家を出るのが遅れたせいで、
今日のメインテーマだったはずのジェゴグを聴くことはかなわなかった。
(辛うじて演目が終わって、運ばれていく巨大ジェゴグを眺めることはできた)
これはまあ今月末にホンモノを聞きなさいということでしょうと
得手な解釈をする。
実をいうと、生ガムランを聴くのも初めてだったりする。
旋律やリズムのリピートは時間の経過とともに
ある種の快感をもたらしてくれるけれども、
やはり奏者でも踊り手でもない、いち聞き手としては、
エクスタシーというよりは、気が遠くなるような、
頭がおぼろに霞んで身体から遊離していくような。
いちばん面白かったのは
グルジアとブルガリアの合唱で、
野外でなにかと雑音が多いのをよいことに
小さく口ずさんでみたりさえしたのだけれど、
体内に記憶された形跡のない旋律なせいか、どうもうまく思い出せない。
こんどCDでも入手しよう。
バナナの叩き売りまで見て、帰途に。
休み時間に若桑みどり「絵画を読む」を読む。
知らないとはおそろしい。
絵の片隅に小さく存在する事物まで、ここまで意味があったのかと知ると、
いままで見た絵を全部見直したくなったりもする。
鑑賞というものを、感覚だけにゆだねるのではなく、
背景や歴史を知ることによって広がるイマジネーションを楽しむという
絵画の「読み」かたがあるんだなあ。
遅かりし目覚め。
DVDが故障していて、タルコフスキーのビデオを2本借りる。
洗濯物を片付けながら眺める。
今日のメインテーマだったはずのジェゴグを聴くことはかなわなかった。
(辛うじて演目が終わって、運ばれていく巨大ジェゴグを眺めることはできた)
これはまあ今月末にホンモノを聞きなさいということでしょうと
得手な解釈をする。
実をいうと、生ガムランを聴くのも初めてだったりする。
旋律やリズムのリピートは時間の経過とともに
ある種の快感をもたらしてくれるけれども、
やはり奏者でも踊り手でもない、いち聞き手としては、
エクスタシーというよりは、気が遠くなるような、
頭がおぼろに霞んで身体から遊離していくような。
いちばん面白かったのは
グルジアとブルガリアの合唱で、
野外でなにかと雑音が多いのをよいことに
小さく口ずさんでみたりさえしたのだけれど、
体内に記憶された形跡のない旋律なせいか、どうもうまく思い出せない。
こんどCDでも入手しよう。
バナナの叩き売りまで見て、帰途に。
休み時間に若桑みどり「絵画を読む」を読む。
知らないとはおそろしい。
絵の片隅に小さく存在する事物まで、ここまで意味があったのかと知ると、
いままで見た絵を全部見直したくなったりもする。
鑑賞というものを、感覚だけにゆだねるのではなく、
背景や歴史を知ることによって広がるイマジネーションを楽しむという
絵画の「読み」かたがあるんだなあ。
遅かりし目覚め。
DVDが故障していて、タルコフスキーのビデオを2本借りる。
洗濯物を片付けながら眺める。
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