長期休暇の予想外の効能は、
折角だから、この機に勉強しよう、
という気になること。
2日や3日の休暇では、
折角だから、のんびりしよう、となって
こうはいかない。
仕事と趣味に共通する最優先課題は英語なので、
「自主英語合宿」を始めた。
家の中では英語のpodcastと英語のyoutubeと
ブラウザの大きさを変えて字幕を隠した
ネットの海外ドラマしか見ない。
1年前からの懸案で、
昨日と今日1時間ずつ悩んだ挙句、
ついにipod nanoも買ったので
podcastも携帯できるようになるし。
洋書のパンダ読み
(易しい本を速読する)
は、移動の電車の中が特に良い。
本を開く前に時刻を見る。
ペーパーバックは汚すのに未練も感じないので
読み始めのページに
鉛筆で月日と時間を書き込んでしまう。
よーい、どん。
あとは降車駅まで脇目もふらず。
多少分からなくても、飛ばす飛ばす。
降りるまでに1章読みきる。
たまに長い章は、
読み終わるまでホームの片隅で立ったまま読む。
という方法で、
「赤毛のアン」は200ページまでたどり着いた。
本人としては記念碑的快挙。
年内に(って明日だけど、、)ラストまで到達したい。
あとはライティングの習得法を確立しないと。
あたしは、やりますよ。
(当面は英語学校には通わずに、、)
★
東京フォーラムで開催されていた
来年のラ・フォル・ジュルネ出場審査会を見に行く。
ラ・フォル・ジュルネは
今年の連休の中頃に初めてその存在を知った。
良質のクラシックが2000円程度から聞けるコンサートなんて
なかなかない。
確か2日間足を運んだ。
選考会も悪くなかったが、
帰ろうか迷って結局残った
キッズコンサートで見た10歳の男の子が
なかなかのものだった。
ギターは3年でここまでやるかという腕前で
英語ヴォーカルもこなし、
短いながらも観衆に語りかけた。
お見事の一語に尽きる。
ロック版モーツァルトか、という感じ。
すくすくと育ってくれればよいなあ。
スタバでチャイラテを飲みながら
1時間悩んだ後、
デジカメとipodを買って帰宅。
当面は自炊と交通費以外にお金は使えない。
今夜も豆腐入りカレー鍋(かつお出汁)。
昨日買った「脳と日本人」。
当分は洋書優先なんだけど、とか呟きながら
気になって、ぱらぱらめくる。
点を結ぶ話、物語というのは、
もっと深めると
松岡さんが言う「編集」とか
文脈、クオリアが場所に依存することとかに
結びつくらしい。
ああ世の中には
学ぶべきことが山ほどあり
分かったつもりのすぐ後に
もう無知が思い知らされている。
そうだ、
学習のオープンエンド性とは
このことだった。
折角だから、この機に勉強しよう、
という気になること。
2日や3日の休暇では、
折角だから、のんびりしよう、となって
こうはいかない。
仕事と趣味に共通する最優先課題は英語なので、
「自主英語合宿」を始めた。
家の中では英語のpodcastと英語のyoutubeと
ブラウザの大きさを変えて字幕を隠した
ネットの海外ドラマしか見ない。
1年前からの懸案で、
昨日と今日1時間ずつ悩んだ挙句、
ついにipod nanoも買ったので
podcastも携帯できるようになるし。
洋書のパンダ読み
(易しい本を速読する)
は、移動の電車の中が特に良い。
本を開く前に時刻を見る。
ペーパーバックは汚すのに未練も感じないので
読み始めのページに
鉛筆で月日と時間を書き込んでしまう。
よーい、どん。
あとは降車駅まで脇目もふらず。
多少分からなくても、飛ばす飛ばす。
降りるまでに1章読みきる。
たまに長い章は、
読み終わるまでホームの片隅で立ったまま読む。
という方法で、
「赤毛のアン」は200ページまでたどり着いた。
本人としては記念碑的快挙。
年内に(って明日だけど、、)ラストまで到達したい。
あとはライティングの習得法を確立しないと。
あたしは、やりますよ。
(当面は英語学校には通わずに、、)
★
東京フォーラムで開催されていた
来年のラ・フォル・ジュルネ出場審査会を見に行く。
ラ・フォル・ジュルネは
今年の連休の中頃に初めてその存在を知った。
良質のクラシックが2000円程度から聞けるコンサートなんて
なかなかない。
確か2日間足を運んだ。
選考会も悪くなかったが、
帰ろうか迷って結局残った
キッズコンサートで見た10歳の男の子が
なかなかのものだった。
ギターは3年でここまでやるかという腕前で
英語ヴォーカルもこなし、
短いながらも観衆に語りかけた。
お見事の一語に尽きる。
ロック版モーツァルトか、という感じ。
すくすくと育ってくれればよいなあ。
スタバでチャイラテを飲みながら
1時間悩んだ後、
デジカメとipodを買って帰宅。
当面は自炊と交通費以外にお金は使えない。
今夜も豆腐入りカレー鍋(かつお出汁)。
昨日買った「脳と日本人」。
当分は洋書優先なんだけど、とか呟きながら
気になって、ぱらぱらめくる。
点を結ぶ話、物語というのは、
もっと深めると
松岡さんが言う「編集」とか
文脈、クオリアが場所に依存することとかに
結びつくらしい。
ああ世の中には
学ぶべきことが山ほどあり
分かったつもりのすぐ後に
もう無知が思い知らされている。
そうだ、
学習のオープンエンド性とは
このことだった。
午後、前から気になっていた英語学校の
カウンセリングに行く。
体験授業に参加するつもりだったけれど、
直前にたまたま発見したネット上の評判が悪いのと
実際に行ってみても今ひとつだったのとで
やめにした。
かわりに家で自主英語合宿するしかない。
面談で、
授業で使うメソッドを書かれた古い本と
キング牧師の講演集を目の前に置かれて、
「暗記してもらいますから買ってください」
と言われて思い出した。
以前に買った本とCDが家にあるぞ。
帰宅後、押入れから取り出して聞く。
I have a dream.
確かに歴史に残る名講演である。
でもどうせ覚えるならジョブスの講演のほうが好きだな、
と思い直して検索した。
Steve Jobs Stanford Commencement Speech 2005(日本語字幕あり)
http://note.openvista.jp/113/
午前中、自分の中で盛り上がっていた
「点を繋ぐ」話が出てきて、驚いた。
話に感動したのだけ先に思い出されて
細かいことは忘れていた。
Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. Because believing the dots will connect down the road, it gives you confidence to follow your heart; even it leads you off the well-worn path. And that will make all the difference.
人生における偶有性の「点」がつながれ、
物語となって自己に了解されるのは
過去を振り返ったときだけで。
あれこれ考えたって、
未来に向かっては見えやしないんだから。
だから、信じて進め。
飛び込んでいけ。
河合隼雄さんと茂木先生、
そしてジョブスの言葉が結ばれて
遠くの闇に光ったような、
そんな気がした。
カウンセリングに行く。
体験授業に参加するつもりだったけれど、
直前にたまたま発見したネット上の評判が悪いのと
実際に行ってみても今ひとつだったのとで
やめにした。
かわりに家で自主英語合宿するしかない。
面談で、
授業で使うメソッドを書かれた古い本と
キング牧師の講演集を目の前に置かれて、
「暗記してもらいますから買ってください」
と言われて思い出した。
以前に買った本とCDが家にあるぞ。
帰宅後、押入れから取り出して聞く。
I have a dream.
確かに歴史に残る名講演である。
でもどうせ覚えるならジョブスの講演のほうが好きだな、
と思い直して検索した。
Steve Jobs Stanford Commencement Speech 2005(日本語字幕あり)
http://note.openvista.jp/113/
午前中、自分の中で盛り上がっていた
「点を繋ぐ」話が出てきて、驚いた。
話に感動したのだけ先に思い出されて
細かいことは忘れていた。
Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. Because believing the dots will connect down the road, it gives you confidence to follow your heart; even it leads you off the well-worn path. And that will make all the difference.
