本日のベスト賞。
錠剤の入った薬瓶の隣に置いてあったドレッシングを薬瓶と取り違え、
蓋の中にドレッシングを注いで飲もうとしてしまった。
(蓋を口元まで持っていったところで未遂に終わりました。ほぅ。
気付くのが遅いってか。ほんま天然なりね。)
★
それもこれも佐倉を往復して疲れていたせいかもしれない。
行きました、川村記念美術館。
遠かったねえ。
11時には家を出たのに、美術館に着いたの2時だったもんね。
千葉駅でカレーを食べた分を引いても絶対2時間半はかかってる。
それもこれも佐倉駅から美術館に行く無料バスが30分に1本しかないせいでしょうね。
まあそのど田舎さを愛しているわけなんだけれども。
いちめんのなのはな、に近い貸切バスの窓ガラス一枚分の黄いろ。
園内満開のつつじ。
池に浮かぶ、レプリカの如くぷりぷり、まるまるした白鳥。
つつじを見ながら歩いていたら、おじさんが机を出していて、
ほんものの「白鳥の玉子(卵)」を見せてくれた。
青みがかった灰色で、見た目と重さはアボカドぐらい。
そうそう、マティスとボナール展をやってます、ちなみに。
ボナールって、どうも他の作家さんと一緒に並べられていると
今ひとつ存在感がなかったような気がしていて、
しみじみと見たのは初めてだったんだけれども。
これが意外に良かった。
水平線の位置が高いからってジャポニスムに括られてた
「山羊と遊ぶ子供たち」「りんごつみ」は深い緑色がとってもよいのね。
館内を一周した後、3回戻ってきて見た。
「テーブルの片隅」「秋の風景」「陽の当たるテラス」とか
絶筆の「花咲くアーモンドの木」とか、好きだなあ。
マティスを写した写真もあった。
ブレッソンの写した左手に鳩を持ってるマティスとか、
キャパも1枚あった。
しかしマティスって、絵になるひとなんだよねえ。
美術館の改修によって、1アーティスト1部屋、という展示が
たくさんできるようになったのは愉快ですね。
ロスコルームは存在感というか重圧感たっぷり。
椅子に腰掛けて眺めているうちに、
最初は見えなかった色が見えてくるのが面白い。
そして、コーネルで一部屋(!)、
ステラで一部屋、バーネットニューマンで一部屋、
といった具合。
コーネルを見るとふしぎと落ち着く。
何故なんでしょうねえ。
「ピアノ」は、モーツァルトのピアノソナタがオルゴールで流れるように
出来ている。かすかながら、部屋にその音色が流れているのも可愛らしい。
おばさまが、「小学校の工作みたいねぇ」と笑いながら過ぎていく。
ジョセフ・コーネル
http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/joseph_cornell.html
錠剤の入った薬瓶の隣に置いてあったドレッシングを薬瓶と取り違え、
蓋の中にドレッシングを注いで飲もうとしてしまった。
(蓋を口元まで持っていったところで未遂に終わりました。ほぅ。
気付くのが遅いってか。ほんま天然なりね。)
★
それもこれも佐倉を往復して疲れていたせいかもしれない。
行きました、川村記念美術館。
遠かったねえ。
11時には家を出たのに、美術館に着いたの2時だったもんね。
千葉駅でカレーを食べた分を引いても絶対2時間半はかかってる。
それもこれも佐倉駅から美術館に行く無料バスが30分に1本しかないせいでしょうね。
まあそのど田舎さを愛しているわけなんだけれども。
いちめんのなのはな、に近い貸切バスの窓ガラス一枚分の黄いろ。
園内満開のつつじ。
池に浮かぶ、レプリカの如くぷりぷり、まるまるした白鳥。
つつじを見ながら歩いていたら、おじさんが机を出していて、
ほんものの「白鳥の玉子(卵)」を見せてくれた。
青みがかった灰色で、見た目と重さはアボカドぐらい。
そうそう、マティスとボナール展をやってます、ちなみに。
ボナールって、どうも他の作家さんと一緒に並べられていると
今ひとつ存在感がなかったような気がしていて、
しみじみと見たのは初めてだったんだけれども。
これが意外に良かった。
水平線の位置が高いからってジャポニスムに括られてた
「山羊と遊ぶ子供たち」「りんごつみ」は深い緑色がとってもよいのね。
館内を一周した後、3回戻ってきて見た。
「テーブルの片隅」「秋の風景」「陽の当たるテラス」とか
絶筆の「花咲くアーモンドの木」とか、好きだなあ。
マティスを写した写真もあった。
ブレッソンの写した左手に鳩を持ってるマティスとか、
キャパも1枚あった。
しかしマティスって、絵になるひとなんだよねえ。
美術館の改修によって、1アーティスト1部屋、という展示が
たくさんできるようになったのは愉快ですね。
ロスコルームは存在感というか重圧感たっぷり。
椅子に腰掛けて眺めているうちに、
最初は見えなかった色が見えてくるのが面白い。
そして、コーネルで一部屋(!)、
ステラで一部屋、バーネットニューマンで一部屋、
といった具合。
コーネルを見るとふしぎと落ち着く。
何故なんでしょうねえ。
「ピアノ」は、モーツァルトのピアノソナタがオルゴールで流れるように
出来ている。かすかながら、部屋にその音色が流れているのも可愛らしい。
おばさまが、「小学校の工作みたいねぇ」と笑いながら過ぎていく。
ジョセフ・コーネル
http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/joseph_cornell.html
レヴィナスとラカンの話を読んでいたら訳が分からなくなってきて、
ふと目を上げたら朝3時だった。
案の定、8時に出勤するのは不可能で、午前半休をもらう。
午後、営業マネージャに同行して客先に挨拶に行く。
プライベートで2度お目にかかったことのあるお姉サマと、正式なご対面。
しらんぷりでヴィトンの名刺入れをごそごそかき回しながら、
お姉サマ、目が笑っている。
磊落で姉御な感じがステキなんである。
しかし外での打ち合わせが多くなると、スーツを着なくちゃいけなくなって
洋服代がかさむ。まったく。
林望さんは教養を確かサイエンスと訳されていたが、
学習にあたっての、ある筋道だったサイエンス的考え方というものが
独学する者にとっては重要なんだろうと思う。
内田樹先生がレヴィナスの論考で
無限の解釈が可能になるための「読み方の訓練」という話をされていて
これはまだ途中だしよく分からないのだけれども、
重要なことのような気がしている。
このところ脳科学にご無沙汰である。
茂木先生が米国出張のせいだろうか。
朝カルが1ヶ月に1ぺんしかないからだろうか。(いや、関係ないか、、)
たまには脳系の論文読まないとなあ。
ふと目を上げたら朝3時だった。
案の定、8時に出勤するのは不可能で、午前半休をもらう。
午後、営業マネージャに同行して客先に挨拶に行く。
プライベートで2度お目にかかったことのあるお姉サマと、正式なご対面。
しらんぷりでヴィトンの名刺入れをごそごそかき回しながら、
お姉サマ、目が笑っている。
磊落で姉御な感じがステキなんである。
しかし外での打ち合わせが多くなると、スーツを着なくちゃいけなくなって
洋服代がかさむ。まったく。
林望さんは教養を確かサイエンスと訳されていたが、
学習にあたっての、ある筋道だったサイエンス的考え方というものが
独学する者にとっては重要なんだろうと思う。
内田樹先生がレヴィナスの論考で
無限の解釈が可能になるための「読み方の訓練」という話をされていて
これはまだ途中だしよく分からないのだけれども、
