ポニョが「金魚姫」であるところも
なんだか嬉しい。
宮崎監督は、
誰もいないはずの仕事場に入るとき
おはよう、と声をかけるそうだ。
人間はいないけれど、
「なんかいる」らしい。
自室に貼ってある絵葉書の
「アパルトマンの一隅」や
「キャリバンの眠り」やらと
宮崎さんの木霊が重なって、
私の小さな部屋にも
きっと何かいるに違いないと
辺りを見回す。
何が現実で何が幻想かなんて
分からない。
どちらも本物だと信じるほうが
豊かだと思う。
| ヨコハマメリー 永登元次郎 (2007/02/14) レントラックジャパン この商品の詳細を見る |
久しぶりにレンタル屋さんで
DVDを借りた。
横浜で数十年もの間、
娼婦として生き、
現在は老人ホームで暮らすという
「メリーさん」について
周囲の人たちが語るという
ドキュメンタリー。
生きる糧を得るために
街頭に立ちはするが、
魂までは売らない、
とでも言いたげな
白い服と白塗りの顔は
横浜の光景に妙に調和していた。
「素」では売り物にならないから
仮面をつけるしかないけれど
どんなに巧妙に隠しても
立ち現れてしまう
精神の純粋さを感じさせるひとに
親しみを感じる。
週末の課題だった部屋の片付けは
なんとか、ひと段落した。
山と積まれた本とDMと新聞と雑誌の中から
ソファが顔を出し
久しぶりに座れるようになる。
結局のところ、
片付かない原因の8割は本と紙類である。
これさえ適切に扱えば
80対20の法則からしても
部屋を常に整然たる状態に保てるはずだ。
(たぶん、、、)
職場の机の中は
整然たるものなのだけれど。
この違いは、、、
他人が見るかどうか、
すなわち見栄と若干の利益欲、
そこに長居はしないという認識があるか否か
(つまり無常観か、、、)
そして
実際問題としては
大量に出る不要物を
毎日ゴミ出し+シュレッダーしてるかどうか
の違いなんだろうな、、
つまり、捨てればいいんだ。
(まさしく片付けブログさんの
領域になってきましたね。
見習わねば、、、)
と思いつつ、
カフェオレを作って飲む。
そういえば、一人暮らしを始めた当初は
「おうちカフェ化計画」
(カフェみたいに仕事がはかどる部屋にしよう)
を標榜していたんだっけ。
原点に返らないと、、、。
ともあれ、
ソファに座れるしあわせ(苦笑)
★
夕方から区民プールに行く。
相変わらずクロールの
右側の息継ぎがうまくできない。
いつも2ストロークに1回
左側で息継ぎをしていたのだけれど
どうも3ストロークが良いなと思い始め、
ピンク色のビート板を持ちながら
試行錯誤してみる。
10分休憩には
イメトレまでしてみたけれど
まだ鼻に水が入って、痛い。
平泳ぎは
カエルになれたような気がして好きだ。
得意といえるほど泳ぎは上手ではないけれど、
呼吸さえできれば
ずっと水の中にいたいと思う。
ジャック・マイヨールを
ふと思い出す。
「グランブルー」の
深く深く潜っていく感じがとても好きで、
何度も見たけれど
日本に縁の深いひとだったとは
知らなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB
区民プールは10時半まで開くようになるらしい。
フィットネス並みの営業時間になったのは
喜ばしい。
★
片付けの最中に出てきた
brutusの茂木先生の特集号を
ぱらぱらとめくっていて、
一番最後のページを
いままで読んでいなかったことに
気がついた。
分類できない「その他」でもいい、
美しく深く魅力的なものを
感じ、信じていられれば
どんなにハードな生活でも、、、
というくだりを
何度も読み返す。
その境地が自分が共感している
レベルと違うのは
よく承知しているけれど、
やっぱりわたしにとって先生は
東山魁夷の描く白馬を思わせるような
存在である。
なんとか、ひと段落した。
山と積まれた本とDMと新聞と雑誌の中から
ソファが顔を出し
久しぶりに座れるようになる。
結局のところ、
片付かない原因の8割は本と紙類である。
これさえ適切に扱えば
80対20の法則からしても
部屋を常に整然たる状態に保てるはずだ。
(たぶん、、、)
職場の机の中は
整然たるものなのだけれど。
この違いは、、、
他人が見るかどうか、
すなわち見栄と若干の利益欲、
そこに長居はしないという認識があるか否か
(つまり無常観か、、、)
そして
実際問題としては
大量に出る不要物を
毎日ゴミ出し+シュレッダーしてるかどうか
の違いなんだろうな、、
つまり、捨てればいいんだ。
(まさしく片付けブログさんの
領域になってきましたね。
見習わねば、、、)
と思いつつ、
カフェオレを作って飲む。
そういえば、一人暮らしを始めた当初は
「おうちカフェ化計画」
(カフェみたいに仕事がはかどる部屋にしよう)
を標榜していたんだっけ。
原点に返らないと、、、。
ともあれ、
ソファに座れるしあわせ(苦笑)
★
夕方から区民プールに行く。
相変わらずクロールの
右側の息継ぎがうまくできない。
いつも2ストロークに1回
左側で息継ぎをしていたのだけれど
どうも3ストロークが良いなと思い始め、
ピンク色のビート板を持ちながら
試行錯誤してみる。
10分休憩には
イメトレまでしてみたけれど
まだ鼻に水が入って、痛い。
平泳ぎは
カエルになれたような気がして好きだ。
得意といえるほど泳ぎは上手ではないけれど、
呼吸さえできれば
ずっと水の中にいたいと思う。
ジャック・マイヨールを
ふと思い出す。
「グランブルー」の
深く深く潜っていく感じがとても好きで、
何度も見たけれど
日本に縁の深いひとだったとは
知らなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB
区民プールは10時半まで開くようになるらしい。
フィットネス並みの営業時間になったのは
喜ばしい。
★
片付けの最中に出てきた
brutusの茂木先生の特集号を
ぱらぱらとめくっていて、
一番最後のページを
いままで読んでいなかったことに
気がついた。
分類できない「その他」でもいい、
美しく深く魅力的なものを
感じ、信じていられれば
どんなにハードな生活でも、、、
というくだりを
何度も読み返す。
その境地が自分が共感している
レベルと違うのは
よく承知しているけれど、
やっぱりわたしにとって先生は
東山魁夷の描く白馬を思わせるような
存在である。
年末は多忙を理由に
殆ど大掃除らしきものをしなかったので、
この週末は
「年度末だし」という
よく分からない理由をつけて
大掃除を課していた。
が、昨日は
昼頃からヤフー動画の海外ドラマを
見始めたら止まらなくなって
気がついたら夜になっていた。
ちなみに
検死医マッカラムとかいう
割と昔のBBC番組である。
一人暮らしの悪いところは
こういうことになっても
夜になって我に返るまで、
誰も注意してくれないことである。
そういうわけで、
今日は動画は見ませんよ。
と決意して
音楽をかけている。
せっかく1日聞けるんだから
長いのにしよう
と思って
トリスタンとイゾルデを
かけているが
今ひとつ掃除向きの音楽では
ないのだなあ。
本日の進捗が心配であるが、、、
コーヒーでも飲んで
がんばりましょ。
殆ど大掃除らしきものをしなかったので、
この週末は
「年度末だし」という
よく分からない理由をつけて
大掃除を課していた。
が、昨日は
昼頃からヤフー動画の海外ドラマを
見始めたら止まらなくなって
気がついたら夜になっていた。
ちなみに
検死医マッカラムとかいう
割と昔のBBC番組である。
一人暮らしの悪いところは
こういうことになっても
夜になって我に返るまで、
誰も注意してくれないことである。
そういうわけで、
今日は動画は見ませんよ。
と決意して
音楽をかけている。
せっかく1日聞けるんだから
長いのにしよう
と思って
トリスタンとイゾルデを
かけているが
今ひとつ掃除向きの音楽では
ないのだなあ。
本日の進捗が心配であるが、、、
コーヒーでも飲んで
がんばりましょ。
お天気も良いし
昼ごはんを食べているのは
勿体ないなあ、と思って
ドトールで
アイスカフェモカを買って
ふらふらと散歩に出かけました。
そうしたらね。

ピンク色の花びらが、
ちらほらと。
なんだか、
うふふ、ですね。
(市ヶ谷駅前の小さな公園にて)
昼ごはんを食べているのは
勿体ないなあ、と思って
ドトールで
アイスカフェモカを買って
ふらふらと散歩に出かけました。
そうしたらね。

ピンク色の花びらが、
ちらほらと。
なんだか、
うふふ、ですね。
(市ヶ谷駅前の小さな公園にて)

クオリア日記のお題である
「レディメイド」を考えていて、
お気に入りの風景が
思い浮かんだので、
せっかくだから記事にしておくことにする。
応募作品としては
昨日の「階段」なんだけど、
考えてみたら
赤瀬川さんちっくだったし
ありがちだなあ。
まあいいや。
お気に入りなんだもの(笑)
話が逸れたけれど、上の写真のはなし。
職場に行く途中の
麹町ニ番町にあるベルギー大使館の門。
このマッチング、なんとも絶妙。
★
最近一番のお気に入りは
一昨日あたりの日記に書いた
「夜、バスの中から見ると
照明の加減で宙に浮いた彫刻に見える樹」で
勿論今日もバスの中で
変なひとになりつつ
写真に撮ろうと試みたんだけれど
技術が足りないのと
携帯が悪いのとで
とにかく残念ながら、
そういうふうには撮れなかった。
一応、この木なんだけども

昨日の昼間に撮ったせいもあって
どう見ても
普通の木にしか見えません(笑)

テレビは殆ど見ないのですが、
たまたま雛祭りの日に実家に帰ったときに
流れていた週間こどもニュースで
