池澤夏樹の『スティル・ライフ』がNHKでドラマ化されたのを見たのは
少なくとも15年以上は昔の話で、だから記憶も定かではない。
ただ覚えているのは、大きな樹木が一本立っているシーンで、
ぱあん、と弾ける銅鑼のような音に
目の覚めるような印象を持った。
エンドロールでペルト、という聞き覚えのない名前だけ記憶した。
今にして思えば、巨樹の映像に重ねて流すには
これ以上ない音楽だったと理解できるのだが、
大して音楽通でもない当時の私(今でもだけれども)が
アルボス(樹)という曲名に辿り着くには
けっこうな時間がかかって、
それまでに何枚かのCDを聞きながら
これじゃないなあ、と首を振っていた。
その中の1枚がタブラ・ラサだった、ということまでは覚えていた。
今日CD屋さんを徘徊していて、
ふと『タブラ・ラサ』を手にとって眺めてみると、
キース・ジャレットと書いてある。
自分とキース・ジャレットとの「出会い」は
明らかにジャズの話題を通じて、
2年前ぐらいのことだと思っていたのに。
あの昔からキース・ジャレットという人物を
知っていたのか、という驚きで一瞬視界が白濁する。
現在当然のように認識しているあることがらが
今まで気付かなかった過去のある時点の
間接的な原因、すなわち縁というか、
そういうものと遠巻きに触れ合っていて、
もろもろの微細なことどもが今日を形成しているということは
言葉にしてしまえばあたりまえの話ではあるけれど、
それが具体的な事象をもって知らされたときに
あらためて宇宙の、人の世の繋がりというものの不思議を想う。
きっと私には思い出さなければならないことが沢山あるのだ。
未来に思い出されるはずのそれらのもろもろは
天空に形もなく浮遊していて、未だ気付かぬ私をもどかしく思いながらも、
だから、もっと今を慈しめよ、と囁いているに違いない。
いまこの耳に届くペルトの音楽は、その透徹たる促しの言葉として心の奥深くに届く。
少なくとも15年以上は昔の話で、だから記憶も定かではない。
ただ覚えているのは、大きな樹木が一本立っているシーンで、
ぱあん、と弾ける銅鑼のような音に
目の覚めるような印象を持った。
エンドロールでペルト、という聞き覚えのない名前だけ記憶した。
今にして思えば、巨樹の映像に重ねて流すには
これ以上ない音楽だったと理解できるのだが、
大して音楽通でもない当時の私(今でもだけれども)が
アルボス(樹)という曲名に辿り着くには
けっこうな時間がかかって、
それまでに何枚かのCDを聞きながら
これじゃないなあ、と首を振っていた。
その中の1枚がタブラ・ラサだった、ということまでは覚えていた。
今日CD屋さんを徘徊していて、
ふと『タブラ・ラサ』を手にとって眺めてみると、
キース・ジャレットと書いてある。
自分とキース・ジャレットとの「出会い」は
明らかにジャズの話題を通じて、
2年前ぐらいのことだと思っていたのに。
あの昔からキース・ジャレットという人物を
知っていたのか、という驚きで一瞬視界が白濁する。
現在当然のように認識しているあることがらが
今まで気付かなかった過去のある時点の
間接的な原因、すなわち縁というか、
そういうものと遠巻きに触れ合っていて、
もろもろの微細なことどもが今日を形成しているということは
言葉にしてしまえばあたりまえの話ではあるけれど、
それが具体的な事象をもって知らされたときに
あらためて宇宙の、人の世の繋がりというものの不思議を想う。
きっと私には思い出さなければならないことが沢山あるのだ。
未来に思い出されるはずのそれらのもろもろは
天空に形もなく浮遊していて、未だ気付かぬ私をもどかしく思いながらも、
だから、もっと今を慈しめよ、と囁いているに違いない。
いまこの耳に届くペルトの音楽は、その透徹たる促しの言葉として心の奥深くに届く。
Trackback URL
| HOME |

