世界の奏でる音楽


この土日は、ごろごろしながら
保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』を読んでいた。
相変わらず、保坂さんが引用している小説で途中まででも読んだことがあるのは
カフカぐらいのものだったけれど、
岡田利規の『三月の5日間』が引用されていたのが少し嬉しかった。
別の劇団が演じたものだったけれど、2ヶ月ほど前に見て、
面白い語り口だと思ったところだったから。

偶然による力というものを信じる、とたしか保坂さんは書いていたと思う。
それはおそらく終盤にでてくるニーチェの永劫回帰思想にも関係しているのだろう。
「たとえどれほど頻繁に「同じ形式が達成される」としても、そのことは、それが同じ形式であるということを意味してはいない―そうではなくて、現れてくるのはいつでもある新しいものなのである」

プロセスとはインプットからアウトプットまでのことを言う、
と、最近どこかで聞いた。きわめて理解できる言葉ではある。
しかし、保坂さんはこの本の中で、そういう因果関係への信仰のごときものを破壊しようとしている。
世界と自分の関わり方の核となるような部分においてのみ、
意味を求めることにこだわっていないというか。その潔さがとてもいいな、と思う。

「小説には必ず結末があり、結末はそこに至るすべての中身を一つの意味に収束させる働きをしてしまいがちなので、こういう小説には結末は必要ないのではないか。かりに作者自身がある意図によって結末を書いたとしても、小説の全体はそういう意図をこえている」

「思考の澱みとしての意味。
「よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく止まりたるためしなし。」という『方丈記』の一説も、思考の隠喩だと言われればそういう気持ちにもなる。しかしそういう小説にいったいどんな意味がるのか?と、まだ訊く人がいるとしたら、そこであなたがほしがっている”意味”というものが、自分がしゃべっている言葉の秩序や法則によってしゃべらされているだけのものだというさっき書いたことを繰り返すしかない。この小説はそういう”意味”を脱臼させて、読者を”意味”から離れた世界に連れ出し、読者はそこで、「主体は個体と同じではない」こととか「主体の軸となる現実は自我の中にない」こととか「人間は人間の中になどない」こととか「意味の全体系は人間の中にはない」ことなどを発見するだろう[うまくすれば]。」

「因果律に対する異常なまでに強固な信仰をわれわれが持っているのは、特定の事象が連続して起きるという大いなる習慣のゆえではなく、ある出来事を解釈するにあたって、なんらかの意図によっておきたと解釈する以外にしようのないわれわれの無能力のせいである」
(上記「」内はすべて保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』より引用)

というわけだから、今回は(というか、今回もというべきか)
あえて何かに収束しようとはするまい。
ただ、読後に、自己自身を通してしかできない、世界と触れ合う方法について、
なにがしか試してみようか、という
いつになく清々しい思いが残るのだけは認めたっていいだろうと思う。







2008⁄09⁄29(Mon) 01:00   もろもろ | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
カプースチン


日比谷公会堂での講習会に行く。
古い造りなせいか、えらく座り心地の悪い、小さな椅子。
境界線がないので、ビッグサイズな人の隣に当たった日にゃ
そりゃあんた、ちょっと酷じゃないかしらという話。
2時を回った頃には腰が痛くなって、
ロビーのソファでの「ご静聴」となる。
(全館放送がかかってるので、ロビーでも聞こえることに
遅まきながら気がついて柔らかくて幅広な椅子を求めて移動したわけですね)
殆ど満席だったわけだけど、
あんな狭苦しい場所でスライドをそのまま読んでるだけの話を
1日じっと動かず聞いていられる人たちに
ほんとうに心から敬意を表します。
わたしには無理です。

と、そんなようなことを思いつつ。



この前から気になっていたカプースチンとリストを探しに渋谷に行く。
渋谷も人が多すぎて、よほど気合を入れないと行けない場所。
気合を入れたのがよかったのか(関係ないか、、)
とにかく、いま聞いてますが、とってもいいです。

自作自演集「8つの演奏会用エチュード」自作自演集「8つの演奏会用エチュード」
(2004/11/17)
カプースチン(ニコライ)

商品詳細を見る


お買いものモードになって、最寄JR駅近の書店に寄る。
小説、世界の奏でる音楽、武満徹エッセイ集、モーツァルトをきく
をお買い上げ。
ほとんど本を読む気にならなかった夏の間に、
いろいろと新刊が出てたんですね。
いまは保坂和志を読んでます。

「まえがき」のあたりで、
小説を読むこととは、自分の持っている読み方の方法論を捨てていくことであり、
考えるとは、批判をする(自分のもち合わせの流儀で読む)というより
むしろ信じることだ、というようなことが書いてあって、
やっぱりこのひとはすごいことを言うひとだなあ、と。





2008⁄09⁄25(Thu) 23:05   もろもろ | Comment(1) | Trackback(0) | ↑Top
ニコライ・ルガンスキーが素敵だった件