この話題を扱っていたと記憶しています。
ニュースそれ自体は
極めてよろしくない話なのは勿論ですが、
わたしには
「そう見えてしまった」ので
仕方がありません。
階段を昇った一歩先は
異次元の世界に繋がっているかもしれない、
と想像させる、
じつに愛らしい階段であります。
(すみません、いつもではないのですが、
今はSFっぽいモードでして、、、)
既に撤去されて、
今は存在しないそうですから、
実際に階段を昇って
試してみることができなくて
残念です(笑)
点線部分のない写真を
だいぶ探したのですが、
見つかりませんでした。
念のため、ニュースはこちら↓
http://www.asahi.com/national/update/0302/TKY200703020338.html
(写真も上記サイトから拝借いたしました)
ある刺激的な体験とか
インスピレーションを得るとか
イニシエーションや、
宗教的体験などなどによって
人格が変わる、とか
世界観が変わる
(殆どの場合は良いほうに
変化すると思うのだけれど、、、)
経験というのが
あると思うんだけど
脳のはたらきとしては
やっぱり
「学習」の一種と
分類されるんでしょうかね。
一見複雑に見える現象が
やがて一個の数式で
表されるようになるのかもしれない
と想像すると
とても美しい、とも思うし
反面、
そうなったからといって
現実世界のもろもろは何もかわらず
複雑なままなんだろう、
それもまた美しい
と思ったりする。
帰り道、車窓から
中野区立体育館の前あたりの景色を
ふと見上げたら
彫刻作品のような物体が
目に飛び込んできた。
数秒後、
照明の加減で
木がそんなふうに見えただけだったと
気がついた。
体育館の前の数本の木は、
何故かその数本だけ、
神社にでもありそうな、
太くて立派な幹なのだ。
一旦そう見えてしまうと、
どう見ても
もう彫刻にしか見えなくなる。
そのときから、
わたしにとって、
あの木は特別な存在となったわけで。
こういうことがあるから
人生は楽しい。
納期が迫ってきて
やはり派遣期限の4月末までには
山のような仕事を
終わらせて去らなければならないと
認識をあらたにするに至り
毎日が戦場にいるかのように
殺伐としている。
そんなときに
乾燥したオフィスで中空を眺めながら
鼻先1ミリのところに
別の宇宙があるかもというような
話やら
the elegant universeで見た
異次元をイメージ化した映像を
ふと思い出して
おかしくなる。
自室の壁に貼ってある
エッシャーも、
異次元につながるツールとして
「階段」を用いているだけなのかもしれないと
今更ながら気がついた。
心に「どこでもドア」を持てば
殺伐たる日々の
一抹の救いにはなるだろう。
インスピレーションを得るとか
イニシエーションや、
宗教的体験などなどによって
人格が変わる、とか
世界観が変わる
(殆どの場合は良いほうに
変化すると思うのだけれど、、、)
経験というのが
あると思うんだけど
脳のはたらきとしては
やっぱり
「学習」の一種と
分類されるんでしょうかね。
一見複雑に見える現象が
やがて一個の数式で
表されるようになるのかもしれない
と想像すると
とても美しい、とも思うし
反面、
そうなったからといって
現実世界のもろもろは何もかわらず
複雑なままなんだろう、
それもまた美しい
と思ったりする。
帰り道、車窓から
中野区立体育館の前あたりの景色を
ふと見上げたら
彫刻作品のような物体が
目に飛び込んできた。
数秒後、
照明の加減で
木がそんなふうに見えただけだったと
気がついた。
体育館の前の数本の木は、
何故かその数本だけ、
神社にでもありそうな、
太くて立派な幹なのだ。
一旦そう見えてしまうと、
どう見ても
もう彫刻にしか見えなくなる。
そのときから、
わたしにとって、
あの木は特別な存在となったわけで。
こういうことがあるから
人生は楽しい。
納期が迫ってきて
やはり派遣期限の4月末までには
山のような仕事を
終わらせて去らなければならないと
認識をあらたにするに至り
毎日が戦場にいるかのように
殺伐としている。
そんなときに
乾燥したオフィスで中空を眺めながら
鼻先1ミリのところに
別の宇宙があるかもというような
話やら
the elegant universeで見た
異次元をイメージ化した映像を
ふと思い出して
おかしくなる。
自室の壁に貼ってある
エッシャーも、
異次元につながるツールとして
「階段」を用いているだけなのかもしれないと
今更ながら気がついた。
心に「どこでもドア」を持てば
殺伐たる日々の
一抹の救いにはなるだろう。
自分の物理の理解レベルからすれば
高度だと思われる
超ひも理論の話を「勢い」で
聞きにいってみて、
間接的に効果があがった点がある。
もちろん直接の効果とは
超ひも理論のイメージが
なんとなく(笑)つかめたということ。
只今これ↓見ながら復習してますが
http://www.pbs.org/wgbh/nova/elegant/program.html
なかなかいいですよ、これ。
全部見ると長いらしいんですが、
24コマに細分化されているので
食事しながら見たりするのに適してます。
(わたし的にはですが)
で、間接的な作用というのは、
哲学とか抽象論ぽい内容の本
(目下、具体的には中沢新一さんなんだけど)
を読むスピードが格段に上がったことと
読みながら思考停止状態に陥る回数が
減ったこと。
思考停止状態というのは
たぶん
実際に理解するのが難しくて陥る
というよりも、
「難しそうな雰囲気」を察知して
事前に陥ってしまうことが
多いような気がする。
より難解なものに比べれば
比較的理解可能、と
自然に比較モードにもっていくために
たまに
思いっきり難しそうなことを
考える経験をしてみるのは
必要なことなのかもしれない。
高度だと思われる
超ひも理論の話を「勢い」で
聞きにいってみて、
間接的に効果があがった点がある。
もちろん直接の効果とは
超ひも理論のイメージが
なんとなく(笑)つかめたということ。
只今これ↓見ながら復習してますが
http://www.pbs.org/wgbh/nova/elegant/program.html
なかなかいいですよ、これ。
全部見ると長いらしいんですが、
24コマに細分化されているので
食事しながら見たりするのに適してます。
(わたし的にはですが)
で、間接的な作用というのは、
哲学とか抽象論ぽい内容の本
(目下、具体的には中沢新一さんなんだけど)
を読むスピードが格段に上がったことと
読みながら思考停止状態に陥る回数が
減ったこと。
思考停止状態というのは
たぶん
実際に理解するのが難しくて陥る
というよりも、
「難しそうな雰囲気」を察知して
事前に陥ってしまうことが
多いような気がする。
より難解なものに比べれば
比較的理解可能、と
自然に比較モードにもっていくために
たまに
思いっきり難しそうなことを
考える経験をしてみるのは
必要なことなのかもしれない。
最近、大学サイトを徘徊するのが
趣味になっていて、
特定の大学を定期的にチェックしている。
昼から起き出して
学生さん主催の模擬裁判を見に行く。
地下鉄の出口から早稲田にかけての
道沿いには
白い木蓮の花が見事に咲いていた。
法廷モノが好きなのは確かで、
古いのでは
12人の怒れる男だの
"Ally Mcbeal" "The Practice"
あたりは死ぬほど見たし
最近では周防監督のも見た。
最初にどなたかの挨拶があって、
今日ご来場の皆様は
早稲田が好きなのか、裁判が好きなのか、
なんだかよく分かりませんが、
よくいらっしゃいました、
みたいなことをおっしゃって、
確かに我ながら、
単なる興味で
4時間の長丁場に耐えられたのは
余程のもの好きである。
法律への関心は無いわけではなくて
数年前
(つまり今みたいに
派遣系を転々としつつ
精神的放浪を始めたころ)
から
社労士だ宅建だビジ法だと
割に簡単めの法律系資格の勉強はした。
一応将来の職業を考えつつ
勉強していたはずなのだけれど、
いつも詰めが甘くて
というか、
概要が分かって記憶の段階に入り
職業としての現実が見えてくると
途端に意欲がなくなって
授業料を負担してくれた人への義理を果たすために
形だけ試験は受けるものの
合格したタメシがない。
本当に
中途半端の権化みたいな人間である。
たぶん今後も
資格の勉強は
余程のことがない限り、しないと思う。
ともあれ、
最近の学生さんは
1年生2年生の集まりという割に
なかなかにしっかりしていて、
一般向けの解説も入ったりして、
面白かった。
事件は
路上で通行人を殴り、
所持金10数万円の通行人から
一万円を奪って逃げた男の罪状について、
殴った時点でお金を奪う意志があったかなかったか、
つまり争点は
強盗致傷罪か、傷害罪+恐喝罪か、
という話だった。
判決には不服だなあと思いながら聞いていたけれど、
最後に、
そもそも罪状の争点が違うんじゃないのという
教授の講評に丸ごとひっくり返されて、
後味よく楽しかった。
最近、おやじが卓袱台をひっくり返すように
前提条件が「おしゃか」になるのが
楽しくてたまらない。
★
帰路、
中野のユニクロで服を買い、
(ユニクロは最近復活した感があって
悪くないのだ)
本屋で立読みして、
帰宅。
夜勤も終わって
自分に言い訳もできなくなったことだし
真面目に日常生活を正さないと、
なぞと思いながら、
掃除をしている。
掃除は人生の基本だし。
(by イエローハット鍵山さんの
『凡事徹底』尊敬してます)
★
昨日立読みしていてずんときた
茨木のり子さんの詩