重要なことのような気がしている。
このところ脳科学にご無沙汰である。
茂木先生が米国出張のせいだろうか。
朝カルが1ヶ月に1ぺんしかないからだろうか。(いや、関係ないか、、)
たまには脳系の論文読まないとなあ。
このところ、長編小説を読めなければ人間に非ず、的な
強迫観念にかられていて、
読む本の中で小説が占める割合が多くなってきている。
なんなのだろう、これは。
出版業界による洗脳だろうか。
長編ともなれば時間もかかるし、
つまらない本を延々と読みたくはないから
誰かのお薦めに頼ることになる。
先だって入手した『考える人』には
129人の文筆家(?)がそれぞれベスト10を挙げているから、
しばらくはそのリストを捲れば迷うこともなさそうだ。
でもこれがそもそも雑誌企画に行動を操作されている
証拠みたいなものであって。
自分で面白い小説を見つけてこれる程度の判断力は欲しいところだ。
でも数をこなさないと良し悪しも分からないしね。
まあ仕方ないよね、今のところは。
カフカの『城』はなかなか順調な滑り出しだった。
でもやっぱり100ページも読むと違う本に手を出したくなる。
どうも1冊の世界に巻き込まれてしまうのが苦手な性分らしい。
午後、恵比寿の写真美術館に行く。
ほんとうは朝1回10時半からしかやっていない
バレエのドキュメンタリー映画も見たかったのだけれど、
9時半に出かけるにはどうも気合が足りなかった。
マン・レイ等のシュルレアリズム系の展示とジャコメッリ展だけ見る。
写真といえばアンリ・カルティエ・ブレッソンを
こよなく愛している私だけれども
初めて見た「この憶い出を君に伝えん」で笑ってしまって
詩に着想を得た「夜が心を洗い流す」なども気に入ってしまって
気がついたらジャコメッリの写真集を購入してしまっていた。
連作が好きだ。
美術館とは罪作りな場所である。
今月は節約月だというのに。
帰り、図書館で『アレクサンドリア四重奏』をぱらぱらと捲ってみて、
幸い読みやすそうな文章だったから2冊と、
ついでにレヴィナスとラカンの本も借りて帰る。
N響アワーは最近アナウンサーも変わって
番組編成も「のだめデビューの人たち」を意識してくれているらしく
初心者としてはありがたい。
今日はソナタ形式とはなんぞや、という話だった。
この手の話は、どうも文章とか楽譜で読んでもスルーしがちなんである。
具体例を聞きながら「これが第一主題」とか「ここ展開部」とか
字幕が出てきて、実に分かりやすくて良かった。
音楽理論の勉強もしたいんだよなあ。
N響アワーさん、今後とも初心者をよろしく。
マリオ・ジャコメッリ
http://www.mariogiacomelli.it/97_ricordo09.html
http://www.mariogiacomelli.it/53_mani04.html
強迫観念にかられていて、
読む本の中で小説が占める割合が多くなってきている。
なんなのだろう、これは。
出版業界による洗脳だろうか。
長編ともなれば時間もかかるし、
つまらない本を延々と読みたくはないから
誰かのお薦めに頼ることになる。
先だって入手した『考える人』には
129人の文筆家(?)がそれぞれベスト10を挙げているから、
しばらくはそのリストを捲れば迷うこともなさそうだ。
でもこれがそもそも雑誌企画に行動を操作されている
証拠みたいなものであって。
自分で面白い小説を見つけてこれる程度の判断力は欲しいところだ。
でも数をこなさないと良し悪しも分からないしね。
まあ仕方ないよね、今のところは。
カフカの『城』はなかなか順調な滑り出しだった。
でもやっぱり100ページも読むと違う本に手を出したくなる。
どうも1冊の世界に巻き込まれてしまうのが苦手な性分らしい。
午後、恵比寿の写真美術館に行く。
ほんとうは朝1回10時半からしかやっていない
バレエのドキュメンタリー映画も見たかったのだけれど、
9時半に出かけるにはどうも気合が足りなかった。
マン・レイ等のシュルレアリズム系の展示とジャコメッリ展だけ見る。
写真といえばアンリ・カルティエ・ブレッソンを
こよなく愛している私だけれども
初めて見た「この憶い出を君に伝えん」で笑ってしまって
詩に着想を得た「夜が心を洗い流す」なども気に入ってしまって
気がついたらジャコメッリの写真集を購入してしまっていた。
連作が好きだ。
美術館とは罪作りな場所である。
今月は節約月だというのに。
帰り、図書館で『アレクサンドリア四重奏』をぱらぱらと捲ってみて、
幸い読みやすそうな文章だったから2冊と、
ついでにレヴィナスとラカンの本も借りて帰る。
N響アワーは最近アナウンサーも変わって
番組編成も「のだめデビューの人たち」を意識してくれているらしく
初心者としてはありがたい。
今日はソナタ形式とはなんぞや、という話だった。
この手の話は、どうも文章とか楽譜で読んでもスルーしがちなんである。
具体例を聞きながら「これが第一主題」とか「ここ展開部」とか
字幕が出てきて、実に分かりやすくて良かった。
音楽理論の勉強もしたいんだよなあ。
N響アワーさん、今後とも初心者をよろしく。
マリオ・ジャコメッリ
http://www.mariogiacomelli.it/97_ricordo09.html
http://www.mariogiacomelli.it/53_mani04.html
たしか赤瀬川源平さんがジュンク堂の店長をされていたとき
日本美術応援団関連の対談を聞きに行ったところが
山下さんという先生が辻先生辻先生と言っていたのが記憶に残っていて、
一度お話を聞いてみたいものだと思っていた。
朝カルに講座があるのを知って申し込みをしようと思ったら満席だったのが
去年の後半あたりで、あららと思ったのだけれども、
別件の今年4月講座の更新をしたついでにふと見てみたら残席があった。
1月に1回だから割に気軽である。
日本美術の歴史というテキストを買って教室に入る。
はっきりいって、日本美術なんて殆ど知らないのである。
最近外国人とやりとりするようになってから、
日本とは何ぞやということが時折頭をかすめるようになって、
(対極にあるものに接することによって自己の姿がより内的に明確化されるというのと
関連があるのかもしれないが)
とにかく36歳の日本人たるもの、
もう少し日本を知っていてもよろしいんじゃないでしょうか、
という反省のようなものが
非常に遅まきながら生起しつつあるわけなんである。
というわけで鎌倉美術に関するレクチャーを拝聴。
書かれる文章に違わず、淡々とされながらも味のあるお話しぶり。
もう少し勉強してみたいトピックである。
ついでに、夜からの馬頭琴のレクチャーコンサートなるものにも
出てみることにする。
間があったので近くの喫茶店で岩佐又兵衛に関する辻惟雄先生の
新刊と、カフカの『城』を購入して交互に読む。
日本の絵画といったって一口にまとめることなんて出来なくて、
いろんなルーツを持っている。
鎌倉あたりに端を発している戯画的なものは
近年人気を博しているけれど、
なんとなく日本人の「内輪受け」的な気質を反映しているようで
もあり、自分の中での評価がうまく定まらない。
今朝になって、
松岡正剛さんの『山水思想』の横山操の言説を読んでいて
日本の絵画に関して、
また新たな視野が開けつつあるような気がしている。
ところで昨夜の馬頭琴だけれども、
これがまたなんとも哀調をたたえた良い音色なのであった。