人生における偶有性の「点」がつながれ、
物語となって自己に了解されるのは
過去を振り返ったときだけで。
あれこれ考えたって、
未来に向かっては見えやしないんだから。
だから、信じて進め。
飛び込んでいけ。
河合隼雄さんと茂木先生、
そしてジョブスの言葉が結ばれて
遠くの闇に光ったような、
そんな気がした。
近くの喫茶店で
トーストを齧り、ミルクティーを飲みながら
雑誌「考える人」を読む。
河合隼雄さんの特集から始めて
待望の連載にたどりついたところで
気付く。
わたしがこうして訥々と言葉を紡ぐのは、
未消化のまま散乱した断片的な記憶を
物語として理解するためなのだ。たぶん。
今まで何度も聞いてきた
偶有性に処する戦略が感情だという言葉が
「物語」というキーワードを得て
腑に落ちた。
人間には様々のエモーションが内在している。
その中で一時的に表面化した一つを取り出して
「個性」とするのは人間理解の浅さである。
矛盾する自己をいくつも抱えた私が
半ば偶然の、半ば必然の事物に出会ったときの可能性は
無限であり。
その中のどれでも在り得た豊穣を認識した上で
いまここにいる、という覚悟、
ジェネレータとしての自覚の在りようが
個性であり物語であり、
一つの生命としての私を
理解することなのかもしれない。
ランダムに見える点を
線で繋いで物語にしたのが星座。
もうそろそろ、
ランダムウォークからコンステレーションへ
移ろっていければ。
そこに見出すのが、たとえ
いびつな星座であったとしても、
自己を理解し、魂の源流に遡っていく作業は
密かな歓びとなるはずだ。
トーストを齧り、ミルクティーを飲みながら
雑誌「考える人」を読む。
河合隼雄さんの特集から始めて
待望の連載にたどりついたところで
気付く。
わたしがこうして訥々と言葉を紡ぐのは、
未消化のまま散乱した断片的な記憶を
物語として理解するためなのだ。たぶん。
今まで何度も聞いてきた
偶有性に処する戦略が感情だという言葉が
「物語」というキーワードを得て
腑に落ちた。
人間には様々のエモーションが内在している。
その中で一時的に表面化した一つを取り出して
「個性」とするのは人間理解の浅さである。
矛盾する自己をいくつも抱えた私が
半ば偶然の、半ば必然の事物に出会ったときの可能性は
無限であり。
その中のどれでも在り得た豊穣を認識した上で
いまここにいる、という覚悟、
ジェネレータとしての自覚の在りようが
個性であり物語であり、
一つの生命としての私を
理解することなのかもしれない。
ランダムに見える点を
線で繋いで物語にしたのが星座。
もうそろそろ、
ランダムウォークからコンステレーションへ
移ろっていければ。
そこに見出すのが、たとえ
いびつな星座であったとしても、
自己を理解し、魂の源流に遡っていく作業は
密かな歓びとなるはずだ。
中野のブロードウェイを散歩。
禁断の地下一階に行くと
案の定、買いたい雑貨がいっぱい。
お金は使わないと循環しないとか言うけれど、
それはボーナスがある人の話で、
派遣の一人暮らしには当てはまらない。
切ないけれど、振り切って、図書館に行く。
明日からの休館に備えて借り貯め。
自然科学系を7冊。
全く狙わずに手に取った「セルボーンの博物誌」が意外と面白い。
随分昔の本と訳だなあと思いつつ。
書簡形式で生物の観察記録と発見を綴っているのが
素朴で良い感じ。
雑誌は、人の特集号が好き。
普段なら立読みで失礼するか
図書館でコピー、だけれど、
河合さん追悼号だったので
「考える人」は中身を見ずに買いました。
来年のカレンダーも買いました。
ああ重い。
「ヴェニスに死す」のDVDを借りて見たら
眠れなくなってしまった。
ヴィスコンティは初めて見たのだけれど、
美に言葉は要らない、って感じで
なにしろ美しい。
マーラーをモデルにしているんだそうで
全編に5番4楽章が流れている。
マーラーって、勇壮なだけのイメージがあったけど、
これはどうやら趣が違う。
マーラー 交響曲5番4楽章
http://www.youtube.com/watch?v=duSL3y2LASI
夕陽が網膜に残る。
海に沈む日没の場面を見ていたら、
ムンクの絵に何度となく登場する
性の象徴とされる月光そっくりの形をしていて驚いた。
まあそれはどうでもいいんだけれども、
少年の美しさと夕陽、生と死の対比、
そのひそやかな交点が官能的。
形式的には対比だけれども。
両極に見える中に同質のものがあるわけで。
黒澤監督の「生きる」は
そこまで踏み込んでいるところが
構成とメッセージ性で一枚上手な気がする。
でも映像の美しさと
出口のない狂気ともいえる切実さでは
ヴィスコンティの勝ち。
禁断の地下一階に行くと
案の定、買いたい雑貨がいっぱい。
お金は使わないと循環しないとか言うけれど、
それはボーナスがある人の話で、
派遣の一人暮らしには当てはまらない。
切ないけれど、振り切って、図書館に行く。
明日からの休館に備えて借り貯め。
自然科学系を7冊。
全く狙わずに手に取った「セルボーンの博物誌」が意外と面白い。
随分昔の本と訳だなあと思いつつ。
書簡形式で生物の観察記録と発見を綴っているのが
素朴で良い感じ。
雑誌は、人の特集号が好き。
普段なら立読みで失礼するか
図書館でコピー、だけれど、
河合さん追悼号だったので
「考える人」は中身を見ずに買いました。
来年のカレンダーも買いました。
ああ重い。
「ヴェニスに死す」のDVDを借りて見たら
眠れなくなってしまった。
ヴィスコンティは初めて見たのだけれど、
美に言葉は要らない、って感じで
なにしろ美しい。
マーラーをモデルにしているんだそうで
全編に5番4楽章が流れている。
マーラーって、勇壮なだけのイメージがあったけど、
これはどうやら趣が違う。
マーラー 交響曲5番4楽章
http://www.youtube.com/watch?v=duSL3y2LASI
夕陽が網膜に残る。
海に沈む日没の場面を見ていたら、
ムンクの絵に何度となく登場する
性の象徴とされる月光そっくりの形をしていて驚いた。
まあそれはどうでもいいんだけれども、
少年の美しさと夕陽、生と死の対比、
そのひそやかな交点が官能的。
形式的には対比だけれども。
両極に見える中に同質のものがあるわけで。
黒澤監督の「生きる」は
そこまで踏み込んでいるところが
構成とメッセージ性で一枚上手な気がする。
でも映像の美しさと
出口のない狂気ともいえる切実さでは
ヴィスコンティの勝ち。
はじめが肝要。
連休初日からゴロゴロしていてはいけない。
年内は今日が最終日のムンク展に行く。
さほど混雑もなく快適。
最初に一周してから、
逆行して気に入ったものだけ、ゆっくり見る。
結局3往復した。
ムンクは色遣いが好き。
女性を描いた絵で好みのものは少ないけれど、
「声」は気に入った。
色は全然違うけど、
構図の覚えとして絵葉書を数枚購入。
常設展はドレとモネだけ立ち止まる。
我ながらマイペース過ぎて、
他人と一緒に展覧会に行くのは気が引ける。
保坂和志さんの新刊エッセイを買って
上野のスタバで読む。
店のロゴを見たあたりから
コーヒー断ちをしていたのをすっかり忘れて
ついキャラメルマキアートをオーダーしてしまう。
習慣はおそろしい。
ああそうか、と納得するのも快感ではあるが、
腑に落ちたことは相済み、として
忘却の海に流されていく。
理解できなかったこと、
言葉にならない「ひっかき疵」のようなものが
あるかどうか、が
読書の、または芸術を鑑賞したり学問する
甲斐ってものではないか、と思う。
浜辺の若者たちは
水平線の先に何を見ているか
というような、
ごく私秘的な謎こそが。
★
電車に乗ると開く「アン」は12章まできて
ダイアナと親友の契りをしたところ。
自主的に購入した洋書で100ページ超まで読んだのは
初めてじゃないかしら。
カメの歩みながらも、まあがんばっている。
継続の鍵は、休日も電車に乗ること(笑)
連休を過ごすにあたって
部屋に連れが欲しくなり。
葉ぼたんを買ってきた。

どうも水を遣りすぎるらしく、
独居を始めてから今まで買った3鉢の観葉植物は
全部枯らしてしまった。
一応ショックを感じていて
欲しい欲しいと思いつつ控えていた。
今度は長生きしてくださいね。
連休初日からゴロゴロしていてはいけない。
年内は今日が最終日のムンク展に行く。
さほど混雑もなく快適。
最初に一周してから、
逆行して気に入ったものだけ、ゆっくり見る。
結局3往復した。
ムンクは色遣いが好き。
女性を描いた絵で好みのものは少ないけれど、
「声」は気に入った。
色は全然違うけど、
構図の覚えとして絵葉書を数枚購入。
常設展はドレとモネだけ立ち止まる。
我ながらマイペース過ぎて、
他人と一緒に展覧会に行くのは気が引ける。
保坂和志さんの新刊エッセイを買って
上野のスタバで読む。
店のロゴを見たあたりから
コーヒー断ちをしていたのをすっかり忘れて
ついキャラメルマキアートをオーダーしてしまう。
習慣はおそろしい。
ああそうか、と納得するのも快感ではあるが、
腑に落ちたことは相済み、として
忘却の海に流されていく。
理解できなかったこと、
言葉にならない「ひっかき疵」のようなものが
あるかどうか、が
読書の、または芸術を鑑賞したり学問する
甲斐ってものではないか、と思う。
浜辺の若者たちは
水平線の先に何を見ているか
というような、
ごく私秘的な謎こそが。
★
電車に乗ると開く「アン」は12章まできて
ダイアナと親友の契りをしたところ。
自主的に購入した洋書で100ページ超まで読んだのは
初めてじゃないかしら。
カメの歩みながらも、まあがんばっている。
継続の鍵は、休日も電車に乗ること(笑)
連休を過ごすにあたって
部屋に連れが欲しくなり。
葉ぼたんを買ってきた。

どうも水を遣りすぎるらしく、
独居を始めてから今まで買った3鉢の観葉植物は
全部枯らしてしまった。
一応ショックを感じていて
欲しい欲しいと思いつつ控えていた。
今度は長生きしてくださいね。
木金と有休を取って11連休にした。
こんなに休みが取れるなんて、いつ以来だろう。
基本的には、美術館に行って、
勉強して、音楽を聴いて、本を読むつもりなのだけれど、
休暇中の自主トレメニューを目下、考え中。
youtubeで検索して、聞いてみたら気に入ってしまった
カルロス・クライバー指揮の
交響曲7番(ベートーヴェン)を図書館で借りてきて
聞いているところ。
カルロス・クライバーは「ばらの騎士」で知った。
そういえば久しく聴いていない。
オペラも勉強しなくちゃ。
こんなに休みが取れるなんて、いつ以来だろう。
基本的には、美術館に行って、
勉強して、音楽を聴いて、本を読むつもりなのだけれど、
休暇中の自主トレメニューを目下、考え中。
youtubeで検索して、聞いてみたら気に入ってしまった
カルロス・クライバー指揮の
交響曲7番(ベートーヴェン)を図書館で借りてきて
聞いているところ。