(たぶん前にどこかで読んだと思うのだけれど
どこでだったか思い出せない)
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
「倚りかからず」
もはや
できあいの思想にはよりかかりたくない
もはや
できあいの宗教にはよりかかりたくはない
もはや
できあいの学問にはよりかかりたくはない
もはや
いかなる権威にもよりかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
よりかかるとすれば
それは
いすの背もたれだけ
★
今日買った本
人物で語る物理入門(上下)
理系本は図書館で重たい単行本を借りても
2週間使ってさえ読みきれないことを
遅まきながら認識。
今後は軽い新書本を持ち歩くことにする。
ホンモノの思考力
樋口さんのこの本は
最近さとった(笑)
論理と思考は違うぞという話が
あったことと、
ホンモノの思考力そのものは論じきれないという
正直な前提に立っているところに
親しみを感じた。
殆ど本屋さんで
立読みし終わったのだけれど、
最後の実践編のあたりを
切り取ってしばらく持って歩こうかと思い、購入。
ニホン人の謙譲の悪徳、
みたいなところが自分にもあって
分からないことは話さない、とか
分からないことは分からないと正直に言う、
みたいな習慣を
知らないうちに植えつけられているのだけれど、
あんまり正直すぎるのは
自分のためになりませんね。
分からないことでも
分かった顔して話してみる、
「背伸び」しているうちにホンモノになる、
とか
マルクスにかぶれて語ってた若者が
そのうちかぶれじゃなくて
ホンモノの思考力がついてくる、
そういう
「かぶれ」てるうちにホンモノになる、
みたいなあたりを
ちょっと試してみようと思う。
趣味になっていて、
特定の大学を定期的にチェックしている。
昼から起き出して
学生さん主催の模擬裁判を見に行く。
地下鉄の出口から早稲田にかけての
道沿いには
白い木蓮の花が見事に咲いていた。
法廷モノが好きなのは確かで、
古いのでは
12人の怒れる男だの
"Ally Mcbeal" "The Practice"
あたりは死ぬほど見たし
最近では周防監督のも見た。
最初にどなたかの挨拶があって、
今日ご来場の皆様は
早稲田が好きなのか、裁判が好きなのか、
なんだかよく分かりませんが、
よくいらっしゃいました、
みたいなことをおっしゃって、
確かに我ながら、
単なる興味で
4時間の長丁場に耐えられたのは
余程のもの好きである。
法律への関心は無いわけではなくて
数年前
(つまり今みたいに
派遣系を転々としつつ
精神的放浪を始めたころ)
から
社労士だ宅建だビジ法だと
割に簡単めの法律系資格の勉強はした。
一応将来の職業を考えつつ
勉強していたはずなのだけれど、
いつも詰めが甘くて
というか、
概要が分かって記憶の段階に入り
職業としての現実が見えてくると
途端に意欲がなくなって
授業料を負担してくれた人への義理を果たすために
形だけ試験は受けるものの
合格したタメシがない。
本当に
中途半端の権化みたいな人間である。
たぶん今後も
資格の勉強は
余程のことがない限り、しないと思う。
ともあれ、
最近の学生さんは
1年生2年生の集まりという割に
なかなかにしっかりしていて、
一般向けの解説も入ったりして、
面白かった。
事件は
路上で通行人を殴り、
所持金10数万円の通行人から
一万円を奪って逃げた男の罪状について、
殴った時点でお金を奪う意志があったかなかったか、
つまり争点は
強盗致傷罪か、傷害罪+恐喝罪か、
という話だった。
判決には不服だなあと思いながら聞いていたけれど、
最後に、
そもそも罪状の争点が違うんじゃないのという
教授の講評に丸ごとひっくり返されて、
後味よく楽しかった。
最近、おやじが卓袱台をひっくり返すように
前提条件が「おしゃか」になるのが
楽しくてたまらない。
★
帰路、
中野のユニクロで服を買い、
(ユニクロは最近復活した感があって
悪くないのだ)
本屋で立読みして、
帰宅。
夜勤も終わって
自分に言い訳もできなくなったことだし
真面目に日常生活を正さないと、
なぞと思いながら、
掃除をしている。
掃除は人生の基本だし。
(by イエローハット鍵山さんの
『凡事徹底』尊敬してます)
★
昨日立読みしていてずんときた
茨木のり子さんの詩
(たぶん前にどこかで読んだと思うのだけれど
どこでだったか思い出せない)
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
「倚りかからず」
もはや
できあいの思想にはよりかかりたくない
もはや
できあいの宗教にはよりかかりたくはない
もはや
できあいの学問にはよりかかりたくはない
もはや
いかなる権威にもよりかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
よりかかるとすれば
それは
いすの背もたれだけ
★
今日買った本
人物で語る物理入門(上下)
理系本は図書館で重たい単行本を借りても
2週間使ってさえ読みきれないことを
遅まきながら認識。
今後は軽い新書本を持ち歩くことにする。
ホンモノの思考力
樋口さんのこの本は
最近さとった(笑)
論理と思考は違うぞという話が
あったことと、
ホンモノの思考力そのものは論じきれないという
正直な前提に立っているところに
親しみを感じた。
殆ど本屋さんで
立読みし終わったのだけれど、
最後の実践編のあたりを
切り取ってしばらく持って歩こうかと思い、購入。
ニホン人の謙譲の悪徳、
みたいなところが自分にもあって
分からないことは話さない、とか
分からないことは分からないと正直に言う、
みたいな習慣を
知らないうちに植えつけられているのだけれど、
あんまり正直すぎるのは
自分のためになりませんね。
分からないことでも
分かった顔して話してみる、
「背伸び」しているうちにホンモノになる、
とか
マルクスにかぶれて語ってた若者が
そのうちかぶれじゃなくて
ホンモノの思考力がついてくる、
そういう
「かぶれ」てるうちにホンモノになる、
みたいなあたりを
ちょっと試してみようと思う。
昨日の話と繋がるけれど、
今日本屋でどなたかの
論理力トレーニングみたいな本の
序文を読んでいて、
これも
なんというか
お導き、みたいな(笑)
感じで出会った文章なんだけど、
論理力と思考力って
違うんですよね、やっぱり。
実はわたし、論理力の問題って
かなり正答率高いんですよ。
なのにどうして
うまく考えられないのかなとか
たまに悩んでたんですが。
思考ってのは
トップダウンのひらめき的な性質のもので、
それを後から他人に分かるように
語るために論理力が要るんだと。
やっぱり論理力トレーニングしても
思考力はつかないだねー。
って、こんなこと分かって
喜んでちゃいけないのだけれど。
やっぱり努力の方向性が間違ってたんだ。
これからは
正しい方向に努力したい。
今日本屋でどなたかの
論理力トレーニングみたいな本の
序文を読んでいて、
これも
なんというか
お導き、みたいな(笑)
感じで出会った文章なんだけど、
論理力と思考力って
違うんですよね、やっぱり。
実はわたし、論理力の問題って
かなり正答率高いんですよ。
なのにどうして
うまく考えられないのかなとか
たまに悩んでたんですが。
思考ってのは
トップダウンのひらめき的な性質のもので、
それを後から他人に分かるように
語るために論理力が要るんだと。
やっぱり論理力トレーニングしても
思考力はつかないだねー。
って、こんなこと分かって
喜んでちゃいけないのだけれど。
やっぱり努力の方向性が間違ってたんだ。
これからは
正しい方向に努力したい。
4ヶ月続いた週末の夜勤が
やっと終わった。
今だから言えるけど、
金曜と土曜の夜中だから
社内はおろか、ビル内にさえ
自分以外に殆ど人がいたためしがない状況で、
セキュリティ的にも
かなりサムい状況だった。
ラッキーにも、何事もなく終了。
横浜に行く。
午後から竹内薫さんの
「超ひも理論」の話を聞くのである。
早く着いてしまったので
横浜美術館をぐるりと回る。
★
受講者に文系か理系かと問われ、
挙手からはじまった竹内さんのお話は、
謳い文句どおり、
数式を使わず、文系向けに
超ひも理論を話すという難題を2時間弱で
見事全うされた。
全部理解できたとは
とても言えないけれど、
概要がつかめて、超ひも理論とは面白いものだと
分かった。
多分それだけで十二分だと思う。
あとは本を読んで復習するべし。
最後は
超ひも理論は森羅万象、
宇宙をまるごと説明できる可能性のある理論なのだ
というところから
実は宇宙は重層的に並存しているかもしれないという
かなり飛躍的な展開に着地したところで
えらく感動してしまった。
(というか未確認事項が多いらしいので
丸ごと信じてはいけないらしいけれど、
でも想像するだけでそれは
なかなかスリリングな説なわけで。
詳しくは竹内さんの本に出ているそうです)
本筋からはずれるけれど、
対称性のお話、これはタイムリーで
刺激的だった。
対称、というと
2つの三角形があって、それは対称か、
というような
非常に幼稚な問題のイメージしか
いつも湧かなかったのだけれど
超ひも理論に出てくる対称の話っていうのは
すごくて、
「大きいことと小さいことは区別がつかない」
といっても訳が分からないけれど
(何より本人がちゃんと理解してないわけで
文章なんか書けるわけもないので
ご興味ある方はご自身で参考書でも
読んでいただきたいけれど)
なんか
Rと1/Rって明らかに違う数なのに、