馬の毛を百本以上と束ねた弦がはじきだす音が
倍音を生じ、単調なフレーズの童謡などを演奏すると
かえって楽器生来の奥行きのある音色が際だつ。
アコースティックギターともよく合う。
教えてもらったモンゴル民謡の子守唄は
歌詞のブーウェイ(語源は怖がらないでという意であるらしい)という言葉を
繰り返しているとほんとうに眠くなった。
そのせいかは分からないけれども、よく眠った。
眠りの醒める前、珍しく妙にストーリー性のあるリアルな夢を見て
珍しいことだから覚えていようと思ったけれど、
もう忘れてしまった。
日本美術応援団関連の対談を聞きに行ったところが
山下さんという先生が辻先生辻先生と言っていたのが記憶に残っていて、
一度お話を聞いてみたいものだと思っていた。
朝カルに講座があるのを知って申し込みをしようと思ったら満席だったのが
去年の後半あたりで、あららと思ったのだけれども、
別件の今年4月講座の更新をしたついでにふと見てみたら残席があった。
1月に1回だから割に気軽である。
日本美術の歴史というテキストを買って教室に入る。
はっきりいって、日本美術なんて殆ど知らないのである。
最近外国人とやりとりするようになってから、
日本とは何ぞやということが時折頭をかすめるようになって、
(対極にあるものに接することによって自己の姿がより内的に明確化されるというのと
関連があるのかもしれないが)
とにかく36歳の日本人たるもの、
もう少し日本を知っていてもよろしいんじゃないでしょうか、
という反省のようなものが
非常に遅まきながら生起しつつあるわけなんである。
というわけで鎌倉美術に関するレクチャーを拝聴。
書かれる文章に違わず、淡々とされながらも味のあるお話しぶり。
もう少し勉強してみたいトピックである。
ついでに、夜からの馬頭琴のレクチャーコンサートなるものにも
出てみることにする。
間があったので近くの喫茶店で岩佐又兵衛に関する辻惟雄先生の
新刊と、カフカの『城』を購入して交互に読む。
日本の絵画といったって一口にまとめることなんて出来なくて、
いろんなルーツを持っている。
鎌倉あたりに端を発している戯画的なものは
近年人気を博しているけれど、
なんとなく日本人の「内輪受け」的な気質を反映しているようで
もあり、自分の中での評価がうまく定まらない。
今朝になって、
松岡正剛さんの『山水思想』の横山操の言説を読んでいて
日本の絵画に関して、
また新たな視野が開けつつあるような気がしている。
ところで昨夜の馬頭琴だけれども、
これがまたなんとも哀調をたたえた良い音色なのであった。
馬の毛を百本以上と束ねた弦がはじきだす音が
倍音を生じ、単調なフレーズの童謡などを演奏すると
かえって楽器生来の奥行きのある音色が際だつ。
アコースティックギターともよく合う。
教えてもらったモンゴル民謡の子守唄は
歌詞のブーウェイ(語源は怖がらないでという意であるらしい)という言葉を
繰り返しているとほんとうに眠くなった。
そのせいかは分からないけれども、よく眠った。
眠りの醒める前、珍しく妙にストーリー性のあるリアルな夢を見て
珍しいことだから覚えていようと思ったけれど、
もう忘れてしまった。
夕食を食べすぎてしまって、
おそらくは9時頃から眠っていたように思う。
残業続きの友人が読んだら激怒しそうだけれども(笑)
はたと起き上がって、
読みかけにしていた『私家版・ユダヤ文化論』を
手に取ったのが12時を回ったあたりで、
コンビニにペプシを買いに行った以外は
寝転がってではなく、珍しくソファで、じっと読んでいた。
自分の中でこのところ気にかかっていた
違和感とのつきあいかたという問題が
ユダヤ的なものと本質的に関わっていたこととか
より愛を亢進させるために憎む心理、
という展開にも驚いた。
なにより、モーリス・ブランショと
エマニュエル・レヴィナスの出会いに言及して
締めくくられているところに
作品の誠実さがあらわれている。
確かにこれは一読でスルーできるものではなく、
「デスクトップに置いておく」べき問題だと思う。
もともとこの本も狙って買ったわけではなかった。
最近、自分の内的な必要に応じた本が
どこかかから与えられていると感じることが多いけれど
まさにそういう本でした。
おそらくは9時頃から眠っていたように思う。
残業続きの友人が読んだら激怒しそうだけれども(笑)
はたと起き上がって、
読みかけにしていた『私家版・ユダヤ文化論』を
手に取ったのが12時を回ったあたりで、
コンビニにペプシを買いに行った以外は
寝転がってではなく、珍しくソファで、じっと読んでいた。
自分の中でこのところ気にかかっていた
違和感とのつきあいかたという問題が
ユダヤ的なものと本質的に関わっていたこととか
より愛を亢進させるために憎む心理、
という展開にも驚いた。
なにより、モーリス・ブランショと
エマニュエル・レヴィナスの出会いに言及して
締めくくられているところに
作品の誠実さがあらわれている。
確かにこれは一読でスルーできるものではなく、
「デスクトップに置いておく」べき問題だと思う。
もともとこの本も狙って買ったわけではなかった。
最近、自分の内的な必要に応じた本が
どこかかから与えられていると感じることが多いけれど
まさにそういう本でした。
朝からなにかと立て込んでいて、
12時に会社を出るまで
いつもの2倍ぐらいの処理速度で動いた。
こういう時は無意味なひとりごとが多くなる。
ばたばたと社を出て、1時間遅刻してセミナーに参加。
海外データを日本の申請に
どう利用するかという話。
欧州テクニカルファイル、米国510Kの
章建ての概要がわかって、
これは今の実務に役に立つ話だった。
今日もワセダに行く。
6限の時間が空いていたので
大教室に入って講義を聴いた。
狙って入ったわけではなかったが、
ユダヤ人とは何ぞやという話。
今読んでる本との関連で、なかなかに興味深い。
7限も同じ教室で、走れメロスの批評を聞く。
漫談みたいな(失礼、、)弾丸トークの先生で、
よく息が続くなあと感心。
小説とはすらすらっと読めるところは
まあどうでもよくて、
思考停止してしまうところ、違和感を覚えるところにこそ
考察すべき問題がある、という話を聞きながら
またガルシア・マルケスを思い出した。
言い訳するようだけれど、私がおそろしく遅読なのは、
海外の(翻訳)小説だけであって。
特に80ページに3時間かかってしまった『百年の孤独』は、
私にとって違和感の塊みたいなんだな、たぶん。
だって、マルケスを読んだあとに、
今までなかなか読めなかった『失われた時を求めて』の
ダイジェストをぱらぱらめくってみたら、
滑るがごとくすらすら読めたもの。
とにかく、こんなにひっかかってしまうマルケスには
何か考察の余地があるんだろうと思う。
すぐに帰る気になれなくて、本屋で立ち読み。
松岡正剛さんの『山水思想』『日本数寄』、
網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす』を買って
終バスで帰宅。
12時に会社を出るまで
いつもの2倍ぐらいの処理速度で動いた。
こういう時は無意味なひとりごとが多くなる。
ばたばたと社を出て、1時間遅刻してセミナーに参加。
海外データを日本の申請に
どう利用するかという話。
欧州テクニカルファイル、米国510Kの
章建ての概要がわかって、
これは今の実務に役に立つ話だった。
今日もワセダに行く。