カルロス・クライバーは「ばらの騎士」で知った。
そういえば久しく聴いていない。
オペラも勉強しなくちゃ。
月曜の夜。
主人公の顔写真を見た途端に、
既視感を覚えたものの
詳細が思い出せなかった「生きる」を借りてきた。
自己流ダイジェスト版で見る。
(つまり前半は早送りしてしまった、、)
それまで他人の中にしか見えなかった
光とか、迸り躍動する何かを
自己の中にも発見した人間は
妖しい光を放って美しい。
本日も夜バイト。
会社の中にいると、
クリスマスだなんてことは
すっかり忘れてしまう。
電気的安全性だの
毒性試験だ架橋がどうのと
完全に意味不明な化学用語が並ぶ文章を作りつつ
クラシックマニア様の
指揮者に関する薀蓄も拝聴する。
頭の中には
白いうさぎがぴょん、ぴょんと横切り、
命短し、恋せよ乙女と
訥々たる声が流れてくる。
どの側面もまぎれもなく自分であり、
どれも今は捨てられない。
主人公の顔写真を見た途端に、
既視感を覚えたものの
詳細が思い出せなかった「生きる」を借りてきた。
自己流ダイジェスト版で見る。
(つまり前半は早送りしてしまった、、)
それまで他人の中にしか見えなかった
光とか、迸り躍動する何かを
自己の中にも発見した人間は
妖しい光を放って美しい。
本日も夜バイト。
会社の中にいると、
クリスマスだなんてことは
すっかり忘れてしまう。
電気的安全性だの
毒性試験だ架橋がどうのと
完全に意味不明な化学用語が並ぶ文章を作りつつ
クラシックマニア様の
指揮者に関する薀蓄も拝聴する。
頭の中には
白いうさぎがぴょん、ぴょんと横切り、
命短し、恋せよ乙女と
訥々たる声が流れてくる。
どの側面もまぎれもなく自分であり、
どれも今は捨てられない。
麻布を歩く。
きみちゃん人形を見下ろす二階席の陽当たりが抜群の
カフェ ラ・ボエムで昼食。
ゴルゴンゾーラチーズのピッツァ(蜂蜜つき)が美味しい。
万華鏡屋さんをのぞく。
豆源で実家への土産を買う。
可愛い服を着た高級そうな犬が散歩している。
狸穴公園の猫と戯れる(ピンボケ有)

友人が出演しているお芝居を見る。
ギャラリー閉店記念の公演、とのこと。
目一杯の熱演。
ラバテルの絵本をお借りする。
隣駅だし森美術館に寄って帰ろうと思ったのは
間違いだった。
なにしろクリスマスだ。
ヒルズに近づくにつれて、
押し寄せてくる人の波が大きくなってくる。
踵を返す。
こんな日に、こんな場所を
一人で歩いていてはいけないよなあと思う。
でも街路のライトアップは素敵で
理由もなく何かに感謝したくなる。
テレビで、
人間にだけこころがあるなんてとんでもなくて、
アメーバにだってこころはあるんじゃないかと思う、
と話していた画家の言葉がふと思い出された。
こころあるすべての生命に。
どうぞみなさま、おしあわせに。
きみちゃん人形を見下ろす二階席の陽当たりが抜群の
カフェ ラ・ボエムで昼食。
ゴルゴンゾーラチーズのピッツァ(蜂蜜つき)が美味しい。
万華鏡屋さんをのぞく。
豆源で実家への土産を買う。
可愛い服を着た高級そうな犬が散歩している。
狸穴公園の猫と戯れる(ピンボケ有)

友人が出演しているお芝居を見る。
ギャラリー閉店記念の公演、とのこと。
目一杯の熱演。
ラバテルの絵本をお借りする。
隣駅だし森美術館に寄って帰ろうと思ったのは
間違いだった。
なにしろクリスマスだ。
ヒルズに近づくにつれて、
押し寄せてくる人の波が大きくなってくる。
踵を返す。
こんな日に、こんな場所を
一人で歩いていてはいけないよなあと思う。
でも街路のライトアップは素敵で
理由もなく何かに感謝したくなる。
テレビで、
人間にだけこころがあるなんてとんでもなくて、
アメーバにだってこころはあるんじゃないかと思う、
と話していた画家の言葉がふと思い出された。
こころあるすべての生命に。
どうぞみなさま、おしあわせに。
スピード、とか言いながら
休日のまったりした流れに巻き込まれて
自室で過ごす。
白黒映画に対する不当な認識を改めるため、
(というわけでもないが)
無料動画でヒッチコックの
Spellbound(白い恐怖)を見る。
スタッフに
サルバドール・ダリ、と出ている。
そういえば、壮絶な混み方で
入る前から鑑賞意欲をなくしていたダリ回顧展で
映画にも関わった、とかパネルに書いてあったような。
イングリット・バーグマンが
普段は冷静なのに、
愛に目覚めて急に献身的に変貌する女性を演じている。
部屋は昔と変わらないのに、
私は変わってしまった、全てが素晴らしい、、
なぞとのたまう場面が可愛らしい。
ヒッチコックも展開は速い。
ところで、この映画で出てきた
「卵入りコーヒー」
というのが気になっている。
前に助手をしていた教授の家で、
イングリッド・バーグマンが
「用意するわ」と言っているモノなのだが。
字幕は割といい加減なので、
「卵とコーヒーを用意する」と言ったのではないかと思って
3回ぐらい聞きなおした。
make some coffee with egg
と言っているように聞こえる。
やっぱ卵入りコーヒーか。
後の場面で準備が整ったはずのテーブルの上を見ても
やはり卵型をした物体は見られなかった。
卵がコーヒーに入るわけだ。
たまごご飯にかけるような溶き卵が
たらりと注がれて黒に黄色の渦巻きができる。
これは違う。
渦巻きは白くないと。
そもそも卵では下にたまって渦巻きはできないんじゃ、
とか。
コーヒー断ちしているせいか
やけに想像がリアルである。
教授がコーヒーを注いだ後に
別の容器から何かミルクのように注入したのが
その「卵」であるらしいのだけれど、
確かにちょっととろりとしていたけど、
あれは「卵だけ」のとろりではない。
きっと何か混じってるんだ。
ちなみに、
教授の後に写ったグレゴリーペックの
コーヒーカップの中身は
黒かったから、これは卵は入っていないらしい。
というわけで、後半は殆ど卵入りコーヒーの検索に当てられた
白い恐怖鑑賞だったわけだが、
卵入りコーヒーは実在して、
カフェ ウフ(oeuf)
と呼ばれていて、(なんか可愛い響き、、)
やはり卵黄のほかに、ラム酒と蜂蜜が入るとのこと。
コーヒーは少なめ(60ccぐらい)が
よろしいそうで。
一度飲んでみたいなあ。
休日のまったりした流れに巻き込まれて
自室で過ごす。
白黒映画に対する不当な認識を改めるため、
(というわけでもないが)
無料動画でヒッチコックの
Spellbound(白い恐怖)を見る。
スタッフに
サルバドール・ダリ、と出ている。
そういえば、壮絶な混み方で
入る前から鑑賞意欲をなくしていたダリ回顧展で
映画にも関わった、とかパネルに書いてあったような。
イングリット・バーグマンが
普段は冷静なのに、
愛に目覚めて急に献身的に変貌する女性を演じている。
部屋は昔と変わらないのに、
私は変わってしまった、全てが素晴らしい、、
なぞとのたまう場面が可愛らしい。
ヒッチコックも展開は速い。
ところで、この映画で出てきた
「卵入りコーヒー」
というのが気になっている。
前に助手をしていた教授の家で、
イングリッド・バーグマンが
「用意するわ」と言っているモノなのだが。
字幕は割といい加減なので、
「卵とコーヒーを用意する」と言ったのではないかと思って
3回ぐらい聞きなおした。
make some coffee with egg
と言っているように聞こえる。
やっぱ卵入りコーヒーか。
後の場面で準備が整ったはずのテーブルの上を見ても
やはり卵型をした物体は見られなかった。
卵がコーヒーに入るわけだ。
たまごご飯にかけるような溶き卵が
たらりと注がれて黒に黄色の渦巻きができる。
これは違う。
渦巻きは白くないと。
そもそも卵では下にたまって渦巻きはできないんじゃ、
とか。
コーヒー断ちしているせいか
やけに想像がリアルである。
教授がコーヒーを注いだ後に
別の容器から何かミルクのように注入したのが
その「卵」であるらしいのだけれど、
確かにちょっととろりとしていたけど、
あれは「卵だけ」のとろりではない。
きっと何か混じってるんだ。
ちなみに、
教授の後に写ったグレゴリーペックの
コーヒーカップの中身は
黒かったから、これは卵は入っていないらしい。
というわけで、後半は殆ど卵入りコーヒーの検索に当てられた
白い恐怖鑑賞だったわけだが、
卵入りコーヒーは実在して、
カフェ ウフ(oeuf)
と呼ばれていて、(なんか可愛い響き、、)
やはり卵黄のほかに、ラム酒と蜂蜜が入るとのこと。
コーヒーは少なめ(60ccぐらい)が
よろしいそうで。
一度飲んでみたいなあ。
映画に色がついてないなんて
つまらないじゃないか、と思っていて。
多分それは間違いだろうと薄々感じてはいたし
良いよと言われて見た白黒作品は
確かに良かったのだけれど、
でも自発的に白黒映画を見ようという気には
余程のことがないとならなかったから、
今まで、通しで見た白黒映画は、
きっと数えられる。
ヘプバーンのが2本
チャップリンが2本
ヒッチコック2本、
小津2本
自転車泥棒に第三の男(でも途中寝ていた)
10本しかない!(ひどいなあ)
たぶん、お子様としては
白黒は眠くなっちゃうのだ。
というわけで、黒澤監督の作品も、
晩年のカラーしか見たことがなく。
白黒で、かつ時代劇だし、と高をくくって
有名どころも知らん顔をしていた。
んだけれども、
ダイジェストで3本ほど見せてもらったら、
かくも障壁の高い「白黒であること」が
吹き飛ぶぐらい面白くて、
珍しくあははと大きな声で笑ってしまった。
初めてじっと見たような気がする三船敏郎も
かっこよかったし。
芥川の小説を思い浮かべるような雰囲気も面白い。
知らなきゃお話にならない、ということは
確かにある。
まあもともとモノを知らない人間なので、
なにごとも学びなり。
論文。
メスが異種交配を決断するのはどんな時か。
環境要因などで異種交配したほうが有利と考えるときらしい。
人間でも、
自分に危機感があるときは
自分とは明らかに世界が違うパートナー(同性異性問わず)を選ぶし
満足感があるときは自分に似たパートナーを選ぶような気もする。
(飛躍しすぎかしら、、
いやいや、飛躍こそが私の本領で)
相変わらず英語は課題。
今年最後の朝カル。
余りの忙しさに呆然とされながらも
講義を続けて下さっている先生のおかげで
私の世界は変化しつつあり。
(ありがとうございます、、)
来年は、もっとスピードを上げていかないと
いけないな、と。
つまらないじゃないか、と思っていて。
多分それは間違いだろうと薄々感じてはいたし
良いよと言われて見た白黒作品は
確かに良かったのだけれど、
でも自発的に白黒映画を見ようという気には
余程のことがないとならなかったから、
今まで、通しで見た白黒映画は、
きっと数えられる。
ヘプバーンのが2本
チャップリンが2本
ヒッチコック2本、
小津2本
自転車泥棒に第三の男(でも途中寝ていた)
10本しかない!(ひどいなあ)
