小ぶりのフロー状態に入る。


夕方、お誘いいただいて、
試写会「Sad Movie サッド・ムービー」に。
筋がわかっていても、
展開や状況に無理があっても
なぜか泣ける映画ってあるものだ。
なぜだろう、と考えつつ
立読みの途中だった本を再度読みに本屋に行く。
目からウロコの脳科学―心と脳はここまで分かった! 目からウロコの脳科学―心と脳はここまで分かった!
茂木 健一郎、富永 裕久 他 (2006/03)
PHPエディターズグループ

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脳の中の小さな神々 脳の中の小さな神々
茂木 健一郎 (2004/06/25)
柏書房

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1時間半ほど立読みを続けていたので
隣を書店員がうろうろしていたため
メモが取れなかったのが残念だが
フロー状態、という状態に入るには
約2時間かかるそうで。
映画の最後が良かったね、
という話になりがちなのは、
フロー状態に入るのが
時間的にラスト部分になるからであるらしい。
つまりは、大して出来が良くなくても
ある程度の長さがあれば、
「最後が良かったよね」
という程度の感想を生む作品になる可能性が
あるということらしい。
(この作品がどうか、というコメントは差し置くけれど)



確かに、ある程度の集中状態に入るのには助走が要る。
隣にいる書店員が気にならなくなったり
腰の疲れが気にならなくなったり
そういう状態に入るのに30分ぐらいは
かかった気がする。
助走の時間は集中が途切れるが、
その後、小ぶりのフロー状態に入れればしめたもの、
なんだよな。

脳の話は面白い。
もう少し色々読んでみようと思う。
本屋さんへ。
ここ数日で本にお金を投入しすぎてしまったので
本日は立読みでお許しください。
いつも沢山買ってるんだから、許してよね…(笑)


mixiのもぎけんさんコミュで
出演番組を教えてくれる。
これはありがたい。
ということで、只今、一度も見たことがなかった
日テレのニュースゼロを見ているのだが…。
やっぱり茂木さんて面白いなあ。

11月3日のモーツァルト特集、楽しみですね。






2006⁄10⁄31(Tue) 23:06   読書 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
「僕の歩く道」と「彼の生きかた」。


草薙君のドラマを見ていて
何かに似ているなあ、とふと考えていたら
中学か高校の頃、何度か読んだ、
遠藤周作の「彼の生きかた」だ、と思い出した。
彼の生きかた 彼の生きかた
遠藤 周作 (1977/05)
新潮社

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「彼の生きかた」では主人公は自閉症ではなく
吃音症だし、扱っている問題も
おそらくは全く別のものだろうから、
似ていると感じる点は、動物園の飼育係という設定と
題名のニュアンスだけ、かもしれないけれど。

そういえばあの本は、一時期ずいぶん
はまったんだった。なんだか懐かしい。
久しぶりに読んでみようかな。








2006⁄10⁄24(Tue) 23:25   読書 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
振り子のごとく。


最近小説ばかり読んでいたような気がします。
私の読書パターンは振り子のように極端で、
アートや小説、理数系が振り子の左端だとすると
(このカテゴリ分類に、さしたる理由はありません…笑)
最左端まで行ってしまった振り子は、
今度はビジネス書系という最右端に向かっていく、
といった感じ。
今はビジネス書側に、戻してきているようです。

で、本日のお買い上げは、大前研一『新・経済原論』。
節約中の身の上にとっては、気合の入るお値段でしたが(笑)
読み始めてみると、章構成がとても私好み。
かなりテンポ良く読み進んでおります。

明日は休みだし、朝まで読むかな(笑)

大前研一 新・経済原論 大前研一 新・経済原論
大前 研一 (2006/09/01)
東洋経済新報社

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2006⁄09⁄20(Wed) 00:16   読書 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
『8月の博物館』を読む。


瀬名秀明さんの『8月の博物館』を読む。
以前にも、この方の別の小説を手に取ったことはあったけれど
科学モノに興味がない時期だったためか
立読み程度で終わってしまった。

