特にビートルズが好きだ、というわけではなくて、
流れていれば、それはそれで悪くはないけれども、という程度の「好き」加減である。
きっかけは、小沼先生の授業で
久しぶりにThe Beatles のLet it beを聞いたことで、
妙に気持ちの奥のほうに働きかけてくるこの歌の、
この感じはなんだろう、と思いながら、
家に帰ってYoutubeで10回ぐらい、聞いた。
はじめてマジメに歌詞の意味を考えてみた。
(ふだん、相当有名な曲でも歌詞は頭を素通りして
メロディーしか覚えていない人間なので、、、笑)
検索をかけると数多の訳がヒットするのだけれども、
Let it be は、そのままにしておく、とか、あるがままに、または
そのままでいいさ(なんとかなるよ)というような翻訳になっていることが多い。
Let it be はサビの部分だから、この一文だけで何度も登場するけれど、
それは除いて、
前に文脈があって最後にLet it be、で終わるフレーズだけでも7箇所はある。
その7箇所のLet it beを一律に、
例えば「そのまま」、「あるがまま」、という日本語に置き換えてある翻訳が多いのだが、
それがどうも、すごく妙な感じなのだ。
こんなに短い歌詞なのに、30分ぐらい検索しても、
これというものが見つからない。
翻訳とは難しい作業だと思いながら、また聞いてみる。
月曜日、早稲田駅付近の書店で
さきごろ出たらしい内田先生のレヴィナスの翻訳を探したのだけれど、
残念ながら見つからなかった。
(なにしろお高いので、さすがにクリック一発で買う勇気が出ず、
ちょっと下見がしたいわけで、、)
かわりに、というわけではないけれど、
平積みになっていた『てつがくこじんじゅぎょう』を買って、その中のレヴィナスの項を
読んでみた。
レヴィナスを語る内田先生。
「レヴィナス的に言うと、私というものそのものが、私ならざるものとの関わり合いにおいてしか、何者であるかを常に事後的にしか発見できない。そのときに私自身の自己規定を可能にする他者がいる。これがなんだかぜんぜんわからない。なんだかわからないものとのかかわりによって初めて自分がわかるんだけど、自分を基礎づけてくれるこのわからないものが依然としてさっぱりわからに。だから全然気持ちよくならない。達成感とか、「これでわかった」というのが絶対に来ないように構造化してあるんですね、レヴィナス哲学って。ここまでしつこく気持ちよくならないように作ってあるものは類を見ない」
かっこいい。
「結局、情報じゃないんですよね。本から情報を得るんじゃなくて、わからないからこちらのシステムを組み替えていく。読む側のOSのバージョンアップをしていかないとだめなんですよ。読んでわかるものは、いまの自分の知的なフレームでいけるんだと今の自分を肯定してしまう。ところがレヴィナスの文章を読んでいるといまの自分ではだめなんだ、このフレームをバージョンアップしなくては、となる。バージョンをひとつ上げると、いままで読めなかったものが少しだけ解読可能になってくる。もう一つ上げると、またちょっと読めてくる。まあ、これも幻想ですけどね。」
「とにかく、「そのまんまじゃいかんのだよ、君は。いま机に座って本に線を引いているけど、そんなことをしてたらいかんよ」というのがビシビシくるんですよ」
(『てつがくこじんじゅぎょう』鷲田清一×永江朗より引用)
たとえば自分が「リーチ」と言って上がろうと思っていた隣で
「ロイヤルストレートフラッシュ」と言って上がってしまうヤツを見たときにはじめて、
自分が麻雀をしていたことに気づく、というような、
既存のシステムや、自分にとって自然だと思っていたものの崩壊に直面したときに
どうするべきか、ということがレヴィナス哲学には書かれてある(らしい)。
読んでみたいよね。
で、こういう本を読みながら、ビートルズのLet it beを聴くとどうなるか、という話に戻る。
このLet it be という言葉が、
最初に聞いたときに理解した、いわゆる癒し系の、慰めのような意味には
どうしても取れなくなってきて、最後には
「今のまま、永遠にもがいてなさい、じたばたしてなさい、それがあんたって人間なんだから」
と聴こえたりする。
それでもいいのかも、と思いつつ。
The Beatles - Let It Be (1970)
流れていれば、それはそれで悪くはないけれども、という程度の「好き」加減である。
きっかけは、小沼先生の授業で
久しぶりにThe Beatles のLet it beを聞いたことで、
妙に気持ちの奥のほうに働きかけてくるこの歌の、
この感じはなんだろう、と思いながら、
家に帰ってYoutubeで10回ぐらい、聞いた。
はじめてマジメに歌詞の意味を考えてみた。
(ふだん、相当有名な曲でも歌詞は頭を素通りして
メロディーしか覚えていない人間なので、、、笑)