たぶん、お子様としては
白黒は眠くなっちゃうのだ。
というわけで、黒澤監督の作品も、
晩年のカラーしか見たことがなく。
白黒で、かつ時代劇だし、と高をくくって
有名どころも知らん顔をしていた。
んだけれども、
ダイジェストで3本ほど見せてもらったら、
かくも障壁の高い「白黒であること」が
吹き飛ぶぐらい面白くて、
珍しくあははと大きな声で笑ってしまった。
初めてじっと見たような気がする三船敏郎も
かっこよかったし。
芥川の小説を思い浮かべるような雰囲気も面白い。
知らなきゃお話にならない、ということは
確かにある。
まあもともとモノを知らない人間なので、
なにごとも学びなり。
論文。
メスが異種交配を決断するのはどんな時か。
環境要因などで異種交配したほうが有利と考えるときらしい。
人間でも、
自分に危機感があるときは
自分とは明らかに世界が違うパートナー(同性異性問わず)を選ぶし
満足感があるときは自分に似たパートナーを選ぶような気もする。
(飛躍しすぎかしら、、
いやいや、飛躍こそが私の本領で)
相変わらず英語は課題。
今年最後の朝カル。
余りの忙しさに呆然とされながらも
講義を続けて下さっている先生のおかげで
私の世界は変化しつつあり。
(ありがとうございます、、)
来年は、もっとスピードを上げていかないと
いけないな、と。
相変わらず、
昼間の仕事は暇で、夜のバイトは忙しい。
当面の課題は、
人生のバリエーションを増やすこと。
バリエーションを生み出せる
体質になること、というべきか。
訳書で読んだ子供の頃は
大袈裟に感じた「アン」の言葉は、
原書だから、なのか
いや、今だから、なのかもしれないが、
自分の感覚や信ずべきことを信じる覚悟を感じさせて
励みになる。
★
昼食はグリーンと黄の二色カレー。
夜は野菜を大量投入したカレー鍋(自作)。
キャベツがおいしい。
イチローさんも毎日カレー食べてるっていうし、
まあいいか。
昼間の仕事は暇で、夜のバイトは忙しい。
当面の課題は、
人生のバリエーションを増やすこと。
バリエーションを生み出せる
体質になること、というべきか。
訳書で読んだ子供の頃は
大袈裟に感じた「アン」の言葉は、
原書だから、なのか
いや、今だから、なのかもしれないが、
自分の感覚や信ずべきことを信じる覚悟を感じさせて
励みになる。
★
昼食はグリーンと黄の二色カレー。
夜は野菜を大量投入したカレー鍋(自作)。
キャベツがおいしい。
イチローさんも毎日カレー食べてるっていうし、
まあいいか。
通勤時間帯を「アン」の時間に充てている。
JRに乗ってから降りるまでの28分で
1章約8−10ページを読む。
多分これでも人生最速ではないか
という気がする。
初めて「英文読解」から
「普通に小説を読んでいる」感じを掴む。
パンダ読みの効果を実感。
でも日本語並みにスピードアップしたい。
平易な言葉を使っても魅力的な表現はできる。
そのお手本みたいな文章に出会えたのは幸せだった。
★
帰宅後、プロフェッショナルを見てから、
desperate housewivesのDVDを見る。
45分×2。
番組によって
発音とか文章の聞き取りやすさ、
分かりやすさが全然違う。
母国語で考えても当たり前のことに
初心のうちは気がつかない。
というわけで、「聞く」のにも
パンダキリン分類を導入したら
勉強法がすっきりしてきた。
Friendsに続き、
desperate housewivesも
字幕OFFで何とかいけるので、
分類は「パンダ」。
相変わらずThe west wing は字幕を消すと
殆ど分からないので、
こちらは「キリン」。
★
昨日の池上先生の話は
数回聞いた中で最も理解できて印象深く、
録音を取ればよかったと後悔した。
進化論の本質は
新しい種をいかに生み出すかということで、
それは一見失敗作に見えたものの中に
その萌芽がある。
ということと、
JRから私鉄に乗り換えてから帰宅まで聞いていた
認知系の講義の中で出てきた
サヴァン症候群に見られる
数学的(芸術的もあるらしい)能力の発達は
通常の脳と比較して
何かが欠落しているからこそ
獲得できたのではないかという話が結びついて、
よくは分からないけれども
ぽん、とスパークしたところで
部屋に帰り着いた。
喪失とは獲得であり
制約が創造に繋がると思えば
喪失や制約にも
親しみを感じられるかもしれない。
JRに乗ってから降りるまでの28分で
1章約8−10ページを読む。
多分これでも人生最速ではないか
という気がする。
初めて「英文読解」から
「普通に小説を読んでいる」感じを掴む。
パンダ読みの効果を実感。
でも日本語並みにスピードアップしたい。
平易な言葉を使っても魅力的な表現はできる。
そのお手本みたいな文章に出会えたのは幸せだった。
★
帰宅後、プロフェッショナルを見てから、
desperate housewivesのDVDを見る。
45分×2。
番組によって
発音とか文章の聞き取りやすさ、
分かりやすさが全然違う。
母国語で考えても当たり前のことに
初心のうちは気がつかない。
というわけで、「聞く」のにも
パンダキリン分類を導入したら
勉強法がすっきりしてきた。
Friendsに続き、
desperate housewivesも
字幕OFFで何とかいけるので、
分類は「パンダ」。
相変わらずThe west wing は字幕を消すと
殆ど分からないので、
こちらは「キリン」。
★
昨日の池上先生の話は
数回聞いた中で最も理解できて印象深く、
録音を取ればよかったと後悔した。
進化論の本質は
新しい種をいかに生み出すかということで、
それは一見失敗作に見えたものの中に
その萌芽がある。
ということと、
JRから私鉄に乗り換えてから帰宅まで聞いていた
認知系の講義の中で出てきた
サヴァン症候群に見られる
数学的(芸術的もあるらしい)能力の発達は
通常の脳と比較して
何かが欠落しているからこそ
獲得できたのではないかという話が結びついて、
よくは分からないけれども
ぽん、とスパークしたところで
部屋に帰り着いた。
喪失とは獲得であり
制約が創造に繋がると思えば
喪失や制約にも
親しみを感じられるかもしれない。
「赤毛のアン」は
通勤の片道で1章読むことにした。
久しぶりに読んでみて、
アンが好きだなあ、と思う。
午後、美術解剖学の聴講。
キーワードだけ覚え書き。
偶有性とpratonic absoluteとの両立、
南方熊楠の萃点
進化論の本質
非実用としての科学と芸術、
忙しさ、多産、
バリエーションジェネレータという普遍性
などなど。
昨夜冒頭を読みかけて終わった
「すべては音楽から生まれる」の
続きを読む。
世の中には才能のあるひとがいて、
色々と素晴らしいことを表現していて、
自分はそれを鑑賞して魂の糧とする以外に
何かするべきことがあろうか
という気もする。
果たして
ミミズは虹を見るか。
近頃ご愛用の豆乳鍋をつくる。
豆乳がふわりと煮立って
乳白色の泡を吹く。
急いで
モヤシとネギとタマネギと豆腐を入れる。
豆もやしが美味しい。
通勤の片道で1章読むことにした。
久しぶりに読んでみて、
アンが好きだなあ、と思う。
午後、美術解剖学の聴講。
キーワードだけ覚え書き。
偶有性とpratonic absoluteとの両立、
南方熊楠の萃点
進化論の本質
非実用としての科学と芸術、
忙しさ、多産、
バリエーションジェネレータという普遍性
などなど。
昨夜冒頭を読みかけて終わった
「すべては音楽から生まれる」の
続きを読む。
世の中には才能のあるひとがいて、
色々と素晴らしいことを表現していて、
自分はそれを鑑賞して魂の糧とする以外に
何かするべきことがあろうか
という気もする。
果たして
ミミズは虹を見るか。
近頃ご愛用の豆乳鍋をつくる。
豆乳がふわりと煮立って
乳白色の泡を吹く。
急いで
モヤシとネギとタマネギと豆腐を入れる。
豆もやしが美味しい。
夕方から新宿に。
いつもは紀伊国屋なのだけれど、
今日は気分でジュンク堂に。
広い書店が好き。
1フロア見渡す限りの木製書棚に背表紙が並んで壮観。
世の中にはこれだけの本があり、
また本をつくるひとたちがいるのかと
しばし呆然とする。
洋書コーナーに足を伸ばす。
読みかけの「モリー先生」は、
今まで出会った中では
読みやすい割に好みの文章なのだけれど、
いかんせん内容が重い部分もあり
止まっている。
何かないかしらと探索。
「英語を読もう」系の本を見ていたら、
30万語読めば
「読みやすさレベル」2.5〜3.5の本
(ちなみにレベルは0から9.9まで)
が読めますよと書いてあった。
この本は怠惰な学習者には
非常に都合の良いことが書いてあって、
辞書は引かない
分からない言葉は飛ばして読む
つまらなかったら全部読もうとせずに次の本に行く
などと、えらくオイシイ。
それでも30万語読めばいいのよ、
ということなんだそうで。
読んだ語数なんか数えてられないよとは思うのだけれど、
まあ大体でも30万語という目標があると
取りかかりやすいかも。
1年365日継続して読めば1日821語読めばよい。
横幅太めのペーパーバックなら4ページで1000語、
と思うとけっこう軽い。
パンダ読みとキリン読み、
というキーワードが印象に残ったので覚え書き。
パンダ読み…多少難しい本が読めるようになっても
易しい本も並行して読む。
キリン読み…いまだ難しい本が読めなくても
たまに興味関心のある専門分野の難しい本は読む
ってことだそうで。
パンダは今ひとつ分からないんだけど
キリンは首を伸ばしてというか背伸びしたランクも読もうね、
ってことだね、たぶん。
最近キリン読みはnatureで、
パンダ読みはモリー先生だったわけだけれど、
まあ上記のようなことで、
パンダ系を追加で少々仕入れることにした。
真似ばかりするのは
子供っぽくて気が引けるけれど、
やっぱり知ってる人のコメントがあるものは
引力が強い。
一昨日の話によれば学習効果も高いそうだし。
で、手にとったらさらさらと流れるように読めて快感だった
Anne of Green Gablesをパンダとして。
キリンとの中間程度で
「これを原文で読まない手はない」と
これぞ惹き文句、てな感じの
翻訳家柴田さんのオビがついた
ポール・オースター「City of Glass」を仕入れ。
家を出てから帰るまで
ベートーベンの後期弦楽四重奏曲を聞いていて、
帰り道、14番の後半の旋律に戦慄が走る。
ちょうど買った本を読んでいた。
音楽を聞くと、
脳は食事をしたときと同じような
快感を得るのだそうな。
(私の場合、好みの人の話を聞いていても
そんな感じがするけども)
たしかに、今日は夕食抜きで満足だった。
なにかと脂肪のたまりがちな冬、
ダイエットにも「耳を澄ます」のが効くかも。
★
最近よく見るようになったN響アワーは
チャイコフスキーの交響曲1番。
指揮者のネルロ・サンティさんが
バイタリティと健康の秘訣は?