今回は、丁度科学モノに関心を持っている時期で、
エッセイ『おとぎの国の科学』つながりで、読み始めた。

少々まどろっこしい感もあり
(スミマセン…結局、何が言いたいんだ、と先を急ぐ性格のため、
多分小説を読むのに向いていないんだと思う。)
超スピード速攻読み。

そんな中で何故この文章を書いているかというと
『8月の博物館』のコンセプトが気に入ったから。

時代を超えた異空間をつなげるミュージアム。
異空間をつなげるにあたっての案内役という存在。
案内役の魅力によって未知の領域への好奇心が増す。
見せるモノも大事だけれど、モノの見せ方がまた大事。
心の抽斗(ひきだし)を沢山持つということ。

…などなど。

異空間を繋げる案内役が、
瀬名さんにとっては「物語」であり、
科学という世界を小説(物語)によって
案内したいと願っている
お気持ちの伝わる作品。

作品世界そのものもよいが、
どちらかというと、作者のその気持ちに共感する。

最近、「人のつながり」の話はよく聞くが
そこから発展して、
ある意味「異空間」がつながる感じが
面白いのだろうと思う。

人との繋がりの先に異空間の繋がり、世界の広がり
をイメージして、努めたい。





2006⁄09⁄18(Mon) 11:41   読書 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
『夜のピクニック』。


夜のピクニック 夜のピクニック
恩田 陸 (2006/09)
新潮社

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もともと恩田陸さんは好きでして。
ふらりと入った書店で手に取り、購入して一気読み。
歩きたい気分だったからか、
それともカバーに書かれていた要約文のせいか。

「甲田貴子は密かな誓いを胸に抱いて、歩行祭にのぞんだ。三年間、誰にも言えなかった秘密を清算するために…。」

ウォーキング大会のような昼間の健全な催しとは一線を画する、秘密めいた夜の歩行。
あの青春の1ページ、的な雰囲気は再現できないにせよ、
別に告白なんて、してもしなくても、
ただひたすら、誰かと歩くことによって、何かが変わる気がする。

うん、いいですね。
どうやらMixiには「夜のピクニック」コミュニティも存在するようですが、やっぱり、これは大人数でするのがいい気がします。

どうでしょう、この際、決行しませんか?秋の夜長に、夜のピクニック。
本屋大賞受賞・映画公開記念と連動企画で、新潮さんか松竹さんあたり主催で!?
なんて、とりあえず、言ってみる…(笑)





2006⁄09⁄13(Wed) 17:26   読書 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
茂木健一郎さんの『「脳」整理法』を読みました。


茂木さんの『「脳」整理法』を読みました。

・人間にとって人生を変えるような出来事とは一回性のもの
・たとえば「初デート」「ふと見た映画」「身近な人の何気ない一言」
・そのような瞬間は「一回性のもの」である
・そのような瞬間が「いつ訪れるか」は分からない。(偶有性)
・「偶有的」=不確実性=いつ起こるか分からない
・人生において価値を認めていることは殆ど「偶有性」のもの。
・たとえば「占い師」に聞きたいことなどは、すべて「偶有性」のもの。「結婚できるか」とか「転職できるか」などなど。
・そういう偶有性(一回性)の出来事に気づく力は、一回性のものであるがゆえに「脳ドリル」などの反復練習では鍛えることはできない

・そういった、「環境の不確実性」は「不安」か「楽しみ」か
・「環境の不確実性」を「楽しむ」のが大切
・とはいえ不確実性=変化に耐えられるか不安な向きもあるだろう
・けれど、実は、環境だけでなく、私たちの脳も変化し続けている
・私の「心」をつくり出している神経細胞の結合様式は、自ら(外界からの刺激がなくても)常に活動を続け、変化し続けている
・神経細胞の間の結合(シナプス)は、その両側の神経細胞が同時に活動すると強化される
・脳の中には「偶有的な体験」を整理して環境の変化に適応することができるインフラが整備されている

「科学の発達は急速です。素粒子から宇宙、分子生物学から脳科学まで、科学が提供する「世界知」に、私たちの「生活知」がなかなか追いついていかないというのが現状です。しかし、こと偶有性の問題に関していえば、「生活知」のほうが、「世界知」よりもはるかに先を行っているといってもよいのです。だからこそ、偶有性を研究する脳科学者、認知科学者は、いま、日常の中で積み上げられてきた人間の知恵に学ぼうとしています。(『脳整理法』茂木健一郎 P65より引用)」

