代々木八幡でブルータス鈴木氏のフクヘン展をのぞいてから、
友人が出演している舞台を見に新百合丘へ。
確かに台本が良かったし、あの場所ならではの演出も上手いと思った。
当初、夜の部を見る予定にしていたのを変更して14時からの回に行ったのだが、
昼であったことが、周囲の反応を含め、かえって面白かったかもしれない。
友人は、いつものように、ここぞというところで登場する味のある役どころなのだが、
二律背反的というか、自己矛盾というか、
そういった表現方法が、常日頃の彼とちょっと重なるところがあって、
なかなかのはまり役だった。
どうやら元気そうだと少し安心する。
次週の上野公演は同じ題材を違う演出でするそうで、なかなかに面白い劇団である。
よさげな仕上がりだったら、また連絡してくださいましね。
(って、これ読んでないとおもうけど。)
帰りがけ、向丘遊園で英語の先生と待ち合わせ。
50才も後半を過ぎたおじさまと趣味が合うと喜ぶのもなんだけれども、
こんなにセーブせずに趣味の話ができたのは久しぶりである。
日本人だと、つい細部にまで突っ込みすぎたり、
微妙に論点をずらして反論を避けたりした挙句に
差異が強調されて感じられる結果に終わることが多いけれども、
英語の場合、表現力不足のせいで、大筋で合意するだけでかなり喜べる。
こういうアバウトなコミュニケーションを日本人相手に出来れば、
けっこう上手く生きられるかもしれないよなあ、とふと思ったりする。
ついでにこの先生は、自身をジプシーティーチャー、イッピキオオカミタイプだと称していて、
そういうところも「合う」のかもしれない。
友人が出演している舞台を見に新百合丘へ。
確かに台本が良かったし、あの場所ならではの演出も上手いと思った。
当初、夜の部を見る予定にしていたのを変更して14時からの回に行ったのだが、
昼であったことが、周囲の反応を含め、かえって面白かったかもしれない。
友人は、いつものように、ここぞというところで登場する味のある役どころなのだが、
二律背反的というか、自己矛盾というか、
そういった表現方法が、常日頃の彼とちょっと重なるところがあって、
なかなかのはまり役だった。
どうやら元気そうだと少し安心する。
次週の上野公演は同じ題材を違う演出でするそうで、なかなかに面白い劇団である。
よさげな仕上がりだったら、また連絡してくださいましね。
(って、これ読んでないとおもうけど。)
帰りがけ、向丘遊園で英語の先生と待ち合わせ。
50才も後半を過ぎたおじさまと趣味が合うと喜ぶのもなんだけれども、
こんなにセーブせずに趣味の話ができたのは久しぶりである。
日本人だと、つい細部にまで突っ込みすぎたり、
微妙に論点をずらして反論を避けたりした挙句に
差異が強調されて感じられる結果に終わることが多いけれども、
英語の場合、表現力不足のせいで、大筋で合意するだけでかなり喜べる。
こういうアバウトなコミュニケーションを日本人相手に出来れば、
けっこう上手く生きられるかもしれないよなあ、とふと思ったりする。
ついでにこの先生は、自身をジプシーティーチャー、イッピキオオカミタイプだと称していて、
そういうところも「合う」のかもしれない。
なぜかこんな日に限って職場でいただいてしまった
北海道産メロン1個をかかえて、
対決 日本美術の巨匠展に行く。
なにしろ長谷川等伯の松林図屏風は27日までであるからして、
今日行っておかねばならなかった。
到着した時点で既に疲弊しきっていて、
ぼてぼてと館内を歩いて等伯に辿りついたときには長いため息が出た。
ああ、来てよかった、とおもう。
その一角だけは確かに薄靄のかかった松林であって、
自分もその松の中の一本であるような錯覚をおぼえる。
(というようなことがパネルに書いてあって、うまいなあと心中手を打った)
屏風絵というのはふしぎなもので、
今回実物を見るのは初めてで、
いつもは当然ながら平べったくした写真を見ているわけだけれど、
ちゃんと屏風としてじぐざぐに立ててあるほうが、リアルなのだ。
永徳の檜もそうなのだ。
平べったくのばされた写真で見ると、
あれどうしてあんなに無意味に幹が太くて曲がりくねってるんだろ、と
常々不思議だったのだけれども、
Wの字に立ててななめから見ると、
実にうまく枝ぶりが繋がって見えるわけだ。
かえって斜めから見たほうがより自然ではないかと思えるほどに。
そしてやはり、若冲の仙人掌群鶏図襖。
じっと眺めていると、鶏が何か語っているようで。
足を踏ん張って、中空を見ている、その目。
すらりと曲線を描く尾。
ひょいと目があってしまったように正面を向いた顔。
細かな点描から鶏の中に魂が吸い込まれていくようでもあり。
ぐるりと会場を回った後も、何度か戻ってきては、
そこにただ、立ち尽くす。
なんて素敵な顔をしてるんだろう。
そしてなぜか、サボテンと鶏なわけで。
帰りがけ、閉館30分前を切ったというのに、
息を切らせてどうしても見たいんだと訴えている女の子がいた。
汗をぬぐいながら、すいません、おねがいしますと言っていて、
なんだか、とてもいいな、とおもった。
そうしてでも見る意味はあるよ、きっと。
北海道産メロン1個をかかえて、
対決 日本美術の巨匠展に行く。
なにしろ長谷川等伯の松林図屏風は27日までであるからして、
今日行っておかねばならなかった。
到着した時点で既に疲弊しきっていて、
ぼてぼてと館内を歩いて等伯に辿りついたときには長いため息が出た。
ああ、来てよかった、とおもう。
その一角だけは確かに薄靄のかかった松林であって、
自分もその松の中の一本であるような錯覚をおぼえる。
(というようなことがパネルに書いてあって、うまいなあと心中手を打った)
屏風絵というのはふしぎなもので、
今回実物を見るのは初めてで、
いつもは当然ながら平べったくした写真を見ているわけだけれど、