と質問を受けて
自分の好きな仕事をすること。
好きな仕事で成功することも大事。
成功しないと悲しくなってしまいますから、
と、にっこり。
司会の池辺さんは
素朴に笑えるコメントを発する方だけれど、
「サンティさんて、
フェデリコ・フェリーニ監督の映画に出てくる
おじさんみたい」
と言ったのが妙にツボで、
ひとりの部屋でふふふと笑った。
いつもは紀伊国屋なのだけれど、
今日は気分でジュンク堂に。
広い書店が好き。
1フロア見渡す限りの木製書棚に背表紙が並んで壮観。
世の中にはこれだけの本があり、
また本をつくるひとたちがいるのかと
しばし呆然とする。
洋書コーナーに足を伸ばす。
読みかけの「モリー先生」は、
今まで出会った中では
読みやすい割に好みの文章なのだけれど、
いかんせん内容が重い部分もあり
止まっている。
何かないかしらと探索。
「英語を読もう」系の本を見ていたら、
30万語読めば
「読みやすさレベル」2.5〜3.5の本
(ちなみにレベルは0から9.9まで)
が読めますよと書いてあった。
この本は怠惰な学習者には
非常に都合の良いことが書いてあって、
辞書は引かない
分からない言葉は飛ばして読む
つまらなかったら全部読もうとせずに次の本に行く
などと、えらくオイシイ。
それでも30万語読めばいいのよ、
ということなんだそうで。
読んだ語数なんか数えてられないよとは思うのだけれど、
まあ大体でも30万語という目標があると
取りかかりやすいかも。
1年365日継続して読めば1日821語読めばよい。
横幅太めのペーパーバックなら4ページで1000語、
と思うとけっこう軽い。
パンダ読みとキリン読み、
というキーワードが印象に残ったので覚え書き。
パンダ読み…多少難しい本が読めるようになっても
易しい本も並行して読む。
キリン読み…いまだ難しい本が読めなくても
たまに興味関心のある専門分野の難しい本は読む
ってことだそうで。
パンダは今ひとつ分からないんだけど
キリンは首を伸ばしてというか背伸びしたランクも読もうね、
ってことだね、たぶん。
最近キリン読みはnatureで、
パンダ読みはモリー先生だったわけだけれど、
まあ上記のようなことで、
パンダ系を追加で少々仕入れることにした。
真似ばかりするのは
子供っぽくて気が引けるけれど、
やっぱり知ってる人のコメントがあるものは
引力が強い。
一昨日の話によれば学習効果も高いそうだし。
で、手にとったらさらさらと流れるように読めて快感だった
Anne of Green Gablesをパンダとして。
キリンとの中間程度で
「これを原文で読まない手はない」と
これぞ惹き文句、てな感じの
翻訳家柴田さんのオビがついた
ポール・オースター「City of Glass」を仕入れ。
家を出てから帰るまで
ベートーベンの後期弦楽四重奏曲を聞いていて、
帰り道、14番の後半の旋律に戦慄が走る。
ちょうど買った本を読んでいた。
音楽を聞くと、
脳は食事をしたときと同じような
快感を得るのだそうな。
(私の場合、好みの人の話を聞いていても
そんな感じがするけども)
たしかに、今日は夕食抜きで満足だった。
なにかと脂肪のたまりがちな冬、
ダイエットにも「耳を澄ます」のが効くかも。
★
最近よく見るようになったN響アワーは
チャイコフスキーの交響曲1番。
指揮者のネルロ・サンティさんが
バイタリティと健康の秘訣は?
と質問を受けて
自分の好きな仕事をすること。
好きな仕事で成功することも大事。
成功しないと悲しくなってしまいますから、
と、にっこり。
司会の池辺さんは
素朴に笑えるコメントを発する方だけれど、
「サンティさんて、
フェデリコ・フェリーニ監督の映画に出てくる
おじさんみたい」
と言ったのが妙にツボで、
ひとりの部屋でふふふと笑った。
一昨日読んだ文章に、
lavor in vain という言葉が出てきた。
徒労、ですかね。
この言葉、読んだ瞬間にかちんときて、
何故かしらと思ってたんですが。
同じ意味の英語とスペイン語(だったかな、、、)
の言葉のペアを人間に記憶させた後、
PC画面で英語を見せて
対応するスペイン語を書かせる、
という実験だったわけだけれども、
つまりは英語を見てもスペイン語が
正確に入力できなかった、
という結果に終わったものを
指してlavor in vain
と言ってるわけでした。
易しくも難しくもない中ぐらいのものとか、
聞きかじったけれど正確に理解してない程度のものを学ぶのが
記憶の定着率が高いよ、という結果があって、
更に、
難しすぎる学習対象を選ぶと
割り当てた時間の割に徒労に終わるよ、と言ってるわけですが。
(別に、だからやめようね、といってるわけじゃあ
ないと思いますが)
でもさ、と思うわけです。
1回目にlavor in vainで終わったことが、
もう一度実験したとすれば、
それは聞きかじった程度に記憶には残ってる
学習効果の高いものになるはずなわけで。
つまり、難しいものも、
今回はin vain に終わったとしても、
次回の学習効果を期待して、
やっぱり、長期投資として
やっておくべき価値はあるわけですよね。
難しいものも学んでおかないと、
次回に学習効果の高いはずの「中ぐらい」の対象が
貧困になっちゃって、
結局、循環で、
易しいことばかりやることになるでしょ。
難しいことばかりやってると、
当初は徒労な感じが続くけど、
いずれはむかし難しかったことが
やがて中ぐらいの難しさに格下げされて、
更に学習効果の高まりを実感できる良い循環のフェーズに
突入するわけですよ。きっと。
まあそんなわけで、
面白そうな学問は、
難しくてよく分からなくても(泣、、)
仕事と直結しなくても(泣、、)
頭脳の長期投資として、
やる価値はあると思うわけですよ。
ね。
少々弁解がましいですが、
まあ、
やりたいことはやっとかないと(笑)
lavor in vain という言葉が出てきた。
徒労、ですかね。
この言葉、読んだ瞬間にかちんときて、
何故かしらと思ってたんですが。
同じ意味の英語とスペイン語(だったかな、、、)
の言葉のペアを人間に記憶させた後、
PC画面で英語を見せて
対応するスペイン語を書かせる、
という実験だったわけだけれども、
つまりは英語を見てもスペイン語が
正確に入力できなかった、
という結果に終わったものを
指してlavor in vain
と言ってるわけでした。
易しくも難しくもない中ぐらいのものとか、
聞きかじったけれど正確に理解してない程度のものを学ぶのが
記憶の定着率が高いよ、という結果があって、
更に、
難しすぎる学習対象を選ぶと
割り当てた時間の割に徒労に終わるよ、と言ってるわけですが。
(別に、だからやめようね、といってるわけじゃあ
ないと思いますが)
でもさ、と思うわけです。
1回目にlavor in vainで終わったことが、
もう一度実験したとすれば、
それは聞きかじった程度に記憶には残ってる
学習効果の高いものになるはずなわけで。
つまり、難しいものも、
今回はin vain に終わったとしても、
次回の学習効果を期待して、
やっぱり、長期投資として
やっておくべき価値はあるわけですよね。
難しいものも学んでおかないと、
次回に学習効果の高いはずの「中ぐらい」の対象が
貧困になっちゃって、
結局、循環で、
易しいことばかりやることになるでしょ。
難しいことばかりやってると、
当初は徒労な感じが続くけど、
いずれはむかし難しかったことが
やがて中ぐらいの難しさに格下げされて、
更に学習効果の高まりを実感できる良い循環のフェーズに
突入するわけですよ。きっと。
まあそんなわけで、
面白そうな学問は、
難しくてよく分からなくても(泣、、)
仕事と直結しなくても(泣、、)
頭脳の長期投資として、
やる価値はあると思うわけですよ。
ね。
少々弁解がましいですが、
まあ、
やりたいことはやっとかないと(笑)
飲み会は、参加費だけ払って
早々に失礼すべし、という説もある。
2時間かけて論文を5ページ読む。
(いかに初心者にしても遅すぎる、、)
なるほどねえ、と思ったこと。
メタ認知が不正確だと学習対象の選択を誤るし、
実行する過程においても失敗する。
(耳に痛し、、、)
学習効果について、
・ランダムに選ばれた対象を学習
<自分が選択した対象を学習
・自分の選択した対象を学習
≒一時的に記憶に残っているものの中から
ランダムに選ばれたものを学習
・ランダムに選ばれたものを学習
<一時的に記憶に残っているものの中から
ランダムに選ばれたものを学習
(でも実験の設定に問題があるらしい)
というわけで、少し聞きかじったことを
改めて学ぶのは、たとえ自分で選んだ対象でなくても
学習効果が高いかもしれない。
(例えば、自分がよく知っている人が誰かと対談していると、
その対談相手の話も興味深く聞ける、みたいな感じですかね)
学ぶことのランクを3種類(難しい、中程度に難しい、易しい)
に分けた場合、
・中程度の難しさの学習に最も没頭する。
・中程度の難しさの対象を学ぶ場合の効果が高い。
(でも、秒単位の学習効果比較からすると、
もっと易しい対象に学習時間を割り当てたほうが
効果が高いんじゃないのと補足してある)
・短時間だと易しい対象に学習時間を割り当てたほうが効率が良いが
長時間与えられると同じ易しいことを学んでも効率が悪い。
(意欲の問題だね)
・学習時間を長く設定すると難しい対象を学習しはじめる傾向があり、
難しlすぎることに挑戦すると時間の割に徒労に終わることが多い。
(耳に痛し、、、)
などなど。
そもそも実験に使われているのが
言葉の意味を覚える程度の学習なので、
一般で言う学習というよりも、
記憶の問題か?という気もするし。
(まだ実験1までしか読めていないので
後でまた何か違うことが
書かれてるかもしれませんが)
★
この話から考えてみるに、
仕事を速くするほうが効率が良く没頭できる私は、
明らかに「易しい」仕事をしている
(早く転職しよう!)