6限の時間が空いていたので
大教室に入って講義を聴いた。
狙って入ったわけではなかったが、
ユダヤ人とは何ぞやという話。
今読んでる本との関連で、なかなかに興味深い。
7限も同じ教室で、走れメロスの批評を聞く。
漫談みたいな(失礼、、)弾丸トークの先生で、
よく息が続くなあと感心。
小説とはすらすらっと読めるところは
まあどうでもよくて、
思考停止してしまうところ、違和感を覚えるところにこそ
考察すべき問題がある、という話を聞きながら
またガルシア・マルケスを思い出した。
言い訳するようだけれど、私がおそろしく遅読なのは、
海外の(翻訳)小説だけであって。
特に80ページに3時間かかってしまった『百年の孤独』は、
私にとって違和感の塊みたいなんだな、たぶん。
だって、マルケスを読んだあとに、
今までなかなか読めなかった『失われた時を求めて』の
ダイジェストをぱらぱらめくってみたら、
滑るがごとくすらすら読めたもの。
とにかく、こんなにひっかかってしまうマルケスには
何か考察の余地があるんだろうと思う。
すぐに帰る気になれなくて、本屋で立ち読み。
松岡正剛さんの『山水思想』『日本数寄』、
網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす』を買って
終バスで帰宅。
タイの人と乏しい語彙でチャットしながら
旧PCから新PCへ移行するための設定をしてもらい
ノルウェーからやってくるという女医さん軍団向けの
都内観光コースを調べているうちに日が暮れた。
夕食は自炊。
冬のソナタ最終話を見て
寝ながら学ぶ構造主義という本を
ほんとに寝ながら読んでいるうちに
夜も更けた。
いつものことだけれども、
あまり考えもまとまらない。
おやすみなさい。
旧PCから新PCへ移行するための設定をしてもらい
ノルウェーからやってくるという女医さん軍団向けの
都内観光コースを調べているうちに日が暮れた。
夕食は自炊。
冬のソナタ最終話を見て
寝ながら学ぶ構造主義という本を
ほんとに寝ながら読んでいるうちに
夜も更けた。
いつものことだけれども、
あまり考えもまとまらない。
おやすみなさい。
午後から改正薬事法GQPGMPセミナーに出る。
4時間。いと眠し。
さっさと出てワセダに向かう。
早く着いたので、
カフェテリアでロコモコビビンバ丼Sを食す。
授業。
大学生にまじって大教室で音楽を聴く。
ピアソラがかっこいいなあ。
暗闇をいいことに、しばし呆然、陶然となる。
家に帰って調べてみたら、
私が持っていた唯一のタンゴ系アルバムは
日本人のカルテットがカバーした
リベルタンゴだった。
店で試聴して、衝動的に買っちゃったヤツ。
これってピアソラだったのね。
ガルシア・マルケスが
実はなかなか進まないのだった。
雑誌「考える人」で長編小説ベスト1位とあったから
それじゃあ読まないとね、と思ったわけだけれども、
土曜日、某大学病院の初診で3時間待たされた間、
まじめに文字を追っていたはずなのに80ページしか進まなかった。
あり得ない遅さ。
教室のスクリーンに映るタンゴの踊りを見ていたら、
ふと『百年の孤独』の光景が横切った。
あの混血な、猥雑な空気に
どこか通じるものがあるような。
ピアソラのZeroHourを聞きながら
内田樹さんの構造主義の入門書とユダヤ文化論の新書を読みかける。
アフォーダンスの本も読みかけだった。
図書館でたまたま目に入って借りてみた
マルセル・デュシャンの著作集がさっぱり意味不明で、
パラパラと捲って机の端に置く。
世の中にはいろんな人がいる。
自分は変わり者だと思うけれど、
私よりヘンな人はたくさんいる。
狭い会社の中にいると、そんな当たり前のことも
忘れそうになるから
思い出すために大学に足が向くのかもしれない。
4時間。いと眠し。
さっさと出てワセダに向かう。
早く着いたので、
カフェテリアでロコモコビビンバ丼Sを食す。
授業。
大学生にまじって大教室で音楽を聴く。
ピアソラがかっこいいなあ。
暗闇をいいことに、しばし呆然、陶然となる。
家に帰って調べてみたら、
私が持っていた唯一のタンゴ系アルバムは
日本人のカルテットがカバーした
リベルタンゴだった。
店で試聴して、衝動的に買っちゃったヤツ。
これってピアソラだったのね。
ガルシア・マルケスが
実はなかなか進まないのだった。
雑誌「考える人」で長編小説ベスト1位とあったから
それじゃあ読まないとね、と思ったわけだけれども、
土曜日、某大学病院の初診で3時間待たされた間、
まじめに文字を追っていたはずなのに80ページしか進まなかった。
あり得ない遅さ。
教室のスクリーンに映るタンゴの踊りを見ていたら、
ふと『百年の孤独』の光景が横切った。
あの混血な、猥雑な空気に
どこか通じるものがあるような。
ピアソラのZeroHourを聞きながら
内田樹さんの構造主義の入門書とユダヤ文化論の新書を読みかける。
アフォーダンスの本も読みかけだった。
図書館でたまたま目に入って借りてみた
マルセル・デュシャンの著作集がさっぱり意味不明で、
パラパラと捲って机の端に置く。
世の中にはいろんな人がいる。
自分は変わり者だと思うけれど、
私よりヘンな人はたくさんいる。
狭い会社の中にいると、そんな当たり前のことも
忘れそうになるから
思い出すために大学に足が向くのかもしれない。
木曜。
早稲田は夜に授業がある確率が高く、
二文は社会人もボチボチいるから
多少違和感がやわらぐ。
というわけで6,7限の授業に出てみる。
6限はフランス人作家の対談を覗く。
7限は私と同年代の講師だった。
本当にクリエイティビティのある人は
こんなとこには来ないでしょう、
という言葉に、そうだろうなあ、と思う。
金曜。
今の主な仕事の一つは、日本で出たクレームを
英語に翻訳して海外にいくつかある工場に問い合わせる
という内容だ。
つまり、見知らぬ外国人に文句をつけ続ける
ということであって。
状況を正確に伝えて相手から適切な回答を得ようとする場合、
さらに語彙が乏しい場合、
いきおい英文はシンプルになっていく。
小学生の文章かと思うほど拙い作文の成果を眺めていると、
自分の言いたかったことははたして
こんなに単純だったんだろうか、と果てしない違和感を覚える。
日本語でいうニュアンスみたいなものを
全部そぎ落とした、なんの修飾もない短文。
でも悩んでいる暇もないので、えいやっと割り切って、送信する。
現状、仕事で直面するmother tongueの問題というのは
それぐらいの、まあカワイイものである。
そんなわけで、工学院での対談は面白かった。
ある文学なりを翻訳するには
母国語の深い理解なしには出来ないということは
私が殆ど現行の外国文学の翻訳を読めない言い訳に使えそうだ(笑)
(それでもいま、なんとかかんとか『百年の孤独』を
読もうとしているけれども、)
1000年、2000年と培われて体内にある基盤としての母国語をもって
異文化を相互に理解し合うのはとても難しいことなのかもしれない。
それでも、もののあはれ(林先生の'humanity'とは名訳である)が
かすかに触れ合う瞬間、
それは瞬間というにふさわしい
邂逅ともいうべきものかもしれないけれども、
まあそれらしきものを求めて
異文化とやらに触れ、また
日本人として母なる文化の理解を深めるしかないのかもしれない。
早稲田は夜に授業がある確率が高く、
二文は社会人もボチボチいるから
多少違和感がやわらぐ。