ちゃんと屏風としてじぐざぐに立ててあるほうが、リアルなのだ。
永徳の檜もそうなのだ。
平べったくのばされた写真で見ると、
あれどうしてあんなに無意味に幹が太くて曲がりくねってるんだろ、と
常々不思議だったのだけれども、
Wの字に立ててななめから見ると、
実にうまく枝ぶりが繋がって見えるわけだ。
かえって斜めから見たほうがより自然ではないかと思えるほどに。
そしてやはり、若冲の仙人掌群鶏図襖。
じっと眺めていると、鶏が何か語っているようで。
足を踏ん張って、中空を見ている、その目。
すらりと曲線を描く尾。
ひょいと目があってしまったように正面を向いた顔。
細かな点描から鶏の中に魂が吸い込まれていくようでもあり。
ぐるりと会場を回った後も、何度か戻ってきては、
そこにただ、立ち尽くす。
なんて素敵な顔をしてるんだろう。
そしてなぜか、サボテンと鶏なわけで。
帰りがけ、閉館30分前を切ったというのに、
息を切らせてどうしても見たいんだと訴えている女の子がいた。
汗をぬぐいながら、すいません、おねがいしますと言っていて、
なんだか、とてもいいな、とおもった。
そうしてでも見る意味はあるよ、きっと。
急に出張に行くことになった。
きっと年に1回もない話なのに、なぜか忙しい時にそういうことになる。
早起きして行って、用事は夕方に終わる日帰りだから大した観光もできないけれど、
松本城でも遠目から眺めてくるかなあ。
せめて一泊したいところだけれども、
部屋の更新と都民税の支払いを控えているから、
今月はまさしくアリさんのようにはたらいている。
休日出勤すればなんとかペイできるんだろうか。
あれ、そうか、すでにこの時点でキリギリスだったりするのかしら(笑)
「薔薇の名前」の映画が図書館にあって、
小説は後編にさしかかったけれども一抹の飽きがきて、映画を見て済ませようかと借りてみる。
どこぞのレビューに「小説をあとで読んでみたけど違和感ありませんでした」とあったんだけれども、
いや、なんか違和感ありありなんですけどね。
ショーン・コネリーはいいけど、アドソ役の坊やとか、「薔薇」とかさ。
ホラーちっくな雰囲気もどうもやりすぎでつまらない。
というわけで、また小説に戻る。
異端論争なんて、あまりにも現実離れしていて、かえってトリップできる。
記号論入門、カントとカモノハシ、フーコーの振り子、なぞにもぼちぼち手をつけてみたりして
ちょっとしたエーコはまり。
いままでイタリアってあまり注目したことがなかったな。
きっと年に1回もない話なのに、なぜか忙しい時にそういうことになる。
早起きして行って、用事は夕方に終わる日帰りだから大した観光もできないけれど、
松本城でも遠目から眺めてくるかなあ。
せめて一泊したいところだけれども、
部屋の更新と都民税の支払いを控えているから、
今月はまさしくアリさんのようにはたらいている。
休日出勤すればなんとかペイできるんだろうか。
あれ、そうか、すでにこの時点でキリギリスだったりするのかしら(笑)
「薔薇の名前」の映画が図書館にあって、
小説は後編にさしかかったけれども一抹の飽きがきて、映画を見て済ませようかと借りてみる。
どこぞのレビューに「小説をあとで読んでみたけど違和感ありませんでした」とあったんだけれども、
いや、なんか違和感ありありなんですけどね。
ショーン・コネリーはいいけど、アドソ役の坊やとか、「薔薇」とかさ。
ホラーちっくな雰囲気もどうもやりすぎでつまらない。
というわけで、また小説に戻る。
異端論争なんて、あまりにも現実離れしていて、かえってトリップできる。
記号論入門、カントとカモノハシ、フーコーの振り子、なぞにもぼちぼち手をつけてみたりして
ちょっとしたエーコはまり。
いままでイタリアってあまり注目したことがなかったな。
人間の思考やそれに伴う活動はもともと筋道だったものではないから
いざその理路を整然として他人に分かるようにしようとするときには
必然的に論理は後付けになる、と聞いたことがあって、
なるほどそうだなあとおもう。
この連休のできごとも、そのまま書けば
すべてが「ふと」そうなったと記すことになる。
といっても、まあふつうに本を読んでいただけといえば
ただそれだけなのだけれども。
この2週間抱えていた本のひとつは若桑みどりさんの『クアトロ・ラガッツィ』だった。
つい最近まで桑の音が重なったのかクワトロ、だと思っていたのだけれども、
それはどうでもいい話。
土曜の夜に前編を終わって加速がついたのか日曜には読了した。
歴史系でこんなに長い本を読んだ記憶は近年皆無である。
発端は、文化の同時代性、横軸を見ないといけませんよ、
という授業でおすすめいただいたわけで、
読み終わってみると確かにそういう本だった。
副題にあるように、天正少年使節団とその時代を描いた著作である。
「私の信用できるのはひとりひとりの正直な人間だけなのだ」
と、一人ひとりがいきいきとした形をもって浮かび上がってくるまで資料を丹念に読み込まれた
検証の手法に、まずは感服。
キリスト教という宗教が、政治、服飾、美術、音楽、言語といった
無数の触手をのばして当時の日本文化と混血していく様子、
その反対勢力との攻防や、一口にイエズス会とはいっても政治的・信仰的思想の異なる神父らと
信長、秀吉との心理戦は、最終的な結末をつい棚上げして面白く読めてしまう。
先日受講した桃山期の美術作品の派手さを思い出したり、
利休の門下にキリシタンが多かったとの記述が、どことなく気にかかったりする。
若き使節団の西洋文化への純粋な憧憬、
帰国後、西欧を体験したとはいえ、西欧人にはなりきれない中での葛藤。
最終的に何を信ずべきかということを
その時代のせいで切実に考えざるを得なかった一個人としての苦悶。
若桑さんご自身の留学体験にも重なるところがあったのだろう。
