20071201


午後、神保町で中沢新一先生の
神話学講座を受講。
神話(縄文的)の論理と西欧型(都市)の論理との対比で
お話される。

近代的都市は生と死を分離し、
生活空間から死(排泄、腐敗、セックス等下半身的なものを含む)
を分離し、排除しようとする。
その抑圧を、宴会、祭りといった
下半身的なものが主となるイベントによって
発散させ、辛うじてエネルギーを回復する。

それに対して縄文的(神話的)なものは
生と死を具体的な対立項として設定はするが
それらの絶対矛盾項を包括する形で把握し
メビウスの帯のごとく表裏なく捉えようとする。
神話的、縄文的論理の回復が
現代の全体性回復につながるのではないか。

芸術、演芸における「昇華」は
通常下方に隠蔽されているものの上方に表出することによって
具体的な事物の相関関係、状態を変容させ
全体性を回復させるものであって、
表も裏もなく(生と死の分離もない)
イメージとしてはメビウスの帯のようである。
(レヴィ=ストロースの「神話の公式」という数式は
実に上手くできている、、)

というような理解をした。

ご関心のある方は、本日テキストに使われた
中沢先生の論文「頭上のコン」を参照されたし。

どうも頭が悪くて哲学的思考についていけないので、
(哲学科卒なのに、、)
こういうのは著書だけ読んでいても掴みにくい。
お話を聞いてすっきりした。



終了後、朝日カルチャーセンターへ駆け足し、
日高敏隆先生、茂木健一郎先生の対談を聞く。

数日前から「欲望する脳」を読んでいて、
特に「主語に囚われずに生きる」という章が
どことなく気にかかって、何度か読み返していた。

客観的であり、自分自身から解放されるための、
主語を入れ替えてみるという方法論とか、
ニュートンがもし「リンゴの気持ち」を想像しなければ
あの発見はなかったかもしれない、ということ。

ほかにも、昨日聞いた福島先生の
生きていくための魂のエネルギーは他者との
コミュニケーションによってしか得られないというお話とか、

これも昨日シンポジウムで聞いた、
科学とは既知を未知とすること、という言葉。

色々な言葉の断片が糸の切れた凧みたいに
ふわふわと頭の中に浮かんでは流れていった。

それらの底流に通じているところの
他者に対する真摯な関心という問題点が、
今日の日高先生の「幽霊」の話を聞いて
全部繋がったような気がした。

原始人が初めて機関車を見て
馬の幽霊がこの中に入っているに違いない、
と思うように、
想像力の不足または欠如が「幽霊」を生む。

想像が本当の意味で真実に到達し得るかは別として、
想像し続ける姿勢を維持していることが
科学的な精神であり、
「自分なりの幽霊」に怖れている自分にとって、
最も必要な心の姿勢なのではないか。

観世界のお話も面白かった。
花の蜜を吸う蜂でもないのに、
何故人間に百合が、または紅葉が
あのように美しく感知されるのか。
いろいろと不思議なことがある。
不思議なことを不思議と思えるかどうか、
それはきっと対象に対する真摯な関心であり、
愛から出てくるんだろう。


そんなわけで、
私が最も快適に感じる空間と時間の流れの
モデルケースが今日の午後だった。
毎日などと無理なことは言わないが、
たとえ週に1日か2日でもこんな時間があれば、
きっと幸せに生きていける、と思う。






2007⁄12⁄01(Sat) 23:03   もろもろ | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top


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