それを入れ替えても方程式は変わらない
らしいんだよね。
大きくても小さくても同じって
そんなの常識的にありえないじゃないですか。
それが一番常識っぽい感じのする
物理とか数学的に、
そういう意味不明なことが、ありだっていうのは、
なんかひどい話じゃないですか。
といいつつ、常識がひっくり返されるのって
妙に快感なのだ。
もっともっと。って感じで。
あぶないかしら(笑)
今読んでる対称性人類学に
微妙にからんでる気もしていて、
ひもとDブレーンを入れ替えても
方程式は変わらないとかね、
数字におちょくられてる感じがして、
ひどいっていうか、でもなんか
すごいと思うのね。
とにかく、数学オンチのわたくしが
こういう心境になってるってことだけで。
まずはこれだけで、
自分を褒めてあげたい。
ずいぶん成長したね、わたし。
ぐっすん。(感涙)
追加:講義でお勧めされてたサイト(英語 英語字幕あり)
http://www.pbs.org/wgbh/nova/elegant/program.html
いま見てます。
★
ダヴィンチ見に行きたいなあ。
汐留と新美術館にも行かないと。
やっと終わった。
今だから言えるけど、
金曜と土曜の夜中だから
社内はおろか、ビル内にさえ
自分以外に殆ど人がいたためしがない状況で、
セキュリティ的にも
かなりサムい状況だった。
ラッキーにも、何事もなく終了。
横浜に行く。
午後から竹内薫さんの
「超ひも理論」の話を聞くのである。
早く着いてしまったので
横浜美術館をぐるりと回る。
★
受講者に文系か理系かと問われ、
挙手からはじまった竹内さんのお話は、
謳い文句どおり、
数式を使わず、文系向けに
超ひも理論を話すという難題を2時間弱で
見事全うされた。
全部理解できたとは
とても言えないけれど、
概要がつかめて、超ひも理論とは面白いものだと
分かった。
多分それだけで十二分だと思う。
あとは本を読んで復習するべし。
最後は
超ひも理論は森羅万象、
宇宙をまるごと説明できる可能性のある理論なのだ
というところから
実は宇宙は重層的に並存しているかもしれないという
かなり飛躍的な展開に着地したところで
えらく感動してしまった。
(というか未確認事項が多いらしいので
丸ごと信じてはいけないらしいけれど、
でも想像するだけでそれは
なかなかスリリングな説なわけで。
詳しくは竹内さんの本に出ているそうです)
本筋からはずれるけれど、
対称性のお話、これはタイムリーで
刺激的だった。
対称、というと
2つの三角形があって、それは対称か、
というような
非常に幼稚な問題のイメージしか
いつも湧かなかったのだけれど
超ひも理論に出てくる対称の話っていうのは
すごくて、
「大きいことと小さいことは区別がつかない」
といっても訳が分からないけれど
(何より本人がちゃんと理解してないわけで
文章なんか書けるわけもないので
ご興味ある方はご自身で参考書でも
読んでいただきたいけれど)
なんか
Rと1/Rって明らかに違う数なのに、
それを入れ替えても方程式は変わらない
らしいんだよね。
大きくても小さくても同じって
そんなの常識的にありえないじゃないですか。
それが一番常識っぽい感じのする
物理とか数学的に、
そういう意味不明なことが、ありだっていうのは、
なんかひどい話じゃないですか。
といいつつ、常識がひっくり返されるのって
妙に快感なのだ。
もっともっと。って感じで。
あぶないかしら(笑)
今読んでる対称性人類学に
微妙にからんでる気もしていて、
ひもとDブレーンを入れ替えても
方程式は変わらないとかね、
数字におちょくられてる感じがして、
ひどいっていうか、でもなんか
すごいと思うのね。
とにかく、数学オンチのわたくしが
こういう心境になってるってことだけで。
まずはこれだけで、
自分を褒めてあげたい。
ずいぶん成長したね、わたし。
ぐっすん。(感涙)
追加:講義でお勧めされてたサイト(英語 英語字幕あり)
http://www.pbs.org/wgbh/nova/elegant/program.html
いま見てます。
★
ダヴィンチ見に行きたいなあ。
汐留と新美術館にも行かないと。
論文というものを読むようになったのは
朝日カルチャーセンターの
茂木先生の講座に行くようになって
からである。
今日セレクトされたのは
カケスの予測・計画能力に関するものだった。
ひと通り論文の流れを
ご説明いただいたところで
どうも釈然としないままでいた。
実験の概要は分かるけれど、
何故こういう実験をしたのか
という、そもそもの発端というか、
その気持ちが分からないのだ。
わたしはいつもこんな具合で、
そもそも何故こうなのか、
というところが気になりはじめると
方法論は明解でも、どうもすっきりしない。
こういうところが頑固なんだよなあ。
と頭が脇道に逸れかけたところで
次にどんな実験をすればよいか、とかね、
と先生の声が聞こえてきたので、
流れで、
はて次は何をしようかと
かなり無理やり、研究者さんの身になった。
いや、次というより、
そもそもこの実験は
何故こういう方法でなければ
ならなかったのか、
本当のところ、一体何がしたかったのかと。
すぐに答えは出なかったものの、
そのときはじめて、
この論文はこれで終わるのではなくて
遠大な何かに辿り着くための
ごく一部なのだという
至極当然のことに対する実感が伴い
本日のテーマであった
芸術とはアカデミズムの最高の表現形態であり
サイエンスはその何分の一か何十分の一しか
明らかにしてはいない
というお話に繋がった。
そこに
「それが考えるってことなんだよ」
という声がかぶって、
「!」
と、さとりが開けたみたいな
気分になった。
いや実際はその予感だけで、
何も開けちゃいないのだけれど。
昨日のプロフェッショナルで
考え続ける忍耐さえあれば
その瞬間は来る、と話されていたのを
思い出した。
ここのところ、
自分は考える材料は集めているものの
考えていないんじゃないか
と感じていて、
その手の本は沢山読んだけれど
それは方法論というかツールの問題で
考え方の話じゃあないでしょう
と思っており。
確かそういう話も
昨日のテレビで出た気がするのだけれど
とにかくそれは
前から自分も思っていたことで。
カントの授業のお話を彷彿とする
すぐれた思考はどのように
生成されるのかという
最も重要な部分の
その兆しを
わずかなりとも掴むことができた、
わたしにとって
非常に心に残る講義となった。
★
そういえば、
今朝、家を出てバス停で、
この冬はじめての雪を見ました。
雨粒よりも小さかったけれど、
あれは確かに雪でした。
(観測地点:東京都中野区)
朝日カルチャーセンターの
茂木先生の講座に行くようになって
からである。
今日セレクトされたのは
カケスの予測・計画能力に関するものだった。
ひと通り論文の流れを
ご説明いただいたところで
どうも釈然としないままでいた。
実験の概要は分かるけれど、
何故こういう実験をしたのか
という、そもそもの発端というか、
その気持ちが分からないのだ。
わたしはいつもこんな具合で、
そもそも何故こうなのか、
というところが気になりはじめると
方法論は明解でも、どうもすっきりしない。
こういうところが頑固なんだよなあ。
と頭が脇道に逸れかけたところで
次にどんな実験をすればよいか、とかね、
と先生の声が聞こえてきたので、
流れで、
はて次は何をしようかと
かなり無理やり、研究者さんの身になった。
いや、次というより、
そもそもこの実験は
何故こういう方法でなければ
ならなかったのか、
本当のところ、一体何がしたかったのかと。
すぐに答えは出なかったものの、
そのときはじめて、
この論文はこれで終わるのではなくて
遠大な何かに辿り着くための
ごく一部なのだという
至極当然のことに対する実感が伴い
本日のテーマであった
芸術とはアカデミズムの最高の表現形態であり
サイエンスはその何分の一か何十分の一しか
明らかにしてはいない
というお話に繋がった。
そこに
「それが考えるってことなんだよ」
という声がかぶって、
「!」
と、さとりが開けたみたいな
気分になった。
いや実際はその予感だけで、
何も開けちゃいないのだけれど。
昨日のプロフェッショナルで
考え続ける忍耐さえあれば
その瞬間は来る、と話されていたのを
思い出した。
ここのところ、
自分は考える材料は集めているものの
考えていないんじゃないか
と感じていて、
その手の本は沢山読んだけれど
それは方法論というかツールの問題で
考え方の話じゃあないでしょう
と思っており。
確かそういう話も
昨日のテレビで出た気がするのだけれど
とにかくそれは
前から自分も思っていたことで。
カントの授業のお話を彷彿とする
すぐれた思考はどのように
生成されるのかという
最も重要な部分の
その兆しを
わずかなりとも掴むことができた、
わたしにとって
非常に心に残る講義となった。
★
そういえば、
今朝、家を出てバス停で、
この冬はじめての雪を見ました。
雨粒よりも小さかったけれど、
あれは確かに雪でした。
(観測地点:東京都中野区)
洋楽は殆ど聞かないので、
グループ名も初めて知ったし
たまたま見かけただけなんだけど、
よく見かける日本の男子5人組とは雲泥の
いい仕上がりのライブでした。
http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0009788/
明日の正午までだって。
★
茂木先生の早稲田のシンポジウムの
録音を聞く。
(憧れの郡司さんと塩谷さんの声も聞こえる。
一度対談などのお話を伺ってみたいものである)