天正使節団から鎖国に至るあの時代の世界と日本の関わりかたは、
現代においても省みられるべき歴史認識の一つであろうと思う。
若桑さんの丁寧なお仕事が印象に残って、「イメージを読む」「絵画を読む イコノロジー入門」
そのお隣にあったウンベルト・エーコ「美の歴史」、
いつか読まなきゃと思っていた「薔薇の名前」を借りてきて、
いま上巻を読みながら「美の歴史」の怪物の美の章をめくってみたり、
Youtubeでショーンコネリーを眺めたりしている。
★
前後するが、「フーガの技法」という言葉を見ながら
そういえば最近、フーガの技法をテレビで見たような、とおぼろげな記憶が浮かんできて、
検索していたら、自分のブログに行き当たった。
確かに、6月6日に芸術劇場で見たと記されていて、
ピエール=ローラン・エマールの演奏である。
人名と固有名詞を忘却する達人であるとの自覚はあるが、
せめて、良かったと思った奏者の名前ぐらいは覚えておけよ、自分、と思う。
シューマンとドヴュッシーとメシアンの動画を見つけて聞いてみたらうっとりしてしまって、
篤姫を見終わったあと、涼しい街をぽくぽく歩いて渋谷に出向き、CDを買う。
勢いで、茂木先生と河合先生の対談本、内田先生の新刊も買う。
今朝。
折角内田先生が練馬までいらしていたというのに
シンポジウムがあったのをすっかり失念していた。
というか、場所が真宗会館だったというのもあって、メモらなかったんだよなあ。
せめて喫茶店でモーニングを食べながら「こんな日本でよかったね」を読む。
面白すぎて噴出しそうになり、周囲の失笑も買う。
ついに財布の残金も尽きてきて、今日の英語はキャンセルとなる。
図書館にこもってエーコの前編を読了。
給料日が待ち遠しい。
いざその理路を整然として他人に分かるようにしようとするときには
必然的に論理は後付けになる、と聞いたことがあって、
なるほどそうだなあとおもう。
この連休のできごとも、そのまま書けば
すべてが「ふと」そうなったと記すことになる。
といっても、まあふつうに本を読んでいただけといえば
ただそれだけなのだけれども。
この2週間抱えていた本のひとつは若桑みどりさんの『クアトロ・ラガッツィ』だった。
つい最近まで桑の音が重なったのかクワトロ、だと思っていたのだけれども、
それはどうでもいい話。
土曜の夜に前編を終わって加速がついたのか日曜には読了した。
歴史系でこんなに長い本を読んだ記憶は近年皆無である。
発端は、文化の同時代性、横軸を見ないといけませんよ、
という授業でおすすめいただいたわけで、
読み終わってみると確かにそういう本だった。
副題にあるように、天正少年使節団とその時代を描いた著作である。
「私の信用できるのはひとりひとりの正直な人間だけなのだ」
と、一人ひとりがいきいきとした形をもって浮かび上がってくるまで資料を丹念に読み込まれた
検証の手法に、まずは感服。
キリスト教という宗教が、政治、服飾、美術、音楽、言語といった
無数の触手をのばして当時の日本文化と混血していく様子、
その反対勢力との攻防や、一口にイエズス会とはいっても政治的・信仰的思想の異なる神父らと
信長、秀吉との心理戦は、最終的な結末をつい棚上げして面白く読めてしまう。
先日受講した桃山期の美術作品の派手さを思い出したり、
利休の門下にキリシタンが多かったとの記述が、どことなく気にかかったりする。
若き使節団の西洋文化への純粋な憧憬、
帰国後、西欧を体験したとはいえ、西欧人にはなりきれない中での葛藤。
最終的に何を信ずべきかということを
その時代のせいで切実に考えざるを得なかった一個人としての苦悶。
若桑さんご自身の留学体験にも重なるところがあったのだろう。
天正使節団から鎖国に至るあの時代の世界と日本の関わりかたは、
現代においても省みられるべき歴史認識の一つであろうと思う。
若桑さんの丁寧なお仕事が印象に残って、「イメージを読む」「絵画を読む イコノロジー入門」
そのお隣にあったウンベルト・エーコ「美の歴史」、
いつか読まなきゃと思っていた「薔薇の名前」を借りてきて、
いま上巻を読みながら「美の歴史」の怪物の美の章をめくってみたり、
Youtubeでショーンコネリーを眺めたりしている。
★
前後するが、「フーガの技法」という言葉を見ながら
そういえば最近、フーガの技法をテレビで見たような、とおぼろげな記憶が浮かんできて、
検索していたら、自分のブログに行き当たった。
確かに、6月6日に芸術劇場で見たと記されていて、
ピエール=ローラン・エマールの演奏である。
人名と固有名詞を忘却する達人であるとの自覚はあるが、
せめて、良かったと思った奏者の名前ぐらいは覚えておけよ、自分、と思う。
シューマンとドヴュッシーとメシアンの動画を見つけて聞いてみたらうっとりしてしまって、
篤姫を見終わったあと、涼しい街をぽくぽく歩いて渋谷に出向き、CDを買う。
勢いで、茂木先生と河合先生の対談本、内田先生の新刊も買う。
今朝。
折角内田先生が練馬までいらしていたというのに
シンポジウムがあったのをすっかり失念していた。
というか、場所が真宗会館だったというのもあって、メモらなかったんだよなあ。
せめて喫茶店でモーニングを食べながら「こんな日本でよかったね」を読む。
面白すぎて噴出しそうになり、周囲の失笑も買う。
ついに財布の残金も尽きてきて、今日の英語はキャンセルとなる。
図書館にこもってエーコの前編を読了。
給料日が待ち遠しい。
こう暑くては、生きているだけで精一杯である。
数年前隅田川の花火を見に行くからと買ったユニクロの浴衣セットについてきた
下駄履きで、ぽくりぽくりと近所のコンビニを目指す。
日かげを選んで歩いても、強い照り返しに目まいがする。
急に家庭教師なぞつけてしまったのも手伝って
貯金残高が限りなくゼロに近づいた。
