篤姫を見ていて、テレビ画面の右上に「アナログ」という白抜き文字を発見した。
いったん気になりはじめると、目障りこの上ない。
2011年まで3年もあるのに
こんな表示を出すぐらいだから、デジタル化の進捗が相当思わしくなんだろうか。
今のアナログ対応機が使えなくなったら、もうテレビなんて見ないだろうなぁ、
と思ってるひとは少なくないんじゃないだろうか。
情報量は、ネットで十分足りているといえば足りている。
だから、きっと、デジタル化の進捗が遅れていると焦る必要はなく、
テレビの需要そのものが減りつつあり、デジタル化という契機は
供給側の目論見に反して、需要減を促進しているのだとお考えになって、
目障りな文字を表示するのはやめましょう。はい。
★
タルコフスキーを昨夜当日返却でレンタルしてしまったせいで、
10時までに最寄JR駅近くにあるツタヤに到着し、その後図書館に行くという
夏の休日にしては至極規律正しい生活態度でありました。
図書館は格好の避暑地で、机のある席は殆ど満席。
やっと見つけた丸テーブルを
見知らぬ4人で囲むという、普段にはない珍しいシチュエーションが現出する。
うち若者2人は時折すやすやとお休みになる。
隣は何を読む人ぞ、とチラリと覗く。
時折覚醒した女子は武道系の本を読んでいる。
若桑さんの絵画入門系著作をもう一度最初から読み直す。
挿絵の白黒写真ではどうも掴めないので、
タテヨコ50センチ角もあろうかというシスティナ礼拝堂の写真集を抱えてきて
控えめに開いてぱらぱらとめくってみる。
書架で近所にあったのだったか、どこでどう繋がったのか、もう忘れてしまったが、
サイードとかレイコフとかバルトとかに出会ったりして、
久しぶりにネイチャーの脳系記事なんかもコピったりして(まだ読んでないけど)
楽しい1日だった。
昨年言語学の講座に通っていたときは
意味論とか修辞の話は次第に飽きてしまって途中でやめたのだけれど、
いざ英語で文章を書こうと思ってみると
(英語の先生に日記とかエッセイでも書けといわれていて、
さすがにこれみたいなテキトーな文章は英語では書けないのだ、なぜか)
それに言語学の本が意外に役に立つ。
エーコを読みかけていて全然進まない記号論とも絡む。
ジョージ・レイコフを3冊借りる。
帰宅してスティーブン・ピンカーの最近のレクチャーを聞く。相変わらずかっこいい。
最新刊をオーディオブックで聴くことにする。9時間もあるけど。
聞ききれるかしらん。
なんとかかんとか言いながらNHKにはお世話になっているわけで、
N響アワーも見る。
今日はRシュトラウスのツァラトゥストラもモーツァルトのアリアもよかったな。
ザネッティはオペラ出身の人だそうで、
オペラの経験を積めば、たとえ交響曲でも、
その一つの楽器、旋律が語っているように聞こえるようになる、
呼吸が感じられるようになる、というようなことを言っていたのが
ちょっと印象に残る。
池辺さんは今日だじゃれの一つも言わずに
まじめだったんだけれども、最後に音楽全体のナラティブ性ではなくて
ひとつの音そのものの中に物語性がある、楽譜に一つ音符を書くと、
その音があちこち動きたがるような、というようなコメントをしていて、
面白かった。
ほんじつは、そんなかんじでした。
いったん気になりはじめると、目障りこの上ない。
2011年まで3年もあるのに
こんな表示を出すぐらいだから、デジタル化の進捗が相当思わしくなんだろうか。
今のアナログ対応機が使えなくなったら、もうテレビなんて見ないだろうなぁ、
と思ってるひとは少なくないんじゃないだろうか。
情報量は、ネットで十分足りているといえば足りている。
だから、きっと、デジタル化の進捗が遅れていると焦る必要はなく、
テレビの需要そのものが減りつつあり、デジタル化という契機は
供給側の目論見に反して、需要減を促進しているのだとお考えになって、
目障りな文字を表示するのはやめましょう。はい。
★
タルコフスキーを昨夜当日返却でレンタルしてしまったせいで、
10時までに最寄JR駅近くにあるツタヤに到着し、その後図書館に行くという
夏の休日にしては至極規律正しい生活態度でありました。
図書館は格好の避暑地で、机のある席は殆ど満席。
やっと見つけた丸テーブルを
見知らぬ4人で囲むという、普段にはない珍しいシチュエーションが現出する。
うち若者2人は時折すやすやとお休みになる。
隣は何を読む人ぞ、とチラリと覗く。
時折覚醒した女子は武道系の本を読んでいる。
若桑さんの絵画入門系著作をもう一度最初から読み直す。
挿絵の白黒写真ではどうも掴めないので、
タテヨコ50センチ角もあろうかというシスティナ礼拝堂の写真集を抱えてきて
控えめに開いてぱらぱらとめくってみる。
書架で近所にあったのだったか、どこでどう繋がったのか、もう忘れてしまったが、
サイードとかレイコフとかバルトとかに出会ったりして、
久しぶりにネイチャーの脳系記事なんかもコピったりして(まだ読んでないけど)
楽しい1日だった。
昨年言語学の講座に通っていたときは
意味論とか修辞の話は次第に飽きてしまって途中でやめたのだけれど、
いざ英語で文章を書こうと思ってみると
(英語の先生に日記とかエッセイでも書けといわれていて、
さすがにこれみたいなテキトーな文章は英語では書けないのだ、なぜか)
それに言語学の本が意外に役に立つ。
エーコを読みかけていて全然進まない記号論とも絡む。
ジョージ・レイコフを3冊借りる。
帰宅してスティーブン・ピンカーの最近のレクチャーを聞く。相変わらずかっこいい。
最新刊をオーディオブックで聴くことにする。9時間もあるけど。
聞ききれるかしらん。
なんとかかんとか言いながらNHKにはお世話になっているわけで、
N響アワーも見る。
今日はRシュトラウスのツァラトゥストラもモーツァルトのアリアもよかったな。
ザネッティはオペラ出身の人だそうで、
オペラの経験を積めば、たとえ交響曲でも、
その一つの楽器、旋律が語っているように聞こえるようになる、
呼吸が感じられるようになる、というようなことを言っていたのが
ちょっと印象に残る。
池辺さんは今日だじゃれの一つも言わずに
まじめだったんだけれども、最後に音楽全体のナラティブ性ではなくて
ひとつの音そのものの中に物語性がある、楽譜に一つ音符を書くと、
その音があちこち動きたがるような、というようなコメントをしていて、
面白かった。
ほんじつは、そんなかんじでした。
| HOME |