前の職場の同僚さんから
久々にメールをもらった。
WEBクリエーター目指して
がんばってるそうで。
そういえば私も一時期
同様の進路を考えてたことが
あったっけ。。。
今は遥か違う方向に向かっておりますが、、、
おのおのがた、
心の赴くままに行きましょう。
春は志も芽吹く季節でありますなあ。
グループ名も初めて知ったし
たまたま見かけただけなんだけど、
よく見かける日本の男子5人組とは雲泥の
いい仕上がりのライブでした。
http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0009788/
明日の正午までだって。
★
茂木先生の早稲田のシンポジウムの
録音を聞く。
(憧れの郡司さんと塩谷さんの声も聞こえる。
一度対談などのお話を伺ってみたいものである)
前の職場の同僚さんから
久々にメールをもらった。
WEBクリエーター目指して
がんばってるそうで。
そういえば私も一時期
同様の進路を考えてたことが
あったっけ。。。
今は遥か違う方向に向かっておりますが、、、
おのおのがた、
心の赴くままに行きましょう。
春は志も芽吹く季節でありますなあ。
母は昭和5年の生まれである。
わたしは彼女が40歳を過ぎて生まれた
一人っ子だからして
年齢差が激しい。
昨今見かける「姉妹のような母娘」
を見ると羨ましい限りである。
母は10人生まれた兄弟のなかで
成人まで育ったとのは8人だけ、
さらに戦争で亡くなった方もいるという時代に
育ったひとなので
人間が生存している、ということに対する
感じ方が
多分、わたしなんかとは違うのだ。
10年前から数年前にかけて
わたしが実家を離れて北陸に住んでいた頃、
母は電話をかけてくると、
「生きてるかしらねえと思ったのよ」
とよく言った。
親の心配というのは、
子供がしっかりご飯を食べているだろうか、
とか
病気になっていやしないだろうか、
というような
生活の非常に基礎的な部分を
案じてくれるありがたいものだと
聞いてはいたけれど、
母の場合は
「元気で生きているか」
の前に、
「死んでいないか」が
先に来るのである。
その影響を受けてなのか、
わたしも人のことをふと考えるときは
「とりあえず、生きてるかしら」
から始まる。
生きていれば、まあ大丈夫だろう
というような。
最近はブログの類やメルマガなどを利用して
自身が生存していることを
アピールしてくれるひとが多いから、
(もちろんご自身は
生存をアピールしているつもりはないだろうけれど)
それが更新されることが
ある意味、生きていることの
証明でもある、
とわたしは勝手に受けとめている。
生きてるからこそ
いろいろ大変なこともあるに
違いはないから
生きているからといって
諸手を挙げて万歳三唱できるわけではないけれど
とりあえずご縁のあったひとたちが
この世界にとどまっていてくれれば
わたしはうれしい。
不真面目にだらだら生きてたっていいし
熱く生きてくれても構わないし。
とりあえず生きて呼吸してるんだって
ことが分かれば、
それでうれしいんだよ。
そう思うんである。
わたしは彼女が40歳を過ぎて生まれた
一人っ子だからして
年齢差が激しい。
昨今見かける「姉妹のような母娘」
を見ると羨ましい限りである。
母は10人生まれた兄弟のなかで
成人まで育ったとのは8人だけ、
さらに戦争で亡くなった方もいるという時代に
育ったひとなので
人間が生存している、ということに対する
感じ方が
多分、わたしなんかとは違うのだ。
10年前から数年前にかけて
わたしが実家を離れて北陸に住んでいた頃、
母は電話をかけてくると、
「生きてるかしらねえと思ったのよ」
とよく言った。
親の心配というのは、
子供がしっかりご飯を食べているだろうか、
とか
病気になっていやしないだろうか、
というような
生活の非常に基礎的な部分を
案じてくれるありがたいものだと
聞いてはいたけれど、
母の場合は
「元気で生きているか」
の前に、
「死んでいないか」が
先に来るのである。
その影響を受けてなのか、
わたしも人のことをふと考えるときは
「とりあえず、生きてるかしら」
から始まる。
生きていれば、まあ大丈夫だろう
というような。
最近はブログの類やメルマガなどを利用して
自身が生存していることを
アピールしてくれるひとが多いから、
(もちろんご自身は
生存をアピールしているつもりはないだろうけれど)
それが更新されることが
ある意味、生きていることの
証明でもある、
とわたしは勝手に受けとめている。
生きてるからこそ
いろいろ大変なこともあるに
違いはないから
生きているからといって
諸手を挙げて万歳三唱できるわけではないけれど
とりあえずご縁のあったひとたちが
この世界にとどまっていてくれれば
わたしはうれしい。
不真面目にだらだら生きてたっていいし
熱く生きてくれても構わないし。
とりあえず生きて呼吸してるんだって
ことが分かれば、
それでうれしいんだよ。
そう思うんである。
中央線は地上を走るから好きだ。
満員は窮屈でも、窓から外を眺められる。
バスに乗るときでも、
景色が開けている
左側の一番前に座ることが多い。
子供が好む席だ。
子供の頃からずっと、今も、
空いていればそこに座っている。
レクイエムを聴きながら
外を眺めていたら
また視線が著しく固定してしまったらしい。
気がつくと
隣にいたおじさんが
変な顔をして私の視線の先をうかがっていた。
だからさ、
空が、光があるだけだってば。
こんなにも世界には
光が溢れているって、
ただそれだけ。
満員は窮屈でも、窓から外を眺められる。
バスに乗るときでも、
景色が開けている
左側の一番前に座ることが多い。
子供が好む席だ。
子供の頃からずっと、今も、
空いていればそこに座っている。
レクイエムを聴きながら
外を眺めていたら
また視線が著しく固定してしまったらしい。
気がつくと
隣にいたおじさんが
変な顔をして私の視線の先をうかがっていた。
だからさ、
空が、光があるだけだってば。
こんなにも世界には
光が溢れているって、
ただそれだけ。
朝方5時頃目が覚めて
トリスタンとイゾルデを聴き始めたら
会社に行くのが億劫になってしまって
休んでしまった。
(どうせ今日も取引先相手に
値引き交渉をするだけであるからして。
全くやる気なし、、、)
何の役にも立ちそうにないものに
惹かれてしまう。
でも、こういうときは、
ちゃんと働いて
バランスとっとかないと危険である。
(けっこう真面目にそう思う)
明日は働こう(笑)
★
結局、
保坂さんの小説とか読みながら
神々の黄昏をもう一回見ているうちに
夜になった。
物語の筋書きは
1幕につき3行ぐらいで書けるわけだけれど
そこからこれだけの世界ができあがるってのは
すごいなあと思う。
筋書きは単純なほうが
出来上がる世界が豊かな気がする。
それぞれの人間に
表裏というか、意識と無意識、明暗
のような描かれかたが深いやと見終わってから、
ふと思いたって
こないだのワグナーの対談はどんな話だったっけ、
と録音をもう一回聞いてみたら、
そういう話だった。
自分が感じたことだと思ったところが
実は話を聞いて事前知識としてあったわけ
でありました。
なーんだ(笑)
最近自分が考えたことなのか
ひとの考えを再認識してるだけなのか
区別がついていないことが多いかもしれない。
まあいいや。
相変わらず基本的方向性は
茂木先生なのであるけれど、
とりあえず
竹内さんの朝カル数学セミナーに申し込む。
数学は今後の人生における長期課題なり。
真面目に多摩美の聴講を考えている。
去年も一時期、多摩美は候補の一つだった。
私立大はチェックが厳しいかもしれない。
通信からうまくもぐれないかしら、とかいろいろ画策中。
でも4月にならないと
時間割とか分からないんだろうなあ。
そんなわけで(?)
冷えますね。
自室では殆ど暖房は使わない。
おふろにはいって
さっさと寝るに限るんである。
トリスタンとイゾルデを聴き始めたら
会社に行くのが億劫になってしまって
休んでしまった。
(どうせ今日も取引先相手に
値引き交渉をするだけであるからして。
全くやる気なし、、、)
何の役にも立ちそうにないものに
惹かれてしまう。
でも、こういうときは、
ちゃんと働いて
バランスとっとかないと危険である。
(けっこう真面目にそう思う)
明日は働こう(笑)
★
結局、
保坂さんの小説とか読みながら
神々の黄昏をもう一回見ているうちに
夜になった。
物語の筋書きは
1幕につき3行ぐらいで書けるわけだけれど
そこからこれだけの世界ができあがるってのは
すごいなあと思う。
筋書きは単純なほうが
出来上がる世界が豊かな気がする。
それぞれの人間に
表裏というか、意識と無意識、明暗
のような描かれかたが深いやと見終わってから、
ふと思いたって
こないだのワグナーの対談はどんな話だったっけ、
と録音をもう一回聞いてみたら、
そういう話だった。
自分が感じたことだと思ったところが
実は話を聞いて事前知識としてあったわけ
でありました。
なーんだ(笑)
最近自分が考えたことなのか
ひとの考えを再認識してるだけなのか
区別がついていないことが多いかもしれない。
まあいいや。
相変わらず基本的方向性は
茂木先生なのであるけれど、
とりあえず
竹内さんの朝カル数学セミナーに申し込む。
数学は今後の人生における長期課題なり。
真面目に多摩美の聴講を考えている。
去年も一時期、多摩美は候補の一つだった。
私立大はチェックが厳しいかもしれない。
通信からうまくもぐれないかしら、とかいろいろ画策中。
でも4月にならないと
時間割とか分からないんだろうなあ。
そんなわけで(?)