いつになく、いっしょうけんめいはたらいている。
ここ2週間以上、同じ本2冊を持ち歩いている。
通勤のうちバスに乗る10分少々と昼休み30分ほどでは
大して進まない。
なにしろこう暑くては、
帰宅後に本を読もうなぞという殊勝な気持ちがなかなかに起きない。
昨日は教育テレビでオペラがかかっていて、
ここはひとつ勉強に、と思ったまではよかったのだけれど、
割に大音量でかけていたのにすやすやと眠ってしまった。
たいていこの手のパターンは、
お目当てのものが終わった直後に目覚めるもので。
ふしぎな話である。
この連休で少しは読みかけの本が進むといいのだけれども。
数年前隅田川の花火を見に行くからと買ったユニクロの浴衣セットについてきた
下駄履きで、ぽくりぽくりと近所のコンビニを目指す。
日かげを選んで歩いても、強い照り返しに目まいがする。
急に家庭教師なぞつけてしまったのも手伝って
貯金残高が限りなくゼロに近づいた。
いつになく、いっしょうけんめいはたらいている。
ここ2週間以上、同じ本2冊を持ち歩いている。
通勤のうちバスに乗る10分少々と昼休み30分ほどでは
大して進まない。
なにしろこう暑くては、
帰宅後に本を読もうなぞという殊勝な気持ちがなかなかに起きない。
昨日は教育テレビでオペラがかかっていて、
ここはひとつ勉強に、と思ったまではよかったのだけれど、
割に大音量でかけていたのにすやすやと眠ってしまった。
たいていこの手のパターンは、
お目当てのものが終わった直後に目覚めるもので。
ふしぎな話である。
この連休で少しは読みかけの本が進むといいのだけれども。
英語のときに喫茶店で強いコーヒーを飲んだせいで
胃の調子がよろしくなかったから、夕食を抜いた。
夜遅くまで眠れなかったのに、ぐう、とお腹が鳴って、もう目が覚めた。
低炭水化物な食生活を志して数日。
豆腐をいかに美味しくいただくかに腐心する。
飽きるようではいけない。
オクラ、トマト、納豆、みょうがを刻んだ具に埋もれている白いお肌に、
バジル風味のノンオイルドレッシングをかけていただく。
なかなか上出来なり。
★
癒しとは全体性を回復することだと聞いたことがあるが、
たまたまこんな記事を見つけた。
「癒し」と「ストレス」は紙一重?!
「癒し」という言葉は「癒す;heal」という動詞から派生し名詞に転じた言葉です。このhealという言葉の語源はhalであり、whole, make whole,become wholeといった意味を持っています。同じ語源からは“health(健康)”“whole(全体的な)”“holy(神聖な)”という言葉が生まれています・・・
人間とは本来、緊張と弛緩を交互に繰り返す生きものであるらしい。
どちらかに偏ったときに、「癒し」、すなわち全体性の回復を望むのだそうな。
どうも張り合いがなくて、などと暢気なことをほざいていたのだが、
またモードが逆にふれてきた。
偏らないほうがいい。
行きつ戻りつ。のらりくらり。寄せては返し。
身体の、精神のもつリズムとはふしぎなものだ。
そんなこんなで、いつのまにか、季節はすっかり夏、なのでした。
胃の調子がよろしくなかったから、夕食を抜いた。
夜遅くまで眠れなかったのに、ぐう、とお腹が鳴って、もう目が覚めた。
低炭水化物な食生活を志して数日。
豆腐をいかに美味しくいただくかに腐心する。
飽きるようではいけない。
オクラ、トマト、納豆、みょうがを刻んだ具に埋もれている白いお肌に、
バジル風味のノンオイルドレッシングをかけていただく。
なかなか上出来なり。
★
癒しとは全体性を回復することだと聞いたことがあるが、
たまたまこんな記事を見つけた。
「癒し」と「ストレス」は紙一重?!
「癒し」という言葉は「癒す;heal」という動詞から派生し名詞に転じた言葉です。このhealという言葉の語源はhalであり、whole, make whole,become wholeといった意味を持っています。同じ語源からは“health(健康)”“whole(全体的な)”“holy(神聖な)”という言葉が生まれています・・・
人間とは本来、緊張と弛緩を交互に繰り返す生きものであるらしい。
どちらかに偏ったときに、「癒し」、すなわち全体性の回復を望むのだそうな。
どうも張り合いがなくて、などと暢気なことをほざいていたのだが、
またモードが逆にふれてきた。
偏らないほうがいい。
行きつ戻りつ。のらりくらり。寄せては返し。
身体の、精神のもつリズムとはふしぎなものだ。
そんなこんなで、いつのまにか、季節はすっかり夏、なのでした。
日曜は日がなシャーロックホームズをYoutubeで探して見ていた。
露口氏の声も好きだけれども、やっぱり英語がいい、というか、
主にヒアリング強化のために。
9月にマレーシア出張に行くかも、という話があって、
急に英会話に注力し始めたのは、そのせいもある。
そんなに話せなくても大丈夫、とは言われたものの、
そうですかと開き直るほどの胆力もなく、
さりとて折角の機会を無駄にするのも惜しい、というわけで、
ダメもとで先行投資だけはしておこうという心づもり。
今日もレッスン。
やはり私向けに準備してきてくれるせいか、なにかとためになる。
★
ここ数日、自室の電子ピアノをぽろぽろと弾いている。
年に何回か、そんな気分になることがある。
レパートリーは限られていて、
ドビュッシーのアラベスクと月の光ぐらい。
これが弾けたらなあ、と水の戯れやラ・カンパネラの楽譜は買ったけれど、
自分の技量を客観評価する能力に欠けていたとしか言いようがない。
月の光、がほんとうに好きで、
よくぞこんな音の組み合わせを思いついてくれたものだと、拙く弾きながら
毎回感じ入ってしまう。
弾いてみて初めて理解することがある、とおもう。
ずいぶん前に買ったオルハン・パムクはたしか物置に仕舞いこんだままなのだが、