というわけで、
「どうせどうなるかわからない人生を生きるのであるならば、自分の脳の中のインフラを信頼し、自分の目の前にある偶有性を避けるのではなく、その中に飛び込んでいくしかありません。偶有性の海の中で自らの有限の立場を引き受けて生きていくことが、最良の「脳」整理法であり、世界知と生活知を一致させる道なのです。」
(『脳整理法』茂木健一郎 P75より引用)
「脳」整理法 「脳」整理法
茂木 健一郎 (2005/09/05)
筑摩書房

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2006⁄08⁄27(Sun) 21:44   読書 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
雑記 20060823


『ビッグバン宇宙論(下)』読了しました。
下巻あたりから、訳のわからない数式・記号等々は、飛ばしても概ねの意味は掴めないわけでもない、ということが分かってきたので。
無理せず素直に飛ばし始めたら、かなりラクになりました(笑)

下巻の158ページのカール・ジャンスキーの「天の川銀河はたえず一定の電波を出している」という発見について書かれています。
少々本論からはずれていますが、「こういったセレンディピティー」について、その後に書かれていることが気になったので引用しておきます。

「科学と技術の歴史には、セレンディピティーがいくらでも転がっている。
(中略・マジックテープやポストイットやバイアグラの例を挙げている)
セレンディピティーを積極的に生かした科学者たちを、単に幸運な人たちと分類するのはたやすいが、しかしそれは正しくない。セレンディピティーに恵まれた科学者や発明家が、偶然の発見から先に踏み出せたのは、その発見を適切な文脈の中で位置づけるだけの知識を蓄積していたおかげなのだ。ルイ・バストゥールもまたセレンディピティーに恵まれた人物だが、これを次のように述べた。「チャンスは備えある者に訪れる」ウォルポールも前掲の手紙でこの点を強調し、セレンディピティーは「偶然と賢慮」のおかげだとしている。

セレンディピティーに恵まれたいと願う者には、チャンスを逃さない心構えも必要だ。植物の種がびっしりとくっついたズボンにブラシをかけて終わりにしたり、失敗作の接着剤を流し台に捨てたり、効果のなさそうな師倹約を廃棄したりするだけではいけない。
アレグザンダーフレミングがペニシリンを発見したのは、窓から飛び込んできた一片の青カビがシャーレに落ちて、培養していた細菌を殺したことに気づいたからだった。それまでにも大勢の細菌学者が、培養していた最近を青カビに汚染されたことだろう。だが彼らはみな、何百万人もの命を救うことになる抗生物質を発見する代わりに、がっかりしながらシャーレの中身を捨てていたのだ。ウィンストン・チャーチルはかつてこう述べた。「人はときに真理に蹴躓いて転ぶが、ほとんどの者は、ただ立ち上がり、何もなかったようにさっさと歩き去る」

(サイモン・シン『ビッグバン宇宙論(下)』P158〜162まで引用)





講演を聞いたあと、しばらくマイブームが継続している「茂木さん」。
『意識とはなにか』読了。
茂木さんの文章はえらく読みやすい。難しい話のはずなのに、分かりやすいのは、「クオリア」の説明が生々しいからだろうなと思う。
「ギラギラ」と「キラキラ」と「ピカピカ」という極めて似たような言葉があるけれど、この言葉からイメージする質感(クオリア)はそれぞれ異なる。異なるけれど、言葉で表現するのはなかなか難しいですね。
そんなところをイメージさせてくれるところが面白いのかな。

またまた気になったところを引用。

ごく一般的な話として簡単に要約すると、〈あるもの〉が「やさしい問題」か、「むずかしい問題」か、と考えがちだけれど、実は、そのことについて、「やさしい問題」という立場から見ることもできるし、「むずかしい問題」という立場から見ることもできる。どちらか片方しかない、ということはなくて、実は表裏をなしている、という話。

「あるシステムにおいて、〈あるもの〉が〈あるもの〉であることを前提にして、それらの結びつきからシステムの動作を説明することは、一般に「やさしい問題」となる。一方、〈あるもの〉が〈あるもの〉である起源自体を説明しようとすることは、一般に「むずかしい問題」になるのである。」

(『意識とはなにか』茂木健一郎より引用)