冷えますね。
自室では殆ど暖房は使わない。
おふろにはいって
さっさと寝るに限るんである。
23時10分、
電話のマナー音で起きたら
バイト先からだった。
DVDをかけながら寝る前に
「目覚ましをかける」
という手順を無意識に飛ばしていた。
不覚。。。
すいません。。。
たまたま社員さんが
徹夜で社内にいらしたためか
大事に至らず許してもらって、
お休みさせていただいた。
★
朝、ベッドで目覚める幸せ。
先日、茂木先生と山崎さんという方の
ワグナーの話の録音を聞いて、
神々の黄昏の
「とりあえずメトロポリタンじゃないの」
を買ってみた。
固有名詞を覚えるのが苦手なので
外れていたら
ごめんなさい、だけれど
確かお話の中で出てきたような気がする
シュトゥットガルトである。
オペラって「演技」が
どういう位置づけを持っているのか
素人なので分からないけれど、
今まで見たオペラの中でいちばん
演出らしき演出がされているようで
面白かった。
確か3幕が愁眉だという話だった
気がするんだけれど、
2幕の終わりでダウン。
★
15時、ふたたび覚醒。
建物を見るのは好きなんですが、
一番好きなのが窓なんですよね。
たまたま見たこちらのサイトで見かけた
http://www.japan-architect.co.jp/japanese/5info/10information/exhibition.html#356
窓の図鑑展
http://www.casedepon.com/jp/pluscase/schedule/index.html
ブログも更新されているようで、
http://madozukan.exblog.jp/
これ、すごいツボにはまりまして、
またまたよく分からないままに
いま電話して
3月17日の講演会に申し込んでみました。
★
その他、仕事を休んで参加すべきか
検討中のもろもろ。
http://www.interaction-ipsj.org/index.html
http://ecs.c.u-tokyo.ac.jp/activity/activity.html#Cohen
その他、私向きの面白そうなイベントあったら
教えてください。
電話のマナー音で起きたら
バイト先からだった。
DVDをかけながら寝る前に
「目覚ましをかける」
という手順を無意識に飛ばしていた。
不覚。。。
すいません。。。
たまたま社員さんが
徹夜で社内にいらしたためか
大事に至らず許してもらって、
お休みさせていただいた。
★
朝、ベッドで目覚める幸せ。
先日、茂木先生と山崎さんという方の
ワグナーの話の録音を聞いて、
神々の黄昏の
「とりあえずメトロポリタンじゃないの」
を買ってみた。
固有名詞を覚えるのが苦手なので
外れていたら
ごめんなさい、だけれど
確かお話の中で出てきたような気がする
シュトゥットガルトである。
オペラって「演技」が
どういう位置づけを持っているのか
素人なので分からないけれど、
今まで見たオペラの中でいちばん
演出らしき演出がされているようで
面白かった。
確か3幕が愁眉だという話だった
気がするんだけれど、
2幕の終わりでダウン。
★
15時、ふたたび覚醒。
建物を見るのは好きなんですが、
一番好きなのが窓なんですよね。
たまたま見たこちらのサイトで見かけた
http://www.japan-architect.co.jp/japanese/5info/10information/exhibition.html#356
窓の図鑑展
http://www.casedepon.com/jp/pluscase/schedule/index.html
ブログも更新されているようで、
http://madozukan.exblog.jp/
これ、すごいツボにはまりまして、
またまたよく分からないままに
いま電話して
3月17日の講演会に申し込んでみました。
★
その他、仕事を休んで参加すべきか
検討中のもろもろ。
http://www.interaction-ipsj.org/index.html
http://ecs.c.u-tokyo.ac.jp/activity/activity.html#Cohen
その他、私向きの面白そうなイベントあったら
教えてください。
夢を見た。
物語として
筋の通った内容である。
中学生の頃にお熱だった
人物が登場した。
珍しい。
★
昨日は夜勤の間、眠れなかった。
昼からドリームゲート主催のイベントがあり
一旦帰って眠ろうと思っていたのだが
帰ったら最後、
起きられない可能性が高いと思いなおし
午前中は丸善で保坂和志さんの小説を読んでいた。
これも珍しい話で、
最近、
小説はめっきり読まなくなっていた。
読まないというより
非常に限られた小説家の作品以外は
拒否反応で読めないというほうが
正しかった。
夜勤の間、
世界を肯定する哲学を読んだあと
ホームページをうろうろして
この人なら読めるかもしれないと
思った。
世間や社会に対する義務感ではなく
世界に対する義務を感じている人物が好きで、
そういう人物ばかりが登場した、という
「プレーンソング」が読んでみたくなって
手にとった。
そしたら実家が所在する、
一応都内だけれど殆ど田舎な中村橋が
いきなり登場して、
豊島園などというローカルな話になったせいで
ついつい一気読みしてしまった。
これではまってしまって数冊買い込んだ。
イベントのある早稲田に行く。
勝手知ったる大隈庭園前の店で
ひなたぼっこしながら読む。
京セラの稲盛さんの講演を
どうしても生で聞きたかった。
最近、テレビを含め、
自分の目以外のフィルタが
かかっている媒体を通して見たものは
信じたくない。
イベントは、
生で聞ける席は予約時点では満席だったから
仕方なく中継映像を見る席を申し込んだ。
でも、
絶対キャンセルが出るだろうと見込んで
生会場で待っていた。
立ち見でもいいです、といったら
受付嬢が目を丸くして
受付用の用紙を出してきた。
整理券1番。
甲斐あって、1時間強、
生会場でお話を聞く。
稲盛さんは、
「会社を作っていただいた」
という表現を多用されていた。
起業当時は、
自分の技術を世間に問うという気持ちだったが
ある時点から、
社員の物心両面の幸せのために、
という方針に切り替えざるを得なくなった。
そこから発展が始まったと語られたのが
印象深かった。
起業論というより人生論である。
経営者になって、
様々な意思決定をすべき立場になり、
哲学、思想が必要だと
思った。
けれど、自分にはその時点で
小さい頃、親に習ったこと、
倫理道徳の時間に聞いたこと
それしかなかったから、
それに徹しようと思われた。
用意された原稿を
読んでいく稲盛さんの姿からは
誠実なお人柄が伝わってきて
胸があつくなる。
本当に大切なことは、
シンプルな言葉で語れるものだ、
とも思う。
もしかしたら
大切なことほど
言葉以外のところから伝わるのかもしれない
とも思う。
人生とは、
あなたの思い描いたとおりになるものだ。
だから、あなたの内なる思想、哲学を
磨きなさいとの言葉が胸に響いた。
馬場でワグナーのオペラDVDを買って
帰る。
もう限界で、DVDをかけながら
眠ってしまった。
物語として
筋の通った内容である。
中学生の頃にお熱だった
人物が登場した。
珍しい。
★
昨日は夜勤の間、眠れなかった。
昼からドリームゲート主催のイベントがあり
一旦帰って眠ろうと思っていたのだが
帰ったら最後、
起きられない可能性が高いと思いなおし
午前中は丸善で保坂和志さんの小説を読んでいた。
これも珍しい話で、
最近、
小説はめっきり読まなくなっていた。
読まないというより
非常に限られた小説家の作品以外は
拒否反応で読めないというほうが
正しかった。
夜勤の間、
世界を肯定する哲学を読んだあと
ホームページをうろうろして
この人なら読めるかもしれないと
思った。
世間や社会に対する義務感ではなく
世界に対する義務を感じている人物が好きで、
そういう人物ばかりが登場した、という
「プレーンソング」が読んでみたくなって
手にとった。
そしたら実家が所在する、
一応都内だけれど殆ど田舎な中村橋が
いきなり登場して、
豊島園などというローカルな話になったせいで
ついつい一気読みしてしまった。
これではまってしまって数冊買い込んだ。
イベントのある早稲田に行く。
勝手知ったる大隈庭園前の店で
ひなたぼっこしながら読む。
京セラの稲盛さんの講演を
どうしても生で聞きたかった。
最近、テレビを含め、
自分の目以外のフィルタが
かかっている媒体を通して見たものは
信じたくない。
イベントは、
生で聞ける席は予約時点では満席だったから
仕方なく中継映像を見る席を申し込んだ。
でも、
絶対キャンセルが出るだろうと見込んで
生会場で待っていた。
立ち見でもいいです、といったら
受付嬢が目を丸くして
受付用の用紙を出してきた。
整理券1番。
甲斐あって、1時間強、
生会場でお話を聞く。
稲盛さんは、
「会社を作っていただいた」
という表現を多用されていた。
起業当時は、
自分の技術を世間に問うという気持ちだったが
ある時点から、
社員の物心両面の幸せのために、
という方針に切り替えざるを得なくなった。
そこから発展が始まったと語られたのが
印象深かった。
起業論というより人生論である。
経営者になって、
様々な意思決定をすべき立場になり、
哲学、思想が必要だと
思った。
けれど、自分にはその時点で
小さい頃、親に習ったこと、
倫理道徳の時間に聞いたこと
それしかなかったから、
それに徹しようと思われた。
用意された原稿を
読んでいく稲盛さんの姿からは
誠実なお人柄が伝わってきて
胸があつくなる。
本当に大切なことは、
シンプルな言葉で語れるものだ、
とも思う。
もしかしたら
大切なことほど
言葉以外のところから伝わるのかもしれない
とも思う。
人生とは、
あなたの思い描いたとおりになるものだ。
だから、あなたの内なる思想、哲学を
磨きなさいとの言葉が胸に響いた。
馬場でワグナーのオペラDVDを買って
帰る。
もう限界で、DVDをかけながら
眠ってしまった。
夜、池袋のジュンク堂に行く。
誤解も理解のうち、
分からないと思いますよ、
と米本さんは
事も無げに笑っていた。
無理解な他人への接し方にも
年季が入っていて、
正直に「分かりません」と言っても
許してくれそうな気がしたから、
途中から理解することを放棄して
目の前の奇特な人物を
観察することにした。
同じ場所にいて
質疑応答しているというのに
質問者(や私)と米本さんの世界が
きっぱり違う、
むしろ安易に理解されることを拒んでいる
と感じられて
あまりの断絶に違和感を通り越して
吹き出しそうになった。
いかにも社会に適応していそうな人物が
内部に適応とは似ても似つかないものを抱えている、
