『ビッグバン宇宙論(下)』読了しました。
下巻あたりから、訳のわからない数式・記号等々は、飛ばしても概ねの意味は掴めないわけでもない、ということが分かってきたので。
無理せず素直に飛ばし始めたら、かなりラクになりました(笑)
下巻の158ページのカール・ジャンスキーの「天の川銀河はたえず一定の電波を出している」という発見について書かれています。
少々本論からはずれていますが、「こういったセレンディピティー」について、その後に書かれていることが気になったので引用しておきます。
「科学と技術の歴史には、セレンディピティーがいくらでも転がっている。
(中略・マジックテープやポストイットやバイアグラの例を挙げている)
セレンディピティーを積極的に生かした科学者たちを、単に幸運な人たちと分類するのはたやすいが、しかしそれは正しくない。セレンディピティーに恵まれた科学者や発明家が、偶然の発見から先に踏み出せたのは、その発見を適切な文脈の中で位置づけるだけの知識を蓄積していたおかげなのだ。ルイ・バストゥールもまたセレンディピティーに恵まれた人物だが、これを次のように述べた。「チャンスは備えある者に訪れる」ウォルポールも前掲の手紙でこの点を強調し、セレンディピティーは「偶然と賢慮」のおかげだとしている。
セレンディピティーに恵まれたいと願う者には、チャンスを逃さない心構えも必要だ。植物の種がびっしりとくっついたズボンにブラシをかけて終わりにしたり、失敗作の接着剤を流し台に捨てたり、効果のなさそうな師倹約を廃棄したりするだけではいけない。
アレグザンダーフレミングがペニシリンを発見したのは、窓から飛び込んできた一片の青カビがシャーレに落ちて、培養していた細菌を殺したことに気づいたからだった。それまでにも大勢の細菌学者が、培養していた最近を青カビに汚染されたことだろう。だが彼らはみな、何百万人もの命を救うことになる抗生物質を発見する代わりに、がっかりしながらシャーレの中身を捨てていたのだ。ウィンストン・チャーチルはかつてこう述べた。「人はときに真理に蹴躓いて転ぶが、ほとんどの者は、ただ立ち上がり、何もなかったようにさっさと歩き去る」
(サイモン・シン『ビッグバン宇宙論(下)』P158〜162まで引用)
★
講演を聞いたあと、しばらくマイブームが継続している「茂木さん」。
『意識とはなにか』読了。
茂木さんの文章はえらく読みやすい。難しい話のはずなのに、分かりやすいのは、「クオリア」の説明が生々しいからだろうなと思う。
「ギラギラ」と「キラキラ」と「ピカピカ」という極めて似たような言葉があるけれど、この言葉からイメージする質感(クオリア)はそれぞれ異なる。異なるけれど、言葉で表現するのはなかなか難しいですね。
そんなところをイメージさせてくれるところが面白いのかな。
またまた気になったところを引用。
ごく一般的な話として簡単に要約すると、〈あるもの〉が「やさしい問題」か、「むずかしい問題」か、と考えがちだけれど、実は、そのことについて、「やさしい問題」という立場から見ることもできるし、「むずかしい問題」という立場から見ることもできる。どちらか片方しかない、ということはなくて、実は表裏をなしている、という話。
「あるシステムにおいて、〈あるもの〉が〈あるもの〉であることを前提にして、それらの結びつきからシステムの動作を説明することは、一般に「やさしい問題」となる。一方、〈あるもの〉が〈あるもの〉である起源自体を説明しようとすることは、一般に「むずかしい問題」になるのである。」
(『意識とはなにか』茂木健一郎より引用)
なるほど。。。
でもこれだけじゃ、なんのことだか分かりませんね。
きっと読めば分かります。
下巻あたりから、訳のわからない数式・記号等々は、飛ばしても概ねの意味は掴めないわけでもない、ということが分かってきたので。
無理せず素直に飛ばし始めたら、かなりラクになりました(笑)
下巻の158ページのカール・ジャンスキーの「天の川銀河はたえず一定の電波を出している」という発見について書かれています。
少々本論からはずれていますが、「こういったセレンディピティー」について、その後に書かれていることが気になったので引用しておきます。
「科学と技術の歴史には、セレンディピティーがいくらでも転がっている。
(中略・マジックテープやポストイットやバイアグラの例を挙げている)
セレンディピティーを積極的に生かした科学者たちを、単に幸運な人たちと分類するのはたやすいが、しかしそれは正しくない。セレンディピティーに恵まれた科学者や発明家が、偶然の発見から先に踏み出せたのは、その発見を適切な文脈の中で位置づけるだけの知識を蓄積していたおかげなのだ。ルイ・バストゥールもまたセレンディピティーに恵まれた人物だが、これを次のように述べた。「チャンスは備えある者に訪れる」ウォルポールも前掲の手紙でこの点を強調し、セレンディピティーは「偶然と賢慮」のおかげだとしている。
セレンディピティーに恵まれたいと願う者には、チャンスを逃さない心構えも必要だ。植物の種がびっしりとくっついたズボンにブラシをかけて終わりにしたり、失敗作の接着剤を流し台に捨てたり、効果のなさそうな師倹約を廃棄したりするだけではいけない。
アレグザンダーフレミングがペニシリンを発見したのは、窓から飛び込んできた一片の青カビがシャーレに落ちて、培養していた細菌を殺したことに気づいたからだった。それまでにも大勢の細菌学者が、培養していた最近を青カビに汚染されたことだろう。だが彼らはみな、何百万人もの命を救うことになる抗生物質を発見する代わりに、がっかりしながらシャーレの中身を捨てていたのだ。ウィンストン・チャーチルはかつてこう述べた。「人はときに真理に蹴躓いて転ぶが、ほとんどの者は、ただ立ち上がり、何もなかったようにさっさと歩き去る」
(サイモン・シン『ビッグバン宇宙論(下)』P158〜162まで引用)
★
講演を聞いたあと、しばらくマイブームが継続している「茂木さん」。
『意識とはなにか』読了。
茂木さんの文章はえらく読みやすい。難しい話のはずなのに、分かりやすいのは、「クオリア」の説明が生々しいからだろうなと思う。
「ギラギラ」と「キラキラ」と「ピカピカ」という極めて似たような言葉があるけれど、この言葉からイメージする質感(クオリア)はそれぞれ異なる。異なるけれど、言葉で表現するのはなかなか難しいですね。
そんなところをイメージさせてくれるところが面白いのかな。
またまた気になったところを引用。
ごく一般的な話として簡単に要約すると、〈あるもの〉が「やさしい問題」か、「むずかしい問題」か、と考えがちだけれど、実は、そのことについて、「やさしい問題」という立場から見ることもできるし、「むずかしい問題」という立場から見ることもできる。どちらか片方しかない、ということはなくて、実は表裏をなしている、という話。
「あるシステムにおいて、〈あるもの〉が〈あるもの〉であることを前提にして、それらの結びつきからシステムの動作を説明することは、一般に「やさしい問題」となる。一方、〈あるもの〉が〈あるもの〉である起源自体を説明しようとすることは、一般に「むずかしい問題」になるのである。」
(『意識とはなにか』茂木健一郎より引用)
なるほど。。。
でもこれだけじゃ、なんのことだか分かりませんね。
きっと読めば分かります。
| 意識とはなにか―「私」を生成する脳 茂木 健一郎 (2003/10) 筑摩書房 この商品の詳細を見る |
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