昨夜放送されていた大江健三郎との対談がなかなかだった。
聞き逃したところがあって、もう一度聞けるとよいのだけれども。
想像力がなければ物事に複数の側面があることは
理解できない。
白でも黒でもないグレーゾーンをどれだけ許容できるか、
ということは、仕事の上でも、自分にとって喫緊の課題である。
英語をすることが、そういった自己内部の改革に資するとよいのだが。
露口氏の声も好きだけれども、やっぱり英語がいい、というか、
主にヒアリング強化のために。
9月にマレーシア出張に行くかも、という話があって、
急に英会話に注力し始めたのは、そのせいもある。
そんなに話せなくても大丈夫、とは言われたものの、
そうですかと開き直るほどの胆力もなく、
さりとて折角の機会を無駄にするのも惜しい、というわけで、
ダメもとで先行投資だけはしておこうという心づもり。
今日もレッスン。
やはり私向けに準備してきてくれるせいか、なにかとためになる。
★
ここ数日、自室の電子ピアノをぽろぽろと弾いている。
年に何回か、そんな気分になることがある。
レパートリーは限られていて、
ドビュッシーのアラベスクと月の光ぐらい。
これが弾けたらなあ、と水の戯れやラ・カンパネラの楽譜は買ったけれど、
自分の技量を客観評価する能力に欠けていたとしか言いようがない。
月の光、がほんとうに好きで、
よくぞこんな音の組み合わせを思いついてくれたものだと、拙く弾きながら
毎回感じ入ってしまう。
弾いてみて初めて理解することがある、とおもう。
ずいぶん前に買ったオルハン・パムクはたしか物置に仕舞いこんだままなのだが、
昨夜放送されていた大江健三郎との対談がなかなかだった。
聞き逃したところがあって、もう一度聞けるとよいのだけれども。
想像力がなければ物事に複数の側面があることは
理解できない。
白でも黒でもないグレーゾーンをどれだけ許容できるか、
ということは、仕事の上でも、自分にとって喫緊の課題である。
英語をすることが、そういった自己内部の改革に資するとよいのだが。
暑い。
起き上がりたくないといやいやする身体をひきずって朝カルに行く。
せっかく辻先生のお話を聞いているのに、江戸期を聞き逃すわけにはいかない。
狩野山雪、岩佐又兵衛などなど、美味しいところ。
やはりご本人からじかにうかがうと味わいひとしお。
開催中の『対決 日本美術の巨匠展』にも行っておきたい。
帰りに是枝監督の「歩いても歩いても」を見る。
ゴンチチの音楽もぴったりだったし、樹木希林がさすが。
黄色い蝶を死んだ長男に重ねて追いかける姿に
小林秀雄の蛍の話を思い出した。
今週2人の外国のひとと話してみて、
たとえば今日見聞したことを彼らにどう話そうか、
という視点をはじめて持った。
正確には初めてではないかもしれない。ずいぶん久しぶりに。
江戸期の日本美術なんて無難なトピックに思えるけれども、
いざ話にまとめようとすると、なかなか。頭をひねる。
特になにも起こらないといえば起こらない、
日本の夏を描いたあの映画は、外国人にはどう見えるのだろう。
台詞がうまかった。
あれを翻訳して字幕をつけたとして、どうなんだろう。伝わるものなんだろうか。
伝わるといいなと思いつつ。
Lost in translationを思い出した。
Lost in translation
あれも何も起こらないといえば起こらないんだけれども、
終わった後にふんわりした何かが残る、好きな映画だった。
起き上がりたくないといやいやする身体をひきずって朝カルに行く。
せっかく辻先生のお話を聞いているのに、江戸期を聞き逃すわけにはいかない。
狩野山雪、岩佐又兵衛などなど、美味しいところ。
やはりご本人からじかにうかがうと味わいひとしお。
開催中の『対決 日本美術の巨匠展』にも行っておきたい。
帰りに是枝監督の「歩いても歩いても」を見る。
ゴンチチの音楽もぴったりだったし、樹木希林がさすが。
黄色い蝶を死んだ長男に重ねて追いかける姿に
小林秀雄の蛍の話を思い出した。
今週2人の外国のひとと話してみて、
たとえば今日見聞したことを彼らにどう話そうか、
という視点をはじめて持った。
正確には初めてではないかもしれない。ずいぶん久しぶりに。
江戸期の日本美術なんて無難なトピックに思えるけれども、
いざ話にまとめようとすると、なかなか。頭をひねる。
特になにも起こらないといえば起こらない、
日本の夏を描いたあの映画は、外国人にはどう見えるのだろう。
台詞がうまかった。
あれを翻訳して字幕をつけたとして、どうなんだろう。伝わるものなんだろうか。
伝わるといいなと思いつつ。
Lost in translationを思い出した。
Lost in translation
あれも何も起こらないといえば起こらないんだけれども、
終わった後にふんわりした何かが残る、好きな映画だった。
家庭教師その2、いあんさんと初回の打ちあわせ。
疲れ果てていたせいで何も準備をしていかなかったら、
案の定ほとんどまともにはしゃべれなかった。
さすが先生たるもの生徒に合わせたスピードで話してくれるので、
言っていることはだいたい分かる。
ただ、この「だいたい」というのがクセモノなのだ。
最近どうも困っているのは、
一つひとつの語義は分かるけれども、何を言いたいのか分からない、という現象で、
いったいこの文章は何を目的に書かれたのか、
お知らせなのか叱責なのかお褒めの言葉なのか(殆どありえないが)はたまた嫌味なのか、という
日本語でならある程度察知できる空気のようなものが、
どうも掴めない、ということで。
なるほど、implied meaningですな、と、いあんさんは言った。
この先生は、メールに関してはフリーでミスを直してくれるという気前の良い人物なので
早速送ってみたら、ところどころ赤が入って返信されてきた。