その均衡の危うさ。
生きざまの批評精神。
妖しくも純粋な情念の噴出に
勇気づけられる。
3階に降り、しばし立ち読み。
「世界を肯定する哲学」を買って
山手線に乗る。
夜勤に入る前、
人通りのない夜道を
いちごソフトをぱくつきながら歩いた。
愉快愉快。
誤解も理解のうち、
分からないと思いますよ、
と米本さんは
事も無げに笑っていた。
無理解な他人への接し方にも
年季が入っていて、
正直に「分かりません」と言っても
許してくれそうな気がしたから、
途中から理解することを放棄して
目の前の奇特な人物を
観察することにした。
同じ場所にいて
質疑応答しているというのに
質問者(や私)と米本さんの世界が
きっぱり違う、
むしろ安易に理解されることを拒んでいる
と感じられて
あまりの断絶に違和感を通り越して
吹き出しそうになった。
いかにも社会に適応していそうな人物が
内部に適応とは似ても似つかないものを抱えている、
その均衡の危うさ。
生きざまの批評精神。
妖しくも純粋な情念の噴出に
勇気づけられる。
3階に降り、しばし立ち読み。
「世界を肯定する哲学」を買って
山手線に乗る。
夜勤に入る前、
人通りのない夜道を
いちごソフトをぱくつきながら歩いた。
愉快愉快。
1時間遅刻。
寝坊ではない。
乗り過ごしたせいである。
本当は15分位の遅刻で
済んだはずだけれど、
1時間遅れてみたのは
いつのまにか
個人の人生において
全く意味のない
会社都合のルールに束縛されていることへの
若干の反抗心のあらわれである。
昼休み、昼食は食べずに
ぶらりと散歩に出る。
気分が良い。
遅刻の罪悪感からか
9時まで残業。
通勤時は
モーツァルトのレクイエムを
かけている。
疲れ果てると無性に欲する。
精神の危機かも(笑)
本当に危機にあるひとは
こんなことは書かないだろうから
まだ大丈夫だろう。
寝坊ではない。
乗り過ごしたせいである。
本当は15分位の遅刻で
済んだはずだけれど、
1時間遅れてみたのは
いつのまにか
個人の人生において
全く意味のない
会社都合のルールに束縛されていることへの
若干の反抗心のあらわれである。
昼休み、昼食は食べずに
ぶらりと散歩に出る。
気分が良い。
遅刻の罪悪感からか
9時まで残業。
通勤時は
モーツァルトのレクイエムを
かけている。
疲れ果てると無性に欲する。
精神の危機かも(笑)
本当に危機にあるひとは
こんなことは書かないだろうから
まだ大丈夫だろう。
雪崩のように仕事が押し寄せてきて
終わりが見えない。
午後、席についてから
トイレに立つこともなく
同僚からの質問に答え
提携先からの問い合わせに対応し
交渉の電話をかけ
意味不明案件に首を捻っているうちに
やがて思考停止し、
ふと時計に目をやったら
夕方になっている。
思考が停滞すると
体内の血流までよどむような
気がする。
急に身体が重くなった。
上司が離席しているのを
よいことに、さっさと帰る。
やっと火曜日。
週末もちっとも休めないけれど、
それでも金曜日が待ち遠しい。
終わりが見えない。
午後、席についてから
トイレに立つこともなく
同僚からの質問に答え
提携先からの問い合わせに対応し
交渉の電話をかけ
意味不明案件に首を捻っているうちに
やがて思考停止し、
ふと時計に目をやったら
夕方になっている。
思考が停滞すると
体内の血流までよどむような
気がする。
急に身体が重くなった。
上司が離席しているのを
よいことに、さっさと帰る。
やっと火曜日。
週末もちっとも休めないけれど、
それでも金曜日が待ち遠しい。
10時間労働を超過する寸前、
「今日は嵐だそうです」
と上司に声をかけられた。
上司とはいっても
私の3分の2ぐらいの年の
可愛い男子である。
(などと言ったら本人は怒るだろうけれど)
自分に足りないものを
適度に周囲に配置してくれるのが
世の中というものなのか
昔から私のいる職場の男性は
気の効くひとが多い。
目を真っ赤にして
死にそうな顔をしながら
人には早く帰れと言う。
心の頭を垂れつつお先に失礼する。
吹く風は既に北風ではなく
ほんわりとぬくもっていて、
おかげさまで
さほど雨にも濡れずに済んだ。
帰宅して夕飯を食べながら
秋山仁さんの数学ビデオを見る。
ふと食べものに目をそらした隙に話が進んで
わけがわからなくなる。
こういうのは
ながら見ではいけないらしい。
アシスタント役の中島啓江さんも
「けいちゃん、わかったかい」
と秋山さんに問いかけられた頃には
どこかに消えてしまって
返事もない。
中学生向けにしては
難しいですよね、と
画面の中の中島さんに同意を求めつつ
巻き戻して最初から見ることにする。
今回は幾何っぽい話である。
レビューを読んで気にかかり、
図書館で予約していた
「ユークリッドの窓」が届いて
これも読まないといけない。
昨日買った「対称性人類学」を読み始める。
多摩美って聴講できるのかなあ。
いろんなことが同時進行で
検討中、考慮中、作業中で
わさわさと落ち着かない。
わがままかもしれないけれど、
心の底からやりたいことにしか
使う時間がないんだなあ。
「今日は嵐だそうです」
と上司に声をかけられた。
上司とはいっても
私の3分の2ぐらいの年の
可愛い男子である。
(などと言ったら本人は怒るだろうけれど)
自分に足りないものを
適度に周囲に配置してくれるのが
世の中というものなのか
昔から私のいる職場の男性は
気の効くひとが多い。
目を真っ赤にして
死にそうな顔をしながら
人には早く帰れと言う。
心の頭を垂れつつお先に失礼する。
吹く風は既に北風ではなく
ほんわりとぬくもっていて、
おかげさまで
さほど雨にも濡れずに済んだ。
帰宅して夕飯を食べながら
秋山仁さんの数学ビデオを見る。
ふと食べものに目をそらした隙に話が進んで
わけがわからなくなる。
こういうのは
ながら見ではいけないらしい。
アシスタント役の中島啓江さんも
「けいちゃん、わかったかい」
と秋山さんに問いかけられた頃には
どこかに消えてしまって
返事もない。
中学生向けにしては
難しいですよね、と
画面の中の中島さんに同意を求めつつ
巻き戻して最初から見ることにする。
今回は幾何っぽい話である。
レビューを読んで気にかかり、
図書館で予約していた
「ユークリッドの窓」が届いて
これも読まないといけない。
昨日買った「対称性人類学」を読み始める。
多摩美って聴講できるのかなあ。
いろんなことが同時進行で
検討中、考慮中、作業中で
わさわさと落ち着かない。
わがままかもしれないけれど、
心の底からやりたいことにしか
使う時間がないんだなあ。
夜勤の交代で、
久しぶりに会った同僚の女性と
少し話す。
この年になってと言いつつ
祝われると嬉しい。
図書館で借りたCD
「トリスタンとイゾルデ」の
返却日が迫っていて、
夜勤の間にイヤホンで聴く。
自分がオペラを好むようになるとは
思わなかった。
人間は出会いで随分と変わるものである。
深夜、間違い系の電話が何本もあって
さっぱり眠れない。
朝。
夜勤明けの習慣となった
駅前のサンマルクカフェ。
ウーロンチャイを飲みながら
回らない頭で
午前中の身の振り方に迷う。
結局、陽の当たる道を選びながら
ふらふら歩いて丸善に行くことにする。
不思議なもので、書店に入ると
しゃっきりする。
吉本隆明「真贋」と
池田晶子さんの著作を立読み。
実家でもらってきた
図書カード5000円を
吉本さんと中沢さんの著作に注ぎ込んで
丸善を後にする。
過剰にすぎると毒にあてられる、
その毒を自分で引き受る覚悟がなければ、
という文章が気になって、
最近、過剰と自覚のあることについて
そろそろバランスを
とらなければいけないんじゃないかと
思ったりもする。
昼、お茶の水。
よく分からない公開シンポジウムに
勢いで申し込んだ。
どうやら心理療法士さんや
その筋の専門家さんの会である模様。
場違いな会場に行くのには、
最近慣れてきた。
開き直って、隅っこに座って聞く。
人格の形成という問題は
現在の科学主義では扱えず、
今の科学で解明されている
脳のはたらきは、
生命哲学の問いに答えるものではない。
科学主義を知った上で、
一個の人間として、
与えられた文脈の中で
それでも懸命に
偶有性の海に飛び込んでいくしかない。
先生はいつも以上に饒舌で
いろんなところに
話が飛んだ。
そういうところも大好きだ。
午前中、バランスが、、
などと思っていたのも
どこかに飛んで行ってしまって、
既に毒なんて回っちゃっているのだし(笑)
自分が価値を見出すものの方角に、
ゆっくりでも進んでいけばいいだろう、
(たとえそれがハズレだったとしても、
それはそれで仕方ない、、)
と思い直す。
半年ほど前、
科学と自分の接点を求めて
茂木先生の本を読み始めたのだけれど、
予想に反して
もともと志向していた生命哲学というものに
戻ってきていた。
どんな生き方をしたところで、
結局のところ、
この原点からは逃れられないんだろう。
求め続けていくしかない。
そう割り切れたら
なんだかすっきりした。
5時過ぎに閉会するとさすがに
意識が遠くなって、
中央線はやめて
座れる総武線に乗り、
図書館で本を返して帰宅。
夕食を食べて
ブルーベリーのホットワインを飲んだら
世界が回り始めて
あえなくことりと眠りに落ちた。
35歳の誕生日は
こんなふうに、
ひとり静かに過ぎていった。
久しぶりに会った同僚の女性と
少し話す。
この年になってと言いつつ
祝われると嬉しい。
図書館で借りたCD
「トリスタンとイゾルデ」の
返却日が迫っていて、
夜勤の間にイヤホンで聴く。
自分がオペラを好むようになるとは
思わなかった。
人間は出会いで随分と変わるものである。
深夜、間違い系の電話が何本もあって
さっぱり眠れない。
朝。
夜勤明けの習慣となった
駅前のサンマルクカフェ。
ウーロンチャイを飲みながら
回らない頭で
午前中の身の振り方に迷う。
結局、陽の当たる道を選びながら
ふらふら歩いて丸善に行くことにする。
不思議なもので、書店に入ると
しゃっきりする。
吉本隆明「真贋」と
池田晶子さんの著作を立読み。
実家でもらってきた
図書カード5000円を
吉本さんと中沢さんの著作に注ぎ込んで
丸善を後にする。
過剰にすぎると毒にあてられる、
その毒を自分で引き受る覚悟がなければ、
という文章が気になって、
最近、過剰と自覚のあることについて
そろそろバランスを
とらなければいけないんじゃないかと
思ったりもする。
昼、お茶の水。
よく分からない公開シンポジウムに
勢いで申し込んだ。
どうやら心理療法士さんや
その筋の専門家さんの会である模様。
場違いな会場に行くのには、
最近慣れてきた。
開き直って、隅っこに座って聞く。
人格の形成という問題は
現在の科学主義では扱えず、
今の科学で解明されている