なるほど。。。
でもこれだけじゃ、なんのことだか分かりませんね。
きっと読めば分かります。

意識とはなにか―「私」を生成する脳 意識とはなにか―「私」を生成する脳
茂木 健一郎 (2003/10)
筑摩書房

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2006⁄08⁄23(Wed) 23:59   読書 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
青い空。


よく訪問するブログから辿り着いた、茂木健一郎さんのクオリア日記。8月8日のエントリーに付されている高知での講演の音声ファイルをダウンロードして聞きました。講演の語り口は好みです。面白くてためになります。講演時間90分、お薦め。(無料ダウンロード可)
クオリア日記は、こちらから。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/

学びを以下に記しておきます。
■美しい欲望を持つ。
欲望とは、動物的なものだけを指すのではない。
具体例 
数学者藤原正彦さんの欲望は 20年?解けていない数式を解くこと
ガンジー 人を助けること
などなど。
そういう美しい欲望をどう持つか。
そして、人は、自分の持った欲望のような人になっていく。

■感情とは、不確実性を生き抜くための戦略である。不確実な中に適応して進化していくために感情が必要だった。
感情豊かな人は、どうなるか分からない未来を楽しむことができる。

■感情豊かな人ほど逆境に強い。

■「会話」は高い創造性を要する。

■創造性は不確実性の未来を楽しむことから発揮される。

■どうなるか分からない、不確実性の未来を楽しむには

感情豊かに生きる
直感を信じる 自分の直感がどう感じているかを重要視する
知識を捨てる余計なことを知りすぎ。
具体例 松阪慶子さんのたんぽぽのような朗らかさはどこからくるのか「いろいろあっても、忘れられる。」
具体例 プロフェッショナルの中の事例

安全基地を持つ。愛すべき何かを持っている人は、不確実性を楽しむことができる。

■脳の宝物は「感情」。

■創造性は「空白」から発揮される。

具体例 イギリスの「ギャップイヤー」。6月に学校を終えて、翌年の9月に次の新学期が始まる。
それまでをギャップイヤーといい、世界を放浪したりする。
日本のように、組織に組み込まれている期間に空白を空けてしまうことに危機感を感じない諸外国。

具体例 フランスの地中海クラブ。
通常、日本人なんかだと、バカンスといってもあたふたとツアーに行ったりする人が多い。(もぎさんも)が、上記クラブでは、
本当に何にもしない。ボーっと、陸揚げされたマグロのように海岸で寝転がっている。
茂木さんも3日間ぐらいボーっとしてみたら、「子供の頃に見た、甘ったるい夢を思い出した」。
自分の限界や現実性なんかを考えずに考える夢、そんなものを思い出すことができた。

具体例 空き地を作れば、人間はそこに何かを作る。

■身体は休んでいても、脳は休まない

■夢は、その前一週間で体験したことを見る

■(ごく私的感想)
茂木さんの師匠分である、養老さんが東京大学を退職された翌日、空を見上げて「こんなに空って青かったんだ」と思ったそうな。

実は、同じような開放感を、今日、通勤の電車の中で味わっていたわたしでした。(まだ退職してないけど…。決めただけで、ものすごいプレッシャーから開放された気分)不確実な未来も楽しめる気がします。


茂木さんの新刊「脳の中の人生」
今読んでいるところです。こちらも面白いです。
脳の中の人生 脳の中の人生
茂木 健一郎 (2005/12)
中央公論新社

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紀伊国屋で「大人の科学マガジン」を購入。なんと、室内でプラネタリウムを楽しめる組み立て付録つき。即、買い。
これから、プラネタリウム、組み立てます。

大人の科学マガジンVol.09 大人の科学マガジンVol.09
大人の科学マガジン編集部 (2005/09/26)
学習研究社

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2006⁄08⁄16(Wed) 23:56   読書 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
続・夏休みの推薦図書


昨日の続き。
実は、某あまり読書好きではない高校生の夏休みの課題は、その本に関する絵を描くだけじゃなくて、感想文も書かなきゃいけないんだって。
先程、お薦め本メールが出来上がったので、折角だし、こちらにものっけておきます。