なんと、いい人なり。
最近お会いする人物は、みないい人ばかりなり。
シアワセなり。
疲れ果てていたせいで何も準備をしていかなかったら、
案の定ほとんどまともにはしゃべれなかった。
さすが先生たるもの生徒に合わせたスピードで話してくれるので、
言っていることはだいたい分かる。
ただ、この「だいたい」というのがクセモノなのだ。
最近どうも困っているのは、
一つひとつの語義は分かるけれども、何を言いたいのか分からない、という現象で、
いったいこの文章は何を目的に書かれたのか、
お知らせなのか叱責なのかお褒めの言葉なのか(殆どありえないが)はたまた嫌味なのか、という
日本語でならある程度察知できる空気のようなものが、
どうも掴めない、ということで。
なるほど、implied meaningですな、と、いあんさんは言った。
この先生は、メールに関してはフリーでミスを直してくれるという気前の良い人物なので
早速送ってみたら、ところどころ赤が入って返信されてきた。
なんと、いい人なり。
最近お会いする人物は、みないい人ばかりなり。
シアワセなり。
家庭教師その1、あらんさんと、朝、職場近くで待ち合わせ。
話によると、アラスカで社会科教師をした後、ラサールで18年教鞭をとって、
もう鹿児島と少年はいい加減良いや、と思って
今は主に社会人を教えているというおじさまである。
おじさまのほうが話がしやすくて良い。
電話の声もすこぶる聞きとりやすい低音だったけれど、
さすが教師、と思わせる実に落ち着いた風格なのだ。
場所で検索して年上の方からソートして適当に選んだのに、
いい人に会えてラッキーなり。
家庭教師その2さんとは、明日面談の予定。
この人はデータによると私と同年輩なので
選択基準からすると候補から除外されるべきなのだけれども、
どうやら近所の喫茶店で教えているところを見かけたようなのだ。
待ち合わせに指定した店も同じだし、
あらんさんほどではないけれど、ベリーナイスな声だった。
(間仕切りを隔てた裏側の席で聞いていたのだ、はは、、)
この先生たちは初回は無料で、毎回払いでOKだから、
とりあえず、なかなかに便利である。
がんばろうね。
話によると、アラスカで社会科教師をした後、ラサールで18年教鞭をとって、
もう鹿児島と少年はいい加減良いや、と思って
今は主に社会人を教えているというおじさまである。
おじさまのほうが話がしやすくて良い。
電話の声もすこぶる聞きとりやすい低音だったけれど、
さすが教師、と思わせる実に落ち着いた風格なのだ。
場所で検索して年上の方からソートして適当に選んだのに、
いい人に会えてラッキーなり。
家庭教師その2さんとは、明日面談の予定。
この人はデータによると私と同年輩なので
選択基準からすると候補から除外されるべきなのだけれども、
どうやら近所の喫茶店で教えているところを見かけたようなのだ。
待ち合わせに指定した店も同じだし、
あらんさんほどではないけれど、ベリーナイスな声だった。
(間仕切りを隔てた裏側の席で聞いていたのだ、はは、、)
この先生たちは初回は無料で、毎回払いでOKだから、
とりあえず、なかなかに便利である。
がんばろうね。
決めてしまったら早いのだ。やるときゃやるのだ。
たまに妙に大胆な行動に出るときというのがあって、
今日がその日だったかもしれない。
センセイサガスコムで見つけた、ご近所にお住まいの外人さん5名に電話。
うち2人と会う約束をとりつけた。
私にとって、英語は「やらない」という選択肢はない。
問題はいつその気になるかであって、今しかないよな、とおもうのだ。
よく考えてみたら、大学はもう夏休みで、
月曜の授業が終わってしまって、どうも今ひとつ寂しい、なんて言ってるヒマがあったら
現実を直視して英語でもやんなさい、という話なのかもしれなかった。
ええ、そうなんです、やりますよ、えーご(笑)
今週の水曜はめずらしく休めそうだし、
授業にもぐりに行けたらなあ、なぞと思ったのだけれど、
よく考えたらそろそろ休み、とはいわないまでも、試験ですよね。
ちょっと考えなしでした。くすん。
★
誰に勧められたという記憶もなく、ごく自発的に読んでいる数少ない文筆家の一人が
長田弘であって、このまえ入手した『読むことは旅をすること』を
ぽつりぽつり読んでいる。
風景が眼前に広がる文章というのはこういうのなんだろうなあ。
たまに妙に大胆な行動に出るときというのがあって、
今日がその日だったかもしれない。
センセイサガスコムで見つけた、ご近所にお住まいの外人さん5名に電話。
うち2人と会う約束をとりつけた。
私にとって、英語は「やらない」という選択肢はない。
問題はいつその気になるかであって、今しかないよな、とおもうのだ。
よく考えてみたら、大学はもう夏休みで、
月曜の授業が終わってしまって、どうも今ひとつ寂しい、なんて言ってるヒマがあったら
現実を直視して英語でもやんなさい、という話なのかもしれなかった。
ええ、そうなんです、やりますよ、えーご(笑)
今週の水曜はめずらしく休めそうだし、
授業にもぐりに行けたらなあ、なぞと思ったのだけれど、
よく考えたらそろそろ休み、とはいわないまでも、試験ですよね。
ちょっと考えなしでした。くすん。
★
誰に勧められたという記憶もなく、ごく自発的に読んでいる数少ない文筆家の一人が
長田弘であって、このまえ入手した『読むことは旅をすること』を
ぽつりぽつり読んでいる。
風景が眼前に広がる文章というのはこういうのなんだろうなあ。
洗濯、掃除。
机とベッドに山積していた本と書類の片付け。
バットマンフォーエバー、ホテリアーをだりんとしながら眺める。
語学教師検索サイトで数名の候補をピックアップして登録。
コンサートのチケットひとつ予約。
こんどから毎食前に飲むことになった薬は、
副作用として食欲減退と書いてある。