というわけで6,7限の授業に出てみる。
6限はフランス人作家の対談を覗く。
7限は私と同年代の講師だった。
本当にクリエイティビティのある人は
こんなとこには来ないでしょう、
という言葉に、そうだろうなあ、と思う。
金曜。
今の主な仕事の一つは、日本で出たクレームを
英語に翻訳して海外にいくつかある工場に問い合わせる
という内容だ。
つまり、見知らぬ外国人に文句をつけ続ける
ということであって。
状況を正確に伝えて相手から適切な回答を得ようとする場合、
さらに語彙が乏しい場合、
いきおい英文はシンプルになっていく。
小学生の文章かと思うほど拙い作文の成果を眺めていると、
自分の言いたかったことははたして
こんなに単純だったんだろうか、と果てしない違和感を覚える。
日本語でいうニュアンスみたいなものを
全部そぎ落とした、なんの修飾もない短文。
でも悩んでいる暇もないので、えいやっと割り切って、送信する。
現状、仕事で直面するmother tongueの問題というのは
それぐらいの、まあカワイイものである。
そんなわけで、工学院での対談は面白かった。
ある文学なりを翻訳するには
母国語の深い理解なしには出来ないということは
私が殆ど現行の外国文学の翻訳を読めない言い訳に使えそうだ(笑)
(それでもいま、なんとかかんとか『百年の孤独』を
読もうとしているけれども、)
1000年、2000年と培われて体内にある基盤としての母国語をもって
異文化を相互に理解し合うのはとても難しいことなのかもしれない。
それでも、もののあはれ(林先生の'humanity'とは名訳である)が
かすかに触れ合う瞬間、
それは瞬間というにふさわしい
邂逅ともいうべきものかもしれないけれども、
まあそれらしきものを求めて
異文化とやらに触れ、また
日本人として母なる文化の理解を深めるしかないのかもしれない。
仕事はけっこう楽しくなってきた。
高校以来、まともに取り組んだことのない英作文も
次第に短時間でできるようになってきた。
要は、こんな自分でも継続できる環境を作ってしまうことかもしれない。
今回の職場で予想外の事態だったのは
娘さんが私ほどのトシだというおじさまが
何故か判らないけれども
私を一人前にしようと燃えてくださっていることだった。
転職時憂鬱のピークで
やめる気満々だった私は
何事もまずは
「そんなこと私には出来ないんじゃないですかねえ」
なぞとほざいていたのだが、
おじさまはめげずに無理やりいろいろ押しつけてくれるのである。
やってみるうちに次第に乗り気になってくるのであって、
おじさまの狙いに乗せられてしまったのかもしれなかった。
ワセダの音楽文化論という授業をのぞいてみる。
振り返ってみると、今までの人生で
音楽を聴くためだけに時間をとるということは殆どなくて、
何かしながら聞くためのBGMである場合が多かった。
ライブやコンサートに足しげく通う人間でもなかったし。
好き嫌いで済ませがちな音楽というものについて
私の苦手な歴史的ないし政治的な視点をふまえて
頭をひねってみる好機かもしれない。
内田樹さんという先生がブログで
ライティングにおいて、
書きあがったものを見て
これは自分の言いたいことではないと違和感を覚え
推敲を重ねる時の隔靴掻痒感こそ自分のヴォイスである、
それはちょうど削りあげていくうちに彫刻が仕上がるイメージで、
というようなことを書かれていて、
ほほうなるほどと思ったわけだけれども、
違和感がクリエイティブの源になるということは
あるにちがいない。
問題は、確かにその違和感は
習得済みの母語を基盤として発生するに相違なく
未だ習得しきっていない外国語には
違和感さえも感じられないだろう。
そこでとりあえず現実に戻ってしまって
未習得の英語がんばろう、という頭になる。
帰宅。
授業で聞いた富樫雅彦さんのスピリチュアルネイチャー
という曲をダウンロードして聞いてみる。
かっこいい。
というだけで終わらせないようにしようというお話のはずだった。
一体何が混じっているのかさえも
分かるようで分からない混沌たる音楽は
何かに挑みかかってゆくようでもあり
あてどなく流浪するようでもある。
言語の起源と同じように、
音楽もまた、ルーツを遡ってどこかに辿り着くことよりも
たとえばある音楽を生み出すに至った文化の拡散、混淆、邂逅、というか
その背景たる世界の有りように思いを馳せることそのものに
私にとっての意味がありそうな気がする。
高校以来、まともに取り組んだことのない英作文も
次第に短時間でできるようになってきた。
要は、こんな自分でも継続できる環境を作ってしまうことかもしれない。
今回の職場で予想外の事態だったのは
娘さんが私ほどのトシだというおじさまが
何故か判らないけれども
私を一人前にしようと燃えてくださっていることだった。
転職時憂鬱のピークで
やめる気満々だった私は
何事もまずは
「そんなこと私には出来ないんじゃないですかねえ」
なぞとほざいていたのだが、
おじさまはめげずに無理やりいろいろ押しつけてくれるのである。
やってみるうちに次第に乗り気になってくるのであって、
おじさまの狙いに乗せられてしまったのかもしれなかった。
ワセダの音楽文化論という授業をのぞいてみる。
振り返ってみると、今までの人生で
音楽を聴くためだけに時間をとるということは殆どなくて、
何かしながら聞くためのBGMである場合が多かった。
ライブやコンサートに足しげく通う人間でもなかったし。
好き嫌いで済ませがちな音楽というものについて
私の苦手な歴史的ないし政治的な視点をふまえて
頭をひねってみる好機かもしれない。
内田樹さんという先生がブログで
ライティングにおいて、
書きあがったものを見て
これは自分の言いたいことではないと違和感を覚え
推敲を重ねる時の隔靴掻痒感こそ自分のヴォイスである、
それはちょうど削りあげていくうちに彫刻が仕上がるイメージで、
というようなことを書かれていて、
ほほうなるほどと思ったわけだけれども、
違和感がクリエイティブの源になるということは
あるにちがいない。
問題は、確かにその違和感は
習得済みの母語を基盤として発生するに相違なく
未だ習得しきっていない外国語には
違和感さえも感じられないだろう。
そこでとりあえず現実に戻ってしまって
未習得の英語がんばろう、という頭になる。
帰宅。
授業で聞いた富樫雅彦さんのスピリチュアルネイチャー
という曲をダウンロードして聞いてみる。
かっこいい。
というだけで終わらせないようにしようというお話のはずだった。
一体何が混じっているのかさえも
分かるようで分からない混沌たる音楽は
何かに挑みかかってゆくようでもあり
あてどなく流浪するようでもある。
言語の起源と同じように、
音楽もまた、ルーツを遡ってどこかに辿り着くことよりも
たとえばある音楽を生み出すに至った文化の拡散、混淆、邂逅、というか
その背景たる世界の有りように思いを馳せることそのものに
私にとっての意味がありそうな気がする。
また模様替えをした。
原因はいつもの通り、置場を無くし山積みになった本である。
土曜の朝一番で映画「フィクサー」を見に行った帰り、
家から徒歩2分のリサイクルショップに
ちょうど良い大きさの本棚が出ていたのを見かけて、
小さな部屋にあれを入れるには如何にすればよかろうと考えはじめたら
自然に体が動き出して時ならぬ大掃除ならぬ大片付けとなった。
土曜の夜、一応レイアウトができあがったので
