最近「篤姫」が好きで、8時前からチャンネルを合わせている。
そこで見かけたマレーヒヨケザル(Cynocephalus variegatus)が
かわいかったから、ちょっと調べてみた。
ヒヨケザルにはフィリピン種とマレー種があるみたいだけれど
あまり違いがわからない。
コレ、見返り姿がかわいいの↓。
http://www.thewebsiteofeverything.com/animals/mammals/Dermoptera/Cynocephalidae/Cynocephalus/Cynocephalus-variegatus.html
youtubeに良い映像がありました。
Flying Lemurs となっていて、ボルネオのみたいだけど。
飛んでるとこがステキ。
あと、つぶらなおめめ。
http://www.youtube.com/watch?v=Y4USp_r91js
そこで見かけたマレーヒヨケザル(Cynocephalus variegatus)が
かわいかったから、ちょっと調べてみた。
ヒヨケザルにはフィリピン種とマレー種があるみたいだけれど
あまり違いがわからない。
コレ、見返り姿がかわいいの↓。
http://www.thewebsiteofeverything.com/animals/mammals/Dermoptera/Cynocephalidae/Cynocephalus/Cynocephalus-variegatus.html
youtubeに良い映像がありました。
Flying Lemurs となっていて、ボルネオのみたいだけど。
飛んでるとこがステキ。
あと、つぶらなおめめ。
http://www.youtube.com/watch?v=Y4USp_r91js
ドラマThe West Wing(邦題ザ・ホワイトハウス)の
英語が聞き取れないのがどうにも悔しくて、
部屋にいるときはかけっぱなしにしている。
まずは字幕を消して見て、
わからないところを英語字幕で見て
更に不明だと日本語字幕にし、
以後は字幕なしで聞く、といった具合。
政治の話題であることも要因の一つだが、
もっと基本的な問題として、
文章が長くなると何を言っているかわからなくなる。
ようやく聞き取った英文を頭の中で音読はしているけれども
意味が分からない、という現象。
これは長い英文を読む場合も同様で、
2、3回読まないと意味が掴めない。
文法力の問題なんだろうか、と思って
英文読解なんやら、という本を買ってみたものの
あまり効果が上がらない。
ハリーポッターをテレビ画面に映しつつ
『ゴルトベルク変奏曲とは何か』を読んでいた。
ハリーは前に見たことがあるから別にみる必要もないのだが、
小さい頃のハリー君たちを見るのが
なんとなく好きで。
ふと眺めたときに丁度出番だった
ダンブルドア校長のペット(?)の鳥が気に入った。
落ち込んで弱ると突然炎となって燃えつき灰となるのだけれど、
彼は不死鳥なので、やがて灰の中から形となって姿を現す。
いいな、このイメージ。
弱ったら潔く灰になっちまって、
いずれ気持ちも新たに蘇る、という(笑)
ハリーが終わったので
グールドのゴルトベルク変奏曲をかけながら
「聴いてみよう」という章を読んだ。
弾いたことのある人が書いている文章だからなのか
読んでいると自分も弾いてみたくなる。
(そういえば、もうずいぶん電子ピアノに触ってないよなあ)
調子が出てきて吉田秀和『私の好きな曲』の
ストラヴィンスキー春の祭典の章を読みながら
小澤さん指揮の「春の祭典」をかけてみたりする。
この章は吉田さんの恋の思い出が
はにかんだ文章で書かれていて素敵に面白い。
じつはまだついていたテレビでは
毎年きまった桜に会いに行く人をさくらびとと言うんだ、
と話している。
わたしのお気に入りは
四ツ谷駅線路沿いの土手に咲く桜。
ゆっくり見られるのは会社帰りだったせいか、
思い出す姿はいつも夜で、
東山魁夷さんの「花明かり」が実物のイメージに重なって
月夜にぼんやりと浮かんでいる。
さくらびと、か。
思いついて橋本治さんの『小林秀雄の恵み』を
ぱらぱらとめくる。
宣長晩年の桜との恋、という説はなかなかに
魅力的である。
桜花 ふかきいろとも見えなくに
ちしほにそめる わがこころかな(本居宣長)
彼が恋した山桜というのは
都会に咲いている桜とは違うのかもしれないけれども、
確かに、そういう切なさを可能にするものを
桜という花は持っているのだろう。
さてさて。
今夜のしめくくりは
ベートーヴェンの交響曲5番と相成りました。
では、おやすみなさい。
英語が聞き取れないのがどうにも悔しくて、
部屋にいるときはかけっぱなしにしている。
まずは字幕を消して見て、
わからないところを英語字幕で見て
更に不明だと日本語字幕にし、
以後は字幕なしで聞く、といった具合。
政治の話題であることも要因の一つだが、
もっと基本的な問題として、
文章が長くなると何を言っているかわからなくなる。
ようやく聞き取った英文を頭の中で音読はしているけれども
意味が分からない、という現象。
これは長い英文を読む場合も同様で、
2、3回読まないと意味が掴めない。
文法力の問題なんだろうか、と思って
英文読解なんやら、という本を買ってみたものの
あまり効果が上がらない。
ハリーポッターをテレビ画面に映しつつ
『ゴルトベルク変奏曲とは何か』を読んでいた。
ハリーは前に見たことがあるから別にみる必要もないのだが、
小さい頃のハリー君たちを見るのが
なんとなく好きで。
ふと眺めたときに丁度出番だった
ダンブルドア校長のペット(?)の鳥が気に入った。
落ち込んで弱ると突然炎となって燃えつき灰となるのだけれど、
彼は不死鳥なので、やがて灰の中から形となって姿を現す。
いいな、このイメージ。
弱ったら潔く灰になっちまって、
いずれ気持ちも新たに蘇る、という(笑)
ハリーが終わったので
グールドのゴルトベルク変奏曲をかけながら
「聴いてみよう」という章を読んだ。
弾いたことのある人が書いている文章だからなのか
読んでいると自分も弾いてみたくなる。
(そういえば、もうずいぶん電子ピアノに触ってないよなあ)
調子が出てきて吉田秀和『私の好きな曲』の
ストラヴィンスキー春の祭典の章を読みながら
小澤さん指揮の「春の祭典」をかけてみたりする。
この章は吉田さんの恋の思い出が
はにかんだ文章で書かれていて素敵に面白い。
じつはまだついていたテレビでは
毎年きまった桜に会いに行く人をさくらびとと言うんだ、
と話している。
わたしのお気に入りは
四ツ谷駅線路沿いの土手に咲く桜。
ゆっくり見られるのは会社帰りだったせいか、
思い出す姿はいつも夜で、
東山魁夷さんの「花明かり」が実物のイメージに重なって
月夜にぼんやりと浮かんでいる。
さくらびと、か。
思いついて橋本治さんの『小林秀雄の恵み』を
ぱらぱらとめくる。
宣長晩年の桜との恋、という説はなかなかに
魅力的である。
桜花 ふかきいろとも見えなくに
ちしほにそめる わがこころかな(本居宣長)
彼が恋した山桜というのは
都会に咲いている桜とは違うのかもしれないけれども、
確かに、そういう切なさを可能にするものを
桜という花は持っているのだろう。
さてさて。
今夜のしめくくりは
ベートーヴェンの交響曲5番と相成りました。
では、おやすみなさい。
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