あいだ


起こったその時には咀嚼しきれない出来事というのがある。
うーん、これは今の自分には容量オーバーだ、というサインが出て、
何を意味するのかその場ではよく分からない。
でも、自分にとって意味あることであれば、それは再来する。
牛みたいに、内部で反芻する。と、思っている。

日曜日に聞いた音楽は割に印象深かったとみえて
確たるメロディーではなくイメージだけがやってくる。
演劇と音楽のあいだ、言葉と無言のあいだ。
没入とメタ認知の往復。

現状の意味合いでは捉えきれないものに惹かれる。
まだ定義されていないもの、
とらえどころなく、とろとろ、ふわふわ、ごつごつ、ぴとん、として
これからどうなるとも知れないもの、取り込まれないもの。
早起きの朝に、去年だったか、一度だけ見た吉増剛造さんの映画が
不意に戻ってきた。
今年の夏は北海道ツアー(?)があるらしい。いいなあ。

昨日の夜は、相変わらず本屋で立読み。
探していた本がなかったので同じ著者の別の本を開いたら、
主人公の姓が私と同じだった。
ちょっとかわった名字なので、こんなことがあるとは、
意外に繁殖、というか普及したものだと思う。
1ページに3、4箇所登場する同姓のそこはかとない違和感から
口の中でふふふと笑う。
小説の読み方は年来の課題である。

大衆性とはなんだろうかと思う。
映画監督の堤さんの頭の中の「大衆」には
おそらくカラオケ番組収録時の会場に実際いたおばちゃんたちがいる。
タンゴの発祥の地にも
あの曲調の音楽を歌い踊っていた実際の大勢の人がいるはずだし。
心を打つ本を書く人にはたとえ仮定であっても読者像がいることが多いと聞く。
プレゼンするときにはターゲットたる人物がいる。
結果的に大衆に支持されたからといったって、
それが作られた時点では、おそらくは「大衆」に捧げられたのではなく、
「誰か」に捧げられたものなんだろう、
たまたまそれが時代の空気と戦略的なルートにのっかって、
上手く宣伝されただけかもしれない。
広く届いた後に深く届くかというのはまた別の問題として。

大衆性からはじまったものが先鋭化、芸術化していくという
アーティストの心理的プロセスはなんなんだろう。
誰かに捧げられていたものが、
次第に自分、あるいは仮想敵たる自分に捧げられるようになるのだろうか。
それはきっと悪いことではないけれども。






2008⁄05⁄14(Wed) 05:45   もろもろ | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top


Comment

Post a Comment












管理者にだけ表示を許可する


Trackback
Trackback URL


| HOME |

カレンダー

12 | 2009/01 | 02
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
プロフィール

Author:mari teshirogi
基本的に頭は悪いし無知なので、もろもろ勉強中です。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

フリーエリア

ブロとも申請フォーム

おすすめ商品!

ブログ内検索

Powered By FC2ブログ

↑Top



Copyright © 2009 好奇心のランダムウォーク. All Rights Reserved.