再びリサイクルショップに行ってみると、
かなしきかな、すでに売れた後だった。
部屋に入るか分からなかったから寸法だけ聞いて
予約はしなかったのが甘かった。
何事も即決しないと機を逸するとはまことなりけり。
狙いの本棚ははずしたものの、
一旦始めたら終わるまで止まらないのが私である。
現時点の住環境における思いつく限りの懸案事項をすべて解決して
いままでに最高に住み心地のよいお部屋となった。
結果的に、カラーボックスのようでいて4段のスペースがあり
奥行が17センチという小さな本棚を一つ購入して、
床や机の上に書籍を平積みしなくてもよい程度の空間的余裕を作った。
これは一時置き(選別)するための場所で、
本たちはここで古本屋に直行するものと物置に入るものとに分けられる。
だから、ぎっしり満員にはならない(予定)。
場所的な余裕がないと
気持ち的にも「それ以上入らなく」なってしまう気がする。
書籍を買った人は
その本の内容のPDFか何かを無料ダウンロードできる、
みたいなサービスは日本ではできないんだろうか。
とか考えながら物置の奥から発掘した猫の写真集を眺めてほのぼのする。
写真集のこういう感じはPDFでは味わえないのは確かだ。
しかし最近youtubeで見た「たわしねこ」の動画は可愛かった。
ごく限られた写真家さんはともかくとして、
大多数の人のとる写真は動画には負けるかもしれない。
人はなぜ写真を撮るんだろう。
大抵の場合、写真の出来栄えはいまいちで、
時をとどめておくことも、その時をそのまま写すことすらできないのに。
紙袋3袋に溜まっていたDM類を処理。
景品でもらったプライベート用としては割にりっぱな(一時期2万円で売られていた)
皮装・ダイヤモンドカット(笑)シュレッダーで
ガーーーとやる。
見た目は立派な割に、容器がすぐ一杯になり詰まってしまうので、
シュレッダーにかける箇所を最小限にしているから時間がかかる。
BBCのラジオをかけっぱなしにして、1時間半ほどで
ポリ袋3袋のダイヤモンドカットを作成。
ほうと一息ついて図書館で数ページだけコピーしてきた雑誌を読む。
こんなの図書館で読めばいいのにコピーしてくるからいけないんだよな、と思いつつ
整理法の記事なぞ読んでいるのだから仕方がない。
実践はなかなかできていないけれども、
一番の整理法は捨てることなんじゃないかと私は思っていて
根本的なところは早めに「捨てる」と決めること、
それは気持ちの切り替えにも通じるような気がする。
捨てられたり忘れられたりしてこそ、
新たな学びの余地も生まれるのだし。
原因はいつもの通り、置場を無くし山積みになった本である。
土曜の朝一番で映画「フィクサー」を見に行った帰り、
家から徒歩2分のリサイクルショップに
ちょうど良い大きさの本棚が出ていたのを見かけて、
小さな部屋にあれを入れるには如何にすればよかろうと考えはじめたら
自然に体が動き出して時ならぬ大掃除ならぬ大片付けとなった。
土曜の夜、一応レイアウトができあがったので
再びリサイクルショップに行ってみると、
かなしきかな、すでに売れた後だった。
部屋に入るか分からなかったから寸法だけ聞いて
予約はしなかったのが甘かった。
何事も即決しないと機を逸するとはまことなりけり。
狙いの本棚ははずしたものの、
一旦始めたら終わるまで止まらないのが私である。
現時点の住環境における思いつく限りの懸案事項をすべて解決して
いままでに最高に住み心地のよいお部屋となった。
結果的に、カラーボックスのようでいて4段のスペースがあり
奥行が17センチという小さな本棚を一つ購入して、
床や机の上に書籍を平積みしなくてもよい程度の空間的余裕を作った。
これは一時置き(選別)するための場所で、
本たちはここで古本屋に直行するものと物置に入るものとに分けられる。
だから、ぎっしり満員にはならない(予定)。
場所的な余裕がないと
気持ち的にも「それ以上入らなく」なってしまう気がする。
書籍を買った人は
その本の内容のPDFか何かを無料ダウンロードできる、
みたいなサービスは日本ではできないんだろうか。
とか考えながら物置の奥から発掘した猫の写真集を眺めてほのぼのする。
写真集のこういう感じはPDFでは味わえないのは確かだ。
しかし最近youtubeで見た「たわしねこ」の動画は可愛かった。
ごく限られた写真家さんはともかくとして、
大多数の人のとる写真は動画には負けるかもしれない。
人はなぜ写真を撮るんだろう。
大抵の場合、写真の出来栄えはいまいちで、
時をとどめておくことも、その時をそのまま写すことすらできないのに。
紙袋3袋に溜まっていたDM類を処理。
景品でもらったプライベート用としては割にりっぱな(一時期2万円で売られていた)
皮装・ダイヤモンドカット(笑)シュレッダーで
ガーーーとやる。
見た目は立派な割に、容器がすぐ一杯になり詰まってしまうので、
シュレッダーにかける箇所を最小限にしているから時間がかかる。
BBCのラジオをかけっぱなしにして、1時間半ほどで
ポリ袋3袋のダイヤモンドカットを作成。
ほうと一息ついて図書館で数ページだけコピーしてきた雑誌を読む。
こんなの図書館で読めばいいのにコピーしてくるからいけないんだよな、と思いつつ
整理法の記事なぞ読んでいるのだから仕方がない。
実践はなかなかできていないけれども、
一番の整理法は捨てることなんじゃないかと私は思っていて
根本的なところは早めに「捨てる」と決めること、
それは気持ちの切り替えにも通じるような気がする。
捨てられたり忘れられたりしてこそ、
新たな学びの余地も生まれるのだし。
延期してきた課題の克服について
真面目に対処すべきときがきていた。
明日午前はそれに充てる。
既に遅きに失しているが。
英語
英文メール2通(仕事で)
ドラマ2回分みる
自炊
せず
真面目に対処すべきときがきていた。
明日午前はそれに充てる。
既に遅きに失しているが。
英語
英文メール2通(仕事で)
ドラマ2回分みる
自炊
せず
DVDを見る。
題名のWhiskyとは、日本でいえば写真を撮るときの「チーズ」に相当する言葉。
妙な事情で夫婦を装うことになった男女と男の弟の3人の絡みが面白い。
何度も映る靴下工場のガレージが小津的でもある。
(昨日)
リハビリ中の上司(となる予定の人物)の自宅近くで面談。
漠然と駅構内や車内を見回す。
バリアフリーと言いながらも、
障害を抱える人が介助者なしで通勤するには不便が多い。
(英語)
仕事中、辞書をひきひき英文メール10通ほど作成。
帰路、サイエンスポッドキャストが嘘みたいによく聞こえて嬉しい。
レンタル屋でドラマの続きを借りて見る、聞く。
英語日記、4行。
(読む)
無思想の発見 養老孟司
日本経済入門 Brutus
(自炊)
せず。
題名のWhiskyとは、日本でいえば写真を撮るときの「チーズ」に相当する言葉。
妙な事情で夫婦を装うことになった男女と男の弟の3人の絡みが面白い。
何度も映る靴下工場のガレージが小津的でもある。
(昨日)
リハビリ中の上司(となる予定の人物)の自宅近くで面談。
漠然と駅構内や車内を見回す。
バリアフリーと言いながらも、
障害を抱える人が介助者なしで通勤するには不便が多い。
(英語)
仕事中、辞書をひきひき英文メール10通ほど作成。
帰路、サイエンスポッドキャストが嘘みたいによく聞こえて嬉しい。
レンタル屋でドラマの続きを借りて見る、聞く。
英語日記、4行。
(読む)