脳のはたらきは、
生命哲学の問いに答えるものではない。
科学主義を知った上で、
一個の人間として、
与えられた文脈の中で
それでも懸命に
偶有性の海に飛び込んでいくしかない。
先生はいつも以上に饒舌で
いろんなところに
話が飛んだ。
そういうところも大好きだ。
午前中、バランスが、、
などと思っていたのも
どこかに飛んで行ってしまって、
既に毒なんて回っちゃっているのだし(笑)
自分が価値を見出すものの方角に、
ゆっくりでも進んでいけばいいだろう、
(たとえそれがハズレだったとしても、
それはそれで仕方ない、、)
と思い直す。
半年ほど前、
科学と自分の接点を求めて
茂木先生の本を読み始めたのだけれど、
予想に反して
もともと志向していた生命哲学というものに
戻ってきていた。
どんな生き方をしたところで、
結局のところ、
この原点からは逃れられないんだろう。
求め続けていくしかない。
そう割り切れたら
なんだかすっきりした。
5時過ぎに閉会するとさすがに
意識が遠くなって、
中央線はやめて
座れる総武線に乗り、
図書館で本を返して帰宅。
夕食を食べて
ブルーベリーのホットワインを飲んだら
世界が回り始めて
あえなくことりと眠りに落ちた。
35歳の誕生日は
こんなふうに、
ひとり静かに過ぎていった。
神田から上野に行って、
東京都美術館のオルセー美術館展に入る。
作品の前に並ぶ頭、頭。
天狗の高下駄でも履きたい。
最近は予習もせず音声ガイドも聞かない。
掲示されている解説を
気が向いたら読む程度である。
作品の前に立っていると
吸い込まれそうになるものが
幾つかある。
危険かもしれない。
カリエールの「縫いものをする女性」は
非日常に繋がる日常とは、
という直近の課題にイメージを与えてくれた。
ルドンの水色が気になる。
自室の机の前には
コルベール展のチラシが張ってある。
動物は死ぬことを恐れない、
という言葉を思い出す。
生きて死ぬために大事なことは
生まれたときに
既に全て知っているのではないだろうか。
それを人間だけが
余計なことを知ってしまったせいで
大事なことは何なのか
分からなくなってしまっただけなのかもしれない。
そう思わせるほど、
野生の瞳は強く美しい。
★
実家で母手製のちらし寿司を食べる。
誕生日イブ(?)。
母は今年喜寿だそうだ。
高齢出産だったのは知っていたものの、
喜寿などという言葉が
自分の両親に使われる日が来るとは、
驚いた。
小川の水が流れるように
時は流れる、とどこかで読んだ。
ちょろりちょろちょろ
流れ流れて
ふと気付いたら
死という海に辿り着いているのかもしれない。
そう思うと、やはり怖い。
軽みの境地はまだ遠い。
東京都美術館のオルセー美術館展に入る。
作品の前に並ぶ頭、頭。
天狗の高下駄でも履きたい。
最近は予習もせず音声ガイドも聞かない。
掲示されている解説を
気が向いたら読む程度である。
作品の前に立っていると
吸い込まれそうになるものが
幾つかある。
危険かもしれない。
カリエールの「縫いものをする女性」は
非日常に繋がる日常とは、
という直近の課題にイメージを与えてくれた。
ルドンの水色が気になる。
自室の机の前には
コルベール展のチラシが張ってある。
動物は死ぬことを恐れない、
という言葉を思い出す。
生きて死ぬために大事なことは
生まれたときに
既に全て知っているのではないだろうか。
それを人間だけが
余計なことを知ってしまったせいで
大事なことは何なのか
分からなくなってしまっただけなのかもしれない。
そう思わせるほど、
野生の瞳は強く美しい。
★
実家で母手製のちらし寿司を食べる。
誕生日イブ(?)。
母は今年喜寿だそうだ。
高齢出産だったのは知っていたものの、
喜寿などという言葉が
自分の両親に使われる日が来るとは、
驚いた。
小川の水が流れるように
時は流れる、とどこかで読んだ。
ちょろりちょろちょろ
流れ流れて
ふと気付いたら
死という海に辿り着いているのかもしれない。
そう思うと、やはり怖い。
軽みの境地はまだ遠い。
契約に至るまでの交渉ごとは
割合に好きである。
頭を使う場面も多いし
数を重ねれば上達して
達成感もある。
営業ではないからノルマもない。
今の業務内容は
自分に向いていると思う。
残業が当然、の
職場環境は向かないけれど。
まあそこは派遣のよいところで
うまく帰らせてもらっている。
というわけで、
当初3月末で終わりだった派遣期間を
要請に応じて1ヶ月延長しようと思っていて、
つまりそれは
モラトリアム期間の延長ともいえる(笑)
★
18時で帰るために
午後から巻きなおして、
猛烈な勢いで仕事をした。
朝日カルチャーセンターで
中沢新一さんと茂木さんの対談を聞く。
生の中沢さんは初めてだった。
「軽み」から、
突如深みに切り込んでいくのが
中沢さんのこだわりであるらしい。
弥次喜多に関するコメントで
足下は地獄でも
冗談を言いながら突っ切っていく
と表されたのが気に入った。
対称性の話は
もっと勉強してみたい。
芸術についての
質問に対して答えられた場面は
何度もフラッシュバックしていて、
茂木さんの言葉を借りれば
今は
「きのこの時間」である。
直近のわたしの
全体性回復体験である
グレゴリー・コルベールの
ashes and snow の世界と
今日(もう昨日)の話は
どこか繋がっていると思う。
ナレーションの囁きは
輪廻、連鎖の思想だと
わたしは受け取った。
他者が自分の中に入り込んで
一体化する感覚とも
共通するような。
まだ消化できていなくて
上手く言葉にならない。
「芸術人類学」を
途中まで読みかけていた。
鍛錬によって、
街の中を歩いていても、
時空を越えた世界(例えば縄文時代であるとか)
と繋がることができるようになった、
というような文章が
ずっと心に残っていた。
どうしたら
そうなれるんでしょう、
と思いながら
聞いていた。
すごい人を見ると
どうしたらあなたのようになれますか、
と問いたくなるけれど、
言葉にはしない。
きっとそれは
自分で解を出すように
与えられた問いだと思うから。
割合に好きである。
頭を使う場面も多いし
数を重ねれば上達して
達成感もある。
営業ではないからノルマもない。
今の業務内容は
自分に向いていると思う。
残業が当然、の
職場環境は向かないけれど。
まあそこは派遣のよいところで
うまく帰らせてもらっている。
というわけで、
当初3月末で終わりだった派遣期間を
要請に応じて1ヶ月延長しようと思っていて、
つまりそれは
モラトリアム期間の延長ともいえる(笑)
★
18時で帰るために
午後から巻きなおして、
猛烈な勢いで仕事をした。
朝日カルチャーセンターで
中沢新一さんと茂木さんの対談を聞く。
生の中沢さんは初めてだった。
「軽み」から、
突如深みに切り込んでいくのが
中沢さんのこだわりであるらしい。
弥次喜多に関するコメントで
足下は地獄でも
冗談を言いながら突っ切っていく
と表されたのが気に入った。
対称性の話は
もっと勉強してみたい。
芸術についての
質問に対して答えられた場面は
何度もフラッシュバックしていて、
茂木さんの言葉を借りれば
今は
「きのこの時間」である。
直近のわたしの
全体性回復体験である
グレゴリー・コルベールの
ashes and snow の世界と
今日(もう昨日)の話は
どこか繋がっていると思う。
ナレーションの囁きは
輪廻、連鎖の思想だと
わたしは受け取った。
他者が自分の中に入り込んで
一体化する感覚とも
共通するような。
まだ消化できていなくて
上手く言葉にならない。
「芸術人類学」を
途中まで読みかけていた。
鍛錬によって、
街の中を歩いていても、
時空を越えた世界(例えば縄文時代であるとか)
と繋がることができるようになった、
というような文章が
ずっと心に残っていた。
どうしたら
そうなれるんでしょう、
と思いながら
聞いていた。
すごい人を見ると
どうしたらあなたのようになれますか、
と問いたくなるけれど、
言葉にはしない。
きっとそれは
自分で解を出すように
与えられた問いだと思うから。
弥生三月に突入。
昼休み、思い出して芸術人類学を読み始めた。
昨日の宣言どおり、六本木に行く。
1時間残業してからでも
まだ間に合う森美術館。
笑い展は、予想より面白かった。
日常の視点を少しずらすことによって
クスリと小さく笑える、というような
種類の作品たち。
足が止まったのは
円空の木彫りの仏像。
簡素な中に力強い風貌である。
http://www.enku.jp/myougi/06.html
民家で日常の信仰対象とされたに
違いない。
生涯12万体彫ったというのは
いかにも大袈裟だが、
宗教家のやることは普通ではないから、
案外本当かもしれない。
見ればみるほど
チャーミングな白象図。
絵葉書を2枚買う。
グレゴリー・コルベールの
ashes and snow。
閉館間近のせいか人もまばらで、
空間を独りじめできた。
風に吹かれて形を変えていく砂丘を眺めていたら
いつしか身体の髄が
遠い異世界に繋がったような
感覚にとらわれた。
ずっとそこにいたいと思った。
こういうとき、
頭ではなく身体が反応するのは
何故だろう。
涙と一緒に不浄なものがすべて
さらさらと抜け落ちて
身体が軽くなった。
展望台をひと回り。
人工的な光景も悪くはない。
けれど心はしばし
あの砂漠にとり残されている。
昼休み、思い出して芸術人類学を読み始めた。
昨日の宣言どおり、六本木に行く。
1時間残業してからでも
まだ間に合う森美術館。
笑い展は、予想より面白かった。
日常の視点を少しずらすことによって
クスリと小さく笑える、というような
種類の作品たち。
足が止まったのは
円空の木彫りの仏像。
簡素な中に力強い風貌である。
http://www.enku.jp/myougi/06.html
民家で日常の信仰対象とされたに
違いない。
生涯12万体彫ったというのは
いかにも大袈裟だが、
宗教家のやることは普通ではないから、
案外本当かもしれない。
見ればみるほど
チャーミングな白象図。
絵葉書を2枚買う。
グレゴリー・コルベールの
ashes and snow。
閉館間近のせいか人もまばらで、
空間を独りじめできた。
風に吹かれて形を変えていく砂丘を眺めていたら
いつしか身体の髄が
遠い異世界に繋がったような
感覚にとらわれた。
ずっとそこにいたいと思った。
こういうとき、
頭ではなく身体が反応するのは
何故だろう。
涙と一緒に不浄なものがすべて
さらさらと抜け落ちて
身体が軽くなった。
展望台をひと回り。
人工的な光景も悪くはない。
けれど心はしばし
あの砂漠にとり残されている。
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