日曜日のはなし。
なにしろピアノリサイタルなどというものには
記憶する限りにおいて「生まれて初めて」足を運んだのである。
ここに至るまでにはいろいろと経緯があるのだが面倒なので省く。
長い話を短くすると、まあ生の音楽でも聞かないことには
明日から出社拒否でもしそうなくらい疲れ果てていたので、
ぴあで適当に近場の会場を選んで行った、という、単にそれだけ。
こういう状況に至ったときに、
生音楽という「治療」が効くことを最近知ったことはひとつの救いだった。
で、当然ながら、ニコライ・ルガンスキー氏とは何者であるか、なぞという事前知識はない。
(あ、ピアノを弾く人だということぐらいは知っていたけれども。)

紀尾井ホールで当日券を入手し、
3センチは優に超えるコンサートのパンフレットをめくりながら、
音楽家という人種は写真うつりの良い顔立ちの人しかいないのは
どういうわけだろうと考えていると、開場の時間となる。

プログラムの内容からして、ヤナーチェクとかプロコフィエフのロミオとジュリエットはともかく、
最後にリストの超絶技巧が入っているあたり、
ある程度予想はしていたものの、
きっとなんというか正確な読みと演奏なんだろうなあと思わせる緻密な感じ。
いや、演奏家の良し悪しなんて、はっきり言ってよく分からないのだけれども。
ただピアノの(楽器の)せいなのか、とても丸みのある良い音なのだ。
なんでだろうと思いながら前半が終わって長いトイレの列に並んでいると、
お嬢様方のうちの一人が連れの人と話しているのが聞こえた。
「ホールのせいなのかしらねえ、それとも調律かしら、弾き方なのかしら、なんか
音がピアノの奥のほうから出てくるみたいな、いい音がするわよねえ」
そうそう、それそれ。
CDなぞではとても体験できない音色で、ああこれぞナマの音。
来てよかったと思う。

後半、まずリストの巡礼の年から3曲。
無論初心者としては初めて聴く曲でなんだけれども、
婚礼、エステ荘の噴水(これが後年、私の好きな水の戯れや、
水に映る影などに影響を与えたといわれるものだそうな)、ペトラルカのソネット123番と、
意識が遠くなり彼方へ連れ去られるような至福の時間の流れ。

金曜日に朝カルで対談を聞いた佐渡裕さんが言っていた
まさしく「このまま時がとまってほしい」とはこういうことに違いないと。
(また別の公演を聴いたらまたそう思うのかもしれないけど、)
でも、きっとそうに違いないとその時は思ったわけで。

で、最後に超絶技巧練習曲から4曲。
拍手が鳴り止まないので、いやあもう疲れたなあと少し困ったように出てきては
それでいて舞台の中央に立つとニコニコとお辞儀をしてアンコールにこたえ、
最後はカプースチンの演奏会エチュードop40、第7曲(間奏曲)を、
超高速で弾いて終了。
いや、この最後の曲が、意外性もあって、とってもよかった。
ユーチューブで探してカプースチンを聴いてみたけれど、全然違う曲に聞こえる。
もう一回聞きたいなあ。

このかたラフマニノフとかショパンあたりしかCDが流通してないみたいなんだけど、
(アマゾンとituneでしか探してないのがいけないのかしら、)
リストのCD出しましょうよね。巡礼の年。よろしくおねがいします。

Nikolai Lugansky
http://www.youtube.com/watch?v=-iYhP5m3M4E





2008⁄09⁄23(Tue) 20:49   もろもろ | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
20080917


駅から家への帰り道。
福しんでお持ち帰りしたタンメンを右手に下げて
てくてくと歩いていると、
時々見かける尻尾の曲線が綺麗な黒猫が
斜め前方からゆっくり近づいてきて、
目の前を横切っていきました。
はあい、元気い、と声をかけたのですが、
聞こえなかったのか、
または聞こえたものの返答すべきではないと考えたのか、
とにかくそのまま私の左後ろに抜けていきました。

たとえば人間と会話ができなくなる代わりに
猫とは会話できるようにしてやるよというような契約をもちかけられたら
人を選ぶか、それとも猫を選ぶか。
むずかしいもんだいであります。
自分も猫にしてもらえるなら猫を選ぶかなあ。
なんてことを考えるのは『海辺のカフカ』のナカタさんの影響かもしれません。

一昨日あたりは吉田秀和の随筆を読みながら音源を探して聞いていました。
いまは『マシアス・ギリの失脚』を読んでいるところ。







2008⁄09⁄17(Wed) 21:54   もろもろ | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
帰国しました


木曜の深夜便に乗って金曜朝、帰国しました。
基本的に仕事だったのであまり観光はできなかったのですが、
ペナンで猿の住んでいる植物園に行ったり、
招かれるままやたらカラフルな寺院を見学して額に粉を塗られお布施を請求されたり
マラッカでザビエルの銅像があったはずの博物館を見たり
(英語で説明を受けたせいか肝心の銅像に気づかなかったという失態に後から気づいたり)
なかなか楽しい1週間でした。