・オグ・マンディーノ『十二番目の天使』

ひたむきな野球少年の姿が涙を誘います。
主人公の野球シーンを描くなどいかがでしょうか。読みやすいです。

十二番目の天使 十二番目の天使
オグ マンディーノ (2001/04)
求龍堂

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・藤原正彦『若き数学者のアメリカ』

大志を掲げて戦後すぐの異国での実体験が、留学先の風景描写とともに
楽しげな筆致でつづられています。旅先の風景や、ラストシーンのサンフランシスコの夜景などを描くのも一つの手かもしれません。

若き数学者のアメリカ 若き数学者のアメリカ
藤原 正彦 (1981/06)
新潮社

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・マイケル・J・フォックス『ラッキーマン』

私の世代には結構有名な映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズでおなじみのマイケル・Jフォックスのパーキンソン病闘病記です。真面目に読めば感想文は書けると思います。
但し、少々長いですから、途中で飽きるかも、です。
映画やTV撮影の話が出てきますので、困ってしまったら、映画のシーンを描いてもあながちハズレではないかもしれません(笑)

ラッキーマン ラッキーマン
マイケル・J・フォックス (2005/02/19)
ソフトバンククリエイティブ

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・さだまさし『解夏』

青年が病を宣告されてから失明するまでの話です。
本屋で立ち読みしながら涙しました。短編ですからすぐ読めます。
主人公の故郷の風景をイメージして描いてみるのはいかがでしょうか。大沢まさお主演の同名映画の原作本でもあるので、イメージに困ったら映画を見るという奥の手もあります。

解夏 解夏
さだ まさし (2003/12)
幻冬舎

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・池澤夏樹『スティル・ライフ』

これは単純に私の趣味です。表題作は筆者の芥川賞受賞作ですから、ふざけた本ではありません。おまけに短編です。
個人的には、作中の「雪のシーン」の風景画を是非描いていただきたいです。
アマゾンレビューにも「読んでいると綺麗な映像が頭の中に浮かぶ作品」とのコメントもありますから、もしかすると、絵は描きやすいかもしれません。

スティル・ライフ / 池澤 夏樹

・長田弘『人生の特別な一瞬』

散文詩集です。色々な風景が描かれていて、絵を描くならこれが一番描きやすいと思います。ただ感想文は書きにくいかもですね。

人生の特別な一瞬 / 長田 弘

・『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』ジョナサン・サフランフォア

実は、これは今読んでいます。前回読みかけで途中放棄してしまったのですが、なんだか気分が向いてきたので。映画『僕の大事なコレクション』原作本。引き込まれます。でも高校生には向かないかも(笑)

エブリシング・イズ・イルミネイテッド エブリシング・イズ・イルミネイテッド
ジョナサン・サフラン フォア (2004/12)
ソニーマガジンズ

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2006⁄08⁄09(Wed) 22:12   読書 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
旅への憧憬と室内旅行。


『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』に引用されていたアラン・ド・ボトンの文章が気になって、探して読んでみたら、面白いのです。

旅について、少し物憂げなモードで語る著名人の言葉を引用しつつ綴った『旅する哲学』。

第2章の「船旅の詩情、ドライブウェイのポエジー ボードレールの港、ホッパーの旅路の情景」は、共感するところの多い内容でした。

旅への憧憬は、「ここではないどこか」に行くことを欲する、ある意味、逃亡欲求とも言えるでしょう。
それは、どこへ旅しても、何度旅しても、死ぬまでやむことのない本能的な欲求だと思うのです。
だからこそ「目的地に到着すること」よりも、「旅すること自体」に魅力を感じるのではないでしょうか。

駅やパーキングエリアといった途上での「束の間の」居場所や人との触れあいに、「定住地での長い付き合い」とは異なる心地よさや深みを感じた経験も思い出します。

そんな経験を、哲学者が書くとこんなふうになるんだ…と、感心しつつ読みました。



「いつもぼくには、こんなふうに思えるのだ。いま居るところにさえ居なければ、ぼくは元気になれるんじゃないかと。この移動の問題は、ぼくが永遠に魂に抱き続けるものなんだと。

(『旅する哲学 アラン・ド・ボトン』よりボードレールの言葉の引用)


ときどきボードレールは、リスボンに行くことを夢見た。むこうは暖かだろう。蜥蜴のように太陽の下で身体を伸ばしていれば、強さを手に入れられるんじゃないか。リスボンは水と大理石と光の都市で、思想と平安を導く力をそなえている、と。
しかし、ほとんどポルトガルの幻想を心に思い描いた瞬間に、オランダのほうがもっと幸せになれるんじゃないかと思い始める。そしてまたもや、なぜジャワじゃないのか、どこかバルティックの沿岸は、いっそ北極はどうかと思いつく。北極なら影にどっぷり身を浸して、北極の空をよぎる彗星を見られるんじゃないか?行き先は実は問題ではなかった。本当の欲求は逃げ出すこと、立ち去ることで、彼自身もこんな言葉で結んでいるとおりであった。

どこでもいい!どこでもいい!この世界の外でありさえすれば!