無思想の発見 養老孟司
日本経済入門 Brutus
(自炊)
せず。
新日曜美術館をつけたら養老先生がいらした。
語るお姿がなんともサマになるお方である。
ウルビーノのヴィーナスとは、
「女神」と称さないと女性の裸体画を世に出せなかった時代の
工夫あれこれが結実したものであるらしい。
人体解剖図が出た頃と同時代に描かれたものだけに
体の描写もより現実に近い形となっていたり、
印象派風の点描を取り入れて
リアルに見えるようになっているそうな。
裸婦画はこれが頂点で、あとの時代の人はラクしましたね、
という養老先生の締めがまたかっこよかった。
(英語学習)
ドラマばかりでは飽きるので、
ブックオフで500円で売っていた中で
英文字幕がついていた『フル・モンティ』を見る。
CHICAGOみたいな爽快感があって面白い。
(自炊)
韓国系食べものにはまる。
フライパンで作る石焼ビビンバ(つまり野菜の具が多い炒飯)とか
キムチとか。
一昨年いただいた分から溜まっている
白米を消費する好機なり。
しばらくはまっていよう。
語るお姿がなんともサマになるお方である。
ウルビーノのヴィーナスとは、
「女神」と称さないと女性の裸体画を世に出せなかった時代の
工夫あれこれが結実したものであるらしい。
人体解剖図が出た頃と同時代に描かれたものだけに
体の描写もより現実に近い形となっていたり、
印象派風の点描を取り入れて
リアルに見えるようになっているそうな。
裸婦画はこれが頂点で、あとの時代の人はラクしましたね、
という養老先生の締めがまたかっこよかった。
(英語学習)
ドラマばかりでは飽きるので、
ブックオフで500円で売っていた中で
英文字幕がついていた『フル・モンティ』を見る。
CHICAGOみたいな爽快感があって面白い。
(自炊)
韓国系食べものにはまる。
フライパンで作る石焼ビビンバ(つまり野菜の具が多い炒飯)とか
キムチとか。
一昨年いただいた分から溜まっている
白米を消費する好機なり。
しばらくはまっていよう。
Brutusの鈴木さんという方のブログのおかげさまで
アート系の情報入手頻度が高くなった。
金曜日、会社帰りに東京フォーラムのアートフェアなるものに
足を延ばした。
アートが売られるものとして展示されているのを見るのは初めてで、
いかにも絵を買いそうな富裕層と業界の方々、作者の方などにまじって
わたしみたいなどちらにも属さない人もいるようだった。
ヤノベケンジの小さな太陽(みたいな名前のガラスアート)が
2万ぐらいで売られていて、
ちょっと欲しかったけれど財布と相談してやめた。
そういえば、最近あまり美術館に行っていないが、
川村記念美術館がリニューアルオープンしたらしい。
コーネルの箱を見に行ったのがきっかけで、
時に無性に行きたくなるが、
去年は工事中でかなわなかった。
1日がかりになるのが難点だが、
あの田舎さ加減が遠足気分にさせてくれる。
原、ブリジストンに並んで、今のところ好きな美術館ベスト3に入る。
そろそろ行きたい。
アートフェアの帰りに新宿で
No Country (for old men)のレイトショーに入る。
コーエン監督の作品て、
スリリングというより純粋に怖いのだけど、
今回もまたこわいのなんのって。
出てくるだけでひいぃと叫びたくなるくらい
暗殺者役の俳優さんが怖いのだ。
前回の日記を見ると
そこはかとなくスリルを求めていたらしいから、
そのせいで見てしまったのかもしれない。
苫米地さんという方の『英語は逆から学べ』を読む。
そういえば、字幕なしでドラマを見て学習するというのは
この方のサイトか何かで学んだことだった。
身近で見る’英語をうまく使っている人たち’は
日本語を話しているときと英語を話しているときでは
ちょっと人格が違って見える。
本の中では日本語脳を英語脳に切り替えること、
と書かれているが、
似たような意味で、人格の使い分け、切り替えがうまい人が
上達が早いのかもしれないな、とも思う。
リラックスするのも大切だとか。
英語の日記も再度はじめた。
ところでBBCのComedyチャンネル(ラジオ)は
なかなか良い。
アガサクリスティなんかの朗読とか
小説をラジオドラマ化していたりして、
下手なオーディオブックを買うよりお得感がある。
1日の中で英語を聞く割合が少ないので、
寝ている間もかけっぱなしにしている。
気のせいか英語の聞こえが良い。
睡眠学習効果かも(笑)
アート系の情報入手頻度が高くなった。
金曜日、会社帰りに東京フォーラムのアートフェアなるものに
足を延ばした。
アートが売られるものとして展示されているのを見るのは初めてで、
いかにも絵を買いそうな富裕層と業界の方々、作者の方などにまじって
わたしみたいなどちらにも属さない人もいるようだった。
ヤノベケンジの小さな太陽(みたいな名前のガラスアート)が
2万ぐらいで売られていて、
ちょっと欲しかったけれど財布と相談してやめた。
そういえば、最近あまり美術館に行っていないが、
川村記念美術館がリニューアルオープンしたらしい。
コーネルの箱を見に行ったのがきっかけで、
時に無性に行きたくなるが、
去年は工事中でかなわなかった。
1日がかりになるのが難点だが、
あの田舎さ加減が遠足気分にさせてくれる。
原、ブリジストンに並んで、今のところ好きな美術館ベスト3に入る。
そろそろ行きたい。
アートフェアの帰りに新宿で
No Country (for old men)のレイトショーに入る。
コーエン監督の作品て、
スリリングというより純粋に怖いのだけど、
今回もまたこわいのなんのって。
出てくるだけでひいぃと叫びたくなるくらい
暗殺者役の俳優さんが怖いのだ。
前回の日記を見ると
そこはかとなくスリルを求めていたらしいから、
そのせいで見てしまったのかもしれない。
苫米地さんという方の『英語は逆から学べ』を読む。
そういえば、字幕なしでドラマを見て学習するというのは
この方のサイトか何かで学んだことだった。
身近で見る’英語をうまく使っている人たち’は
日本語を話しているときと英語を話しているときでは
ちょっと人格が違って見える。
本の中では日本語脳を英語脳に切り替えること、
と書かれているが、
似たような意味で、人格の使い分け、切り替えがうまい人が
上達が早いのかもしれないな、とも思う。
リラックスするのも大切だとか。
英語の日記も再度はじめた。
ところでBBCのComedyチャンネル(ラジオ)は
なかなか良い。
アガサクリスティなんかの朗読とか
小説をラジオドラマ化していたりして、
下手なオーディオブックを買うよりお得感がある。
1日の中で英語を聞く割合が少ないので、
寝ている間もかけっぱなしにしている。
気のせいか英語の聞こえが良い。
睡眠学習効果かも(笑)
水道橋とお茶の水を底辺、
本郷三丁目を頂点にした三角形の
若干本郷三丁目寄りの地点に会社がある。
前の会社は東京タワーを眺めたが、
今は遊園地を間近に見ながら通勤している。
途中に急な坂を上る。
ほんとうは「登る」という字をあてたいぐらいで、
体感で50度強の傾斜に思える。
なにしろ舗装された道でこれだけの傾斜にお目にかかったのは
北陸の山道だけではなかろうかと思うほどの
「腰にくる」角度なのだ。
帰りがけ、急坂を下るところで
ちょうど遊園地の急降下アトラクションが真正面に見える。
ゴンドラにパラソルがついていて、
それが急降下する、という単純なしろものだが、
雨の日以外は殆ど毎日といっていいほど