ともあれ、
他人の力を借りずに5ページ読めたのは進歩。
(がんばった、、笑)
今日の没頭度はしあわせだったなあ。
これぞ「中程度の難しさ」ってものかしら。
そうそう、よく長期目標と短期目標を持て
とか言いますが。
人間、学習に割り当てられる時間が短いと思うと
易しいことを学習するの選ぶみたいですね。
長期目標を設定しないと
難しいことには挑戦しない体質になってしまうし
(はて、誰のことだろう、、)
短期も設定して簡単なことをさっさとやっていかないと
効率が悪い。
やっぱり目標は長期と短期、
両方設定するのが良いらしい、ということで。
ふう。認知系の論文は面白いなあ。
早々に失礼すべし、という説もある。
2時間かけて論文を5ページ読む。
(いかに初心者にしても遅すぎる、、)
なるほどねえ、と思ったこと。
メタ認知が不正確だと学習対象の選択を誤るし、
実行する過程においても失敗する。
(耳に痛し、、、)
学習効果について、
・ランダムに選ばれた対象を学習
<自分が選択した対象を学習
・自分の選択した対象を学習
≒一時的に記憶に残っているものの中から
ランダムに選ばれたものを学習
・ランダムに選ばれたものを学習
<一時的に記憶に残っているものの中から
ランダムに選ばれたものを学習
(でも実験の設定に問題があるらしい)
というわけで、少し聞きかじったことを
改めて学ぶのは、たとえ自分で選んだ対象でなくても
学習効果が高いかもしれない。
(例えば、自分がよく知っている人が誰かと対談していると、
その対談相手の話も興味深く聞ける、みたいな感じですかね)
学ぶことのランクを3種類(難しい、中程度に難しい、易しい)
に分けた場合、
・中程度の難しさの学習に最も没頭する。
・中程度の難しさの対象を学ぶ場合の効果が高い。
(でも、秒単位の学習効果比較からすると、
もっと易しい対象に学習時間を割り当てたほうが
効果が高いんじゃないのと補足してある)
・短時間だと易しい対象に学習時間を割り当てたほうが効率が良いが
長時間与えられると同じ易しいことを学んでも効率が悪い。
(意欲の問題だね)
・学習時間を長く設定すると難しい対象を学習しはじめる傾向があり、
難しlすぎることに挑戦すると時間の割に徒労に終わることが多い。
(耳に痛し、、、)
などなど。
そもそも実験に使われているのが
言葉の意味を覚える程度の学習なので、
一般で言う学習というよりも、
記憶の問題か?という気もするし。
(まだ実験1までしか読めていないので
後でまた何か違うことが
書かれてるかもしれませんが)
★
この話から考えてみるに、
仕事を速くするほうが効率が良く没頭できる私は、
明らかに「易しい」仕事をしている
(早く転職しよう!)
ともあれ、
他人の力を借りずに5ページ読めたのは進歩。
(がんばった、、笑)
今日の没頭度はしあわせだったなあ。
これぞ「中程度の難しさ」ってものかしら。
そうそう、よく長期目標と短期目標を持て
とか言いますが。
人間、学習に割り当てられる時間が短いと思うと
易しいことを学習するの選ぶみたいですね。
長期目標を設定しないと
難しいことには挑戦しない体質になってしまうし
(はて、誰のことだろう、、)
短期も設定して簡単なことをさっさとやっていかないと
効率が悪い。
やっぱり目標は長期と短期、
両方設定するのが良いらしい、ということで。
ふう。認知系の論文は面白いなあ。
ダブルワークするようになってから
調子が良い。
一つの会社で同じ時間働くよりも、
軽く感じる。
世界が一つだと、煮詰まってしまって
思考が堂々巡りする。
忙しいほうが仕事も速く進むし、
意外だが正確にもなる。
最近、あまり郷に従わないことにして
自分のペース
(今の会社の周りの人たちよりはどうも速いらしいのだ)を
維持するようになってから
諸々が上手く回転するようになった。
先日読んだ言葉が印象に残っている。
学ぶ対象を恐れ多く感じて
「びびって」いては上手く使えない。
思い込みを捨てて学ぶのは大事だが
最終的に自分の方法論として
取り込むかどうか、という選択の時には
自分のセンスを信じる、
下剋上みたいに、という。
これは人生の処しかた全般に通じるんだろう。
偉いひとの「おっしゃること」を
鵜呑みにするだけでは
自分の方法論にならない。
(思い込みを捨てることとのバランスは
微妙な匙加減が必要だけれど)
でも、自分のセンスを信じて
選択、決断を繰り返すことによってしか
センスは磨かれない、と
どこかで聞いた。
(梅田望夫さんの講演だったかな)
そんな気がする。
★
夜の勤め先でクラシックマニアの経営者に勧められて
話の種にとドヴォルザークを聞いている。
ジョン・ケージを貸してください、
と言ったはずだったのだが、
「やっぱり初心者は聞き易いのからね」
と「新世界より」になった。
これって「おうちに帰ろう」の音楽だ。
遠き山に日は落ちて、って歌だと思ってたけど、
よく見たら曲・ドヴォルザークになってる。
知らなかったなあ。
調子が良い。
一つの会社で同じ時間働くよりも、
軽く感じる。
世界が一つだと、煮詰まってしまって
思考が堂々巡りする。
忙しいほうが仕事も速く進むし、
意外だが正確にもなる。
最近、あまり郷に従わないことにして
自分のペース
(今の会社の周りの人たちよりはどうも速いらしいのだ)を
維持するようになってから
諸々が上手く回転するようになった。
先日読んだ言葉が印象に残っている。
学ぶ対象を恐れ多く感じて
「びびって」いては上手く使えない。
思い込みを捨てて学ぶのは大事だが
最終的に自分の方法論として
取り込むかどうか、という選択の時には
自分のセンスを信じる、
下剋上みたいに、という。
これは人生の処しかた全般に通じるんだろう。
偉いひとの「おっしゃること」を
鵜呑みにするだけでは
自分の方法論にならない。
(思い込みを捨てることとのバランスは
微妙な匙加減が必要だけれど)
でも、自分のセンスを信じて
選択、決断を繰り返すことによってしか
センスは磨かれない、と
どこかで聞いた。
(梅田望夫さんの講演だったかな)
そんな気がする。
★
夜の勤め先でクラシックマニアの経営者に勧められて
話の種にとドヴォルザークを聞いている。
ジョン・ケージを貸してください、
と言ったはずだったのだが、
「やっぱり初心者は聞き易いのからね」
と「新世界より」になった。
これって「おうちに帰ろう」の音楽だ。
遠き山に日は落ちて、って歌だと思ってたけど、
よく見たら曲・ドヴォルザークになってる。
知らなかったなあ。
始めてしまえば何とかなる、ということもある。
昨日のぐうたらを取り返すべく、
午後から中野の本屋経由で図書館へ。
ファンのつとめとして
「それでも脳はたくらむ」「科学のクオリア」購入。
図書館は混雑していて座る場所もない。
ホールのベンチに座って読んでいると、
ロビーを全力疾走していた子供が転んで泣き出し
これまた落ち着かない。
雑誌コーナーをうろついて「現代思想」を手に取ったら
「なぜ余計なことを考えるのか」
という冗談みたいなタイトルが目に入る。
「いま私はビルの二階の喫茶店にいて、水族館の水槽のような一枚ガラスの窓から外を見渡し、「なぜ余計なことを考えるのか」という問題について考えている。「なぜ余計なことを考えるのか」は微動だにせず、しかし同時に私は「隣のビルの先端はクマの耳に似ている」とか、「窓際にある観葉植物の葉は厚ぼったい」などと考えている。まさに何か考えながら、余計なことを考えている。しかし…」と続く。面白い。
数学の雑誌と一緒にコピーをとってから図書館を出て、
近くの喫茶店に入る。
昨日をもってアルコールは飲み納めで、
コーヒーも断つことにしたので、
仕方なく抹茶ミルク。
喫茶店に入ってコーヒーが飲めないなんて
死んじまったほうがましだろうと思わなくもないが、
まあ仕方がない。
さっきの続きを読んでみる。
量子論と絡んでいるせいで少し、いや、けっこう難しいが、
結論だけはよく分かる(笑)
とにかく、こういうことだ。
「何かを考えているとき、泡のように出現する余計なことは、考えていることとの同時性において、すでに全体との調停を志向する個物である。それは量子もつれの構造の萌芽であり、あなたの認識世界を変える種子がうまれつつある現場だ。余計なことがとまらないとき、あなたはしめたと思うべきなのだ。」
(なぜ余計なことを考えるのか 郡司ペギオ幸夫+塩谷賢)
確かにこれは別の意味でも、しめたと思うべきだろう。
つい本題から外れて「余計なこと」を考えてしまう私みたいな人間のための良い理論武装が見つかった。
★
6時を過ぎると図書館も空いて来るので
喫茶店を出て図書館に戻る。
野口悠紀夫さんの「超」文章法、超整理法(3)、
斉藤孝さんの「使える読書」を立読み。
斉藤さんはゲーテなどを使って文章を書くわけだけれど、
それに関してこんなことが書いてあった。
「本当に「使える」には、対象に対して強い立場に立たないとだめなんです。びびっていると使えるようにならない。」
「「気持ちでは負けてないよ」という地点から読み始めること」
ただし、思い込みには注意。
思い込んでしまうと、「自分の限界が読書の限界」になる。
読書とは自分の限界を突破することなのだから、思い込んでは読書の甲斐がない。
読んでいる時はまず、自分の思いを捨てて「相手に憑依すること」。
相手に沿って、本に傍線も引きまくって、最後にセレクトする時になって、急に自分の立場が強くなる、下剋上みたいな感じ、、。
というあたり、納得した。
帰宅すると丁度N響アワーの時間で、
引用の美学と題した特集だった。
パロディ満載のサン・サーンス「動物の謝肉祭」、
グレゴリオ聖歌の「怒りの日」が巧みに引用された
ベルリオーズの幻想交響曲14。
確かに、引用する対象に「気持ちでは負けない」強さがあってはじめて
パロディともなり、名曲ともなる。
憑依した後の下剋上。
創造とは戦いなのだ。
そろそろ眠い。
前にドラマが印象深かった
「モリー先生との火曜日」を原文で読んでいる。
昨日のぐうたらを取り返すべく、
午後から中野の本屋経由で図書館へ。
ファンのつとめとして
「それでも脳はたくらむ」「科学のクオリア」購入。
図書館は混雑していて座る場所もない。
ホールのベンチに座って読んでいると、
ロビーを全力疾走していた子供が転んで泣き出し
これまた落ち着かない。
雑誌コーナーをうろついて「現代思想」を手に取ったら
「なぜ余計なことを考えるのか」
という冗談みたいなタイトルが目に入る。