そのせいなのか、単に動かず家にいるせいなのか、暑いせいなのか、
分からないけれども、確かに食欲はなかったね、今日は。
低炭水化物ダイエットを調べていて、wikipediaでアトキンスダイエットなるものを見つけた。
「ブーム」の項が、笑っちゃいけないのかもしれないけど、笑える。
食事指導してるお医者さんが、体重100キロ超えてちゃ、やっぱり、まずいっしょ。
医師によると、ダイエットの論調は約10年周期で変化するそうな。
そういえば、ちょうど10年前ぐらいにも、医者から3食豆腐だけ食べてろ、とか
言われたことあったっけ。
(ちなみに、その医者の言う「だけ」、というのは本当にそれだけ、オンリーってことで、
ほかのものは野菜以外食べるな、ってことなのよね、)
豆腐は嫌いじゃないけどさ、3食ドロドロにした豆腐食べるのって、かなりキツイよね、と思って、
結局やらなかったけど。
そろそろ本気でそういう荒療治をしなきゃならないのかもしれない。
ふう。
空腹感を感じずに生きていけたら、きっとシアワセなんだろうけどね。
豆腐屋ジョニーとか、胡麻豆腐とかなら2食くらい連続でもガマンできるかな。
机とベッドに山積していた本と書類の片付け。
バットマンフォーエバー、ホテリアーをだりんとしながら眺める。
語学教師検索サイトで数名の候補をピックアップして登録。
コンサートのチケットひとつ予約。
こんどから毎食前に飲むことになった薬は、
副作用として食欲減退と書いてある。
そのせいなのか、単に動かず家にいるせいなのか、暑いせいなのか、
分からないけれども、確かに食欲はなかったね、今日は。
低炭水化物ダイエットを調べていて、wikipediaでアトキンスダイエットなるものを見つけた。
「ブーム」の項が、笑っちゃいけないのかもしれないけど、笑える。
食事指導してるお医者さんが、体重100キロ超えてちゃ、やっぱり、まずいっしょ。
医師によると、ダイエットの論調は約10年周期で変化するそうな。
そういえば、ちょうど10年前ぐらいにも、医者から3食豆腐だけ食べてろ、とか
言われたことあったっけ。
(ちなみに、その医者の言う「だけ」、というのは本当にそれだけ、オンリーってことで、
ほかのものは野菜以外食べるな、ってことなのよね、)
豆腐は嫌いじゃないけどさ、3食ドロドロにした豆腐食べるのって、かなりキツイよね、と思って、
結局やらなかったけど。
そろそろ本気でそういう荒療治をしなきゃならないのかもしれない。
ふう。
空腹感を感じずに生きていけたら、きっとシアワセなんだろうけどね。
豆腐屋ジョニーとか、胡麻豆腐とかなら2食くらい連続でもガマンできるかな。
ちっこいのが可愛い。
little blue salamander
カエル殺し。
Frog vs Salamander
イロイロいるらしい。
Salamanders
飼育方法
How to Care for a Pet Tiger Salamander
little blue salamander
カエル殺し。
Frog vs Salamander
イロイロいるらしい。
Salamanders
飼育方法
How to Care for a Pet Tiger Salamander
会社近くの病院に行く。
10時半の予約ギリギリに入って、会計受付が終わったのは13時過ぎ。
会計と薬の受取に更に30分待ちと出ていたから、近所を歩くことにした。
毎日通っている道だけれど、いつも急いでいるから店の前で立ち止まることはなかった。
ある店の前で、サンショウウオと目が合った。
(と、勝手に思っただけかもしれないけど。)
クロサンショウウオは全長15センチ、トウキョウサンショウウオは5センチほど。
目がくりくりしているし、話しかけたら聞いてくれそうな気がした。
カエルも小さく緑色なのは良い。大きすぎると今ひとつ美しくない。
カメは小さくスイスイ泳いでいるのは良いが、大きいと攻撃的に見えて好かない。
イグアナは怖い。蛇はもっと怖い。
やっぱり生きものと一緒に暮らしたいような、と思いつつ、
実家からもらってきたカランコエさえ
少し水やりを怠って、久しぶりに気づいて触れてみると葉がぽろりと落ちてしまった。
指先に乗るほどの小さく丸い葉を眺めつつ、うろたえる。
こんなことでは、と呆然とする。
サンショウウオはどうやらムシを食べるらしいから
水槽にムシを入れておかねばならないようだし、
店頭の水槽にはペットボトルを凍らせて入れてあった。
なかなか手がかかる。
(などと思っているようではきっといけないにちがいないけれども、)
生きものとの共同生活への道のりは遠い。
10時半の予約ギリギリに入って、会計受付が終わったのは13時過ぎ。
会計と薬の受取に更に30分待ちと出ていたから、近所を歩くことにした。
毎日通っている道だけれど、いつも急いでいるから店の前で立ち止まることはなかった。
ある店の前で、サンショウウオと目が合った。
(と、勝手に思っただけかもしれないけど。)
クロサンショウウオは全長15センチ、トウキョウサンショウウオは5センチほど。
目がくりくりしているし、話しかけたら聞いてくれそうな気がした。
カエルも小さく緑色なのは良い。大きすぎると今ひとつ美しくない。
カメは小さくスイスイ泳いでいるのは良いが、大きいと攻撃的に見えて好かない。
イグアナは怖い。蛇はもっと怖い。
やっぱり生きものと一緒に暮らしたいような、と思いつつ、
実家からもらってきたカランコエさえ
少し水やりを怠って、久しぶりに気づいて触れてみると葉がぽろりと落ちてしまった。
指先に乗るほどの小さく丸い葉を眺めつつ、うろたえる。
こんなことでは、と呆然とする。
サンショウウオはどうやらムシを食べるらしいから
水槽にムシを入れておかねばならないようだし、
店頭の水槽にはペットボトルを凍らせて入れてあった。