検索をかけると数多の訳がヒットするのだけれども、
Let it be は、そのままにしておく、とか、あるがままに、または
そのままでいいさ(なんとかなるよ)というような翻訳になっていることが多い。
Let it be はサビの部分だから、この一文だけで何度も登場するけれど、
それは除いて、
前に文脈があって最後にLet it be、で終わるフレーズだけでも7箇所はある。
その7箇所のLet it beを一律に、
例えば「そのまま」、「あるがまま」、という日本語に置き換えてある翻訳が多いのだが、
それがどうも、すごく妙な感じなのだ。
こんなに短い歌詞なのに、30分ぐらい検索しても、
これというものが見つからない。
翻訳とは難しい作業だと思いながら、また聞いてみる。
月曜日、早稲田駅付近の書店で
さきごろ出たらしい内田先生のレヴィナスの翻訳を探したのだけれど、
残念ながら見つからなかった。
(なにしろお高いので、さすがにクリック一発で買う勇気が出ず、
ちょっと下見がしたいわけで、、)
かわりに、というわけではないけれど、
平積みになっていた『てつがくこじんじゅぎょう』を買って、その中のレヴィナスの項を
読んでみた。
レヴィナスを語る内田先生。
「レヴィナス的に言うと、私というものそのものが、私ならざるものとの関わり合いにおいてしか、何者であるかを常に事後的にしか発見できない。そのときに私自身の自己規定を可能にする他者がいる。これがなんだかぜんぜんわからない。なんだかわからないものとのかかわりによって初めて自分がわかるんだけど、自分を基礎づけてくれるこのわからないものが依然としてさっぱりわからに。だから全然気持ちよくならない。達成感とか、「これでわかった」というのが絶対に来ないように構造化してあるんですね、レヴィナス哲学って。ここまでしつこく気持ちよくならないように作ってあるものは類を見ない」
かっこいい。
「結局、情報じゃないんですよね。本から情報を得るんじゃなくて、わからないからこちらのシステムを組み替えていく。読む側のOSのバージョンアップをしていかないとだめなんですよ。読んでわかるものは、いまの自分の知的なフレームでいけるんだと今の自分を肯定してしまう。ところがレヴィナスの文章を読んでいるといまの自分ではだめなんだ、このフレームをバージョンアップしなくては、となる。バージョンをひとつ上げると、いままで読めなかったものが少しだけ解読可能になってくる。もう一つ上げると、またちょっと読めてくる。まあ、これも幻想ですけどね。」
「とにかく、「そのまんまじゃいかんのだよ、君は。いま机に座って本に線を引いているけど、そんなことをしてたらいかんよ」というのがビシビシくるんですよ」
(『てつがくこじんじゅぎょう』鷲田清一×永江朗より引用)
たとえば自分が「リーチ」と言って上がろうと思っていた隣で
「ロイヤルストレートフラッシュ」と言って上がってしまうヤツを見たときにはじめて、
自分が麻雀をしていたことに気づく、というような、
既存のシステムや、自分にとって自然だと思っていたものの崩壊に直面したときに
どうするべきか、ということがレヴィナス哲学には書かれてある(らしい)。
読んでみたいよね。
で、こういう本を読みながら、ビートルズのLet it beを聴くとどうなるか、という話に戻る。
このLet it be という言葉が、
最初に聞いたときに理解した、いわゆる癒し系の、慰めのような意味には
どうしても取れなくなってきて、最後には
「今のまま、永遠にもがいてなさい、じたばたしてなさい、それがあんたって人間なんだから」
と聴こえたりする。
それでもいいのかも、と思いつつ。
The Beatles - Let It Be (1970)
<< ひばり | ホーム | 20081005 >>
こんばんは。
学生でなくなってみると、
大学の夏休みって意外に長いものですね。
はや10月です。
確かポール・マッカートニーのお母さんがMaryという名前だと
何かに書いてありましたが、
そうですね、聴いていると、
母なるもの、とか
自然を思い浮かべます。
あ、生協にあるのですか。
さすが大学です。
では早速次回、、は休日ですね。
関係ない話ですが、授業でお話があった、
Fanfare Ciocarlia、
いま来日してるのですね。
『チューバ』のセガワブログで知りました。
三鷹のコンサートは既に完売で、
横須賀まで行こうか迷っているところです(笑)
2008/10/10 22:58URL | てし[ 編集]
ごぶさたです。
Let it be、
そうなんです、なかなかぴんとこない。
当方はとてもカトリック教的な、
それもケルト的な大地母神とつうじるものを
感じているんですが、
よくわからない。
『困難な自由』は早稲田・戸山の生協、
新刊書のあたりに平積みになっていたような。
Trackback URL
| HOME |