「いま私はビルの二階の喫茶店にいて、水族館の水槽のような一枚ガラスの窓から外を見渡し、「なぜ余計なことを考えるのか」という問題について考えている。「なぜ余計なことを考えるのか」は微動だにせず、しかし同時に私は「隣のビルの先端はクマの耳に似ている」とか、「窓際にある観葉植物の葉は厚ぼったい」などと考えている。まさに何か考えながら、余計なことを考えている。しかし…」と続く。面白い。
数学の雑誌と一緒にコピーをとってから図書館を出て、
近くの喫茶店に入る。
昨日をもってアルコールは飲み納めで、
コーヒーも断つことにしたので、
仕方なく抹茶ミルク。
喫茶店に入ってコーヒーが飲めないなんて
死んじまったほうがましだろうと思わなくもないが、
まあ仕方がない。
さっきの続きを読んでみる。
量子論と絡んでいるせいで少し、いや、けっこう難しいが、
結論だけはよく分かる(笑)
とにかく、こういうことだ。
「何かを考えているとき、泡のように出現する余計なことは、考えていることとの同時性において、すでに全体との調停を志向する個物である。それは量子もつれの構造の萌芽であり、あなたの認識世界を変える種子がうまれつつある現場だ。余計なことがとまらないとき、あなたはしめたと思うべきなのだ。」
(なぜ余計なことを考えるのか 郡司ペギオ幸夫+塩谷賢)
確かにこれは別の意味でも、しめたと思うべきだろう。
つい本題から外れて「余計なこと」を考えてしまう私みたいな人間のための良い理論武装が見つかった。
★
6時を過ぎると図書館も空いて来るので
喫茶店を出て図書館に戻る。
野口悠紀夫さんの「超」文章法、超整理法(3)、
斉藤孝さんの「使える読書」を立読み。
斉藤さんはゲーテなどを使って文章を書くわけだけれど、
それに関してこんなことが書いてあった。
「本当に「使える」には、対象に対して強い立場に立たないとだめなんです。びびっていると使えるようにならない。」
「「気持ちでは負けてないよ」という地点から読み始めること」
ただし、思い込みには注意。
思い込んでしまうと、「自分の限界が読書の限界」になる。
読書とは自分の限界を突破することなのだから、思い込んでは読書の甲斐がない。
読んでいる時はまず、自分の思いを捨てて「相手に憑依すること」。
相手に沿って、本に傍線も引きまくって、最後にセレクトする時になって、急に自分の立場が強くなる、下剋上みたいな感じ、、。
というあたり、納得した。
帰宅すると丁度N響アワーの時間で、
引用の美学と題した特集だった。
パロディ満載のサン・サーンス「動物の謝肉祭」、
グレゴリオ聖歌の「怒りの日」が巧みに引用された
ベルリオーズの幻想交響曲14。
確かに、引用する対象に「気持ちでは負けない」強さがあってはじめて
パロディともなり、名曲ともなる。
憑依した後の下剋上。
創造とは戦いなのだ。
そろそろ眠い。
前にドラマが印象深かった
「モリー先生との火曜日」を原文で読んでいる。
ダイエットのリバウンドみたいに
精神にもリバウンドがあると思う。
金曜のがんばり度が高かったせいか
昨日は沈んだ。
こんな日もあるさと思うに思えない醜態。
進む歩幅が退く歩幅よりも大きいことを
祈るしかない。
精神にもリバウンドがあると思う。
金曜のがんばり度が高かったせいか
昨日は沈んだ。
こんな日もあるさと思うに思えない醜態。
進む歩幅が退く歩幅よりも大きいことを
祈るしかない。
今日は仕事を休んで
割と重要な相談をしに病院に行った。
最初はインターンみたいな若い先生だったが
途中から古参の先生に交代した。
二人とも良いひとだった。
よく頑張った。
依然として問題は抱えているが、
今日の頑張りは評価したい。
★
病院が近かったから住友ビルには早めに着いた。
ここ数日、毎日持ち歩いていたけれど
なかなか読めなかった雑誌を読む。
ランダムウォークをしている物体が
所定の目的地に到達するにはどれぐらい時間がかかるのか
という論文と1時間ぐらいにらめっこしていたが、
辞書をひいても分からない。
明日には図書館に返却しなければいけないから
コピーしておかないと。
講義で紹介される論文は面白い。
説明なしでも面白いと思えるようになりたい。
割と重要な相談をしに病院に行った。
最初はインターンみたいな若い先生だったが
途中から古参の先生に交代した。
二人とも良いひとだった。
よく頑張った。
依然として問題は抱えているが、
今日の頑張りは評価したい。
★
病院が近かったから住友ビルには早めに着いた。
ここ数日、毎日持ち歩いていたけれど
なかなか読めなかった雑誌を読む。
ランダムウォークをしている物体が
所定の目的地に到達するにはどれぐらい時間がかかるのか
という論文と1時間ぐらいにらめっこしていたが、
辞書をひいても分からない。
明日には図書館に返却しなければいけないから
コピーしておかないと。
講義で紹介される論文は面白い。
説明なしでも面白いと思えるようになりたい。
最近、自発的に勉強しよう、と思っている分野の本に限って
読むのがつらいことが多くて
実は内心、困っていた。
初心のうちはスローペースになるのは仕方ないと
了解はしていたのだけれど、
どうも苦しい。
高田馬場の本屋でやっと見つけた
「脳を活かす勉強法」を読んでいて
思い当たること、もろもろ。
試行錯誤しながら、やってみるしかない。
★
来年の手帳を買った。
また超整理手帳。
蛇腹が役立つほどスケジュール管理なんて
できちゃいないけど、
なんとなく好き。
ついでに「超手帳法」も買った。
私の手帳はあまり埋まらない。
でも持っていないと不安。
見えない持ち時間を無理やり可視化するための手帳。
使い切るかさえ、実は分からない。
読むのがつらいことが多くて
実は内心、困っていた。
初心のうちはスローペースになるのは仕方ないと
了解はしていたのだけれど、
どうも苦しい。
高田馬場の本屋でやっと見つけた
「脳を活かす勉強法」を読んでいて
思い当たること、もろもろ。
試行錯誤しながら、やってみるしかない。
★
来年の手帳を買った。
また超整理手帳。
蛇腹が役立つほどスケジュール管理なんて
できちゃいないけど、
なんとなく好き。
ついでに「超手帳法」も買った。
私の手帳はあまり埋まらない。
でも持っていないと不安。
見えない持ち時間を無理やり可視化するための手帳。
使い切るかさえ、実は分からない。
頭で念じるとセカンドライフ内を
アバターが歩くらしい。
http://www.secondtimes.net/news/japan/20071011_keio.html
念じると動く義手とか義足もあるんだって。
見たかったなあこれ。
アバターが歩くらしい。
http://www.secondtimes.net/news/japan/20071011_keio.html
念じると動く義手とか義足もあるんだって。
見たかったなあこれ。
バイト先では、たまに
仕事場に仲間を呼んで飲むのだそうで、
今日がその日だった。
7時過ぎからビールを飲まされつつ仕事。
お子様なのでビールは苦手だが
おつきあいで飲む。
空腹にアルコールが入って目が回りつつ
PCに向かって英作文する。
訳の分からない医療機器を十何種類も扱っているせいで、
歯科材料のケミカルっぽい用語と
薬事法の法律用語が殆ど分からなくて
ググりまくり、心中びびりまくる。
Å4用紙1ページに箇条書きで書かれた短文の
英訳に2時間弱かかる。
そんなこと、いきなり言われたって
できないよ。
言い訳しつつ。
宴たけなわな中をそそくさと退散。
ああ、、、
やっぱり英語メル友に通じる程度の
英語じゃあ仕事にならない。
なんとかしないと。
仕事場に仲間を呼んで飲むのだそうで、
今日がその日だった。
7時過ぎからビールを飲まされつつ仕事。
お子様なのでビールは苦手だが
おつきあいで飲む。
空腹にアルコールが入って目が回りつつ
PCに向かって英作文する。
訳の分からない医療機器を十何種類も扱っているせいで、
歯科材料のケミカルっぽい用語と
薬事法の法律用語が殆ど分からなくて
ググりまくり、心中びびりまくる。
Å4用紙1ページに箇条書きで書かれた短文の
英訳に2時間弱かかる。
そんなこと、いきなり言われたって
できないよ。
言い訳しつつ。
宴たけなわな中をそそくさと退散。
ああ、、、
やっぱり英語メル友に通じる程度の
英語じゃあ仕事にならない。
なんとかしないと。
昼間は統計と脳の本を読んで過ごす。
学校の勉強と違って、目に見える成果物がないのが
進度の自己評価ができにくく悩みどころ。
★
夕方、「鼻行類」が地元の図書館に届いたので
借りにいく。
鼻が発達して歩行できるようになった動物について
書かれた本。
発刊当時、読者の多くが実話と騙されたそうだけれど、
装丁、挿絵、ドイツの詩人の言葉と訳注を見た時点で
フィクションとしか思えないのですが、、、(笑)
まあ、お話を聞いたからそう思うんだろうなあ。
ピカチュウを連想させる「つぶらな目」がキュートな
鼻行類のイラストを眺めて頁をめくりつつ、
鼻が発達する、というのは理論的には
あってもおかしくないです、と
真顔で言われた日高先生と、
当時1週間ぐらいは実話と騙されて
地図を見たり参考文献を探したという
学生時代の茂木先生を想像して
また幸せな気分になる。
★
夜9時半から高円寺でS葉ちゃんのライブ。
彼女は良い声を持っていて、
良い曲を書く。
終バスで帰るつもりだったのが、
結局最後までいてしまって、遅くなった。
昼間は全く異分野の仕事をしながら
音楽や芸術でセミプロまで行ってしまう人がいる。
ほんとに偉いと思う。
つい応援してしまう。
がんばってほしいなあ。
学校の勉強と違って、目に見える成果物がないのが
進度の自己評価ができにくく悩みどころ。
★
夕方、「鼻行類」が地元の図書館に届いたので
借りにいく。
鼻が発達して歩行できるようになった動物について
書かれた本。
発刊当時、読者の多くが実話と騙されたそうだけれど、
装丁、挿絵、ドイツの詩人の言葉と訳注を見た時点で
フィクションとしか思えないのですが、、、(笑)
まあ、お話を聞いたからそう思うんだろうなあ。
ピカチュウを連想させる「つぶらな目」がキュートな
鼻行類のイラストを眺めて頁をめくりつつ、
鼻が発達する、というのは理論的には
あってもおかしくないです、と
真顔で言われた日高先生と、
当時1週間ぐらいは実話と騙されて
地図を見たり参考文献を探したという
学生時代の茂木先生を想像して
また幸せな気分になる。
★
夜9時半から高円寺でS葉ちゃんのライブ。
彼女は良い声を持っていて、
良い曲を書く。
終バスで帰るつもりだったのが、
結局最後までいてしまって、遅くなった。
昼間は全く異分野の仕事をしながら
音楽や芸術でセミプロまで行ってしまう人がいる。
ほんとに偉いと思う。
つい応援してしまう。
がんばってほしいなあ。