なかなか手がかかる。
(などと思っているようではきっといけないにちがいないけれども、)
生きものとの共同生活への道のりは遠い。
あとからあとから仕事が降り積もってきて、
自分の英語力が処理速度のボトルネックになってきていることを
自覚しつつある。
日本語と同じ速度で英文が書けなければ死んでしまいそうである。
遅くとも6時には仕事を終えているのだから労働時間は普通なのに、
帰宅したらほとんど寝ることしかできないくらい疲弊している。
ぼちぼち英語の電話も取らなければならなくなってきた。
電話を受けて誰かに転送するぐらいならいいが、
ビジネスレベルの英語が聞けて話せないと、やっていけなくなってきた。
そろそろ本気で家庭教師をさがさないと。
よいこともあった。
眼科の定期健診の結果が無事、良好だったこと。
去年1年間治療を放棄していたせいで、
最悪の診断がくだされるのではと、こわくてしかたなかった。
目薬のせいで、白く光る世界にまばたきしながら、
ああ美しい、しあわせだと思う。
夜、某コンサートに行く。
検索にひっかかってくるのがいやなので、固有名詞は伏せる。
まさしく超絶の技で、「憑いてる」系の音楽。
何を意味しているか知らないけれどもパフォーマンスはチャーミングだったし、
すごいな、と個人的には思っていた。
帰りがけ、ふとロビーの真ん中にあった花につけられた札の人物名を見て
がくぜん。
ああ、そういえば世界平和って連呼してたな、やけに知り合いの輪がたくさんできてる会場だな、
始まりと終わりのあの感じ、と思いあたることいろいろで、すーーーと冷めた。
アーティストが宗教を利用しているのか、それとも宗教がアーティストを、なのか
いやもしかしたら本気で信じているのか、よく分からないけれども、
そのひとの芸術性と宗教を切り離して考えるということが、なかなかできない。
と、会場を後にしながらおもっていた。
で、帰宅するとライヒのついこの間のコンサートが放映されていた。
CDで聴けばクールな、というかシュールな音だけれども、
それを生身の人間が演奏しているところを見てしまうと、かえって生々しい。
ほとんど修行のように同じ鍵盤を叩き続けるストイックな演奏。
さっき見てきた音楽のように、自分以外の何かに身をまかせているような
そんなそぶりはない。
2つの音楽のギャップが面白くて、
珍しくライヒも全部終わるまでテレビをじーっと見ていた。
宗教の勧誘のために芸術を使うという行為自体は気に喰わないし、
会場の裏に停まっていた黒塗りハイヤーにはいったい誰が乗っていたんだろうと思ったら
かなり気持ち悪かったけれども、
よく考えれば、アーティストが一個人として宗教を持っているということは
当然の話だし、たまたまその幹部としての立場にいることも、まあありうるかもしれない。
古来音楽と宗教は結びついていたわけで。
幸いにも楽しんだ後にあの名前を見たわけだし、と
今朝起きてみて、そう思った。
自分の英語力が処理速度のボトルネックになってきていることを
自覚しつつある。
日本語と同じ速度で英文が書けなければ死んでしまいそうである。
遅くとも6時には仕事を終えているのだから労働時間は普通なのに、
帰宅したらほとんど寝ることしかできないくらい疲弊している。
ぼちぼち英語の電話も取らなければならなくなってきた。
電話を受けて誰かに転送するぐらいならいいが、
ビジネスレベルの英語が聞けて話せないと、やっていけなくなってきた。
そろそろ本気で家庭教師をさがさないと。
よいこともあった。
眼科の定期健診の結果が無事、良好だったこと。
去年1年間治療を放棄していたせいで、
最悪の診断がくだされるのではと、こわくてしかたなかった。
目薬のせいで、白く光る世界にまばたきしながら、
ああ美しい、しあわせだと思う。
夜、某コンサートに行く。
検索にひっかかってくるのがいやなので、固有名詞は伏せる。
まさしく超絶の技で、「憑いてる」系の音楽。
何を意味しているか知らないけれどもパフォーマンスはチャーミングだったし、
すごいな、と個人的には思っていた。
帰りがけ、ふとロビーの真ん中にあった花につけられた札の人物名を見て
がくぜん。
ああ、そういえば世界平和って連呼してたな、やけに知り合いの輪がたくさんできてる会場だな、
始まりと終わりのあの感じ、と思いあたることいろいろで、すーーーと冷めた。
アーティストが宗教を利用しているのか、それとも宗教がアーティストを、なのか
いやもしかしたら本気で信じているのか、よく分からないけれども、
そのひとの芸術性と宗教を切り離して考えるということが、なかなかできない。
と、会場を後にしながらおもっていた。
で、帰宅するとライヒのついこの間のコンサートが放映されていた。
CDで聴けばクールな、というかシュールな音だけれども、
それを生身の人間が演奏しているところを見てしまうと、かえって生々しい。
ほとんど修行のように同じ鍵盤を叩き続けるストイックな演奏。
さっき見てきた音楽のように、自分以外の何かに身をまかせているような
そんなそぶりはない。
2つの音楽のギャップが面白くて、
珍しくライヒも全部終わるまでテレビをじーっと見ていた。
宗教の勧誘のために芸術を使うという行為自体は気に喰わないし、
会場の裏に停まっていた黒塗りハイヤーにはいったい誰が乗っていたんだろうと思ったら
かなり気持ち悪かったけれども、
よく考えれば、アーティストが一個人として宗教を持っているということは
当然の話だし、たまたまその幹部としての立場にいることも、まあありうるかもしれない。
古来音楽と宗教は結びついていたわけで。
幸いにも楽しんだ後にあの名前を見たわけだし、と
今朝起きてみて、そう思った。
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