きゃあああ、という嬌声が聞こえる。
子供のころ、としまえんで、
大きな船が揺れるアトラクションの舳先に乗って
嘔吐感を催して以来
遊園地系はよほどの義理でもない限り
行かないことにしているのだが、
勢いよく下ってくるパラソルを見ていると
柄にもなく乗ってみたくなる。
スリルを自ら求めるのは
人間だけだと聞いたような気がするけれども、
どうなんだろう、
鳥の急降下とかは、
たとえ餌をとったり身を守るとかが主な目的は別にあるとしても
スリルも求めていないとはいえないんじゃないかなあ。
あれって病みつきになりそうだし。
だんだん仕事が増えてきた
(けどきっちり定時で上がれるなり。
社員が過労で入院しちまってお役所の調査が入った反動なのか、
やけにそこらへんきっぱりしている)
英文ビジネスメールを外国人とやりとりするのなんて初めてなのだということは
派遣先に内緒にしてあるので
時給をもらって英作文の練習をさせてもらえる
えらくいい環境である(とも思える)。
きっといろんなニュアンスが間違いまくってるに違いないので
相手からきた返事を眺めて学習するしかない。
でも、母国語が英語ではない東南アジアのひとたちだというだけで
許してくれそうな気がしてしまうのは、
なんというのだろう、非英語圏的連帯感、みたいな。
本郷三丁目を頂点にした三角形の
若干本郷三丁目寄りの地点に会社がある。
前の会社は東京タワーを眺めたが、
今は遊園地を間近に見ながら通勤している。
途中に急な坂を上る。
ほんとうは「登る」という字をあてたいぐらいで、
体感で50度強の傾斜に思える。
なにしろ舗装された道でこれだけの傾斜にお目にかかったのは
北陸の山道だけではなかろうかと思うほどの
「腰にくる」角度なのだ。
帰りがけ、急坂を下るところで
ちょうど遊園地の急降下アトラクションが真正面に見える。
ゴンドラにパラソルがついていて、
それが急降下する、という単純なしろものだが、
雨の日以外は殆ど毎日といっていいほど
きゃあああ、という嬌声が聞こえる。
子供のころ、としまえんで、
大きな船が揺れるアトラクションの舳先に乗って
嘔吐感を催して以来
遊園地系はよほどの義理でもない限り
行かないことにしているのだが、
勢いよく下ってくるパラソルを見ていると
柄にもなく乗ってみたくなる。
スリルを自ら求めるのは
人間だけだと聞いたような気がするけれども、
どうなんだろう、
鳥の急降下とかは、
たとえ餌をとったり身を守るとかが主な目的は別にあるとしても
スリルも求めていないとはいえないんじゃないかなあ。
あれって病みつきになりそうだし。
だんだん仕事が増えてきた
(けどきっちり定時で上がれるなり。
社員が過労で入院しちまってお役所の調査が入った反動なのか、
やけにそこらへんきっぱりしている)
英文ビジネスメールを外国人とやりとりするのなんて初めてなのだということは
派遣先に内緒にしてあるので
時給をもらって英作文の練習をさせてもらえる
えらくいい環境である(とも思える)。
きっといろんなニュアンスが間違いまくってるに違いないので
相手からきた返事を眺めて学習するしかない。
でも、母国語が英語ではない東南アジアのひとたちだというだけで
許してくれそうな気がしてしまうのは、
なんというのだろう、非英語圏的連帯感、みたいな。
会社の帰り道、
きっとないだろうなあ、と思いつつ
店舗面積は割に広いけれど品揃えの微妙な本屋に寄って、
案の定なかったから、ぶらぶらと立ち読みしていた。
池澤夏樹さんの『叡智の断片』の最初のエッセイが気に入って
(あとがきによると、ご本人もそれがお気に入りらしい)
うまいなあ、と讃辞のつもりで購入した。
ほかに内田樹さんというかたが
ブログで少しふれていたのが最終的な引きがねになって
漸く村上訳の『キャッチャーインザライ』を読む気になり、
ついでに池澤さんの『マシアスギリの失脚』も買って
本屋の近所のフレッシュネスバーガーで読みはじめた。
固い厚切りトマトをさくさくと齧りつつ。
雨に耐えた桜も風には負けてしまったのか
はらはらと闇に白片が舞っている。
地上から2メートルぐらいまでにあるものを
全部消してしまえば
あるいは幻想的な光景になるかもしれない。
しかしそうなると自分の姿もないわけだが。
てくてく歩く。
少し寒い。
BBCのラジオがインターネットで聞けることを今ごろ発見した。
つけたとき向こうは午後だったからか、
選んだチャンネルのライブは子供向け番組の時間が続いていて
語彙力のない私にはちょうど良い。
子どもたちが理由もなく楽しげだし。
と思いながら、うとうとしていた。
気がついたら話が難しくなっていた。
大人の時間。
会社で海外の工場とやりとりしなければならなくなってから
やっと世界の時間差が認識にのぼるようになった。
地球は回ってる、と思うとき
茨木のり子さんの「水の星」が頭をよぎる。
遅かりし目覚め。
夜、ひと眠りしてから日記をつければ
朝日記と同じような(余計なことを書かない)効用が
少しはあるんだろうか。
今日の日記を省みてみる限りでは
眠りによるすっきり効果は
あるのかないのかよくわからない。
とにかく、朝はやっとこ起き上がって仕事に行く以外には
何もできそうにないから仕方ない。
さて、ロンドンは17時半をすぎたというところ。
ラジオでは大人の会話が続いている。
きっとないだろうなあ、と思いつつ
店舗面積は割に広いけれど品揃えの微妙な本屋に寄って、
案の定なかったから、ぶらぶらと立ち読みしていた。
池澤夏樹さんの『叡智の断片』の最初のエッセイが気に入って
(あとがきによると、ご本人もそれがお気に入りらしい)
うまいなあ、と讃辞のつもりで購入した。
ほかに内田樹さんというかたが
ブログで少しふれていたのが最終的な引きがねになって
漸く村上訳の『キャッチャーインザライ』を読む気になり、
ついでに池澤さんの『マシアスギリの失脚』も買って
本屋の近所のフレッシュネスバーガーで読みはじめた。
固い厚切りトマトをさくさくと齧りつつ。
雨に耐えた桜も風には負けてしまったのか
はらはらと闇に白片が舞っている。
地上から2メートルぐらいまでにあるものを
全部消してしまえば
あるいは幻想的な光景になるかもしれない。
しかしそうなると自分の姿もないわけだが。
てくてく歩く。
少し寒い。
BBCのラジオがインターネットで聞けることを今ごろ発見した。
つけたとき向こうは午後だったからか、
選んだチャンネルのライブは子供向け番組の時間が続いていて
語彙力のない私にはちょうど良い。
子どもたちが理由もなく楽しげだし。
と思いながら、うとうとしていた。
気がついたら話が難しくなっていた。
大人の時間。
会社で海外の工場とやりとりしなければならなくなってから
やっと世界の時間差が認識にのぼるようになった。
地球は回ってる、と思うとき
茨木のり子さんの「水の星」が頭をよぎる。
遅かりし目覚め。
夜、ひと眠りしてから日記をつければ
朝日記と同じような(余計なことを書かない)効用が
少しはあるんだろうか。
今日の日記を省みてみる限りでは
眠りによるすっきり効果は
あるのかないのかよくわからない。
とにかく、朝はやっとこ起き上がって仕事に行く以外には
何もできそうにないから仕方ない。
さて、ロンドンは17時半をすぎたというところ。
ラジオでは大人の会話が続いている。
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