中野の団地に住んでいた
小学校4,5年の頃、
敷地内の木々はまだあまり刈り込まれていなくて、
どこか森のような鬱蒼とした感があった。
4号館の前にはちょっとした家庭菜園が作れるような庭があって
少し高めの街路樹があり。
食欲旺盛だった私は
咎める親の眼を盗んでは
帰路パン屋で買ったクリームパンを食べながら
気分の良い時は
上を見上げながら歩く習性があった。
気の抜けた状態で上を向いて歩いていた私は
突如カラスが頭上にいるのに気がついた。
それまでカラスを間近に見たことなどなかったから
パンを食べながらじっと見た。
カラスは頭上を鳴きながら旋回してから
私の後頭部を2,3回突き、
頭を押さえた私の手から落ちた食べかけのクリームパンを拾って
飛び去った。(と、思う。)
後で考えてみると、
突かれた頭は特段の疵もできなかった程度だから
帽子を被っていたのか、
または
カラスも子供相手に手加減してくれたのかは
定かではないけれど、
鳥というのはおとなしく飛んでいるものというのは間違いで
攻撃してくる存在だと認識したのは
あの時が初めてであって、
いわれのない恐怖を覚えた。
以来、実際問題として
クリームパンを食べながら歩くのはやめることにして
カラスには近づかないようにしつつ今に至っている。
昨日対談を聞きながらそのことをふと思い出して
帰ってからカラスの習性を検索してみた。
カラスというのは
もともと威嚇・攻撃の習性がある生き物らしい。
思えば季節は春を少し過ぎた頃で、
私が何の気なしに見上げてその下を通った街路樹は
割に大きな木であって、
周りに電柱もあったような気がする。
カラスが巣作りしていたとしても
おかしくない。
縄張りを侵す侵入者と認識されて
威嚇されているのに
カラスを下から見上げてしまったわけで、
敵もこいつチビのくせに生意気だと怒ったのかもしれない。
ついでに脂っこいクリームパンも取ってやろうと
思ったのかもしれなかった。
カラスも悪いヤツじゃないのかもしれない。
小さい幽霊がひとつ消えた。
小学校4,5年の頃、
敷地内の木々はまだあまり刈り込まれていなくて、
どこか森のような鬱蒼とした感があった。
4号館の前にはちょっとした家庭菜園が作れるような庭があって
少し高めの街路樹があり。
食欲旺盛だった私は
咎める親の眼を盗んでは
帰路パン屋で買ったクリームパンを食べながら
気分の良い時は
上を見上げながら歩く習性があった。
気の抜けた状態で上を向いて歩いていた私は
突如カラスが頭上にいるのに気がついた。
それまでカラスを間近に見たことなどなかったから
パンを食べながらじっと見た。
カラスは頭上を鳴きながら旋回してから
私の後頭部を2,3回突き、
頭を押さえた私の手から落ちた食べかけのクリームパンを拾って
飛び去った。(と、思う。)
後で考えてみると、
突かれた頭は特段の疵もできなかった程度だから
帽子を被っていたのか、
または
カラスも子供相手に手加減してくれたのかは
定かではないけれど、
鳥というのはおとなしく飛んでいるものというのは間違いで
攻撃してくる存在だと認識したのは
あの時が初めてであって、
いわれのない恐怖を覚えた。
以来、実際問題として
クリームパンを食べながら歩くのはやめることにして
カラスには近づかないようにしつつ今に至っている。
昨日対談を聞きながらそのことをふと思い出して
帰ってからカラスの習性を検索してみた。
カラスというのは
もともと威嚇・攻撃の習性がある生き物らしい。
思えば季節は春を少し過ぎた頃で、
私が何の気なしに見上げてその下を通った街路樹は
割に大きな木であって、
周りに電柱もあったような気がする。
カラスが巣作りしていたとしても
おかしくない。
縄張りを侵す侵入者と認識されて
威嚇されているのに
カラスを下から見上げてしまったわけで、
敵もこいつチビのくせに生意気だと怒ったのかもしれない。
ついでに脂っこいクリームパンも取ってやろうと
思ったのかもしれなかった。
カラスも悪いヤツじゃないのかもしれない。
小さい幽霊がひとつ消えた。
午後、神保町で中沢新一先生の
神話学講座を受講。
神話(縄文的)の論理と西欧型(都市)の論理との対比で
お話される。
近代的都市は生と死を分離し、
生活空間から死(排泄、腐敗、セックス等下半身的なものを含む)
を分離し、排除しようとする。
その抑圧を、宴会、祭りといった
下半身的なものが主となるイベントによって
発散させ、辛うじてエネルギーを回復する。
それに対して縄文的(神話的)なものは
生と死を具体的な対立項として設定はするが
それらの絶対矛盾項を包括する形で把握し
メビウスの帯のごとく表裏なく捉えようとする。
神話的、縄文的論理の回復が
現代の全体性回復につながるのではないか。
芸術、演芸における「昇華」は
通常下方に隠蔽されているものの上方に表出することによって
具体的な事物の相関関係、状態を変容させ
全体性を回復させるものであって、
表も裏もなく(生と死の分離もない)
イメージとしてはメビウスの帯のようである。
(レヴィ=ストロースの「神話の公式」という数式は
実に上手くできている、、)
というような理解をした。
ご関心のある方は、本日テキストに使われた
中沢先生の論文「頭上のコン」を参照されたし。
どうも頭が悪くて哲学的思考についていけないので、
(哲学科卒なのに、、)
こういうのは著書だけ読んでいても掴みにくい。
お話を聞いてすっきりした。
★
終了後、朝日カルチャーセンターへ駆け足し、
日高敏隆先生、茂木健一郎先生の対談を聞く。
数日前から「欲望する脳」を読んでいて、
特に「主語に囚われずに生きる」という章が
どことなく気にかかって、何度か読み返していた。
客観的であり、自分自身から解放されるための、
主語を入れ替えてみるという方法論とか、
ニュートンがもし「リンゴの気持ち」を想像しなければ
あの発見はなかったかもしれない、ということ。
ほかにも、昨日聞いた福島先生の
生きていくための魂のエネルギーは他者との
コミュニケーションによってしか得られないというお話とか、
これも昨日シンポジウムで聞いた、
科学とは既知を未知とすること、という言葉。
色々な言葉の断片が糸の切れた凧みたいに
ふわふわと頭の中に浮かんでは流れていった。
それらの底流に通じているところの
他者に対する真摯な関心という問題点が、
今日の日高先生の「幽霊」の話を聞いて
全部繋がったような気がした。
原始人が初めて機関車を見て
馬の幽霊がこの中に入っているに違いない、
と思うように、
想像力の不足または欠如が「幽霊」を生む。
想像が本当の意味で真実に到達し得るかは別として、
想像し続ける姿勢を維持していることが
科学的な精神であり、
「自分なりの幽霊」に怖れている自分にとって、
最も必要な心の姿勢なのではないか。
観世界のお話も面白かった。
花の蜜を吸う蜂でもないのに、
何故人間に百合が、または紅葉が
あのように美しく感知されるのか。
いろいろと不思議なことがある。
不思議なことを不思議と思えるかどうか、
それはきっと対象に対する真摯な関心であり、
愛から出てくるんだろう。
そんなわけで、
私が最も快適に感じる空間と時間の流れの
モデルケースが今日の午後だった。
毎日などと無理なことは言わないが、
たとえ週に1日か2日でもこんな時間があれば、
きっと幸せに生きていける、と思う。
神話学講座を受講。
神話(縄文的)の論理と西欧型(都市)の論理との対比で
お話される。
近代的都市は生と死を分離し、
生活空間から死(排泄、腐敗、セックス等下半身的なものを含む)
を分離し、排除しようとする。
その抑圧を、宴会、祭りといった
下半身的なものが主となるイベントによって
発散させ、辛うじてエネルギーを回復する。
それに対して縄文的(神話的)なものは
生と死を具体的な対立項として設定はするが
それらの絶対矛盾項を包括する形で把握し
メビウスの帯のごとく表裏なく捉えようとする。
神話的、縄文的論理の回復が
現代の全体性回復につながるのではないか。
芸術、演芸における「昇華」は
通常下方に隠蔽されているものの上方に表出することによって
具体的な事物の相関関係、状態を変容させ
全体性を回復させるものであって、
表も裏もなく(生と死の分離もない)
イメージとしてはメビウスの帯のようである。
(レヴィ=ストロースの「神話の公式」という数式は
実に上手くできている、、)
というような理解をした。
ご関心のある方は、本日テキストに使われた
中沢先生の論文「頭上のコン」を参照されたし。
どうも頭が悪くて哲学的思考についていけないので、
(哲学科卒なのに、、)
こういうのは著書だけ読んでいても掴みにくい。
お話を聞いてすっきりした。
★
終了後、朝日カルチャーセンターへ駆け足し、
日高敏隆先生、茂木健一郎先生の対談を聞く。
数日前から「欲望する脳」を読んでいて、
特に「主語に囚われずに生きる」という章が
どことなく気にかかって、何度か読み返していた。
客観的であり、自分自身から解放されるための、
主語を入れ替えてみるという方法論とか、
ニュートンがもし「リンゴの気持ち」を想像しなければ
あの発見はなかったかもしれない、ということ。
ほかにも、昨日聞いた福島先生の
生きていくための魂のエネルギーは他者との
コミュニケーションによってしか得られないというお話とか、
これも昨日シンポジウムで聞いた、
科学とは既知を未知とすること、という言葉。
色々な言葉の断片が糸の切れた凧みたいに
ふわふわと頭の中に浮かんでは流れていった。
それらの底流に通じているところの
他者に対する真摯な関心という問題点が、
今日の日高先生の「幽霊」の話を聞いて
全部繋がったような気がした。
原始人が初めて機関車を見て
馬の幽霊がこの中に入っているに違いない、
と思うように、
想像力の不足または欠如が「幽霊」を生む。
想像が本当の意味で真実に到達し得るかは別として、
想像し続ける姿勢を維持していることが
科学的な精神であり、
「自分なりの幽霊」に怖れている自分にとって、
最も必要な心の姿勢なのではないか。
観世界のお話も面白かった。
花の蜜を吸う蜂でもないのに、
何故人間に百合が、または紅葉が
あのように美しく感知されるのか。
いろいろと不思議なことがある。
不思議なことを不思議と思えるかどうか、
それはきっと対象に対する真摯な関心であり、
愛から出てくるんだろう。
そんなわけで、
私が最も快適に感じる空間と時間の流れの
モデルケースが今日の午後だった。
毎日などと無理なことは言わないが、
たとえ週に1日か2日でもこんな時間があれば、
きっと幸せに生きていける、と思う。
| HOME |