(中略)

彼は生涯をつうじて、港に、ドックに、鉄道の駅に、列車に、船に、ホテルの部屋に、強く惹かれていた。自分の住居よりも、旅の途上のつかのまを過ごす場所でのほうが、もっと落ち着けたのだった。
パリの雰囲気が重苦しく感じられ、世界が「単調で狭苦し」く思えてると、彼は出発する。「出発するということのためだけに、出発」して、港とか汽車の駅まで行き、心の中で叫ぶのだった。

客車よ、ぼくを連れて行ってくれ!船よ、ぼくをここから攫って行ってくれ!ぼくを遠くへ、遥か遠くへ、連れて行ってくれ。ここでは泥も、ぼくらの涙でできている!』
(『旅する哲学 アラン・ド・ボトン 著』より引用)


旅の過程に、目的地に触れることなしにさまようことに価値を認めることは、わたしたちを批評家のレイモンド・ウィリアムズに結びつける。(中略)彼の説によれば、アウトサイダーはインサイダーに対してモラルの点で優位に立つというところまできたように見える。

十八世紀末葉以降、同胞感覚という天性が生まれるのは、もはや共同体の実践によってではなく、彷徨う者になることによってである。かくして、通常社会の厳格さと冷たい禁欲と利己的な安楽に対して、本質的な孤立と沈黙と孤独が人間の本性と共同体の意識を体現するものとなる。
(レイモンド・ウィリアムズ『田園と都市』)

わたしたちがサービスステーションやモーテルに詩情を見出すとすれば、空港や列車の車両に惹かれるとすれば、それはおそらく(建築としてみれば妥協の産物で快適でなくとも、色使いが子供っぽっくて照明が強すぎるとしても)わたしたちが無意識に、普通の地面に根を伸ばした世界の利己的な安楽さと慣習に息苦しさに対する別の選択肢として、そのように切り離された場こそが大切な背景を差し出してくれている、そんなふうに感じているせいなのだ。
(以上『旅する哲学 アラン・ド・ボトン』より引用)


著者であるアラン・ド・ボトンもまた、しばしば飛行場へ行き、この飛行機に乗りさえすれば、どこにでも行けるんだ、という夢想をめぐらすことによって精神的に回復すると記しています。



巻末には「室内旅行」という思いがけない視点が記されています。
地元の人々にはごく当たり前の光景が、旅人の目には新鮮に映る、ということは、慣れきった日常も、「旅人の視点」になりさえすれば新鮮な光景に変えることがはずだ、という内容。

新たな風景を見ることによって頭の回転が良くなるってこともあるらしいから、実際に旅することによって得られる効用は様々あるとは思うのですが。
視点を変えるだけで同じ風景を見ていても旅行した気分になれるなら、旅費の節約もできて、良いかもしれません。

じゃあ、どうすれば、視点が変わるのかしらん、と、気になりつつ結論は出ず。
このあたりが読者の頭に疑問を残して終わる、哲学者らしい論調なのでしょうか。

特に根拠はありませんが、安定を求める心理と、通常と切り離された空間を求める心理という矛盾した二つの心理が人間の中には存在するのではないかと思います。
それは波型に上下し、ある時は一方が高く、一方が低くあるだけで常に気持ちの中には双方が存在している、そんな気がします。

「ここではないどこか」への旅と、室内旅行の双方を夢見つつも永遠に満足できないのが人間なのでしょうか。



本やら映画やら、そういうものを手に取る時は全くランダムに手にしてるはずなのに、最近の思考は明らかに一連のテーマを追っています。
人間の頭って面白いものです。





2006⁄08⁄04(Fri) 23:59   読書 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top

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