N響アワーはシェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」
だった。
たまには「ながら」ではなく、まじめに音楽を聴いてみようか、
と思って10分ぐらいは聞いていたと思う。
「ペレアスとメリザンド」はメーテルリンクの戯曲で、
同時代の代表的な4人の作曲家が約5年の間に
この「ペレアスとメリザンド」でオペラやら交響詩を作っているという。
内容はというと、ごく単純化すれば三角関係のうち、
思いあってる2人が死んじまうという話だ。
当時のことも、原作も知らないが、
想像してみるに、昔でいえば失楽園とか(古すぎ、、)愛ルケの
流行が、音楽家のインスピレーションにもなり得た、
みたいなものだったんだろうか、などとぼんやり考える。
うーん、あり得ない。
シェーンベルクは初期の作品だったせいか
意外にとっつきやすい曲調なのだが、
45分もの間、テレビを眺めながらじっと音楽を聴いている忍耐力は
今の私にはまだないみたいで、
途中から、手元にあった網野善彦『日本の歴史をよみなおす』を読み始めた。
学生時代、歴史は理科系科目の次に苦手だったのだが、
網野さんの語り口のせいなのか、これがめっぽう面白い。
とりわけ、畏怖と賎視という話が興味をひいた。
金融業というのは、もともと、
神仏への供物として供出せられた供物を
「神仏の直属民」たる特権を利用していただいてしまえた
専門職に由来するらしい。
決して底辺階級ではなかった人たちが
その後、大衆から神仏への畏怖が消えるにつれて
いつのまにか忌避され、賎視されるものになっていった
という歴史を持つようだ。
この畏怖から賎視という移行は商人にも適用できると
網野氏は見ていて、
ただ、現在の状況を見ると、
士農工商の順にあった商人という地位は
賎視からまた畏怖の対象へと移行しつつあるような気もする。
対極にあるものは意外に近いという話を聞いたことがある。
ユダヤ問題なども思い浮かべつつ、
畏怖と賎視という一見対極にあるものに、
意外に似通った心理が通底していることに今更ながら気がついた。
だった。
たまには「ながら」ではなく、まじめに音楽を聴いてみようか、
と思って10分ぐらいは聞いていたと思う。
「ペレアスとメリザンド」はメーテルリンクの戯曲で、
同時代の代表的な4人の作曲家が約5年の間に
この「ペレアスとメリザンド」でオペラやら交響詩を作っているという。
内容はというと、ごく単純化すれば三角関係のうち、
思いあってる2人が死んじまうという話だ。
当時のことも、原作も知らないが、
想像してみるに、昔でいえば失楽園とか(古すぎ、、)愛ルケの
流行が、音楽家のインスピレーションにもなり得た、
みたいなものだったんだろうか、などとぼんやり考える。
うーん、あり得ない。
シェーンベルクは初期の作品だったせいか
意外にとっつきやすい曲調なのだが、
45分もの間、テレビを眺めながらじっと音楽を聴いている忍耐力は
今の私にはまだないみたいで、
途中から、手元にあった網野善彦『日本の歴史をよみなおす』を読み始めた。
学生時代、歴史は理科系科目の次に苦手だったのだが、
網野さんの語り口のせいなのか、これがめっぽう面白い。
とりわけ、畏怖と賎視という話が興味をひいた。
金融業というのは、もともと、
神仏への供物として供出せられた供物を
「神仏の直属民」たる特権を利用していただいてしまえた
専門職に由来するらしい。
決して底辺階級ではなかった人たちが
その後、大衆から神仏への畏怖が消えるにつれて
いつのまにか忌避され、賎視されるものになっていった
という歴史を持つようだ。
この畏怖から賎視という移行は商人にも適用できると
網野氏は見ていて、
ただ、現在の状況を見ると、
士農工商の順にあった商人という地位は
賎視からまた畏怖の対象へと移行しつつあるような気もする。
対極にあるものは意外に近いという話を聞いたことがある。
ユダヤ問題なども思い浮かべつつ、
畏怖と賎視という一見対極にあるものに、
意外に似通った心理が通底していることに今更ながら気がついた。
ありがとうございます。「ペレアス」、図書館で予約したところなので、こんど見てみますね。
2008/05/07 00:26URL | てし[ 編集]
以前は、岩波文庫に対訳で
『ペレアス』があったんですけどね。
これ、読むと、全然ストーリーだけ
要約したのとは違うんですよ。
あにもかもがぼけている、
というか、曖昧で、
まさに象徴主義演劇の典型。
三角関係にしては、
かなり奇妙なものです。
ま、ご参考までに。
Trackback URL
| HOME |