水曜の夜あたりから何も悪いものを食べていないはずなのに
お腹の具合が悪くなり、何か食べた後は、
1分以内でトイレにかけこめる環境にいないと心配でたまらない状態が
続いていましたが、やっと正常に戻りつつあります。
同行した人びとは全くそのような気配もなく、
「まあ移動も多かったし、気を張って疲れたんでしょ」で終わったわけですが、
とりあえずコンビニおにぎり、レトルトおかゆ、そしておそばがやたらと美味しい
今日なのでありました。

旅のおともには村上春樹『海辺のカフカ』を連れていきました。
道中はセックスアンドザシティとインディージョーンズなぞを見るともなく見てしまったりして
上巻の3/4ぐらいまでしか読めなかったのですが、
帰国後倒れている以外に何もできなかった昨日と今日で読了しました。
上下巻あるような本の上巻は異常に読むスピードが遅くなるのが最近の傾向であると
はじめて自覚したりと意味深い読書でありました。
昔はもっともっと読むのが早かったはずなのに、
年を取るに従って遅くなるとはいかなることかと思うわけですが、
それだけ自分の目線というものから遊離するのに
時間がかかるようになったってことなんでしょうかね。
まあなにしろ全く小説が読めない時期もあったし、そこからすると進歩なのかもしれません。
カラスやうなぎが出てくるたびに内田先生の文章を思い出したり
星野青年がなんとなく好きで、この星野青年とかナカタさんの面白さは
日本語だから面白いに違いないよと思ったり
それにしても現地での自分の英語はひどかったなあと思ったりしながら
腸内環境正常化飲料たるプロビオとラブレを交互に飲んだりしていました。

そうそう、マレーシアで会った人びとは殆どが中国系の人たちで、
中国系の発音て、何言ってるんだか殆ど分からなかったですねーこれが。
プレゼンの時なんかは意識的に皆さんゆっくりはっきり話してくれるので
いいのだけれど、食事の席なんかになると、もう、さっぱりで。
でもって、ノート取り出してきて漢字で意思疎通をはかったりしてました。

とにかくなんでもいいから少し日本から離れたいよと思って志願した今回の出張でしたが、
偶然にもカフカが住んでいたわが中野区に戻ってみると、
そこはなかなか良い街だとまではいえないけれども、まあ少なくともこの場所は嫌いではない、
と思わなくもないわけで。

昨日は仕事は休んだのですが、夜の朝カルにだけはやっとこさっとこ出かけて
その人が好きな音楽を聞いたときの脳活動はどうよ、という面白い論文を読ませてもらいました。
要は一般的に良いと言われている音楽、ではなくて、その人が「ココがきちゃうんだよなー」という
音楽を聴いたときの活動をはかっているところが面白いってことで。
講義の前半はMP3も公開されていて、まじうれしいっす。

論文はまだ全部読んでいないんですけど、お気に入りのマーラー5番Adagietto
シュトラウスの4つの最後の歌の「眠りにつくとき」をかけながら復習したいとおもいます。







2008⁄09⁄13(Sat) 23:36   もろもろ | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
不在


明日から仕事でマレーシアに行きます。
PC及び国外で使える携帯は持参しませんので、その間音信不通になります。
12(金)の朝、帰国予定です。






2008⁄09⁄05(Fri) 21:37   もろもろ | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
うしみつ


最近この時間に目が覚める。
暑い。
ついでに、冷蔵庫に水がないのに気がついたりする。
てろてろと徒歩1分の自販機まで歩く。

出張の準備なぞする気力もないのは、
鉄欠乏性貧血だったからかもしれなくて、
せっせと豚肉と魚を摂取している。

辛うじてパスポートは取得したものの、
間に合うんだろうか、だいじょうぶなんだろうかこの英語で、
ま、いっか、というパターン化された思考回路が
ぐるぐると巡るばかりである。

タイで非常事態宣言なんか出てるときに
お隣のマレーシアになんか行っていいのか、
という素朴な疑問があったりするわけだけれども、
なるようになれ、というか、
なるようになるさ、というか、
死んでもいいように身辺整理をしておくかというような発想にしかならない。

とりあえず洗濯と掃除をして、借りっぱなしだった本を返して、
先の約束はいったん断っておこう、などと思ったりする。
よく、心配性だといわれるのである。

ところで、自分は製造業が好きなのかもしれないと
思いつつある。
よくわからない名前のついた混合成分が、
いくつかの工程を経て形を成し製品として生まれてくるのを見るのは、
なかなかにシアワセなことである。

無形の価値も悪くないけれども、
形あるモノをつくっている、という実感のほうが
自分には合っている気がする。
(いや、職場環境に単に適応しているだけかもしれないが。)
とはいえ、原材料高騰の折、努力に対する見返りは少ないわけだけれどもさ。

農業も、いいよなあ。
石垣島とか住んじゃって、マンゴー栽培とかしたりして。
気がついたら、しわしわのおばあになっちゃってるとかさ。
と言った次の瞬間、鉢植えさえろくに育てられないことに思い至ったりする。
ままならぬ世の中であります。

相変わらず不真面目な繰言しか出てこないのは
うしみつどきだから、ってことにでもしておこうかなあ。





2008⁄09⁄03(Wed) 03:05   もろもろ | Comment(0) | Trackback(1) | ↑Top

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